| 1922年 |
大正11年に『エスペラント学習書』などの点字図書を印刷したのが日本ライトハウスの創業(「点字文明協会」)とされています。 |
| 1922年 |
創始者岩橋武夫は、点字出版事業に着手し、次いで自宅を開放して点字図書館事業を開始したほか、各種の愛盲事業を展開した。 : <日本ライトハウスの創業 当時は「点字文明協会」> : (昭和8年8月 岩橋武夫は大阪盲人協会会長に就任 ~昭和27年) |
| 1925年 |
大正14年英国のエジンバラ大学に留学し、修士学位を得るとともに、英国の社会福祉の実情をつぶさに見聞して、昭和3年に帰国しました。 |
| 1928年 |
昭和3年に帰国しました。 |
| 1929年 |
昭和4年ライトハウス運動家マザー夫人(アメリカ盲人援護協会AFB会長)の講演通訳を務めるなど、ライトハウス会館設立を目指します。 |
| 1934年 |
昭和9年には渡米して4か月にわたる全米巡回講演を行い、この時の謝金や印税・篤志家の寄付金を基に、阿倍野の地に「ライトハウス会館」の建設を開始しました。 |
| 1935年 |
昭和10年ライトハウス会館竣工とともに点字図書の出版や貸出し、援護相談と訪問指導、各種の講習・勉強会など、今日につながる諸事業を組織的に始めました。 |
| 1935年10月 |
大阪市住吉区(現・阿倍野区)に、木造瓦葺2階建本館延366㎡、2階建別館延103㎡の「ライトハウス会館」を建築した。 |
| 1936年04月 |
ライトハウス運動創始者のマザー夫人を迎えて開館式を行う。 |
| 1938年 |
ヘレン・ケラー女史の日本招聘は、身体障害者福祉の抜本的な改善を願った岩橋武夫の発案で、戦前(昭和12年)・戦後(昭和23年)の2回、朝日新聞・毎日新聞の協力を得て、全国ヘレン・ケラー・キャンペーンを実施し、多大な成果をあげました。 |
| 1948年 |
ヘレン・ケラー女史の日本招聘は、身体障害者福祉の抜本的な改善を願った岩橋武夫の発案で、戦前(昭和12年)・戦後(昭和23年)の2回、朝日新聞・毎日新聞の協力を得て、全国ヘレン・ケラー・キャンペーンを実施し、多大な成果をあげました。 |
| 1948年 |
昭和23年に日本盲人会連合の結成を皮切りに、日本盲人社会福祉施設協議会に続いて、世界盲人福祉協議会の日本委員会を主宰し、アジア諸国に対する謝罪の気持ちを“アジア盲人福祉会議”(昭和30年10月20日)の開催という形で表すべく企画するのですが、昭和29年56歳で死去しました。 |
| 1952年05月 |
社会福祉事業法の施行にともない、名称を「社会福祉法人ライトハウス」と改めた。 |
| 1954年 |
昭和29年56歳で死去しました。 |
| 1955-10-20 |
昭和30年10月20日 |
| 1957年07月 |
三笠宮崇仁親王殿下がライトハウスをご視察。 |
| 1959年03月 |
大阪市阿倍野区に大阪盲人ホームを開設した。 |
| 1960年 |
昭和35年に現在の鶴見区に新社屋を建設・移転を行うとともに、武夫が手掛けていた『コンサイス英和辞典』の点訳などの懸案を完了させました。 |
| 1960年06月 |
大阪市鶴見区に移転し、「社会福祉法人日本ライトハウス」と改称した。 |
| 1961年05月 |
大阪盲人ホームを大阪市鶴見区に移転し、現在に至る。(城東区諏訪の地に、はなてん治療院として営業) |
| 1965年 |
昭和40年からは、視覚欠陥学の確立を目指して生活訓練・職業訓練を開始しました。 |
| 1965年09月 |
視覚障害者更生施設「職業・生活訓練センター」の運営を開始した。 |
| 1969年 |
昭和44年にはさらに競輪益金による補助を得て新館を建築し、日本最初の視覚障害リハビリテーション事業の基礎を固めました。 |
| 1969年10月 |
視覚障害者更生施設「職業・生活訓練センター」の新築工事完了にあたり、三笠宮崇仁親王殿下御臨席のもと落成式を挙行、厚生省委託による職業訓練事業をあわせ運営を開始した。 |
| 1970年06月 |
常陸宮正仁殿下、華子妃殿下が日本ライトハウスをご視察。 |
| 1972年 |
昭和47年、大阪・兵庫を中心にアジア眼科医療協力会(AOCA)が創設されました。 |
| 1977年 |
昭和52年、オイルショックの影響などで金属工場からの利益金繰入が困難となったため、資金のすべてを社会事業部門に移管して収益事業を閉鎖するのやむなきに至りました。 |
| 1978年 |
昭和53年、篤志家から土地の寄贈を受け、競輪益金による補助を得て、和歌山県田辺市に行動訓練所を建設し、盲導犬の育成をはじめとする多角的な歩行訓練を本格的に実施することが可能になりました。 |
| 1978年11月 |
視覚障害者更生施設「職業・生活訓練センター 和歌山行動訓練所」の建築が完成し、三笠宮寬仁親王殿下御臨席のもと落成式を挙行、運営を開始した。(平成7年4月 大阪府千早赤阪村に移転) |
| 1978年12月 |
点字図書館部門が西区江戸堀に移転、視聴覚障害者情報提供施設「盲人情報文化センター」として運営を開始し、現在に至る。 |
| 1979年 |
昭和54年、これも篤志家の土地寄贈と競艇益金の補助により点字図書館が西区肥後橋に進出し、「盲人情報文化センター」の名のもとに、各種ボランティアの協力を得て、視覚障害者に対する幅広い情報提供サービスを始め、そして健常者と障害者がともに手を携えて歩める社会を目指し「共歩共生」を唱えました。 |
| 1981年08月 |
厚生省委託による職業訓練事業は、労働省の能力開発事業に移管され、現在に至る。 |
| 1984年 |
昭和59年、岩橋英行が急死した後は、明子夫人が志を継ぎ3代目理事長として盲人福祉の理念を一般に啓発する〝盲人福祉展〟の開催に尽力したほか、障害の重度化・重複化対策など新しいニーズに対応する事業展開に積極的に取り組みました。 |
| 1990年 |
平成2年度競艇益金による補助を得て、コンピュータ制作をメインとする「点字情報技術センター」として東大阪に移築しました。 |
| 1991年03月 |
点字出版事業が東大阪市森河内西に移転し、視聴覚障害者情報提供施設「点字情報技術センター」として運営を開始し、現在に至る。 |
| 1992年03月 |
重度身体障害者更生援護施設「ジョイフルセンター」、身体障害者通所授産施設「デイワークセンター」(授産部)を設置し、視覚障害者更生施設「職業・生活訓練センター」(生活訓練部・職業訓練部)を合わせて、「視覚障害リハビリテーションセンター」として運営を開始し、現在に至る。 |
| 1992年04月 |
平成4年4月、「視覚障害リハビリテーションセンター」という総合的な事業に生まれ変わりました。 |
| 1995年04月 |
平成7年4月に和歌山県田辺市にあった行動訓練所を大阪の千早赤坂村に移築し、盲導犬訓練所として新しく事業を開始しました。 |
| 1995年04月 |
和歌山行動訓練所を大阪府千早赤阪村に移築・完成にあたり、三笠宮寬仁親王殿下御臨席のもと竣工式を挙行、「行動訓練所」と名称を改め運営を継続した。 |
| 1996年04月 |
視聴覚障害者情報提供施設「盲人情報文化センター」(西区)と「点字情報技術センター」(東大阪市)を統合し、名称を西事業所・東事業所と定めた。 |
| 1997年 |
平成9年に日本ライトハウス後援会「灯友会」を立ち上げ、事業を円滑に運営してゆくための収入基盤を強固にしました。 |
| 1999年 |
平成11年、国立特殊教育総合研究所視覚障害研究室長であった木塚泰弘が4代目理事長を継いで、明子夫人は会長に就任しました。 |
| 2000年 |
平成12年、障害者を取り巻く環境・施策等の変化に対応するため、日本ライトハウスの基本理念を「自立と社会参加のためのパートナーシップ」として取り組むことになりました。 |
| 2001年05月 |
盲人情報文化センター西事業所に視覚障害者バリアフリー推進センターが設置され、「エンジョイ!グッズサロン」とデイジー録音スタジオを開設した。 |
| 2001年07月 |
盲人情報文化センター西事業所に小規模通所授産施設「ITワークセンター」が設置され、事業を開始した。(~平成22年) |
| 2003年 |
平成15年から始まった社会福祉基礎構造改革により、支援費制度の移行にともない、リハビリテーション事業の再編を行いました。 |
| 2003年04月 |
社会福祉法の制度変更により重度身体障害者更生援護施設「ジョイフルセンター」は、視覚障害者更生施設として施設種別を変更した。 |
| 2005年12月 |
大阪盲人ホーム「はなてん治療院」を改築した。 |
| 2006年08月 |
盲人情報文化センター西事業所の改築が決まり、仮移転所(中央区道頓堀)に移転した。 |
| 2007年04月 |
西事業所の新館建築の着工が開始された。(~平成21年9月) |
| 2007年09月 |
鶴見事業所において、地域福祉サービスの拠点となる居宅介護事業所「居宅支援センター てくてく」を開設した。 |
| 2008年04月 |
視覚障害リハビリテーションセンターは、障害者自立支援法に基いた「障害者支援施設」と「障害福祉サービス事業所」に再編することを決定し、平成20年度を試行年と位置づけた。 |
| 2009年 |
平成21年には、障害者自立支援法の新体系にもとづき、サービス事業として「障害者支援施設」「障害福祉サービス事業所」を開始しました。 |
| 2009年 |
同年、西区の新館を改築し「情報文化センター」と改称して、全国の目の見えない方・見えにくい方の〝情報・文化・コミュニケーション〟の拠点となるよう、新たに事業を始めることになりました。 |
| 2009年04月 |
視覚障害リハビリテーションセンターは、旧法施設の「職業・生活訓練センター(第1生活支援係、第2生活支援係、第3生活支援係」「ジョイフルセンター」「デイワークセンター」「ITワークセンター」の各施設を統合し、新法に基く「指定障害者支援施設 日本ライトハウス きらきら」および「指定障害福祉サービス事業所 日本ライトハウス わくわく」として、新体系での事業を開始した。 |
| 2009年09月 |
西事業所の新館完成にともない〝情報・文化・コミュニケーション〟の拠点を目指して、名称を「日本ライトハウス情報文化センター」に変更した。 |
| 2010年01月 |
「行動訓練所」を「盲導犬訓練所」と名称を改めた。 |
| 2010年04月 |
大阪市の早川福祉会館点字図書室の運営業務を受託した。 |
| 2011年04月 |
東日本大震災で被災した視覚障害者の支援に職員を派遣。 |
| 2012年 |
※ 創業90周年(2012年)を記念して『往復書簡 日本の障害者福祉の礎(いしずえ)となったヘレン・ケラー女史と岩橋武夫』を刊行しました。 |
| 2012年11月 |
創業90周年記念式典を挙行。「往復書簡~日本の障害者福祉の礎となったヘレン・ケラー女史と岩橋武夫」を出版。 |
| 2013年 |
平成25年、木塚泰弘が退任したあと5代目理事長として橋本照夫が就任しました。 |
| 2013年04月 |
西事業所が「シネマ・デイジー」(音声解説付き映画等の録音図書)の製作・提供開始。 |
| 2013年05月 |
木塚泰弘が理事長を退任し、橋本照夫が5代目理事長に就任。 : 日本ライトハウス「基本理念」「職員倫理綱領」「職員行動規範」を策定。 |
| 2013年10月 |
「きらきら」が生活介護事業を開始。 |
| 2014年07月 |
「てくてく」が相談支援事業を開始。 |
| 2015年04月 |
大阪市より鶴見区障がい者相談支援センター事業を受託(2018年より、鶴見区障がい者基幹相談支援センター事業となる)。 |
| 2018年04月 |
厚労省より「視覚障害生活訓練等指導者養成課程フォローアップ研修会」事業を受託。 |
| 2018年11月 |
特別行事「ヘレン・ケラー女史没後50年を偲んで~ヘレン・ケラーと岩橋武夫」を開催。 |
| 2019年12月 |
クラウドファンディング「盲学校の生徒に星空を~暗所視支援眼鏡を届けたい!」を実施。 |
| 2020年04月 |
西事業所が「ニポラチャンネル」(YouTubeによる視覚障害者機器等の情報配信)を開始。 |
| 2021年03月 |
「日本ライトハウス盲導犬育成事業50周年記念フェスタ」を開催。 |
| 2022年04月 |
創業100年。就労継続支援B型事業所「日本ライトハウスワークセンターさんさん」を開設。 |
| 2023年03月 |
創業100周年記念式典・記念事業を挙げる。 |
| 2024年04月 |
西事業所がクラウドファンディングで「ニポラジオ」(インターネットによるラジオ情報番組)を開始。 |
| 2024年11月 |
視覚障害リハビリテーションセンター・東西館の大規模改修工事が完了。 |