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TVEリファインメタル株式会社

TVE Refine Metal Co., Ltd.別名TVE :TVE Co.,Ltd.別名株式会社TVE別名
銘柄コード
—
上場市場
—
国
Japan
従業員(連結)
400
関連会社
4
§01

基本情報

BASIC
所在地
福井県大飯郡おおい町本郷119字西里ケ前2番地4
社長
中西 裕憲
資本金
1,739,559,810  (17 億)
従業員数(単独)
300 人
従業員数(連結)
400 人
開始日
2000-03-16
終了日
§02

サイト

1 DOMAINS
§03

事業内容

4
各種バルブの製造販売及びメンテナンス各種鋳鋼製品の製造販売原子力発電所の廃止措置に伴う解体工事金属リサイクル業
§04

関連会社

4 COMPANIES
会社名 Group 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行等 株主等
キッツエンジニアリングサービス社
業務提携
株式会社キッツ
業務提携
reinan-job-guide.com
toavalve.co.jp
リンク無しの社名は OpenBizGraph 未登録企業
§05

関連図

NETWORK
資本関係 得意先 仕入先 業務提携 銀行・株主 ドラッグで移動 · クリックで詳細へ
§06

沿革

425 EVENTS

1922年生まれの太田工業商會は、バルブやコック、スチームトラップを主たる商品としながら、アイスクリームやタイヤなどの販売も手掛けた。

太田工業商會:バルブ・コック・スチームトラップ製造販売

太田常太郎は、29歳のとき、大阪の地で「太田工業商會」を創業

太田工業商會:太田常太郎が大阪市西区に太田工業商會を創業

共同経営の形で、大阪市福島区大開町にて「合資会社虫印バルブ製作所」として再起を果たす。

太田工業商會:大阪市福島区大開町に移転し、(合)虫印バルブ製作所に改称。海軍より指定工場として高級バルブの特命を受ける

大阪市西淀川区佃町にて確保した約200坪の土地で新工場の建設に着手した。

阪神地方を襲った室戸台風により、棟上げ直後の新工場建屋が倒壊する被害を受けた。

新工場の建設を始め、翌年には完成し、生産活動を開始した。

虫印バルブ製作所:佃工場建設に着手

新工場が完成し、生産活動を開始した。

佃工場内にもこの青年学校が設けられた。その名も「虫印バルブ青年学校」。校長は常太郎が務めた。正確な開校時期は不明だが1937年頃のことである。

経営パートナーの引退により、虫印バルブ製作所は解散せざるを得なくなった。常太郎は「虫印バルブ製作所」という名称を用いて、佃工場を本拠地として個人経営の形で再出発することとなった。

虫印バルブ製作所:発起人7人で会社設立を計画(太田常太郎、藤本列治、石村政一、寺田宗一、坂口賢市、藤井範治、笹倉敏郎)

資本金100万円で「虫印バルブ製造株式会社」が誕生。個人経営時代の権利義務一切を継承する形で、法人としての歩みをスタートさせた。

虫印バルブ製造:1940年4月5日会社設立につき同年同月18日大阪区裁判所に設立申請、登記完了

従来から当社の外注先だった山田鉄工所(大阪市西淀川区野里町、約80坪)を買収して「野里工場」とした。ここでは従業員30~40人を雇用してボルトやナットを生産した。

同じく下請け工場だった寺岡鉄工所についても買い受けて「千船工場」とした。

虫印バルブ製造:野里工場、千船工場操業

虫印バルブ製造:事業の伸展により工場が狭隘になり、尼崎市水堂に約1万坪の土地を買収。多量生産計画の下に理想的バルブ工場を建設

東亞バルブ:大阪市西淀川区野里町に新たに約600坪の工場を買収

虫印バルブ製造:厚生大臣より労務調整令第2条第1項前段の規定により指定される

佃・立花両工場が、海軍大臣の命により海軍の管理工場に指定された。

虫印は、バルブ業界で初めてとなる「材料研究所」を開設している。

「東亞バルブ株式会社」(以下、TOA)へと社名を改めた。

虫印バルブ製造:資本金250万円に増資、東亞バルブ㈱に改称

虫印バルブ製造:立花工場および佃工場は海軍大臣より何れも海軍管理工場に下命を受ける

東亞バルブ:海軍購買名簿に登録の旨の通知を受ける

三菱グループの総帥岩崎小弥太氏が、立花工場を訪れている。視察後には「国家的見地からこの事業に協力せねばならぬ」と述べ、その後TOAの幹部十余名が、三菱重工業神戸造船所にて技術指導を仰いだ。

東亞バルブ:総理大臣東条英機が佃工場を視察

東亞バルブ:商工大臣より重要機械製造事業法による高圧弁製造許可の指令を受ける

東亞バルブ:厚生大臣より当社立花工場は労務調整令第2条第1項前段の規定により指定される

東亞バルブ:業務拡大の目的で東京丸の内に東京事務所開設

東亞バルブ:商工大臣より当社佃、立花工場は重要工場調整規則第1条第3項の規定により指定される

鋼板製バルブを開発し特許(特許第164811号)を取得した。

東亞バルブ:厚生大臣より立花工場は工場法戦時特例第2条の規定により指定される

東亞バルブ:臨時株主総会開催。1. 資本金250万円を500万円に資本増加の件、2. 定款第6条、第3条変更の件、について承認可決

軍からの要請に応える形で、滋賀県甲賀郡水口町(現甲賀市水口町)綾野に確保した約2万坪の土地に、水口工場を建設した。この疎開工場では主に鋼板弁や砲金バルブの製造を担った。

東亞バルブ:資本金500万円に増資

TOAは軍需省・海軍省管理の軍需会社に指定された。

東亞バルブ:軍需工場に指定される

東亞バルブ:取締役太田常太郎、生産責任者に就任

東亞バルブ:滋賀県に水口工場を建設

東亞バルブ:厚生大臣より佃工場は工場法戦時特例第2条の規定により指定される

従来は佃工場に置いていた本社機能を大阪市北区角田町の阪急ビルに移した。各工場の総務・営業部門もここに集約した。

東亞バルブ:大阪市北区角田町41番地に本社を移転

大阪市港区市岡の鋳鋼工場を買収。

東京都千代田区丸の内の三菱仲14号館に東京事務所を開設した。

東亞バルブ:市岡工場操業

東亞バルブ:市岡工場が戦災で全焼

3月13日から14日にかけての深夜、3時間以上にわたって大阪市を中心とする地域を対象として米軍機による爆撃が行われた。これによって、TOAが取得したばかりの市岡鋳造工場も全焼した。

東亞バルブ:佃工場が戦災で全焼

6月15日午前のB-29の大編隊による空襲では、佃工場の各所に焼夷弾が落とされ全焼、操業不能状態に陥った。

東亞バルブ:軍需会社の指定が取り消され、軍需会社法による生産責任者に代わり太田常太郎を取締役会で代表取締役に選任

9月にはいったん、大半の従業員について退職金を支給した上で解雇して工場を閉鎖。残った人員で再建の道を探った。

東亞バルブ:工場閉鎖、残務要員を残して解散

東亞バルブ:残務要員にて会社再建へ

東亞バルブ:多年の研究成果である耐酸アルカリー性金属に「トオアロン」、濃硫酸製造用特殊材に「コオプロン」と命名し、各種ポンプ並びに弁嘴類の製造に力を発揮。人造肥料、化学工業金属精錬工場、人造絹糸工業方面に多大に貢献

1946年8月10日時点で、その経理を、今後の事業継続に必要な新勘定、戦時補償の打ち切りに伴う損失などの旧勘定に分離・整理するものである。

1946年9月に労働組合が結成された。

1946年9月に、近隣の阪急ビルから大阪市北区梅田1丁目の阪神ビル(現阪神百貨店)内に移っていた。

東亞バルブ:労働組合結成

東亞バルブ:大阪市北区の阪神ビル(現阪神百貨店)に本社を移転

1947年9月にようやく納入された。

翌年1月には、日本発送電尼崎火力発電所(のちの関西電力尼崎第1発電所)のメインバルブに使用される高温高圧弁のテストをこなしました。

東亞バルブ:ラモントボイラ設置、初試験

東亞バルブ:認可の企業再建整備計画に基づき資本金を350万円に減資

1949(昭和24)年には水口および野里工場を閉鎖。現場にあった機械設備類は立花工場に移した。

東亞バルブ:水口工場および野里工場閉鎖、立花工場へ集中

東亞バルブ:丸の内商事㈱(三菱商事㈱)と委託販売契約を締結

東亞バルブ:資本金1,050万円に増資

関西電力姫路第一発電所向けハイリフト単式安全弁を納入した。

九州電力港第二発電所向けベンソンボイラ付主蒸気弁を納入した。

1951年2月には立花工場を本社とした。

東亞バルブ:本社(阪神ビル)を立花工場に移転

東亞バルブ:通産省より陸用蒸気ボイラ用ばね式安全弁が日本工業規格(JIS)の表示を認可される

東亞バルブ:不二商事㈱(三菱商事㈱)と委託販売契約を締結

東亞バルブ:運輸省より高温高圧安全弁および弁座材料研究に、科学応用研究補助金50万円を交付される

LT型電動駆動装置を自社開発し、「東亞製電動弁」として生産・販売を開始した。

東亞バルブ:労働省より汽缶用安全弁が認定される

東亞バルブ:資本金1,312万5,000円に増資

東亞バルブ:資本金2,100万円に増資

東亞バルブ:通産省より応用研究補助金として85万円を交付される

東亞バルブ:大阪地区店頭に株式公開

東亞バルブ:アメリカで特許出願中の安全弁に対し登録査定される

東亞バルブ:運輸省より舶用鍛鋳玉型およびアングル弁類がJIS表示を認可される

東亞バルブ:日本工業規格(現日本産業規格)船用鍛鋳鋼玉形アングル弁類の表示許可申請に対し運輸大臣より許可番号AC-14号で許可される

東亞バルブ:米国特許出願中の安全弁における主弁及弁座の改良に対し、登録査定される

東亞バルブ:昭和28年度鉱工業技術研究補助金交付申請に対して通商産業大臣より85万円を交付される

東亞バルブ:三菱商事㈱と委託販売契約を締結

東亞バルブ:アメリカ特許出願中のスチームトラップが意匠出願として公告決定される

東亞バルブ:先にイギリス特許庁に出願中の安全弁が登録査定される

1955年10月に総同盟を脱退し、新たに日本労働組合総評議会(総評)全国金属労働組合兵庫地方本部に加盟した。

東亞バルブ:労働組合、総評全国金属労働組合に加盟

東亞バルブ:発電六カ年計画に基づき当期中の受注額が激増。生産出荷額ともに当社の新記録を達成

東亞バルブ:米国特許安全弁に対し登録番号第2754842号と決定する

東亞バルブ:資本金4,200万円に増資

東亞バルブ:資本金5,000万円に増資

東亞バルブ:汽缶用安全弁性能認定の更新を許可される

東亞バルブ:創業者太田常太郎、日本初の高温高圧蒸気用安全弁の発明・研究改良、かつ永年の功績に対し、兵庫県科学技術賞を受賞

東亞バルブ:創業者太田常太郎、船舶および火力発電用の弁体弁座の研究と高温高圧用安全弁の発明に対し、紫綬褒章を受章

TOAもJRR3向けの弁を納入している。

TOAで初めて提案制度ができたのは1959(昭和34)年のこと。

東亞バルブ:資本金1億円に増資

大幅に機能向上を図ったLTP型を開発し、市場に投入した。

東亞バルブ:創業者太田常太郎、海事功労により運輸大臣賞を受賞

東亞バルブ:フィッシャーガバナー社と技術提携した東京機器工業㈱の依頼により、バルブ部門の生産を担当

当時としては前例のない183キロ―摂氏571度という厳しい蒸気条件をクリアした主蒸気止弁を開発・製造し、東北電力の仙台火力発電所に納入する機会を得た。

東亞バルブ:資本金を1億5,000万円に増資

テスト用ボイラとして、スルザー・ブラザーズ社のモノチュウブボイラを導入していた。

東亞バルブ:スルザー製モノチュウブボイラをテスト用ボイラとして輸入設置

1961(昭和36)年10月には、TOAで初めてとなる社内報『社内広報』(月1回発行)を創刊した。

東亞バルブ:大阪証券取引所市場第二部に株式上場

大がかりな弁抵抗測定装置を建設した。

東亞バルブ:再評価積立金の一部金1,350万円を資本に組み入れる

高温高圧弁研究所構造工作研究室を設置した。

5 年が経過した1964年8月、ルールを見直した上で仕切り直した。

1964(昭和39)年12月には、本社の西側に建設を進めてきた独身寮が竣工した。

1965年に発売すると、業界内で圧倒的な支持を得た。

竣工翌年の1965年には「誕生会」が催されるようになった。初回は同年1月だったが、1月生まれ従業員69人のほか、社長や役員も参加し、東亜寮の食堂で昼食を囲み大いに語らった。全員で記念写真を撮り、誕生日プレゼントとしてアルバムが贈られた。

プロジェクトを編成して認定を得るための作業を進め、フランジ型・付き合わせ溶接型仕切弁とプラグ弁の2型式について申請を行った。

安全弁用として竪型のラッピング専用機を製作した。

1967(昭和42)年2月、TOAはホワイトブロンズ製安全弁を扱う子会社として「東亜機材株式会社」(資本金100万円)を設立した。

API工場認定を取得した。

開先加工専用機を開発した。

1968年5月には、「原子炉の危急圧力逃し装置の密封型先駆弁付安全弁の試作に関する試験研究」のため、原子力平和利用研究費補助金の交付を受けて開発に取り組んだ。

翌年はその「作動に関する試験研究」のために、原子力平和利用研究費補助金の交付を受けて開発に取り組んだ。

常太郎は、1969(昭和44)年に彼を副社長としてTOAに迎えた。

次に社内報がお目見えしたのは、1969年12月のことである。今度は『東亜』という名称で8~16頁のB5サイズの冊子形式(月刊)になった。

スイスのスルザー・ブラザーズ社と技術提携を結んだ。

1970年頃のTOAは生産量の増加もあり、休業・不休を合わせて労働災害が年間30件以上発生する事態となった。以来、労使が協力してその減少・撲滅に向けた努力を積み重ねてきた。

さらに性能を高めた2号機を製作した。

翌1970年11月に社長職を委ねた。自らは取締役会長に就いた。

1971年2月、さらに1981年1月と、それまでの反省点を踏まえた制度改正を行った。

弁体スリット専用機を開発し現場に投入した。

発足から4年半後の1971年10月をもってTOAが業務を引き継ぎ、東亜機材は解散した。

1971年12月には、動燃との間で、大型ナトリウム用の口径550mm電動式仕切弁の委託研究ならびに製作などの請負契約を締結した。

日本フィッシャーと業務提携契約を締結した。

就任からわずか2年半後の1973年5月には、後任の太田保則にバトンを託すことになった。

さらに1973年8月には、前述のナトリウム用仕切弁に続いて、バタフライ弁についての研究開発と製作に係る契約を結んだ。

高橋は、残念ながら1年後の1974年6月に永眠した。

TEKの設立は1974(昭和49)年9月中旬であり、約

1975 年には、3度にわたり増資を行い、資本金は設立時の9 倍の4,500万円に達した。

1975(昭和50)年1月以降、神戸市垂水区伊川谷別府(現西区南別府)1丁目に約1,280㎡の土地を取得し、管理棟(鉄骨スレート葺き2階建て)、工場(鉄骨造り平屋建て)、倉庫(鉄骨造り2階建て)の3棟の建設を進めた。

東亜エンジニアリング:資本金 2,000 万円に増資

東亜エンジニアリング:東京都千代田区神田須田町 1-28-2 タイムビル 7 階に東京事務所開設(男子 2 人、女子 1 人、営業範囲は静岡以東)

東亞バルブ:関西電力㈱総合技術研究所と「原子力用バルブのグランドバッキンに関する研究」の共同研究契約を締結

1975年5月、82歳で他界した。東本願寺難波別院(南御堂)にて社葬を執り行い、全社員で見送った。

東亞バルブ:創業者太田常太郎逝去(社葬)

東亜エンジニアリング:資本金 3,000 万円に増資

東亜エンジニアリング:資本金 4,500 万円に増資

同年9月に「明石サービスセンター」として完成させた。本件に係る総投資額は1億1,000万円に及んだ。

東亜エンジニアリング:明石サービスセンター開設、管理業務を明石興業に委託

東亞バルブ:立体自動倉庫竣工

東亜エンジニアリング:第 2 回慰安旅行(東京と合同で北陸、東尋坊)

東亞バルブ:IBM システムコンピューター 3/ モデル 8 導入

東亜エンジニアリング:管工事業として建設業許可を受ける(大臣許可(般 -50)第 6688 号)

翌1976年2月には、センターに隣接する690㎡の土地を新たに購入した。

東亜エンジニアリング:神戸市垂水区霞ヶ丘に垂水寮開設(男子用、賃貸)

東亜エンジニアリング:東京事務所を支店に昇格

東亜エンジニアリング:明石サービスセンター安全弁テスト設備完成

東亞バルブ:米国機械学会(ASME).N スタンプサーベイ(合格)

1976(昭和51)年10月には、関西電力からの工事受注のための要件として、それまでは外部委託でも容認されていた放射線管理業務を、定検工事請負業者(つまりTEK)自身に責任を持たせる方針に見直された。

東亜エンジニアリング:若狭出張所(浜岸旅館内・仮設)開設

東亜エンジニアリング:定検工事のため高浜臨時事務所(三菱高浜事務所内・仮設)開設

東亞バルブ:米国機械学会(ASME)より「N・NPT・NV・V・UV スタンプ」を認定される

東亜エンジニアリング:明石サービスセンターで東海 2 号発電所向け安全弁のテスト開始

東亜エンジニアリング:営業部営業課に管理係新設。TOA より外注管理、材料手配、工具管理業務を引き継ぐ

東亜エンジニアリング:関西電力㈱高浜発電所 2 号 1 次系大型弁・安全弁の定検工事を初受注、放射線管理業務を開始

東亜エンジニアリング:福井県大飯郡高浜町東三松に若狭出張所移転

東亞バルブ:第 1 次合理化提案

東亜エンジニアリング:関西電力㈱高浜および美浜発電所内に高浜作業所、美浜作業所開設、定期検査時のみ駐在

1977(昭和52)年10月、それまでTOAの社長と兼務していた太田保則が非常勤取締役になり、それまで常務取締役として、TEKの日々のマネジメントを担ってきた谷田定雄が新社長に就いた。

1977 ~ 1979 年に造船・電力の受注急減のため、TOA 人員を 570 人から 365 人に削減

東亞バルブ:超臨安全弁の開発に着手

東亜エンジニアリング:取締役会で太田保則代表取締役が非常勤取締役に、谷田定雄常務取締役が代表取締役に就任

東亜エンジニアリング:社宅制度新設、入居者募集開始。神戸市垂水区、尼崎市稲葉荘、明石市二見町にマンション購入

当社は1978(昭和 53)年に創業、以来44年、原子力・ 火力発電事業を主要事業とし、民間企業や官公庁発注 の建築付帯電気設備工事などに携わってきました。

東亜エンジニアリング:定款変更、原子力発電所における放射線管理業務を追加

1978(昭和53)年3月、数値制御による新機種、NC ボーリング1号機面板式横中ぐり盤を導入した。

ダイヤモンドクラブの法人会員権を取得した。

東亞バルブ:NC ボーリング 1 号機導入

東亞バルブ:第 2 次合理化提案

東亜エンジニアリング:宝塚寮改装完了、希望者入居開始、垂水寮廃止

1978年6月、TEKは関連設備一式を売却処分し、この事業から撤退した。

東亜エンジニアリング:放射線従事者中央登録センターに放射線管理手帳発行機関として登録

東亞バルブ:大型加圧器安全弁開発

東亜エンジニアリング:明石サービスセンターで関西電力㈱美浜発電所 3 号の安全弁等 2 次系バルブ(放射能汚染なし)の引き取り修理開始

東亞バルブ:㈶電力中央研究所と「原子力発電用バルブの漏洩防止」の共同研究に関する契約を締結

1979年1月には、元TOA専務で非常勤取締役を務めていた水口敬三がTEKの会長に就任した。

東亜エンジニアリング:水口敬三非常勤取締役(当時の TOA 常務取締役)が取締役会長に就任

東亞バルブ:第 3 次合理化提案

東亜エンジニアリング:明石サービスセンターの土地の一部 691㎡を明石興業に売却

東亞バルブ:動力炉・核燃料開発事業団と「日独仏高速炉協力協定に基づく交換技術情報の取扱い」に関する契約を締結

東亜エンジニアリング:大飯作業所開設

東亞バルブ:東京電力㈱、㈱日立製作所、東京芝浦電気㈱と「BWR 用主蒸気逃し安全弁の信頼性向上に関する研究」の共同研究実施に関する契約を締結

東亞バルブ:ASME, N・NPT・NV スタンプ更新

1980年1月にタブロイド判の形で『東亜』は復刊。以後は年に3~4回の頻度で発行が続けられた。

1980年には同型の2号機を導入した。

ホストコンピューターを活用した「FAPUTⅢ」を導入。図面指示寸法を加工パターンにインプットするだけでNCテープが容易に作成できるようになり、全体としての生産性向上に寄与した。

東亞バルブ:NC ボーリング 2 号機導入

姫路地区火力発電所定検工事(機械)、関電興業統括請負業者となる

東亞バルブ:ASME, V・UV スタンプ更新

東亜エンジニアリング:関西電力㈱高浜・美浜・大飯発電所の各作業所を正式に開設

東亜エンジニアリング:九州電力㈱玄海発電所作業所開設

東亜エンジニアリング:京都府舞鶴市、東和工業ビル 4 階に舞鶴事務所(仮設)開設、転居者用の社宅・寮を準備

東亞バルブ:合金工場閉鎖、炉火止め式

1981年に小型部品加工用としてNC旋盤1号機を導入し、さらに弁棒加工用に2号機を配した。

社員教育の一環としてスタートした階層別の意識改革研修をきっかけに、製造部にて「バルブ全開作戦」という名称で本格的に活動を推進することになった。

東亞バルブ:福島出張所(東京事務所扱い)開設

東亜エンジニアリング:若狭出張所閉鎖

東亞バルブ:NC 旋盤 1 号機導入

東亜エンジニアリング:関西電力㈱美浜発電所(原子力)1 号の主冷却材隔離弁を初点検

東亞バルブ:第 1 回小集団活動発表会開催

東亜エンジニアリング:舞鶴事務所開設

東亜エンジニアリング:原子力船「むつ」の弁定検工事を受注

東亞バルブ:NC 旋盤 2 号機導入

東亜エンジニアリング:組織変更。技術部より工事部門を分離、メンテナンス部新設。チーム制導入。放射線管理チーム編成

東亞バルブ:旧火造り工場火止め式

東亞バルブ:創立 60 周年記念行事慰安会(有馬グランドホテル)

東亞バルブ:電力会社共同研究「加圧器安全弁吹出圧力検査方法信頼性向上に関する研究」

東亜エンジニアリング:兵庫県労働基準局長努力賞受賞

東亜エンジニアリング:関西電力㈱高浜・美浜・大飯、九州電力㈱玄海の各作業所に常駐開始

1983年に小型の3号機を導入した。

1983年にレトロフィット(NC化改造)を実施した。

TEKのほか、関西電力をはじめとする電力会社や富士電機とともに、弁座摺り合わせ装置(LAP ROBO)の共同開発研究を開始した。

関西電力からの相談に応えるべく、委託研究としてセラミックス材料を高温高圧弁に使用できないかというテーマに向き合った。

1983年度になると、電力会社がそれまでの直接発注から系列会社経由に切り替えたことで、TEKが請け負う仕事量は減り単価も切り下げられ、東京支店は業績面で苦戦を強いられた。

東亞バルブ:NC ボーリング 3 号機導入

東亞バルブ:NC ラジアルボール盤導入

東亞バルブ:自動帯鋸 2 号機正式導入

東亜エンジニアリング:関西電力㈱原子力発電所の補修などに関わる「品質保証計画書」制定

東亞バルブ:電力 PWRS5 社との共同研究「弁座摺り合わせ装置の開発に関する研究」に富士電機㈱と共に参画し実施

1983(昭和58)年10月、TOAは、インドのBHEL社(Bharat Heavy Electrical Limited)と技術提携を結んだ。

東亞バルブ:従業員持株会発足(加入者 164 人)

東亞バルブ:柏崎出張所開設

東亞バルブ:関西電力㈱総合技術研究所と「高温高圧ドレン弁へのセラミックス材適用に関する試験研究」の共同研究契約を締結

東亞バルブ:インドBHEL 社(Bharat Heavy Electrical Limited)との技術提携

東亞バルブ:インド BHEL 社と「高温高圧弁に関する技術供与」の契約を締結

東亞バルブ:関西電力㈱と「弁保修システムの開発に関する研究」の共同研究を実施

信託銀行および生命保険会社と企業年金(適格退職年金)保険契約を締結した。

東亞バルブ:富士通 FACOM M340S 導入

東亞バルブ:関西電力㈱の「原子力用ロボットに関する要素技術の調査研究」に㈱日立製作所と共に共同研究を実施

奈良県大和高田市の株式会社高田製鋼所(以下、TAK)から「廃業を予定している」旨の一報がTOAに寄せられた。

太田保則社長が、1月中旬に体調を壊し休養を余儀なくされた。さらに数日後には、猛烈な頭痛に襲われ病院で診察を受けたところ、くも膜下出血と診断された。

事業活動の停滞を避けるため、彼の入院中に取締役会決議を経て、常務の木曽一義が代表取締役に就任した。

事業継続に向けて可能な限りの支援をしたいという意思を伝え、同社および同社の親会社である国光製鋼など関係先との協議を重ねた。その結果、財務面では、1億円だったTAKの資本金を1,000万円まで減らし、TOAが45%の株式を保有すること、TOAから経営再建のための人材を派遣することなどが決まった。

1985(昭和60)年度のTEKの売上高は、前期比24.7%増の23億2,000万円と初めて20億円を突破した。原子力関連が約16億円と、全体の約7割を占めた。

意識不明のまま危篤状態が続き、2月下旬に他界。59歳の若さだった。

当時TOA社長だった太田保則が急逝し、その後を引き継いだのが三菱商事出身の川久保信行だった。

東亞バルブ:太田保則社長逝去(59 歳)

翌月には吹田市の千里会館にて社葬を執り行った。

東亞バルブ:故太田保則社長、社葬

東亜エンジニアリング:メンテナンス部第 4 チーム(九電担当)新設

同年10月に、TOAの常任顧問に就いた。

12月の株主総会を経て、第4代の社長に就任した。

TOAのOB・OG社員の集まりとして「東亞バルブOB会」が発足し、同年12月には第1回総会が開かれた。

東亞バルブ:川久保信行が社長に就任

東亞バルブ:東亞バルブ OB 会発足

東亞バルブ:電力 PWRS5 社との共同研究「加圧器安全弁におけるループシールの影響に関する研究」に三菱重工業㈱と共に参画

1986年にレトロフィット(NC化改造)を実施した。

国光製鋼は会社更生法を申請して倒産に至った。

「高年齢者雇用安定法」が制定された。

東亞バルブ:スイスのスルザー・ブラザーズ社と「火力および原子力発電プラント用自動調整弁高温高圧弁に関する技術提携」の契約を更新し、10 年間延長

東亞バルブ:関西電力㈱の「弁座摺り合わせ装置・確証試験に関する研究」に富士電機㈱と共に共同研究を実施

東亞バルブ:㈶電力中央研究所と「音響法により弁内部漏洩監視装置の開発」の共同研究契約を締結

初めての「郊外懇親会」として、箕面観光ホテルに仲間が集まり、食事をしながら旧交を温めた。

まず食堂の完全冷房化を実施した。

東亞バルブ:食堂に空調設備設置

1987年には4号機となる面板・主軸併用中ぐり盤を導入した。

1987年に高性能小型NC旋盤3号機を入れた。

関西電力や関電興業、住友商事とともにTEKが参画した、原子力発電所定検工事における電動弁点検の高度化を図る共同研究を開始した。

三重県阿山郡伊賀町川西(現三重県伊賀市川西)に取得した約9,200坪の土地に新工場を建設した上で移転するプロジェクトがスタートした。

1985年末に就任した川久保社長の肝いりで、1987年の年初からTQC活動が始まった。

1987年度は、新設プラントの初回定検が関西電力赤穂発電所1号の1件のみにとどまり、売上高は21億9,000万円(前期比15.0%減)と苦戦した。

グループ各社では1987(昭和62)年頃から新製品開発、生産性向上、品質の維持・向上といったテーマを掲げ技術部大会を行ってきた。

TOAが開催した「東亞バルブ創立65 周年記念パーティ」にはOB・OGたちを招いた。

TOAとTEKは、PWRを採用する5社(関西電力、北海道電力、四国電力、九州電力、日本原子力発電)、三菱重工業と共同で、主蒸気安全弁吹出し圧力自動検査装置(MS-SPEED)の開発に取り組んだ。

現地での交換を可能にする切削機や溶接機を開発した。

郊外懇親会では、岡山県の湯郷温泉に行き、完成したばかりの瀬戸大橋を見学。

1988年7月をもって、設立時に2行から融資を受けた1億円(元金)の返済を完了し、長期借入金がゼロになった。

TOAとTEKは、PWRを採用する5社(関西電力、北海道電力、四国電力、九州電力、日本原子力発電)、三菱重工業と共同で開発に取り組んでいた主蒸気安全弁吹出し圧力自動検査装置(MS-SPEED)を完成させた。

関西電力姫路第二発電所5号の工事をこの新工法で施工し、東京電力や東北電力でも採用された。

1989年度には売上高が30億2,000万円に回復し、次なる節目を超えた。

TEKは1989(平成元)年1月、神戸市中央区のポートピアホテルにて創立15周年記念パーティを開催し、会社の順調な成長を全社員で祝った。

同年5月には、2班に分けて、2泊3日の記念沖縄旅行も実施した。

約2,000坪の最新鋭鋳鋼工場が完成し火入れ式を挙行。これをもって全面移転となった。

「ティー・エス・ケー株式会社」をTOAの100%出資で設立した。

8月には、協力会社幹部とともに湊川神社に参拝して、工事の無事故無災害を祈願し、その後、懇親の場を持った。

逆止弁用の第1号機を関西電力美浜発電所に納入。

実用化に成功したMS-SPEEDは、関西電力の原子力サイトへ順次導入された。

1989(平成元)年11月、千葉県市原市に自前拠点として京葉サービスセンターを開設した。

1990・1991年度については、売上高18億円超、営業利益2億円弱という好業績を2年連続して達成した。

「高年齢者雇用安定法」の改正で、希望者を対象に65歳までの再雇用が努力義務となった。

1990年2月には、東西市場の接点であり中部電力が地盤とする中京地区での営業機能を、本社から東京支店に移管した。

翌年12月には、鶴見倉庫の機能も統合する形で京葉サービスセンター内に京葉営業所を設置した。

山陰の網野・久美浜・竹野方面の民宿8軒をTOAの指定厚生施設として契約し、社員と家族が安価に利用できるようにした。

生産現場については、1991年の第1機械工場(大型弁工場)を皮切りに、第2期工事で仕上組立工場や耐圧・蒸気試験工場、残った場所を第3期と、3年間で全施設の冷房化を実施した。

瀬崎行雄が新たにTOA社長に就任した。

愛知県の西浦温泉で疲れを癒し、桶狭間の合戦地や岡崎城などで歴史に触れた。

1994(平成6)年度(1994/8~1995/7、第22期)は、阪神・淡路大震災により業務停止に見舞われながらも、売上高は43億円、経常利益5億9,800万円を計上した。これを皮切りに、決算期変更のために2カ月での変則決算を行った第27期(1999/8/1~1999/9/30、売上高8億700万円)を途中に挟みつつ、1999年度末までの6年超(第22~28期)にわたり、売上高40億円超、経常利益5億円超の好業績を持続した。

1994(平成6)年9月、TEK経営層の人事が刷新された。谷田定雄は社長を退任して取締役相談役となり、戸田正弘が社長に就任した。また、瀬崎行雄非常勤取締役が新会長に就いた。

1995年正月、TEKとしては初めての社内報『TEKニュース』(季刊)を発刊した。

創刊号が出た直後の同年1月17日、阪神・淡路大震災が発生した。

同年2月には、川崎市に京浜パーツセンターを設けた。

危機感を抱いたTEK社内では、1995年3月、役員部長会にプロジェクトチームを設置し、現業に携わる全員で工事量拡大と業務効率化を目指す具体策を検討し

同年8月に「作業所業務改革プロジェクト報告」をまとめた。

同年11月、港区三田の三田国際ビル23階に移転した。

1996年には、中部電力の川越火力発電所に近い三重県三重郡川越町に中部サービスセンターを開設し、密に顧客対応ができる体制を敷いた。

1996年4月以降、TOAとTEKの間の協力関係を深化させるための策として、中堅幹部が相互に出向する形で人事交流が始まった。期間は1年として、年間数人ずつ互いの現場業務をそれぞれ体験した。また両社が参加して開催する品質協議会の場も、互いの事業や商品・サービスに対する相互理解を深めるのに寄与した。

1996年5月には、3つの営業所がある若狭地域にて、「若狭プロジェクト」を立ち上げ、社員の担当業務拡大、作業所での工事案件の掘り起こしを進め、大飯4号を皮切りに47日での短縮定検体制を整備した。

美濃・飛騨高山地方を堪能した。

TOAとの連結を考え、1996年は9月末で決算を行い、以後10月から翌年9月までを1事業年度とした。

1997〈平成9〉年にA4判に変更。

第9号(1997年1月発行)からは、『TEKニュース』という名称はそのままに、社内から募集した愛称「潮風」が題字として巻頭に描かれるようになった。

1997(平成9)年1月、明石サービスセンターの設備工場内に「弁研修設備」を開設した。

1998年1月以降、関西電力は定検期間40日を目標として明示した。短縮定検の1号案件の美浜3号では41日を要したが、大飯3号では当時国内原子力定検で最短記録となる38日を達成した。

1998年12月には、神戸市中央区磯上通4丁目の土地(578㎡)とそこに建つ、鉄筋コンクリート造4階建てのオフィスビル(延床面積1,894㎡)を取得した。

「トウア サービス株式会社」に改称した。

創立25周年を迎える翌1999年6月、慣れ親しんだ花隈駅横のフジモト神戸ビルからこの新天地に移り、TEKの新本社とした。

2000(平成12)年には施設群、土地とも手放している。

大飯発電所への導入をもってMS-SPEEDが全てのサイトに導入となった。

2000(平成12)年3月にTVGが誕生してから、グループの全員が企業の枠を超えて結束し、組織や事業の改革に取り組んだ。

設立

2001(平成13)年4月頃から、チーム編成を変更したり、互いの定検に人材を派遣して学んだりしながら、融合に向けた準備を行った上で、従来のTEKのメンテナンス部を第1メンテナンス部、TOAのメンテナンス部隊六十余名をTEKに移して第2メンテナンス部とした。

また同年4月には、地元尼崎市の稲葉元町にて435坪の土地を借り受け、TSKが事業主体となって、セルフサービスによる自動車洗車場経営に乗り出した。

2001(平成13)年7月からフェニックス作戦をスタートした。

2001年9月、制御弁分野で世界的に評価の高いドイツのアルカ・レーグラー社(ARCA)と提携し、国内における同社製制御弁の販売・メンテナンス事業に参入した。

当社が初めてWebサイトを作成・公開したのは2002年4月のことである。

2002年6月に始まった日本原子力発電敦賀発電所2号機の定検工事は、国内過去最短となる25.5日で完了し、同発電所長より表彰された。

2002年10月、シンガポール法人「トウアバルブオーバーシーズ」、英語名「TOA VALVE OVERSEAS Pte. Ltd.」(前TVO、現TGA)を、資本金10万シンガポールドルで設立した。

翌年1月より稼働を始めた。2003年1月には、TUAS(シンガポール西部の開発地区)の工事をTVOとして初めて受注できた。

北海道電力は泊発電所3号機の建設に着手した。これに関連してTOAはプラントメーカーである三菱重工業より加圧器安全弁製作の依頼を受けた。

同年3月には、発電所の所長や、シップヤード(造船所)のプロジェクトマネージャー、船舶管理会社や大使館の関係者などを招いて開業式典(TVO Opening Ceremony)を開催した。

TEKも2003年4月に、旧明石サービスセンターの遊休地を使ってコンテナルームサービスを開始した。

この年の10月、マレーシアのドッグで顧客が現地の会社に頼んでバルブを修理したものの、漏れがどうしても収まらないとのことで、TVOに修理の依頼が舞い込んだ。スタッフはすぐにマレーシアに飛び、現物を引き取って3日間不眠不休の作業により修理を完成させた。

その後、2004年1月にトウアバルブグループ本社(TVG)として発行することになった社内報『いぶき』に、コミュニケーション媒体としての役割を譲った。

2004年には、これをグループ全体としてのイベントに昇華させ、第1回「TVG技術大会」を開催した。以後、春と秋の年2回行い、参加者たちは熱心に耳を傾ける。

2004年10月には、業務効率化や金利負担軽減を念頭に、グループ内企業の資金調達・管理機能をTVGに集約・集中化するキャッシュ・マネジメント・システム(CMS)をスタートさせた。

2004年12月より鋳鋼・鍛造など素材の手配を始めた。

SAC-SINGLAS(シンガポール認定委員会、日本のJAB〈日本適合性認定協会〉に相当)を取得した。

2005年5月、TOAは「中国安全弁製造許可証」の交付を受けた。

翌年7月には機械加工を開始した。

同年8月には、海外メーカーと競合するなか、中国三大電気集団の1つ、ハルピン電気集団の傘下のハルピン・ボイラより、玉環超々臨界発電所向ニードル弁の受注に成功した。

TAKがTOAに加わった。

センバワンシップヤードとケッペルシップヤード、シンガポールを代表する両造船所においてベンダー登録をしたことで受注増につながった。

2006年度(2006/10~2007/9、第8期)は売上高116億4,000万円、経常利益13億4,000万円とも設立以来最高を記録した。

2006年4月には転換社債型新型予約権付社債(MSCB)9億円を発行し、機動的な資金運用を可能にするとともに、高田製鋼所(後の伊賀工場)をはじめとしたバルブ製造事業強化のための設備投資に約4億円を充当した。

10カ月後の2006年5月には官庁による寸法・外観検査を受けた。

TAKの全事業を吸収分割の方式により会社分割し、TOAに承継した。

11月には同じく官庁による作動・漏洩検査を受けた。

佐々木篤の後任として、浅岡實がTVG・TOA・TEKの3社の新社長に就任した。

ドバイ入港の船会社や台湾の火力発電所から弁工事を受注するなど、グローバルなビジネス展開が進んだ。

シェーカー設備の改修、台車式電気炉の新設、大型集塵機や分光分析器の更新といった生産・開発面での設備投資のほか、厚生棟の改修工事や休憩室の新設など職場環境の改善にも取り組んだ。

2007年には、宇宙開発に係るプロジェクトに参画する機会を得た。川崎重工業明石工場から受けた、宇宙航空研究開発機構(JAXA)向けジェットエンジンの燃焼試験装置に取り付ける超高温高圧圧力調整弁(水冷式バタフライ弁)の開発・製作に協力してほしい、との打診だった。

これを足掛かりに、2007年度(2007/10~2008/9)には、7案件・16基分の受注を手中に収めた。

事業・人材などを手放した後、器のみ存続していた高田製鋼所は、2007年2月末日をもって解散した。

2007年3月に出荷した。

TEKとTOAが合併した。

TOAとTEKの合併に伴い「製鋼事業部」となった。

翌年1月に全ての納入工事を完了。

2008年10月、TOAとTEKは合併し「東亜バルブエンジニアリング株式会社」(略称TVE)になった。

旧高田粉末冶金から継承してきた焼結部品事業から撤退。

売上高は次年度に124億2,000万円とこれをさらに上回り、その2年後の2009年度には、経常利益が16億円に達した。

2009(平成21)年に焼結事業を廃止した。

浅岡は、就任して2年半が経過した2009年7月に、BS朝日の「賢者の選択」に出演した。

2009年12月、泊発電所3号機は無事営業運転を開始した。

2010年4月には、TVGはTVEと親子合併(存続会社は上場企業であるTVG)した上で商号変更し、新生「東亜バルブエンジニアリング株式会社」が誕生。これをもって10年にわたるグループ再編が完了した。

2010年7月には、度重なる先方からのオファーに応える形で、同じグループのHEハルピン・パワー・プラント・バルブ社(HVC)との間で、抽気逆止弁と新設計のH玉形弁に係る技術提携契約を結んだ。

拠点名を「伊賀工場」と改めた。

東日本大震災の発生当時、当社や協力会社の人材が多くの現場で作業を行っていた。車両が津波に流されるなど物的な損害はあったものの、亡くなったり負傷したりした人はいなかった。全体集会では、企業として義援金1,000万円を寄付したことなどの説明があった。

浅岡が退任し、唐澤裕一が新社長に就任した。

新規事業強化に重きを置いた「七本の矢」作戦の開始が決まった。

2013年には、原子力の二次系に設置する湿分加熱器逃し弁も技術提携対象に加える新たな契約を締結した。

提携のオファーを初めて受けた。

『創立30周年記念誌』を制作・発行した。

独立した会社として「東亜クリエイト株式会社」を設立した。

事業活動に必要な「特定人材派遣業許可」を取得した。

「建設業許可(土木工事業、機械器具設置工事業)」を取得した。

真鍋吉久が新社長に就任した。

2016(平成28)年に提携し、新たにパートナーとなったキッツは、売上げや組織規模も当社よりはるかに大きく、技術面・経営面で当社にはないさまざまな知見も有している。

キッツとの間で資本業務提携契約を締結する旨の対外発表を行った。この提携に伴い、キッツは三菱商事が保有する全てのTVE株式(発行済み株式数の11.28%、議決権数に対する12.98%)を取得し、当社の筆頭株主となった。

第18~22期(2016/10~2021/9)の5カ年を対象期間とする第1次中期経営計画「2021・100年前夜 TVE再成長プラン」を策定・公表した。

2016(平成28)年12月の定時株主総会における定款変更に係る議案への承認をもって、当社はそれまでの監査役会設置会社から「監査等委員会設置会社」に移行した。

当社は、2017年に株式会社アイシン福井の100%出資子会社として設立し、自動車部品のオートマチックトランスミッションの心臓部であるトルクコンバータやトランスミッションの生産を手掛けています。

JAXA職員立会の下、最終の現地作動試験にパスして納入することができた。

第1次の対象期間がスタートして、1年が過ぎた2017 年11月、消化済期間の実績を踏まえて見直した更新計画を策定・発表した。

2017(平成29)年12月、TVE第18回定時株主総会およびその後の取締役会を経て、社長の真鍋が会長に就任し、それまで副社長の任にあった笹野幸明が社長に就いた。

2018(平成 30)年末に TVE 独自のプロジェクトとして「TAMES-Factory」と命名、発足しました。

2年経過後の2018年12月には、消化済期間の実績を踏まえて見直した更新計画を策定・発表した。

2019年からは新名称で活動を進めた。

2019 年 1 月から活動を始めました。

2019(平成31)年4月、TVEのコーポレートWebサイトについて、当社の技術力をより一層訴求できるような内容へと抜本的にリニューアルした。

さらに翌2019年6月には、第21~25期(2019/10~2024/9)を対象とした「中期経営計画2019~創業100周年を超え『目指す将来像』の実現に向けて」に引き継いでいる。

創業 100 周年記念事業の一環として実行委員会を立ち上げ、委員長笹野社長以下 12 人体制

2019(令和元)年10月、当社は新たな事業を立ち上げ、推進するグループ会社として、「TVEリファインメタル株式会社」(以下、TRM)を福井県大飯郡おおい町本郷に設立した。資本金4,900万円(1,960株)で、グループ会社のトウアサービスが1株(0.05%)のみ保有し、残りはTVEが出資する資本構成とした。

東亜バルブエンジニアリング:廃炉関連事業への本格参入を目指し、子会社として TVE リファインメタル㈱設立

廃炉関連事業への本格参入を目指し、子会社として TVE リファインメタル㈱設立

2020年からは、発泡スチロールによる型製作も手掛けるようになった。

初会合において、実行委員会による 100 年史の編纂が正式に決まり、編纂委員が実行委員会メンバーより選出された。

2020(令和2)年7月には、前述のバルブソリューション、鋳鋼技術ラボにて技術動画ライブラリを公開した。当社のエンジニアが実際に試験設備を見せながら、どういった試験が可能かを説明する。また、普段見ることが難しい鋳鋼製品製造工程についてバーチャルで見学いただく―こういった動画を多数用意した。さらにWebを活用した「オンライン技術相談会」も開始するなど、デジタルマーケティングを進化させている。

このシンガポール子会社の社名について、「TVE GLOBAL ASIA PACIFIC Pte. Ltd.」(略称TGA)に変更し、アジア地域全体の拠点との位置付けをより明確にした。

TVE GLOBAL ASIA PACIFIC:シンガポールの子会社 TOA VALVE OVERSEAS Pte. Ltd. の社名を TVE GLOBAL ASIA PACIFIC Pte. Ltd. に改称

「東亞バルブ」、「東亜バルブエンジニアリング」への社名変更を経て、現在の「TVE」に変更

翌2020年10月には、資源エネルギー庁(経済産業省)が行う「令和2年度原子力産業基盤強化事業補助金」の募集に対し、TRMは「原子力発電所廃止措置における解体金属類溶融設備の開発事業」を提案。三菱重工業や日立GEニュークリア・エナジーといった企業とともに採択され、間接補助事業者に選ばれた。

2020(令和2)年10月、当社はそれまでの社名「東亜バルブエンジニアリング株式会社」について、従来略称として使ってきた「TVE」を用いた「株式会社TVE」(英文表記:TVE Co., Ltd.)へと改称した。同時にブランドロゴについても、リニューアルすることとした。

東亜バルブエンジニアリング:TVE に改称

TVE:社名変更に伴い、「Challenge for the NEXT(TVE の挑戦は次のステージへ)」をコーポレートメッセージに掲げる

定期総会(第36回)および懇親会を開くなど、同じ目標を持って現役時代を過ごした仲間同士の交流が続いている。

TAMES-DXは、2021(令和 3)年 4月に選抜メンバーが各々に掲げた課題を推進しました。

2021(令和3)年5月現在、4つのTAMES Projectが進行中である。

同年7月 15日には全社発表会を実施、全社DXのパイオニア的活動を開始しました。

同年 10月には活動をさらに強化するため、6本の柱を軸として、各部門のデジタル改革を推進するためのプロジェクトへ格上げし、基本理念を掲げ、活動を推進しております。

2021(令和3)年11月29日開催の取締役会において、太陽電業株式会社(以下、TDC)の株式を取得し、子会社化することが決議された。

TVE:創業 100 周年を超え「目指す将来像」の実現に向けて、中期経営計画 2019(2020 年 9 月第 21 期~ 2024 年 9 月第 25 期)の 2021 年 11 月改定版を公表

TDCの株式を取得し2022年1月、TDCは新たにTVEグループの一員となった。

TVE:太陽電業㈱を子会社化

伊賀工場特高受電所起工式で鍬入れをする 笹野社長(2022年2月)

TVE:伊賀工場で、特別高圧受電設備更新並びに付帯工事の地鎮祭を実施

創業満100年の佳節を迎えた

TVE:創業 100 周年

2022 年 4月、弊社初の 水素案件の受注が確定しました

完成した伊賀工場特高受電所(2022年8月)

伊賀工場特高受電所の完成式で起動スイッチを押す笹野社長 (2022年8月)

TVE100年史 夢を、心を、技術をつなぐ 発行

§07

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§08

公的データ

GOV
国税庁・基本情報8210001017741
商号又は名称
TVEリファインメタル株式会社
フリガナ
ティーブイイーリファインメタル
英語名
法人種別
301
住所
〒919-2111 福井県大飯郡おおい町本郷119字西里ケ前2番地4
郵便番号
9192111
都道府県コード
18
市区町村コード
483
国外所在地
国内所在地(都道府県)英語
国内所在地(市区町村等)英語
国外所在地(英語)
法人番号指定年月日
2019-10-04
更新年月日
2023-07-24
変更年月日
2023-07-03
登記記録の閉鎖等年月日
登記記録の閉鎖等の事由
承継先法人番号
変更事由の詳細
令和5年7月1日福島県いわき市平字胡摩沢123番地の18K-Smellいわき1-I号東亜クリエイト株式会社(8380001024416)を合併
最新履歴
1
検索対象除外
0
処理区分
71
訂正区分
0
商号又は名称イメージID
国内所在地イメージID
一連番号
3161675
出典:国税庁法人番号公表サイト 基本3情報
経済産業省・gBizINFO8210001017741
法人番号
8210001017741
商号又は名称
TVEリファインメタル株式会社
商号又は名称(カナ)
ティーブイイーリファインメタル
商号又は名称(英字)
登記記録の閉鎖等年月日
登記記録の閉鎖等の事由
登記住所
福井県大飯郡おおい町本郷119字西里ケ前2番地4
郵便番号
9192111
都道府県
福井県
都道府県コード
18
市区町村(郡)
大飯郡おおい町
市区町村コード
483
番地以下
本郷119字西里ケ前2番地4
組織種別
301
処理区分
71
訂正区分
0
状態
代表者名称
資本金
従業員数
企業規模詳細(男性)
企業規模詳細(女性)
事業概要
WebサイトURL
創業年
事業種目
設立年月日
全省庁統一資格-資格等級
全省庁統一資格-営業品目
更新年月日
2023-07-24
キー情報
8210001017741
出典:Gビズインフォ(経済産業省)
§09

出典・更新

SOURCES
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