初代松次郎の父、新兵衛が1768年(明和5年)、22歳のときに材木町において製油業を起業する。屋号を『油屋』と言い、創業年より製油業を営み、その後代々、松次郎の名を襲名する。油屋松次郎としての事業がスタートする。
当社は、菜種油を精油する『油屋松次郎商店』として、1768年(明和5年)に創業致しました。
初代松次郎(幼名:武房)が材木町にて上野新兵衛の長男として生まれる。
初代松次郎(幼名:武房)が8月27日、24歳にて上野家の家督を相続する。事業の製油業に専念し、事業基盤が固まる。
2代目松次郎、初代松次郎の長男として生まれる。父、初代松次郎の仕事を助け、家業に専念する。
二荒山神社社殿前の大天水桶を奉納。奉納者8名の中に材木町油屋松次郎の名がある。
初代松次郎、材木町における製油業の事業繁栄に伴い、46歳の時に本郷町(現在の本家がある泉町)に事務所を移転する。約700坪の敷地に、製油工場、店舗並びに住宅棟を建設し、事業規模が更に拡大する。
3代目松次郎(幼名:栄次郎)、5月1日に初代松次郎の次男として生まれる。
4代目松次郎(幼名:もと)、嘉永元年12月8日、2代目松次郎の長女として生まれる。
初代松次郎の次男、3代目松次郎(幼名:栄次郎)が製油業における副産物である油粕を肥料として農家に販売しながら、肥料店としての事業をスタートさせる。
初代松次郎、行年68歳で没す。
2代目松次郎、父、初代松次郎の死後4ヵ月にして、行年29歳で没す。
5代目松次郎(幼名:豊次郎)、25歳の時に上野家4代目松次郎(幼名:もと)の長女タミと結婚する。
5代目松次郎、30歳の時に上野家の家督を相続し、5代目松次郎を襲名する。その後、製油業を廃止し、肥料販売専業に移り、肥料問屋としての基盤が固まり、業界に重きをなした。人造肥料にいち早く着目し、肥料販売専業に移り、その後の隆盛を極める。宇都宮市泉町に油屋松次郎の新事務所を建設する。主力取扱品は、菜種油粕,魚粕,大豆粕など。
明治24年8月5日、下野銀行が初の地方銀行として創立される。資本金10万円。5代目松次郎が取締役に就任する。
上野房之助が宇都宮市泉町本家の隣りに呉服太物商を開業する。油屋呉服店と称して商売をスタートする。
明治29年6月22日、宇都宮銀行が創立される。5代目松次郎が取締役に就任する。
5代目松次郎、栃木県農工銀行を創立する。後に、6代目松次郎が頭取を務める。
宇都宮貯蓄銀行が創立される。
明治後期より流通がはじまった化学肥料の安定普及の為に、粗悪品の排除と産業の近代化を目的として「大日本肥料株式会社(後の日産化学工業)」の設立に携わった渋沢栄一氏より、栃木県下における肥料事業の統制と、運営普及の全権を、5代目松次郎に託した。
油屋呉服店の店舗を新築し、数年後に商号を上野呉服店と改める。
下野新聞の印刷部門が独立して新会社、下野印刷株式会社が創立される。資本金5万円、株主71名を以って発足。会社組織の印刷所としては県下随一となる。5代目松次郎が顧問に就任する。
日光東照宮三百年祭において5代目松次郎が会計幹事を拝命し、奉賛会会長・渋沢栄一翁らと共に三百年祭の事業運営に尽力する。
下毛貯蓄銀行が創立される。資本金100万円。5代目松次郎が取締役副頭取に就任する。宇都宮銀行の頭取も兼務。
油屋松次郎、住友肥料製造所(現 住友化学株式会社)と特約店契約を結ぶ。
上野呉服店 上野房之助の娘婿、上野小七(県北植竹家より)は、宇都宮市馬場町にドイツ風の木造三階建ての支店を建設する。上野呉服店馬場町支店と命名し、北関東最初の百貨店となる。後に、馬場町支店が上野百貨店として事業を発展させる。
下野中央銀行が創立される。資本金1,390万円。5代目松次郎が頭取に就任する。宇都宮銀行の頭取も兼務。
西にある隠居別荘を再建設。松寿苑本店となる。松寿苑はその後、結婚披露宴、茶席、展示即売、法事等の施設として事業をスタートする。
6代目松次郎は不動産管理・開発事業を行なう「旭土地株式会社」を設立。北千住の土地建物は旭土地株式会社に移管される。
6代目松次郎(幼名:順一)、5代目松次郎の長男が、5代目松次郎の隠居により家督を相続し、6代目松次郎を襲名。家業の肥料商を継承する。
下毛貯蓄銀行(6代目松次郎が頭取)が足利銀行との合併調印手続を締結。合併調印式の直後に6代目松次郎は脳溢血で倒れ、56歳の若さで現役を退くこととなる。
足利銀行に全業務を引き継ぎ、足利銀行が栃木県内一行体制となる。
株式会社上野松次郎商店として法人を設立。資本金は、1,800,000円
法人設立:1950年(昭和25年)8月
上野俊三(7代目松次郎)が株式会社上野松次郎商店の商売を6代目松次郎から引継ぐ。終戦後 色のついた紙を販売開始し、内装事業の起点となる。その後、肥料農業資材を扱う肥料部とインテリア商品全般を扱う内装部へ事業が発展する。
上野俊三(7代目)が下野印刷株式会社の取締役社長に就任する。
上野俊三が賃席業や文化催事の拠点として「株式会社松寿苑」を設立。代表取締役社長に就任する。地域の文化・社交の場(結婚披露宴、茶席、展示即売、法事等)を供するという上野家の精神を形にする。
下野印刷株式会社が創立満50周年を迎える。6代目上野松次郎が4代目の社長を務める。
上野俊三が宇都宮市ユネスコ協会を設立。会長に就任する。
株式会社上野松次郎商店-肥料部を泉町から宇都宮市問屋町へ移転する。内装部門は引き続き、泉町事務所にて営業を継続する。同時に社名を株式会社上野に改める。
株式会社上野 資本金を450万円に増資する。
株式会社上野百貨店が創業80周年を迎える。記念誌「上野百貨店80年の歩み」を発刊する。
上野泰男(8代目)が株式会社上野の社長に就任する。
旭土地株式会社は、北千住に所有していた下野製紙北千住工場の跡地を処分し、JR宇都宮駅東口にホテルサンシャインを建設し、ホテル業を開始する。
株式会社上野 資本金を900万円に増資する。
旭土地株式会社の名称を株式会社サンシャインに改める。
IBMの栃木県における特約店として、資本金2,000万円でサンシャインコンピューターサービス株式会社を設立する。
上野泰男が社長に就任する。
肥料・内装の二事業体制へ。
株式会社上野-内装部が、肥料部のある問屋町事務所へ移転・統合して、肥料部・内装部の2部門体制にて業務をスタートする。
内装部の営業拠点として、小山市に小山営業所を開設する。
株式会社上野 資本金を2,500万円に増資する。
ホテルサンシャイン旧館隣りに新館を建設し、宇都宮市最大級のビジネスホテルとなる。
株式会社上野 ガーデンセンター松次郎をオープンして、園芸部門として事業を開始する。
産経新聞『私の物語』(平成8年1月連載・上野泰男著)に上野家の歴史について記事を掲載
サンシャインコンピューターサービス株式会社の業務を日本ビジネスコンピューター株式会社(宇都宮支店)へ移管する。
株式会社上野 法人設立50周年を迎える。
園芸部門(ガーデンセンター松次郎)を閉鎖する。
松寿苑本店を閉鎖する。
ホテルサンシャイン 設立25周年を迎える。
本社事務所(肥料部・内装部)を同一敷地内で移転する。
上野拓也(9代目)が8代目泰男より株式会社上野の事業を引き継ぎ、代表取締役社長に就任。先代から受け継いだ「信用」「誠実」の精神を未来へつなぎ、新たな経営体制をスタートする。
株式会社上野 創業240周年を迎える。
弊社オリジナル商品であるVS堆肥をリニューアル発売。製造委託先の関東有機肥料株式会社(栃木県那須塩原市)にて製造出荷開始。
内装部 小山営業所を移転する。(小山市西城南へ)
VS堆肥工場(製造委託先)を関谷きのこ園(栃木県矢板市沢)へ移転し、VS堆肥をリニューアルする。
中長期的な事業基盤の強化に向けた経営改善計画を策定。収益力・財務基盤の強化と、インテリア・農業資材両事業の事業構造改革に取り組む。
株式会社上野 創業250周年を迎える。
金融機関との連携による財務基盤の強化を進めるとともに、次の10年を見据えた「10ヵ年経営Vision」を策定。健康経営・人的資本経営を推進し、人への投資を軸とした経営基盤づくりを進める。
アグリ事業部・インテリア事業部へ名称変更。
株式会社上野の本社社屋をリノベーションする。
『インテリア・農業資材のソリューションプロバイダー』としての専門性と企業価値向上の為、肥料部、内装部という2つの事業名称を、『アグリ事業部』、『インテリア事業部』に改称する。
健康経営・人的資本経営・DX等への取組みを通じ、人と組織への投資をさらに推進する。
全社的に取組みを行っている健康経営の推進に対して、日本健康会議より『健康経営優良法人2026(中小規模法人部門)』として認定を頂く。
創業260年 - 次の50年・100年へ。
創業260年を迎える。これまでの歴史を礎として、インテリア・アグリの2事業をさらに深化させ、次の50年・100年に向けた新たな歩みをスタート。