| 1966年 |
1966年(昭和41年)に、兵庫県尼崎市で創業しました。 |
| 1966年 |
比屋根 毅、 エーデルワイスを創業 尼崎の立花商店街はずれの7坪の店舗でエーデルワイスを創業。資金不足のため、ショーケースやオーブンなどは全て中古の物を買ったり、タダで譲り受けたりしてオープンにこぎつけた。オープン当時は創業者の比屋根 毅と妻・笑子、職人と身内の販売員の4人でのスタートだった。オープン当初はお客様が1日に4~5人という日もあったが、バタークリーム全盛の時代に、乳業メーカーと共同開発した生クリームを使った生シューが人気となり、小さなお店は連日多くのお客様で賑わった。 創業当時の店舗(右側は現社長・比屋根 祥行) |
| 1969年 |
株式会社エーデルワイスに改組 パン部門に着手 フランスから来日したジャン・ジャック(Jean Jacques)氏の指導を仰ぎ、パン部門を設立、フランスパンの販売を開始した。 同氏は、比屋根がパンづくりの修行で訪れたパリの有名店「ジャン・ジャック」のオーナーの子息で、1年にわたりパン製造の技術指導を行った、当社におけるパン部門の礎である。 フランスでの修業時代、ジャン・ジャック(Jean Jacques)氏と |
| 1970年12月 |
エーデルワイス塚口本店竣工 レストラン・喫茶併設 (兵庫/尼崎市塚口) 大阪で万国博覧会が開催された1970年12月、4階建ての新社屋「エーデルワイス」塚口本店が完成。ケーキの販売に加え、喫茶・レストランに事務所を含めた店舗は、クリスマスシーズンとも重なり、多くのお客様で賑わった。 エーデルワイス塚口本店 |
| 1971年 |
フランチャイズチェーン店展開活発になる、多店舗化スタート |
| 1972年 |
本部センター竣工(兵庫/尼崎市尾浜) 一流の技術を学ぼうと洋菓子職人を目指す若者が全国から集まり、売上げも大きく増えて工場が手狭となったため、1972年、当時の年間売上である4億円を投資して、尼崎市尾浜町に本部センターを竣工。比屋根 毅は、毎年のようにヨーロッパを訪れ本場の伝統的な味や技術を学び、本物の味をお届けすることをモットーに事業を拡大していった。 竣工当時の本部センター外観 |
| 1974年 |
1974年に来日し神戸でパンづくりを始めました |
| 1976年 |
本社を兵庫/神戸市に移転、 社名をスイス菓子エーデルワイスに変更 |
| 1977年 |
スイス、シュプリングリ社研修、技術者派遣 海外との初提携先となった、スイスの老舗シュプリングリ |
| 1978年12月 |
1978年12月、神戸北野町の1店舗からその物語は始まりました。 |
| 1978-12-12 |
株式会社アンテノール設立 アンテノール北野本店オープン(兵庫/神戸市 北野) ヨーロッパの一流ブランドに負けない自社ブランドを創りたいという想いから、1978年12月12日、神戸北野(兵庫県神戸市中央区中山手通)にアンテノールを創設。ギリシャ神話の勇者の名前からとったアンテノールの北野本店は、当時としては珍しい高級洋菓子店として、全国から多くのファンが訪れる人気店となった。 オープン当時の店舗外観 |
| 1981年 |
アンテノール阪神店(阪神梅田本店)オープン 大阪・阪神梅田本店にファクトリー付きの「アンテノール」を出店。ガラス張りのファクトリーで職人たちがケーキをつくり、できたてのお菓子を提供するというコンセプトが支持を得て、連日多くのお客様でにぎわった。 ファクトリー付き「アンテノール」阪神店 |
| 1982年 |
株式会社ル ビアン設立 エーデルワイス中央研究所竣工(兵庫/尼崎市尾浜) 本物の味を生み出す技術力と開発力を養うため「エーデルワイス中央研究所」を尼崎本部センターの東側に設立。現在は、その機能をセンターオフィス&ファクトリーラボに移し、商品の開発や研究を続けている。 本部センター東側に設立した中央研究所 |
| 1982年 |
1982年、日本でル ビアンがオープン |
| 1983年 |
関東進出 東京/中央区門前仲町を支社・工場拠点にアンテノール銀座三越店オープン 長年の夢であった関東進出を果たす。 銀座三越店オープン時の画像 |
| 1986年 |
ワールドケーキフェア出品(グランプリ・世界洋菓子連盟会長賞受賞) 当時のピエス・モンテのデザインとしては、天を射抜くような細身のスタイリッシュな意匠は珍しく、ジャン・ミエ氏(世界洋菓子連盟会長:当時)に絶賛される。 作品名:夢のしらべ |
| 1987年 |
関東支社移転 東京/江東区東陽町に工場を竣工 竣工の東京工場(東陽町) |
| 1989年 |
ヴィタメール業務提携本契約(日本) ベルギーの老舗ヴィタメール社と業務提携。1910年創業、ベルギー王室御用達のヴィタメールの2代目オーナーであるアンリ・ヴィタメール氏を日本にお迎えし、本契約を結ぶ。 当時のヴィタメールは世界中から認められる洋菓子ブランドとして提携を求める話も多くあったが、全て断っていた。しかし、比屋根 毅が1986年に横浜そごうで行われた「ワールドケーキフェア」でグランプリを受賞したことをきっかけに2人の距離は一気に近づいた。翌年、比屋根がベルギーを訪ねた際には、それまで見学者の立ち入りを一度も許したことがない工場内をヴィタメール氏自ら案内してくれた。比屋根の熱い思いが伝わり、さらに職人としての互いの「味へのこだわり」が一致し、すっかり意気投合した2人は、家族ぐるみの付き合いを重ね、関係を深めていった。提携後は毎年技術者を派遣し、本場ヨーロッパの伝統と技術を日本に取り入れていった。 ヴィタメール2代目オーナー アンリ・ヴィタメール氏と創業者 比屋根 毅 |
| 1990年 |
1990年ついに2号店として日本への出店が実現しました。 |
| 1990年 |
株式会社ヴィタメール・ジャポン設立 |
| 1990年 |
1990年ついに2号店として日本への出店が実現しました |
| 1992年 |
第5回全国洋菓子展示大品評会・東京 (大型工芸洋菓子出品) (内閣総理大臣賞受賞) 第1回世界の洋菓子コンクール出品(最優秀賞、優秀賞受賞) 作品名:夢のファンタジー |
| 1996年 |
社名を株式会社エーデルワイスに変更 |
| 1997年 |
比屋根 毅 石垣市民栄誉賞 受賞 |
| 2009年 |
2009年世界パティスリーでは、商品開発パティシエの野田朋宏が3名の日本チームの一員として選抜され、世界8か国の対抗で日本チームを優勝に導く業績を残しました。 |
| 2011年 |
ノワ・ドゥ・ブール ~since 2011~ |
| 2011年 |
2011年に新宿伊勢丹本店で1号店が誕生したブランドです |
| 2012年 |
ビスキュイテリエ ブルトンヌ ~since 2012~ |
| 2016年 |
2016年には創業50周年という節目の年を迎えることができました。 |
| 2025年 |
東京ファクトリーラボ 及び 清澄ベーカリースタジオ |
| 2025年 |
JFS-B規格適合証明 取得 |
| 2026年 |
創業60周年 |
| 2026年 |
flaneru(フラネル)粉と砂糖と(阪神梅田本店)オープン |