三洋電機
基本情報
- 所在地
- 大阪府守口市
- 社長
- 佐野精一郎
- 資本金
- 20,000,000
- 従業員数(単独)
- 9,299 人
- 従業員数(連結)
- 開始日
- 1947-01-01
- 終了日
サイト
事業内容
関連会社
| 会社名 | Group | 親会社 | 子会社 | 得意先 | 仕入先 | 業務提携 | 銀行等 | 株主等 |
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| 米ウォーイック | ||||||||
| 中国ハイアール | ||||||||
| Sanyo Electric Inc | ||||||||
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| ウォーイック社 | ||||||||
| サンヨー・マニュファクチャリング・コーポレーション | ||||||||
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| 三洋丸紅株式会社 | ||||||||
| 三洋電機貿易株式会社 | ||||||||
| 東京三洋電機 |
関連図
沿革
1910年創業
井植歳男氏が大阪府守口市で三洋電機製作所を創業
北條工場を新設
1950年4月に資本金2,000万円の三洋電機を設立
三洋電機を設立
1951年には国内初のプラスチック製ラジオ
ラジオの生産開始(国内初のプラスチックラジオ)
1953年には各社が避けた噴流式洗濯機へ広げている
噴流式洗濯機の製造を開始
1954年4月に大阪証券取引所へ上場
大阪証券取引所に株式上場
ストライキが発生・労使関係が悪化
三洋電機を設立
国内の地方に生産拠点
カラーテレビへの量産投資
三洋丸紅を設立
創業者の井植歳男氏が逝去・井植家による同族経営を持続
円高ドル安で業績悪化
三洋電子を設立
1976年9月、米ウォーイックを買収
米ウォーイック社の買収とサンヨー・マニュファクチャリングによる北米現地生産
フィリップス社の英国テレビ工場を取得
二次電池への傾斜投資と、創業家の退場を経て吸収合併に至る終焉期 : 1986年12月 : 井植薫 : 東京三洋電機を吸収合併
1990年には二次電池へ傾斜して投資し
Sanyo manufacturing Corporationを設立(TVの北米現地生産)
1990年前後、三洋電機が井植敏社長のもとで、充電して繰り返し使える二次電池(蓄電池)を最有望の成長分野と見定め、全社の設備投資の約2割を電池事業へ集中させる傾斜投資に踏み切った経営判断。主力のニッカド電池に続き次世代のニッケル水素電池でも量産体制を整え、1992年には電池が全社営業利益の大半を支える大黒柱に育った。
社内分社制度を導入(新規事業の立案)
新潟三洋電機で半導体量産
鳥取三洋電機で液晶パネル量産
デジタルカメラに本格参入
2002年1月には中国ハイアールと資本提携
二次電池に傾斜投資を開始
2002年1月、三洋電機が中国最大手のハイアールと資本・業務提携を結んだ経営判断である。低価格の家電で消耗戦を続けるのではなく、中国大手と手を組んで部品供給やOEMという\"大市場\"を取りに行き、自ら普及品市場を譲り渡す賭けであった。
ハイアール社と提携
最終赤字に転落
2005年12月に3,000億円の第三者割当増資を受けた
最終赤字に転落
2005年4月にジャーナリストの野中ともよ氏を会長兼CEOに起用して再建に着手した三洋電機が、財務の急速な悪化を受け、同年12月にゴールドマン・サックス・大和証券SMBC・三井住友銀行の3社から3,000億円の第三者割当増資を受け入れた経営判断である。継続企業の前提への疑義注記は避けられなかった。
2006年3月期の有価証券報告書には継続企業の前提に関する疑義が付いた
財務状況が悪化・疑義注記を記載
2008年には携帯電話事業を京セラへ譲渡
第三者割当増資
携帯電話事業を京セラに譲渡
2009年12月にパナソニックの公開買付を受け入れ
2011年3月29日に上場廃止
2011年4月1日の株式交換で完全子会社となった
携帯電話事業を京セラに譲渡
2009年12月、経営再建の見通しが立たない三洋電機がパナソニックの株式公開買付を受け入れて連結子会社となり、2011年4月に株式交換で完全子会社化された経営判断である。1947年に松下電器の分家として創業した独立系総合家電メーカーが、64年の歴史を閉じて松下(パナソニック)の一部へ回帰した。
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