藤倉電線株式会社
現:株式会社フジクラ 別名
藤倉電線株式会社(現:株式会社フジクラ) 別名
1910-03-18
Japan
ファイバレーザ
情報通信
エレクトロニクス
自動車
超電導
不動産
〒135-8512 東京都江東区木場1-5-1
岡田 直樹
53,000,000,000  (530 億)
50,586 人
会社名
Group 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行等 株主等
グループ会社 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行・融資・与信 出資・持分・株主
Group 子会社
Fujikura Automotive México, S. de R.L. de C.V.
グループ会社 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行・融資・与信 出資・持分・株主
Group 子会社

335 件
日付概要
1868-11-27 栃木県植野村(現 佐野市)船津川で誕生。創業者藤倉善八の末弟。
1874年 東京へ進出し神田明神下に居を定める。
1880年 根掛けの製造を始めた。
1880年 「根掛け」の製造を始めた。
1881年 銀座で第1回デモンストレーションが行われた。
1882年 上京。
1883年10月 2回目が日本橋通りで行われ、記録的な見物人を集めた。
1883-11-02 1883年(明治16)11月3日、日本橋通り電信局のバルコニーのアーク燈を末弟留吉と見に行き、電気に興味を抱く。善八41歳、留吉16歳で、アーク燈の光に感嘆し、電線製造に興味を持つ。
1883-11-02 1883年(明治16)11月3日、日本橋通り電信局のバルコニーでアーク灯を見に行き、電気に興味を抱く。
1883-11-02 1883年(明治16)11月3日 : 日本橋通り電信局のバルコニーのアーク燈を末弟留吉と見に行き、電気に興味を抱く
1883-11-02 日本橋通り電信局のバルコニーのアーク燈を末弟留吉と見に行き、電気に興味を抱く
1884年04月 1884年(明治17)5月、新富座で9代目市川団十郎に口上を頼み、注文が殺到し、根掛け事業が成功する。新製品に『市川掛け』と命名し、全国から注文が殺到。
1884年04月 1884年(明治17)5月、新富座で9代目市川団十郎に口上を頼む。注文が殺到し、根掛け事業が成功する。
1884年04月 1884年(明治17)5月 : 新富座で9代目市川団十郎に口上を頼む : 注文が殺到し、根掛け事業が成功する
1884年 1885年 明治18年 : 藤倉善八、絹・綿巻線製造開始 : 藤倉善八
1884年 明治18年 : 藤倉善八、絹・綿巻線製造開始 : 藤倉善八
1884年 1885年、藤倉善八が絹・綿巻線製造を開始した。
1884年 藤倉善八が絹・綿巻線製造を開始した。
1884年 1885 年の創業から120 年余り。
1885年01月 1885年(明治18)2月、神田淡路町1丁目1番地で絹・綿巻線の製造を開始。藤倉善八、妻いね、春吉ら12名が従業員で、自宅兼工場を拡大。
1885年01月 1885年(明治18)2月、神田淡路町1丁目1番地で絹・綿巻線の製造を開始した。
1885年01月 1885年(明治18)2月 : 絹・綿巻線製造開始 : 弟春吉と鉄製編組機械を工夫製造し、生産効率改善
1885年01月 藤倉善八が絹・綿巻線の製造に乗り出し、神田淡路町1丁目1番地で絹・綿巻線の製造を開始した。
1885年01月 2月 : 絹・綿巻線製造開始 : 弟春吉と鉄製編組機械を工夫製造し、生産効率改善
1885年 1886年 明治19年 : 藤倉留吉、渡米
1885年 明治19年 : 藤倉留吉、渡米
1885年 1886年、藤倉留吉が渡米した。
1885年 藤倉留吉が渡米した。
1886年06月 米国に出発。
1886年 1887年(明治20)米国より大型編組機5台を輸入。
1886年 1887年頃、左奥の林の向こうに工場はあった。
1886年 1887年 明治20年 : 藤倉善八、米国から大型編組機5台輸入
1886年 明治20年 : 藤倉善八、米国から大型編組機5台輸入
1886年 1887年(明治20) : 米国より大型編組機5台を輸入
1886年 1887年、藤倉善八が米国から大型編組機5台を輸入した。
1886年 米国より大型編組機5台を輸入
1886年 藤倉善八が米国から大型編組機5台を輸入した。
1887年 1888年 明治21年 : 新宿御料地内の製糸場を借り受け工場移転 : 東京線、パラフィン線、コード類の製造開始 : ゴム線の研究に着手
1887年 明治21年 : 新宿御料地内の製糸場を借り受け工場移転 : 東京線、パラフィン線、コード類の製造開始 : ゴム線の研究に着手
1887年 1888年、工場を新宿御料地に移転し、東京線、パラフィン線、コード類の製造を開始し、ゴム線の研究に着手した。
1887年 新宿御料地内の製糸場を借り受け工場を移転し、東京線、パラフィン線、コード類の製造を開始し、ゴム線の研究に着手した。
1888年04月 1888年(明治21)4月、新宿御料地内の製糸場跡を借りうける(新宿工場)。
1888年04月 1888年(明治21)4月、宮内省御料地内(新宿御苑)の製糸場を借り受け新宿工場を開設。玉川上水から引く小川に水車があり、その動力を使う。工場は水車の両側に2棟の木造、瓦葺き、レンガ敷きの建物(15m×32m)であった。設備は組紐機械8台、電線編組機20台、従業員は5~6名。東京線、パラフィン線ランプコードの製造を始める。ゴム線の研究を開始する。
1888年04月 1888年(明治21)4月 : 新宿御料地内の製糸場跡を借りうける(新宿工場)
1888年04月 新宿工場を開設。
1888年04月 4月 : 新宿御料地内の製糸場跡を借りうける(新宿工場)
1890年 1890年 明治23年 : 藤倉留吉、米国より帰国 : 工場を千駄ヶ谷900番地に移転
1890年 明治23 : 藤倉留吉、米国より帰国 : 工場を千駄ヶ谷900番地に移転
1890年 松本家の養子となる。
1890年 1890年、藤倉留吉が米国から帰国し、工場を千駄ヶ谷900番地に移転した。
1890年 藤倉留吉が米国より帰国し、工場を千駄ヶ谷900番地に移転した。
1890年07月 帰国。
1890年09月 1890年(明治23)9月、工場を千駄ヶ谷900番地に移転(千駄ヶ谷工場①)。
1890年09月 1890年(明治23)9月、千駄ヶ谷900番地の紀州徳川家の土地を買収して新工場を建てた。ここにも玉川上水を利用する水車があって、より大きく、より強力であった。水車動力でゴムローラを動かし、ゴム線の製造が始まった。その頃、ゴム線では国産品はなく、専ら高い外国製が使われていた。
1890年09月 1890年(明治23)9月、工場を千駄ヶ谷900番地に移転(千駄ヶ谷工場①)。
1890年09月 1890年(明治23)9月 : 工場を千駄ヶ谷900番地に移転(千駄ヶ谷工場①)
1890年09月 千駄ヶ谷900番地の紀州徳川家の土地を買収して新工場を建てた。
1890年09月 9月 : 工場を千駄ヶ谷900番地に移転(千駄ヶ谷工場①)
1893年 1893年 明治26年 : 日本で初めてゴム被覆線の製造開始
1893年 明治26 : 日本で初めてゴム被覆線の製造開始
1893年 1893年、日本で初めてゴム被覆線の製造を開始した。
1893年 日本で初めてゴム被覆線の製造を開始した。
1896年 1896年、千駄ヶ谷工場②。
1896年 1896年 明治29年 : 工場を千駄ヶ谷922番地に移転 : 工場を千駄ヶ谷922番地に移転 : 岡田顕三、電線製造技術修得のため渡米
1896年 明治29 : 工場を千駄ヶ谷922番地に移転 : 工場を千駄ヶ谷922番地に移転 : 岡田顕三、電線製造技術修得のため渡米
1896年 工場を千駄ヶ谷922番地に移転 : 岡田顕三、電線製造技術修得のため渡米
1896年 工場を千駄ヶ谷922番地に移転
1896年 岡田顕三、電線製造技術修得のため渡米
1896年06月 1896年(明治29)6月、工場を千駄ヶ谷922番地に移転(千駄ヶ谷工場②)。
1896年06月 1896年(明治29)6月、工場を千駄ヶ谷922番地に移転(千駄ヶ谷工場②)。
1896年06月 1896年(明治29)6月 : 工場を千駄ヶ谷922番地に移転(千駄ヶ谷工場②)
1896年06月 6月 : 工場を千駄ヶ谷922番地に移転(千駄ヶ谷工場②)
1900年 1900年(明治33)藤倉合資会社設立案を作成。
1900年 1900年(明治33) : 藤倉合資会社設立案を作成
1900年 藤倉合資会社設立案を作成
1900年08月 1900年(明治33)8月、帰国した岡田顕三は、技術面でもっとも重要な役目を果たすのである。
1900年08月 岡田顕三が帰国。
1900年08月 帰国した岡田顕三。
1901年 1901年 明治34年 : 創業者・藤倉善八(59歳)死去 : 松本留吉が代表社員となり藤倉電線護謨合名会社設立
1901年 明治34 : 創業者・藤倉善八(59歳)死去 : 松本留吉が代表社員となり藤倉電線護謨合名会社設立 : 松本留吉
1901年 創業者・藤倉善八(59歳)死去 : 松本留吉が代表社員となり藤倉電線護謨合名会社設立 : 松本留吉
1901年 創業者・藤倉善八(59歳)死去
1901年 松本留吉が代表社員となり藤倉電線護謨合名会社設立
1901年05月 1901年(明治34)5月、洋家具店(横浜)を営む末弟留吉に電線事業に専念の要請。
1901年05月 1901年(明治34)5月、留吉は洋家具店を処分し、善八の要請を受け入れ、上京する。
1901年05月 1901年(明治34)5月 : 洋家具店(横浜)を営む末弟留吉に電線事業に専念の要請
1901年05月 洋家具店を処分。
1901年05月 5月 : 洋家具店(横浜)を営む末弟留吉に電線事業に専念の要請
1901年10月 善八が死去。
1901-10-08 1901年(明治34)10月8日、藤倉善八が死去(59歳)。遺言により末弟松本留吉が後継者となる。
1901-10-08 1901年(明治34)10月8日、留吉が死去(59歳)、遺言により末弟松本留吉が後継者となる。
1901-10-08 1901年10月8日 : 死去(59歳)、遺言により末弟松本留吉が後継者となる
1901-10-08 10月8日 : 死去(59歳)、遺言により末弟松本留吉が後継者となる
1901-10-25 1901年(明治34)10月25日、藤倉電線護謨合名会社を設立し、その代表社員となった。
1901-10-25 藤倉電線護謨合名会社を設立。
1903年 1903年(明治36)、旋風で工場全壊。
1903年 工場全壊。
1903年 日本最初の逓信省ゴム被覆線指定工場となる : 旋風により千駄ヶ谷工場全壊するも3か月後に復旧
1903年 旋風で工場全壊。
1903年 日本最初の逓信省ゴム被覆線指定工場となる
1903年 旋風により千駄ヶ谷工場全壊するも3か月後に復旧
1910年 藤倉電線株式会社となった。
1910年 松本留吉が代表社員となり藤倉電線株式会社設立 : 藤倉合名会社防水布製造所(現 藤倉コンポジット)設立
1910年 松本留吉が代表社員となり藤倉電線株式会社設立
1910年 藤倉合名会社防水布製造所(現 藤倉コンポジット)設立
1910-03-18 1910年(明治43)3月18日、電線事業拡大の必要から電線事業を分離、藤倉電線株式会社が誕生する。
1910-03-18 電線事業を分離し、藤倉電線株式会社が誕生。
1910-03-18 藤倉電線株式会社が誕生。
1916年 熔銅・展延・製線作業開始
1918年 多層ゴム被覆線の特許取得 : のちの電線要覧の元祖となる「実用電線要覧」発行
1918年 多層ゴム被覆線の特許取得
1918年 のちの電線要覧の元祖となる「実用電線要覧」発行
1919年 知的障がい者施設「藤倉学園」設立(大島)
1920年 水運の利便性とより広い工場を求め、深川平久町の2万2000坪を買収し、工場建設着手
1921年 深川の熔銅工場完成
1923年 深川工場焼失。
1923年 野球部創部(1923)
1923年01月 深川工場完成(1923.1)
1923年 深川本社・工場完成 : 野球部発足 : 大震災で深川本社・工場全焼
1923年 関東大震災で深川工場焼失。
1923年01月 深川工場完成
1923年 深川本社・工場完成
1923年 野球部発足
1923年 大震災で深川本社・工場全焼
1923-09-01 1923年(大正12)9月1日、関東大震災が完成したばかりの深川工場を襲った。煙突が折れる程度で被害は軽微であったが、その夜、洲崎弁天町で出火した火災で延焼し、深川工場は全焼した。
1923年09月 関東大震災で工場焼失(1923.9)
1923-09-01 関東大震災で深川工場全焼
1924年 深川工場復旧
1924年03月 1924年3、深川工場再建。
1924年03月 深川工場再建(1924.3)
1924年03月 深川工場再建
1925年 1925年(大正14)、工場横にグランドが作られる。練習は午後4時から、試合は休日のみ。
1925年 逓信省に国産絶縁紙による1200対ケーブル納入 : 鉄道省の指定工場となる
1925年 逓信省に国産絶縁紙による1200対ケーブル納入
1925年 鉄道省の指定工場となる
1929年 本社新館完成
1930年 ユニット型市内ケーブル製造開始 : OFケーブル製造開始 : 研究棟完成
1930年 ユニット型市内ケーブル製造開始
1930年 OFケーブル製造開始
1930年 研究棟完成
1931年 日本初となる飛行機用電線「藤光線」製造開始
1933年 社標を正式登録 : 鈴木工作所(現 スズキ技研)設立
1933年 社標を正式登録
1933年 鈴木工作所(現 スズキ技研)設立
1935年 藤倉型高周波同軸ケーブルの特許取得 : のちのフジクラ技報の前身となる「藤倉電線彙報」創刊
1935年 藤倉型高周波同軸ケーブルの特許取得
1935年 のちのフジクラ技報の前身となる「藤倉電線彙報」創刊
1938年 1938年(昭和13)12回大会で優勝。
1938年 松本留吉社長が関係する会社は45社であった。
1938年 都市対抗野球優勝(1938)
1938年 初代社長・松本留吉(71歳)死去 : 松本新太、2代社長に就任 : 第12回都市対抗野球優勝 : 藤倉化学工業(現 藤倉化成)設立
1938年 初代社長・松本留吉(71歳)死去
1938年 松本新太、2代社長に就任
1938年 第12回都市対抗野球優勝
1938年 藤倉化学工業(現 藤倉化成)設立
1938年03月 1938年(昭和13)3月、松本新太が2代社長に就任。
1938年03月 松本留吉社長の死去(1938.3)
1938年03月 松本留吉社長の死去により松本新太が2代社長に就任
1938-03-24 1938年(昭和13)3月24日、松本留吉社長が死去、71歳。
1938-03-24 松本留吉が死去。
1938-03-24 松本留吉死去。
1939年 1939年(昭和14)13回大会で優勝。
1939年 都市対抗野球優勝(1939)
1939年 第13回都市対抗野球優勝 : 藤倉航空工業(現 藤倉航装)設立
1939年 第13回都市対抗野球優勝
1939年 藤倉航空工業(現 藤倉航装)設立
1941年 アルミ電線製造開始
1943年 岡田顕三死去 : 藤倉型100kW同軸ケーブル製造開始
1943年 岡田顕三死去
1943年 藤倉型100kW同軸ケーブル製造開始
1944年 1944年(昭和19)に戦争疎開工場として創設した富士工場。
1944年 富士工場開設 : 米沢末広電纜工業(現 米沢電線)設立
1944年 富士工場開設
1944年 米沢末広電纜工業(現 米沢電線)設立
1945年 東京大空襲により深川工場全壊 : 深川工場再建開始
1945年 東京大空襲により深川工場全壊
1945年 深川工場再建開始
1945年03月 東京大空襲で深川工場全壊(1945.3)
1945-03-10 1945年(昭和20)3月10日、東京大空襲で深川工場は全壊。多くの犠牲者を出した。
1945-03-10 東京大空襲で深川工場全壊
1945年09月 1945年9、深川工場再建、生産を開始。
1945年09月 復興途上の深川工場 1945.9に再建、生産を開始
1945年09月 深川工場再建、生産を開始
1948年 石橋五郎、3代社長に就任
1949年 NHKに日本最初の24心TVカメラケーブル納入 : 日本発送電にACSR初納入 : ビニル電線製造開始 : キティ台風で深川工場が水害を受ける
1949年 NHKに日本最初の24心TVカメラケーブル納入
1949年 日本発送電にACSR初納入
1949年 ビニル電線製造開始
1949年 キティ台風で深川工場が水害を受ける
1953年07月 1953年(昭和28)7月、沼津工場として操業を開始した。
1954年 1954年、沼津工場。
1954年 沼津工場(1954)
1954年 静岡県沼津市に沼津工場(現 沼津事業所)完成 : 社内報「藤倉電線ニュース」創刊 : 第25回都市対抗野球準優勝 : 超高圧実験室完成
1954年 沼津工場開設
1954年 静岡県沼津市に沼津工場(現 沼津事業所)完成
1954年 社内報「藤倉電線ニュース」創刊
1954年 第25回都市対抗野球準優勝
1954年 超高圧実験室完成
1957年 ワイヤハーネス製造開始
1958年 東京電力に日本初の154kV OFケーブル納入 : 沼津熔銅設立 : 東京都多摩市に多摩藤倉学園設立
1958年 東京電力に日本初の154kV OFケーブル納入
1958年 沼津熔銅設立
1958年 東京都多摩市に多摩藤倉学園設立
1961年 兵藤嘉門、4代社長に就任
1964年 1964年(昭和39)に試運転が始まり
1964年 佐倉工場に日本初の66kV POFケーブルを布設 : 通信ケーブルのSZ撚り方式製造装置開発
1964年 佐倉工場に日本初の66kV POFケーブルを布設
1964年 通信ケーブルのSZ撚り方式製造装置開発
1965年 1965年(昭和40)から本格稼動した佐倉工場
1965年 佐倉工場(1965)
1965年 千葉県佐倉市に佐倉工場(現 佐倉事業所)完成 : 栗山久治、5代社長に就任 : ダイスタンプ式プリント配線板生産開始
1965年 佐倉工場開設
1965年 千葉県佐倉市に佐倉工場(現 佐倉事業所)完成
1965年 栗山久治、5代社長に就任
1965年 ダイスタンプ式プリント配線板生産開始
1968年 1968年、深川工場。
1968年 霞が関ビルに本社事務所設置
1968年04月 1968年(昭和43)4月に日本最初の超高層ビルである霞が関ビル(地上36階、地下3階)が完成した。藤倉電線も霞が関ビルへの本社事務所移転を決定し、同ビル11階で業務を開始した
1968年04月 1968年(昭和43)4月に日本最初の超高層ビルである霞が関ビル(地上36階、地下3階)が完成した。藤倉電線も霞が関ビルへの本社事務所移転を決定し、同ビル11階で業務を開始した。
1968年04月 霞が関ビル(1968.4)
1968年04月 本社事務所霞が関ビルへ移転
1969年 東京電力に275kV OFケーブル納入
1970年 1970年(昭和45)に第4の工場となる鈴鹿工場を建設した
1970年 1970年(昭和45)に第4の工場となる鈴鹿工場を建設した。
1970年 鈴鹿工場(1970)
1970年 三重県鈴鹿市に鈴鹿工場(現 鈴鹿事業所)完成
1970年 鈴鹿工場開設
1973年 木野二郎、6代社長に就任 : 社史「88年史」刊行
1973年 木野二郎、6代社長に就任
1973年 社史「88年史」刊行
1974年 木野新社長は1974年(昭和49)年頭に非常事態宣言を行い、経費節減などの対策を示した。藤倉電線も輸出拡大を図る一方、電線周辺での事業拡大を図るために「機器電材」「海外」の2事業部を新設した。
1974年 1974年年頭に木野新社長が非常事態宣言を行い、経費節減などの対策を示した。藤倉電線は輸出拡大を図る一方、電線周辺での事業拡大を図るために「機器電材」「海外」の2事業部を新設した。
1974年 CVD法による光ファイバ母材製造の検討開始 : 275kV CVケーブル開発 : 協栄線材(現 フジクラハイオプト)設立
1974年01月 木野新社長は1974年年頭に非常事態宣言を行い、経費節減などの対策を示した。藤倉電線も輸出拡大を図る一方、電線周辺での事業拡大を図るために「機器電材」「海外」の2事業部を新設した。
1974年 CVD法による光ファイバ母材製造の検討開始
1974年 275kV CVケーブル開発
1974年 協栄線材(現 フジクラハイオプト)設立
1975年 1975年(昭和50)より電電公社と共同開発を行い
1975年 1975年より電電公社と共同開発を行った。
1975年 日本電信電話公社(現 NTT)、古河電気工業、住友電気工業、フジクラ間で光ファイバ共同研究協定締結 : 日本初、平型エレベータケーブル開発
1975年 日本電信電話公社(現 NTT)、古河電気工業、住友電気工業、フジクラ間で光ファイバ共同研究協定締結
1975年 日本初、平型エレベータケーブル開発
1976年 1976年(昭和51)にはMCVD法により極低損失ファイバを開発し
1976年 1976年(昭和51)にはMCVD法により極低損失ファイバを開発し、長波長側に超低損失領域があることを発見(IEEEの論文賞受賞)した。
1976年 1976年にMCVD法により極低損失ファイバを開発し、長波長側に超低損失領域があることを発見し、IEEEの論文賞を受賞した。
1976年 日本電信電話公社(現 NTT)と世界初の長波長極低損失光ファイバ共同開発 : 東京電力袖ヶ浦火力に500kV OFケーブル納入 : 河村勝夫、7代社長に就任
1976年 1976年にMCVD法により極低損失ファイバを開発し、長波長側に超低損失領域があることを発見(IEEEの論文賞受賞)。
1976年 日本電信電話公社(現 NTT)と世界初の長波長極低損失光ファイバ共同開発
1976年 東京電力袖ヶ浦火力に500kV OFケーブル納入
1976年 河村勝夫、7代社長に就任
1977年 高抗張力線入りユニット型ファイバ開発 : 日本初、154kV CVケーブル実用化 : 本社事務所を五反田藤倉ビルに移転
1977年10月 1977年(昭和52)10月、本社事務所を霞が関ビルから五反田藤倉ビルに移転した
1977年10月 1977年(昭和52)10月、本社事務所を霞が関ビルから五反田藤倉ビル(地上9階、地下1階)に移転した。
1977年10月 1977年10月、本社事務所を霞が関ビルから五反田藤倉ビルに移転した。
1977年10月 本社事務所を霞が関ビルから五反田藤倉ビルに移転した。
1979年 リボン電線、フラットケーブル製造開始 : 電子機器用フレキシブルプリント配線板(FPC)の生産開始 : 世界初低損失光シングルモードファイバで0.27dB/km達成
1980年 1980年(昭和55年)には極低OHファイバを国産自主技術であるVAD法により世界に先駆け開発
1980年 1980年(昭和55年)には極低OHファイバを国産自主技術であるVAD法により世界に先駆け開発をし、その広い低損失領域の実現により、現在の波長多重通信へとつながった。
1980年 1980年に極低OHファイバをVAD法により開発した。
1980年 メタシールSPケーブル開発 : シングルモード用光ファイバ融着接続機開発
1980年 1980年に極低OHファイバを国産自主技術であるVAD法により世界に先駆け開発した。
1981年 融雪用ヒートパイプ開発 : 日本初、光ファイバ複合架空地線開発
1982年 半導体圧力センサ開発 : 275kV CVケーブル納入 : 加賀谷誠一、8代社長に就任 : 加賀谷誠一、8代社長に就任 : 佐倉工場に光工場完成 : メンブレンスイッチ生産開始
1983年 日本列島縦貫用光ファイバ納入布設開始 : Fヒータを生産開始。 : 世界最長となるヒートパイプ融雪システムを定山渓温泉に納入
1984年 タイ王国最初の製造拠点となるフジクラタイランド社設立
1984年08月 1984年(昭和59)8月、タイ王国にフジクラタイランド社を設立した
1984年08月 1984年(昭和59)8月、タイ王国にフジクラタイランド社を設立した。
1984年08月 1984年8月、タイ王国にフジクラタイランド社を設立した。
1984年08月 1984年8月にタイ王国にフジクラタイランド社を設立した。
1985年 創業100周年 : 世界初、コア直視型光ファイバ融着接続機開発 : 新社章制定 : 新社章制定
1987年 酸化物超電導材料の線材化に成功 : 佐倉工場に光エレクトロニクス研究所完成 : 社史「フジクラ100年の歩み」編纂
1988年 フジクラヨーロッパ社設立 : 世界初、CSトロリー線開発 : 世界初、多心光ファイバ融着接続機開発
1989年 光線路監視システム納入開始
1990年 1990年(平成2)本社ビルが完成。深川に本社を統合し、営業、技術、本社機能等が一体となって業務を遂行できる体制が整った
1990年 1990年(平成2)本社ビルが完成。深川に本社を統合し、営業、技術、本社機能等が一体となって業務を遂行できる体制が整った。
1990年 1990年に本社ビルが完成し、深川に本社を統合した。
1990年 エルビウムドープ光ファイバ増幅器開発 : シスコム(現 フジクラソリューションズ)設立 : 深川新本社ビル完成
1991年 光システム開発センター完成 : フジクラプレシジョン設立
1992年 千葉県富津市に富津工場完成 : 千葉県富津市に富津工場完成 : 社名を「フジクラ」へ変更 : 社名を「フジクラ」へ変更 : 田中重信、9代社長に就任 : 田中重信、9代社長に就任
1992年10月 1992年(平成4)10月、深川工場に代わる電力ケーブル製造・開発の新たな拠点として富津工場を建設し、社名変更と同じ日に操業を開始した
1992-10-01 1992年(平成4)10月1日、藤倉電線から株式会社フジクラへと社名変更を行った
1992年10月 1992年(平成4)10月、深川工場に代わる電力ケーブル製造・開発の新たな拠点として富津工場を建設し、社名変更と同じ日に操業を開始した。
1992-10-01 1992年(平成4)10月1日、藤倉電線から株式会社フジクラへと社名変更を行った。
1992-10-01 1992年10月1日、藤倉電線から株式会社フジクラへと社名変更を行った。
1992年10月 1992年10月、富津工場を建設し、操業を開始した。
1992年10月 1992年10月に富津工場を建設し、操業を開始した。
1992-10-01 1992年10月1日に藤倉電線から株式会社フジクラへと社名変更を行った。
1993年 深川本社に東京R&Dセンター完成 : 深川本社に東京R&Dセンター完成 : 500kV CVケーブル、北本光複合海底ケーブル納入
1995年 超低損失多心コネクタ開発
1996年 普及型小型光ファイバアンプモジュール開発
1998年 関電・電発に世界最大規模の直流500kV OF海底ケーブル納入 : 世界初、リサイクルできるエコ電線開発
1999年 辻川昭、10代社長に就任 : 辻川昭、10代社長に就任 : 新幹線用新信号ケーブル開発 : 500kV CVケーブル新京葉豊洲線納入
2000年 2000年(平成12)、新たな都市「深川ギャザリア」が誕生した
2000年 2000年(平成12)、新たな都市「深川ギャザリア」が誕生した。
2000年 2000年に深川ギャザリアが誕生した。
2000年 深川工場跡地再開発「深川ギャザリア」誕生 : 深川工場跡地再開発「深川ギャザリア」誕生
2000年 2000年に深川工場跡地を再開発し、深川ギャザリアを誕生させた。
2001年 フジクラエレクトロニクス(上海)設立 : FTTH光製品商品化 : 自動車用着座センサ開発
2002年 高圧CV活線診断装置で澁澤賞受賞 : 地球深部探査船用ケーブル初納入 : ウエハレベルパッケージ生産開始
2003年 色素増感太陽電池開発 : 中国統括会社 藤倉貿易(上海)(現 藤倉(中国))設立
2004年 超高速エレベータケーブル納入
2005年 2005年(平成17)に創業120周年を迎えた
2005年 2005年(平成17)に創業120周年を迎えた。
2005年 2005年に創業120周年を迎えた。
2005年 創業120周年 : 大橋一彦、11代社長に就任 : 大橋一彦、11代社長に就任 : 新経営理念「MVCV」導入 : 古河電気工業と電力合弁会社のビスキャス設立 : 三菱電線工業と合弁会社「フジクラ・ダイヤケーブル」設立 : アメリカフジクラ(AFL)設立
2005年 2005年に創業120周年を迎え、新しい経営理念「MVCV」を制定した。
2006年 スペインACEの株式60%を取得 : 創業120周年記念事業として経営理念をわかりやすく伝える絵本「飛ぶぞう。」を作成 : 創業120周年記念事業として経営理念をわかりやすく伝える絵本「飛ぶぞう。」を作成
2007年 本社ショールームリニューアル : 本社ショールームリニューアル : イットリウム系酸化物超電導線材、世界記録更新 : ファイバーテック株式会社買収
2008年 スペインACEを子会社化
2009年 長浜洋一、12代社長に就任 : 長浜洋一、12代社長に就任
2010年 タイ王国のグループ7社を統合し、フジクラエレクトロニクス(タイランド)(FETL)設立 : タイ王国のグループ7社を統合しFETL設立 : オプトエナジーを買収 : 深川工場跡地再開発「深川ギャザリア」完成 : ビオトープ「フジクラ 木場千年の森」オープン : ビオトープ「フジクラ 木場千年の森」オープン
2011年 タイ王国の洪水で工場被災
2015年 光ファイバの量産性に優れたVAD法がIEEEマイルストーン認定 : 光ファイバの量産性に優れたVAD法がIEEEマイルストーン認定
2016年 伊藤雅彦、13代社長に就任 : 伊藤雅彦、13代社長に就任 : フジクラグループタイ王国洪水復興宣言 : フジクラ・ダイヤケーブルに産業用電線事業の製造事業および販売事業を統合 : 「フジクラグループ環境長期ビジョン2050を制定 : ビスキャスより配電線・架空送電線事業を譲渡
2016年 伊藤雅彦、13代社長に就任 : 伊藤雅彦、13代社長に就任 : フジクラグループタイ王国洪水復興宣言 : フジクラ・ダイヤケーブルに産業用電線事業の製造事事業および販売事業を統合 : 「フジクラグループ環境長期ビジョン2050を制定 : ビスキャスより配電線・架空送電線事業を譲渡
2017年 「フジクラ 木場千年の森」が東京都「江戸のみどり登録緑地(優良緑地)」に登録 : 監査等委員会設置会社に移行
2017年 「フジクラ 木場千年の森」が東京都「江戸のみどり登録緑地(優良緑地)」に登録
2017年 監査等委員会設置会社に移行
2018年 イノベーションハブ「BRIDGE」を開設 : 世界最大心数の光ファイバケーブル(6,912心 Wrapping Tube Cable : Ⓡ : (WTC : Ⓡ : ))の販売開始
2018年 イノベーションハブ「BRIDGE」を開設
2018年 世界最大心数の光ファイバケーブル(6,912心 Wrapping Tube Cable : Ⓡ : (WTC : Ⓡ : ))の販売開始
2020年 新型多心光ファイバ融着接続機90Rの販売開始 : スーパーコンピュータ「富岳」の冷却部品にコールドプレートが採用
2020年 新型多心光ファイバ融着接続機90Rの販売開始
2020年 スーパーコンピュータ「富岳」の冷却部品にコールドプレートが採用
2021年 タイ王国に電子部品製造会社「Fujikura Electronic Components (Thailand) Ltd.」を設立
2022年 岡田直樹、14代社長に就任 : フレキシブルプリント配線板の製造販売会社「株式会社フジクラプリントサーキット」を設立 : 送電線・メタルケーブル(ゴム絶縁電線含む)の製造販売会社「株式会社フジクラエナジーシステムズ」を設立 : 東京証券取引所プライム市場へ移行 : 香港に電子関連製品の販売会社「藤倉香港貿易有限公司」を設立
2022年 岡田直樹、14代社長に就任
2022年 フレキシブルプリント配線板の製造販売会社「株式会社フジクラプリントサーキット」を設立
2022年 送電線・メタルケーブル(ゴム絶縁電線含む)の製造販売会社「株式会社フジクラエナジーシステムズ」を設立
2022年 東京証券取引所プライム市場へ移行
2022年 香港に電子関連製品の販売会社「藤倉香港貿易有限公司」を設立
2023年 レアアース系高温超電導線材を小型核融合炉向けに増産 : レアアース系高温超電導線材 : 核融合炉の開発において世界をリードする米CFS社にレアアース系高温超電導線材納入開始
2023年 レアアース系高温超電導線材を小型核融合炉向けに増産
2023年 レアアース系高温超電導線材納入開始
2024年 創業以来初の全国テレビCM放送開始
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2026-08-05 15:28 (Model: ggml-org/gpt-oss-20b )
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