| 1698年 |
20歳の伊之助は挫けることなく、日本橋四日市土手蔵に戸板を並べて、鰹節と干魚類の商いを始めました。時は元禄12年(1699)。当社ではこの年をにんべん創業の年としています。 |
| 1904-06-16 |
明治37年(1904)6月16日午後、中傷記事に扇動された数千人もの群衆がにんべんの店へ商品切手を持って押しかけました。日本橋の交通はストップし行列は翌日まで続きましたが、同業者や魚河岸の応援を得て全力で現物を取り寄せた結果、1日で54,000枚もの商品切手をすべて現品に引き換えました。 |
| 1923-09-01 |
大正12年(1923)9月1日の関東大震災で、享保年間以来200年の歴史を誇ってきた店舗を消失してしまいます。 |
| 1923-09-20 |
9月20日には本郷に仮事務所を設置。 |
| 1923-10-05 |
10月5日から小石川駕籠町交差点の仮営業所で鰹節の小売りを再開するなど素早い対応で庶民の暮らしを守り、帝都の復興にも寄与しました。 |
| 1924年 |
大正13年(1924)には瀬戸物町に二代目社屋を新築。 |
| 1927年 |
昭和2年(1927)、店舗を増築するとともに(翌年の地名変更で日本橋瀬戸物町から日本橋室町となる)小舟町の土地を購入して東京鰹節問屋組合(現:東京鰹節類卸商業協同組合)の合同入札場として寄付するなど、鰹節業界全体の拡大や近代化にも尽力したのでした。 |
| 1931年 |
昭和6年(1931)、十代目の長男で明治40年に十一代目を襲名していた義和が二代目社長に就任しました。 |
| 1936年 |
昭和11年(1936)に初代社長が66歳で他界したころから敗戦色が濃くなり、太平洋戦争勃発後の昭和17年(1942)には店が統制物質の配給所となったほか、十一代が国策会社の社長を兼務したため闇取り引きもできず、商売は開店休業の状態になってしまいます。 |
| 1944-11-28 |
昭和19年(1944)11月29日、B29による初めての東京空襲で店舗が焼失。 |
| 1945-05-25 |
赤坂の新坂町にあった屋敷も昭和20年(1945)5月25日の東京最後の空襲で焼失してしまいます。 |
| 1948年 |
昭和23年(1948)御先祖祭の日(初代の誕生日にあたる3月17日)に、にんべんは社名を髙津商店から"株式会社にんべん"と改め、新店舗を建設し、戦後いち早い営業の再開を果たします。 |
| 1951年 |
昭和26(1951)年、健康を害した十一代目は社長を退き相談役となりますが、長男の明義(十二代目)がまだ高校生だったため、分家の次男・至道が三代社長に就任。 |
| 1955年 |
昭和30年(1955)には十代目の長女・朝の婿、農夫也が四代目社長に就任します。 |
| 1963年 |
昭和38年(1963)には四代社長が会長となり、十一代目の妻・倫子の弟・照五郎が五代社長に就任。 |
| 1964年 |
昭和39年(1964)、東京オリンピックが開催されたこの年に、当時としては画期的な新製品であり、いまもお馴染みの"つゆの素"が発売されます。 |
| 1968年 |
昭和43年(1968)、東京で8番目に古い老舗として都から表彰された翌昭和44年(1969)には、それまでの常識を打ち破る斬新な新製品"かつおぶし削りフレッシュパック"が誕生。 |
| 1969年 |
昭和44年(1969)には、それまでの常識を打ち破る斬新な新製品"かつおぶし削りフレッシュパック"が誕生。 |
| 1973年 |
昭和48年(1973)、155坪の敷地に地上8階・地下2階の本社ビルが竣工。 |
| 1977年 |
昭和52年(1977)には十二代目が第六代社長に就任しました。 |
| 1979年 |
初代生誕300年にあたる昭和54年(1979)秋、農林水産省から天皇杯が授与。 |
| 1994年 |
平成6年(1994)には十二代が栄えある藍綬褒章を綬賞しました。 |
| 1996年 |
平成8年(1996)春、髙島屋横浜店で3年間の研修を終えた十二代目の長男・克幸(十三代)が入社。 |
| 1998年 |
12代当主と13代を継承した髙津伊兵衛(克幸)※1998年当時の写真 |
| 2009年 |
平成21年(2009)、創業310周年のこの年に社長に就任しています。 |
| 2010年 |
平成22年(2010)、日本橋「コレド室町」ビルに「日本橋本店/日本橋だし場」新店舗を開店 |
| 2012年 |
平成24年(2012)に日本橋だし場の飲むおだし「かつお節だし」が発売以来30万杯を記録 |
| 2014年 |
平成26年(2014)には「コレド室町」全体開業に伴い、新たに飲食店舗「日本橋だし場 はなれ」を開店、同時に新社屋が完成 |