| 1890年 |
帝国ホテル開業 - 欧米との対等な関係を築くために誕生した「日本の迎賓館」 - 明治維新の混乱も落ち着き、明治政府が、近代国家としての地位を築こうとしていた頃。十分な宿泊施設もなく、これでは、対等な外交関係などつくれない。そんな危機感を抱いた政府や財界人たちは、外交施設「鹿鳴館」の隣にホテル建設を計画。そうして誕生したのが「帝国ホテル」です。国の威信をかけ、外交の拠点のひとつとして活用された帝国ホテルは、「日本の迎賓館」という役割を担い、その歴史を歩み始めました。 |
| 1890年 |
明治維新の混乱も落ち着き、明治政府が、近代国家としての地位を築こうとしていた頃。十分な宿泊施設もなく、これでは、対等な外交関係などつくれない。そんな危機感を抱いた政府や財界人たちは、外交施設「鹿鳴館」の隣にホテル建設を計画。そうして誕生したのが「帝国ホテル」です。国の威信をかけ、外交の拠点のひとつとして活用された帝国ホテルは、「日本の迎賓館」という役割を担い、その歴史を歩み始めました。 |
| 1890-11-03 |
帝国ホテル開業 (総建坪約1300坪、ドイツ・ネオ・ルネッサンス式木骨煉瓦造3層、室料は1日50銭から7円。2食付き2円50銭~9円) : 吉川 兼吉 初代料理長に就任 |
| 1893-10-24 |
渋沢栄一 初代取締役会長に就任 |
| 1907-01-25 |
帝国ホテル株式会社と株式会社メトロポールホテルが合併し「株式会社帝国ホテル」設立 |
| 1910-01-25 |
宮内省御用に指定される |
| 1910-02-25 |
ホテル初の郵便局開設 (郵便局長 林愛作 支配人) |
| 1911年 |
ランドリーサービスの導入 - 日本初のランドリーサービスで宿泊客の衣類を洗濯 - 開業以来、海外からの宿泊客が多かった帝国ホテルでは、長い船旅で困るのは着替えであると考え、ホテル内に自営の大型ランドリーを設置しました。このサービスは100年以上経ったいまでも高い評価を受けています。ポケットの中に私物は入っていないか、ボタンが外れていないか、シミはないか。ランドリーには、200種類以上のボタンが常備され、シミ抜きやアイロンがけの職人たちがスタンバイしています。世界各国の素材や民族衣装など、あらゆる衣類を知り抜いたランドリーサービスには、その評判を確かめようと、汚れた衣服を持参するお客様がいらっしゃることもあります。 |
| 1911年 |
開業以来、海外からの宿泊客が多かった帝国ホテルでは、長い船旅で困るのは着替えであると考え、ホテル内に自営の大型ランドリーを設置しました。このサービスは100年以上経ったいまでも高い評価を受けています。ポケットの中に私物は入っていないか、ボタンが外れていないか、シミはないか。ランドリーには、200種類以上のボタンが常備され、シミ抜きやアイロンがけの職人たちがスタンバイしています。世界各国の素材や民族衣装など、あらゆる衣類を知り抜いたランドリーサービスには、その評判を確かめようと、汚れた衣服を持参するお客様がいらっしゃることもあります。 |
| 1912-07-28 |
自動車部開設 |
| 1916-11-22 |
臨時株主総会で新ホテル建設を決議 |
| 1919年09月 |
ライトの設計による新ホテル建設工事起工 |
| 1923年 |
ショッピングアーケード - ホテルに滞在しながら買い物ができるアーケードを開設 - ゲストがホテルの中で買物ができた方が良い。そんな、当時としては斬新な考え方を基にして生まれたのがホテル直結のショッピング街「アーケード」。これが、全国の商店街が採用しているアーケードの発祥です。軒を連ねたのは宝石店をはじめ、国産品をおもに扱う約20軒の店舗。ここにも「日本の真価を世界に紹介する」という強い信念がありました。このこだわりは、マリリン・モンロー、ベーブ・ルース、フランク・シナトラなど海外のゲストたちの心も虜にしたと言われています。 |
| 1923年 |
ライト館開業 - 「ライト館」開業日に発生した関東大震災 大使館や通信社にスペースを開放 - 20世紀を代表する建築家 フランク・ロイド・ライト。彼が設計したのが新本館となる「ライト館」でした。1893年のシカゴ万博で、平等院鳳凰堂を模して建てられた「日本館鳳凰殿」などからインスピレーションを受けたというデザインは、日本建築史上最高傑作とも讃えられ、「東洋の宝石」と称されましたが、開業披露当日に関東大震災に見舞われるという不運にも巻き込まれました。しかし大きな損傷もなく、大震災を耐えたホテルとしても世界に知られることになりました。震災を免れた帝国ホテルは、被災者の避難場所として客室を無料で開放したほか、各国大使館や新聞社・通信社などに仮事務所のスペースも提供しました。 |
| 1923年 |
ホテルウエディング - ホテルではじめてウェディングサービスを開始 - ひとつのホテル内で挙式と披露宴を行う「ホテルウエディング」。この文化を生み出したのも帝国ホテルです。神社での婚礼が主流だった当時、関東大震災により、日比谷大神宮をはじめ、多くの神社が焼失したことから、ホテル内に神社を設置し、挙式と披露宴をひとつのホテルの中で行うスタイルを誕生させました。これが、日本のホテルウエディングの原型になったと言われています。伝統を受け継ぎながら、時代に合ったウエディングを提案し、現在まで多くのご新郎様・ご新婦様の幸せを演出しています。 |
| 1923年 |
ホテルに滞在しながら買い物ができるアーケードを開設。ゲストがホテルの中で買物ができた方が良い。そんな、当時としては斬新な考え方を基にして生まれたのがホテル直結のショッピング街「アーケード」。これが、全国の商店街が採用しているアーケードの発祥です。軒を連ねたのは宝石店をはじめ、国産品をおもに扱う約20軒の店舗。ここにも「日本の真価を世界に紹介する」という強い信念がありました。このこだわりは、マリリン・モンロー、ベーブ・ルース、フランク・シナトラなど海外のゲストたちの心も虜にしたと言われています。 |
| 1923年 |
20世紀を代表する建築家 フランク・ロイド・ライト。彼が設計したのが新本館となる「ライト館」でした。1893年のシカゴ万博で、平等院鳳凰堂を模して建てられた「日本館鳳凰殿」などからインスピレーションを受けたというデザインは、日本建築史上最高傑作とも讃えられ、「東洋の宝石」と称されましたが、開業披露当日に関東大震災に見舞われるという不運にも巻き込まれました。しかし大きな損傷もなく、大震災を耐えたホテルとしても世界に知られることになりました。震災を免れた帝国ホテルは、被災者の避難場所として客室を無料で開放したほか、各国大使館や新聞社・通信社などに仮事務所のスペースも提供しました。 |
| 1923年 |
ひとつのホテル内で挙式と披露宴を行う「ホテルウエディング」。この文化を生み出したのも帝国ホテルです。神社での婚礼が主流だった当時、関東大震災により、日比谷大神宮をはじめ、多くの神社が焼失したことから、ホテル内に神社を設置し、挙式と披露宴をひとつのホテルの中で行うスタイルを誕生させました。これが、日本のホテルウエディングの原型になったと言われています。伝統を受け継ぎながら、時代に合ったウエディングを提案し、現在まで多くのご新郎様・ご新婦様の幸せを演出しています。 |
| 1923-01-28 |
社長制を採用 (初代取締役社長 大倉 喜七郎) |
| 1923年08月 |
新館 (2代目本館 通称「ライト館」) 全館落成 (鉄筋コンクリートおよび煉瓦コンクリート構造、地上5階・地下1階、延床面積1万535坪、客室数270室) |
| 1923-09-01 |
新館開業(支配人 犬丸 徹三) |
| 1923-09-02 |
企業および各国大公使館事務所として客室を提供 |
| 1929-08-20 |
ツェッペリン伯号乗組員の歓迎場および宿舎となる。またツェッペリン伯号の第3コース (東京~ロサンゼルス) 飛行の全糧食を調理 |
| 1932-05-14 |
喜劇俳優チャールズ・チャップリン来泊 |
| 1933年 |
上高地帝国ホテル開業 - 日本アルプスの地に日本初の本格的山岳リゾートホテルを開業 - 当時の長野県知事からの協力要請を受け、日本初の本格的山岳リゾートホテルとして誕生したのが、上高地帝国ホテルです。穂高連峰、梓川、大正池など雄大な自然に囲まれた上高地で、贅沢なひとときを過ごす。都心部にある帝国ホテルとはまた違った趣が味わえることから、昭和初期の憧れの場として広まりました。登山愛好家からも愛される当ホテルは、スイスの山小屋風の赤い屋根と、ロビーラウンジの吹抜けに設置された巨大なマントルピースがシンボルです。 |
| 1933年 |
当時の長野県知事からの協力要請を受け、日本初の本格的山岳リゾートホテルとして誕生したのが、上高地帝国ホテルです。穂高連峰、梓川、大正池など雄大な自然に囲まれた上高地で、贅沢なひとときを過ごす。都心部にある帝国ホテルとはまた違った趣が味わえることから、昭和初期の憧れの場として広まりました。登山愛好家からも愛される当ホテルは、スイスの山小屋風の赤い屋根と、ロビーラウンジの吹抜けに設置された巨大なマントルピースがシンボルです。 |
| 1934-11-02 |
ベーブ・ルースら米大リーグ選抜野球チーム来泊 |
| 1936-01-26 |
声楽家シャリアピン、2度目の来泊 |
| 1936-05-18 |
フランスの詩人ジャン・コクトー来泊 |
| 1937-04-15 |
ヘレン・ケラー来泊 |
| 1945-04-19 |
枢軸国・中立国の駐日外交官等の非常用宿舎として外務省と賃貸契約を調印 |
| 1945-09-08 |
連合軍最高司令長官マッカーサー一行、帝国ホテルで昼食会開催 (犬丸支配人、マッカーサーの車に同乗して都内を案内) |
| 1945-09-17 |
連合軍の将官およびGHQ高官用宿舎として接収される |
| 1950-09-27 |
政府登録ホテル第一号となる |
| 1952-04-01 |
自由営業再開 |
| 1953-08-01 |
国鉄(現JR)の特急列車「つばめ」号の食堂車経営開始 |
| 1958年 |
バイキング - 好きなものを好きなだけ食べる「バイキング」スタイルの提案 - スモーガスボードと呼ばれる北欧の伝統的な食のスタイル。これをルーツとして、「好きなものを、好きなだけ食べる」というテーマで誕生したのが、ブフェレストラン「インペリアルバイキング」です。実はこの「バイキング」という名前は、北欧の海賊が活躍する映画からとったもの。昼1200円/夜1500円と当時においては高額でしたが、連日大行列。その後、「バイキング=食べ放題の代名詞」として、日本中にこのスタイルのレストランが広まりました。2008年、オープン50周年を記念して8月1日を「バイキングの日」と制定。いまも変わることなく、楽しさと美味しさあふれる食の時間を提供しています。 |
| 1958年 |
好きなものを好きなだけ食べる「バイキング」スタイルの提案。スモーガスボードと呼ばれる北欧の伝統的な食のスタイル。これをルーツとして、「好きなものを、好きなだけ食べる」というテーマで誕生したのが、ブフェレストラン「インペリアルバイキング」です。実はこの「バイキング」という名前は、北欧の海賊が活躍する映画からとったもの。昼1200円/夜1500円と当時においては高額でしたが、連日大行列。その後、「バイキング=食べ放題の代名詞」として、日本中にこのスタイルのレストランが広まりました。2008年、オープン50周年を記念して8月1日を「バイキングの日」と制定。いまも変わることなく、楽しさと美味しさあふれる食の時間を提供しています。 |
| 1983年 |
不動産事業 - ホテル業で初めて不動産事業を実施売上に欠かせない事業の一つに - 帝国ホテルの新館建設計画にあたって発足したプロジェクトチームでは、新館、すなわちインペリアルタワー(現・帝国ホテルタワー)が出来るまで様々な角度から検討をし、いくつもの計画案を練りだしました。その中で採用された形が「複合ビル」。賃貸のオフィスやショップフロアを併設し、大規模な不動産賃貸事業を営むのは日本のホテルでは初の試みでした。そこから歩みを始めた帝国ホテルの不動産事業部門は、今では当社の売上で重要な役割を担っています。 |
| 1983年 |
1983年に完成 |
| 1983年 |
ホテル業で初めて不動産事業を実施売上に欠かせない事業の一つに。帝国ホテルの新館建設計画にあたって発足したプロジェクトチームでは、新館、すなわちインペリアルタワー(現・帝国ホテルタワー)が出来るまで様々な角度から検討をし、いくつもの計画案を練りだしました。その中で採用された形が「複合ビル」。賃貸のオフィスやショップフロアを併設し、大規模な不動産賃貸事業を営むのは日本のホテルでは初の試みでした。そこから歩みを始めた帝国ホテルの不動産事業部門は、今では当社の売上で重要な役割を担っています。 |
| 1990年 |
週休2日制 - ホテル業界で初めて週休2日制度を導入 - 現在では多くの企業が取り入れている「週休2日制」。1990年、帝国ホテルはホテル業界では初めて「週休2日制」を完全導入しました。これは、帝国ホテルを支えるスタッフを考えた上での働き方の革新とも言うことが出来ます。 |
| 1990年 |
ホテル業界で初めて週休2日制度を導入。 |
| 1990年 |
1990年、帝国ホテルはホテル業界では初めて「週休2日制」を完全導入しました。 |
| 1994年 |
1994年、新しい空の玄関口として関西国際空港が開港し、国際都市としてさらなる発展が期待される大阪に新たな事業所として開業した帝国ホテル 大阪。客室381室、レストラン6店、バー・ラウンジ3店、宴会場22室。大阪における「国際的ベストホテル」を目指し、大阪アメニティパーク(OAP)が有する豊かな環境と自然に調和した、明るく開放的なホテルとして、新たな一歩を踏み出しました。 |
| 2003年 |
帝国ホテル 大阪開業 - 新たな一歩を、水の都・大阪で「水・緑・花そして光と影」をテーマにゆとりある空間を創造 - 1994年、新しい空の玄関口として関西国際空港が開港し、国際都市としてさらなる発展が期待される大阪に新たな事業所として開業した帝国ホテル 大阪。客室381室、レストラン6店、バー・ラウンジ3店、宴会場22室。大阪における「国際的ベストホテル」を目指し、大阪アメニティパーク(OAP)が有する豊かな環境と自然に調和した、明るく開放的なホテルとして、新たな一歩を踏み出しました。 |
| 2020-01-22 |
「第9回 コッパ・デルモンド・デラ・ジェラテリア2020」で日本代表として出場した帝国ホテルチームが準優勝 |
| 2021年 |
タワー館で新業態への挑戦 - コロナ禍における様々な取り組み - 外国人宿泊客数が大きく落ち込んだことにより、宿泊稼働率が低減。従業員からのアイデア募集もきっかけとし、ホテルに「泊まる」のではなく「住む」サービスアパートメントを新たに開始。また、「神楽坂 石かわ」とアライアンスを組み、日本料理「帝国ホテル 寅黒」を開店。さらに帝国ホテルのフランス料理と石かわグループの日本料理、それぞれの小皿料理をシームレスにお楽しみいただける「ホテルバル」のオープンなど、新たな業態に挑戦しています。 |
| 2021年 |
従業員食堂自営化と食品ロスへの取り組み - 「食材を余すことなく使用する」心がけ - 東京、大阪、上高地の従業員食堂を自営化し、従来廃棄されているような野菜や肉の端材、販売しきれなかった商品をメニューに活用。また、料理スタッフが自ら発案・開発したメニューを提供できる場としています。 |
| 2021年 |
外国人宿泊客数が大きく落ち込んだことにより、宿泊稼働率が低減。従業員からのアイデア募集もきっかけとし、ホテルに「泊まる」のではなく「住む」サービスアパートメントを新たに開始。また、「神楽坂 石かわ」とアライアンスを組み、日本料理「帝国ホテル 寅黒」を開店。さらに帝国ホテルのフランス料理と石かわグループの日本料理、それぞれの小皿料理をシームレスにお楽しみいただける「ホテルバル」のオープンなど、新たな業態に挑戦しています。 |
| 2021年 |
従業員食堂自営化と食品ロスへの取り組み 「食材を余すことなく使用する」心がけ 東京、大阪、上高地の従業員食堂を自営化し、従来廃棄されているような野菜や肉の端材、販売しきれなかった商品をメニューに活用。また、料理スタッフが自ら発案・開発したメニューを提供できる場としています。 |
| 2021-02-01 |
新規事業としてサービスアパートメントを開始(帝国ホテル 東京) |
| 2021-03-25 |
帝国ホテル 東京(本館・タワー)の建て替え計画の実施方針を決定 |
| 2021-05-12 |
京都における新規ホテル計画の実施を決定 |
| 2021-07-26 |
帝国ホテル 東京 従業員食堂を自営化 |
| 2021-11-01 |
日本料理店「帝国ホテル 寅黒」新規開店、 "ホテルバル"エリアを新設 |
| 2022-05-12 |
中期経営計画2026発表 |
| 2023-03-19 |
SDGs国際認証「Sakura Quality An ESG Practice」の最高評価「5御衣黄ザクラ」を3事業所同時に取得(東京・大阪・上高地) |
| 2023-07-26 |
ライト館開業100周年を祝し、フランク・ロイド・ライト・トラストと共に、シカゴのフレデリック・C・ロビー邸の中庭に桜の木を植樹 |
| 2026年 |
帝国ホテル 京都開業 - ホテルだけでなく、地域の未来を紡ぐ |
| 2026年 |
ホテルだけでなく、地域の未来を紡ぐ 日本を代表する国際文化観光都市である京都、その中でも象徴的な場所である祇園甲部歌舞練場の敷地内にある弥栄会館を活用したホテルです。これまで培ってきたノウハウを結集したサービスを提供することで、帝国ホテルのブランドを向上させるとともに、地域に愛されてきた弥栄会館に新たな息吹をもたらし、未来へ紡いでまいります。 |
| 2026年 |
1983年に完成以来、初のリニューアル 旗艦ホテルである東京事業所は、内幸町一丁目街区の開発プロジェクト「TOKYO CROSS PARK構想」のパートナーシップにより、営業継続しながら建て替えに取り組んでまいります。タワー館は2030年度中に着工し、サービスアパートメント、賃貸住宅、オフィス、商業施設機能を備える複合ビルの新タワー館として開業予定です。 |
| 2026年 |
新たな「帝国ホテル 東京」の始まり 本館は、単独棟のグランドホテルとして開業予定。「品格・継承・挑戦」をキーワードに、「新しいグランドホテル・迎賓館」にふさわしいホテルを目指します。 |
| 2030年 |
タワー館は2030年度中に着工し、サービスアパートメント、賃貸住宅、オフィス、商業施設機能を備える複合ビルの新タワー館として開業予定です。 |