株式会社CBCテレビ
基本情報
- 所在地
- 愛知県名古屋市中区新栄1丁目2番8号
- 社長
- 松波啓三
- 資本金
- 100,000,000
- 従業員数(単独)
- 従業員数(連結)
- 開始日
- 終了日
サイト
事業内容
関連会社
| 会社名 | Group | 親会社 | 子会社 | 得意先 | 仕入先 | 業務提携 | 銀行等 | 株主等 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
|
||||||||
|
|
||||||||
|
|
||||||||
|
|
||||||||
| CBC Dテック | ||||||||
| 株式会社CBCクリエイション | ||||||||
| 株式会社CBCビップス | ||||||||
| 株式会社千代田会館 |
関連図
沿革
中部日本新聞の小嶋源作による民間放送設立の呼びかけを発端に、中部日本放送株式会社(CBC)が創立されました。
ラジオ開局から間もなく、多彩な番組が次々と誕生しました。いわゆる「イントロクイズ」の先駆けだった公開放送番組「ストップ・ザ・ミュージック」をはじめ、第1スタジオで公開録音された「三菱日曜劇場」、バラエティショー「謳うCBC」、子ども向けの歌と器楽のコンクールだった「仲よしクラブ子供音楽会」など、幅広いジャンルの番組が次々放送され、聴取者を楽しませました。
1951年9月1日午前6時30分、宇井昇アナウンサーによる民放第一声が響きました。6時55分からの「服飾講座」は、日本で初めて提供がついた「商業番組」。午前7時、「チンカラコンカラ」と軽快な音楽と時報の後、「精工舎の時計がただいま7時をお報らせしました」と日本初のCMが電波に乗りました。民放初のニュースでは、サンフランシスコ講和会議へ向かう吉田茂全権大使のハワイ到着を伝え、放送による新時代の幕開けを飾りました。
現在も「燃えよドラゴンズ」として親しまれる中日戦中継は、開局2年目から実施しました。開局当初からの要望に応える形で、地元で行われた全試合(65試合)を放送しました。
1954年5月、フィリピン・マニラで開催された第2回「アジア競技大会」が、日本の民放として初の海外共同取材、そして初の海外中継の場となりました。CBCからは記者と技術スタッフが特派員として現地へ派遣され、実況・録音のネットワーク中継を担いました。
新栄一丁目に、現在も使われている「CBC会館」が竣工。テレビ放送の開始を見据えてテレビスタジオとホールを備え、当時の最先端技術を集めた建物でした。
1956年のテレビ開局に伴って、CBCホールから放送する歌番組やバラエティ番組、公開ドラマが人気を集めました。女性に向けた教養番組や料理番組をはじめ、子どもをターゲットにした番組も数多く放送されました。中でも松坂屋一社提供のドラマ「健太君の探偵」は、警察などの公共機関や地元企業のサポートを受けながら、地元の様々な場所でロケを敢行、当時の子どもたちを夢中にさせる大人気番組となりました。
1952年の免許申請以来、準備が進められてきたテレビ放送が1956年12月1日、スタート。日本で3番目となるテレビ放送を開始しました(日本テレビ、ラジオ東京(現・TBSテレビ)に次ぎ、大阪テレビ(現・朝日放送テレビ)と同日)。
CBC歳末たすけあい運動(現「CBCチャリティ募金」)スタート
当時、大相撲の「本場所」ではなかった名古屋場所を盛り上げるために始まった「大相撲名古屋場所前夜祭」。CBCホールに土俵を作り込む、大掛かりな番組でした。翌年に本場所となりましたが、1965年~77年の中断をはさみ、今日まで続いています。
1957年3月10日、「CBC杯」として開催された中日-南海戦が、CBCテレビとしての初のプロ野球中継でした。当初は日本テレビともネットワークを結び、後楽園球場での巨人戦も中継していました(~60年)。7月のオールスターゲームは中日球場から、開局以来初のテレビとラジオの同時生放送を行いました。
全国の歳末募金に先駆け、第1回「CBC歳末たすけあい運動(現・CBCチャリティ募金)」がスタートしました。CBC自らの100万円の拠出をはじめ、ラジオやテレビを通じた呼びかけ、アナウンサーや劇団員による街頭募金が展開され、総額183万余円の募金が結実しました。
大相撲の名古屋準場所が「本場所」に昇格したことに伴って、金山体育館からの名古屋場所中継を全国ネットで開始。1963年には全国の民放36局ネットへ拡大し、自社開発した「エレクトロズーマー」や「ハンディビジョン」といった機材を活用して放送しました。民放における大相撲の中継は翌1964年まで続きました。
東京支社制作のオラトリオ(聖譚曲)「天草四郎」(脚本・並河亮、音楽・菅原明朗)がCBC初となる芸術祭賞(ラジオ部門・団体)を受賞、1月29日に東京産経ホールで授賞式が行われました。
未曾有の被害をもたらした伊勢湾台風では、接近に備えて前日から各地に記者やカメラマンを派遣するなど全社的な非常体制を敷きました。「台風が近づいています。一刻も早くお帰り下さい」「ローソクや懐中電燈のご用意を」と強く呼びかけたこの取り組みは、のちに「防災報道のさきがけ」と評されました。台風が去ったあとの被害の実情もつぶさに報道し、8月に発足したJNNのネットワークで全国に発信しました。
1959年4月10日、皇太子さま(現・上皇さま)と美智子さま(現・上皇后さま)のご成婚パレードが挙行され、国中が祝福ムードに包まれました。「世紀の中継」となったこのパレードで、CBCは自社開発のトランジスタカメラをヘリコプターに搭載し、皇居から東宮仮御所までの全区間を生中継。さらに17日からの伊勢神宮ご参拝も、テレビ・ラジオを通じて全国へ向け、歴史的な慶事の模様を各地へ届けました。
JNN(ジャパン・ニュース・ネットワーク)が発足
中部日本放送、名古屋証券取引所に上場
「中部財界人新春サロン」放送開始
「中部日本招待全日本アマ・プロ・ゴルフ選手権大会」を立ち上げました(6月1日・2日)。競技の模様は全国に放送されましたが、VTRなしの全編生放送は苦労の連続。用語の解説を盛り込んだり、各選手のスコアを会場内に臨時に引いた電話で随時、収集することもあったといいます。この大会は現在まで続く「中日クラウンズ」の原点で、民間主催のゴルフトーナメントとしては日本で最も長い歴史があります。
アメリカ・ABC放送からの依頼を受けて、1961年7月に中日球場で行われたプロ野球オールスターゲーム第1戦の全米・カナダ向け中継録画を制作・提供。日本のスポーツを紹介する番組とし、米国から5名のスタッフが来日してCBCの技術陣と共同で収録しました。
1957年開始の「今晩の家庭料理」、1958年からの「料理手帖」を経て、1962年12月に「キユーピー3分クッキング」がスタート。「天気予報のように毎日の献立づくりに役立ちたい」との思いから、お昼の5分枠(正味3分)でスタートしたことがタイトルの由来です。当時はテレビ局のネットワークや流通網が未発達で、地域によって家庭で入手できる食材が異なっていたため、CBCだけでなく全国の複数の放送局がそれぞれの地域に向けて独自に番組を制作していました。現在でも続き、CBCテレビでの最長寿番組です(2位は「サンデードラゴンズ」)。
この年10月の東京オリンピックの放送を見据えて、9月1日からテレビのカラー放送をスタート。社内のスタジオ設備や機材などカラー化の準備を積極的に進めました。
「0時半です、松坂屋です、カトレヤミュージックです」放送開始
CBCは数多くの子ども番組や音楽番組を制作・放送してきました。その代表的存在が「どんぐり音楽会」。小学生が出演して歌や楽器演奏を披露し、トップ賞を選ぶというもので、多くの子どもたちに歌う楽しさを届けました。(1983年終了)
世界的バンド「ザ・ビートルズ」唯一の日本公演(6月30日~7月2日)を、読売新聞社と共催。海外とのつながりを持ち、外貨も有していたCBC事業部と、アーティスト招へいにパイプがあった協同企画エージェンシー(現・キョードー東京)とが実現させた伝説の公演の模様は、7月3日にCBCテレビでも放送されました。
スタジオに集まった小学生が赤と白の○×帽子を被って答える、名物クイズ番組「天才クイズ」。答えを発表する博士は当初、ロボットでした。2004年9月のレギュラー放送終了後、2023年からは「新天才クイズ」として不定期で放送中です。
1967年からはCBCの各番組でも本格的なカラー放送が実施されました。
1968年、世界の一流楽団を招へいする「CBCオーケストラシリーズ」が始まりました(2000年ごろまで)。創業者・小嶋源作は第1回の挨拶文で、地域社会の文化向上に寄与する事業として「音楽」を掲げています。CBCは開局以来、クラシックからポピュラーまで世界の一流音楽家を日本に招き、上質な音楽芸術を提供してきました。
3月31日深夜から、それまで深夜1時30分で終了していたラジオ放送を終夜放送へ。「CBCヤングリクエスト」を2時まで延長し、その後は「オールナイトCBC」を早朝4時50分まで放送。深夜ラジオが盛り上がっていた時代で、「ヤングリクエスト」への投書は多いときには月に2万通にも上りました。1972年10月10日からはニッポン放送から「オールナイトニッポン」をネット開始しました。
3月31日から、ローカルワイドショー「この街はこの風は」をスタート(午後2時15分~3時、1972年3月終了)。生活の話題から社会問題まで取り上げながら、スタジオトークで深堀りするスタイルが人気を博しました。
1970年からはゲスト歌手が生で歌う形式となり、荒井由実、八代亜紀、松山千春、山口百恵ら、来名歌手のほとんどが出演。「新人の登竜門」と呼ばれて親しまれました。
1970年3月14日、アジア初の国際博覧会が大阪で開幕。開会式の中継特番「幕ひらく日本万国博」は、全民放テレビが系列の枠を越えて初めて一つの番組に結集した歴史的な放送となりました。CBCはアメリカ館などを担当し、3時間の生放送を行いました。
新しいキャッチフレーズ「CBC&YOU」が制定され、3月15日からお目見えしました。「CBC」を頭につける強い印象や、モダンで若者向きの「YOU」という言葉、優れたデザイン性や聞こえの良さが特徴です。若者のイメージで強く印象に残る「朱色」が採用され、テレビ番組のタイトル変更をはじめ、印刷物や看板、ユニフォーム、中継車やテレビカメラなど、あらゆる分野で活用されていきました。
開局以来使ってきた「CBC」のロゴを、現在でも使われているものに刷新。12月25日のCBC会館の外装工事に合わせて、外壁にロゴがお目見えしました。美術課の社員によるデザインで、その後1982年に線が太くなるアレンジが加わり、いまに至ります。
中日ドラゴンズ、20年ぶりの優勝
巨人のV10を阻止して優勝したこの年のドラゴンズの快進撃に合わせるように、ラジオ番組「ばつぐんジョッキー」に送られた歌が大ヒット。現在でも選手の名前を入れ替えて歌われる、定番の応援歌になりました。
1974年10月1日、30分のローカルニュース番組「CBCニュースワイド」が放送開始しました(午後6時~6時30分)。それまでのストレートニュースから中継や映像を交え、地元の話題を伝える構成とし、注目を集めました。放送初回では道行く人に「幸せですか?」と尋ねて歩く中継を敢行し、話題に…。番組は1999年4月まで続き、夕方の情報・報道番組は現在の「チャント!」「newsX」につながっています。
1974年11月1日、「キユーピー3分クッキング」の番組テキストが発売を開始しました。当初はA5サイズで2月に1冊の刊行でしたが、その後A4サイズへのリニューアルや、1980年7月からの3か月に1度の刊行を経て、2017年7月からは月刊化されるなど、長きにわたり多くの家庭の台所を支え続けてきました(2027年3月で休刊)。
曜日替わりのパーソナリティが持ち味を生かしたトークと若者向けの音楽でつづるヤング指向の深夜ワイド番組「今夜もシャララ」(平日午後11時~翌0時30分)が、4月4日にスタートしました。
当時としては破天荒な1時間の生放送番組「土曜9時ハン ただ今参上!」(土曜午前9時30分~10時25分)が、7月2日にスタートしました。約7kgの初期のハンディカメラをケーブルで中継車につなぎ、スタッフ総出で支えながら町内を駆け回るスタイルは、初めは戸惑いの声もあったものの、その意外性とライブ感で大人気番組となりました。12年間にわたり愛されたこの番組で培われた制作ノウハウは、その後の番組へとしっかりと受け継がれていきました。
1966年のビートルズ招聘をはじめ、CBCが海外のアーティストとの事業に盛んに取り組んでいたことから、この年、名古屋で世界的アーティストの公演を定期的に楽しめる機会として「名古屋国際音楽祭」が始まりました。約半世紀が経った現在も、春から初夏にかけて、愛知県芸術文化センター等で定期公演が行われています。
放送エリア内を移動し、中継で伝えるラジオの「レポートドライバー」がこの年、誕生。1期生は7名の女性で、アンテナやケーブルを積んだ「レインボーカー」で各地を巡りました。1985年には創立35年記念で東海3県の257市町村(当時)を制覇。2024年に「レポートキャスト(レポキャス)」と呼称を一新し、現在も続いています。
10月3日、CBCホールを会場として、単独では初となる「CBCラジオまつり」を開催。前夜から徹夜組も出るほどの熱狂的な盛り上がりを見せ、大入りとなりました。パーソナリティによるバラエティやマジックショー、人気アイドルが登場するステージが繰り広げられ、現在でも続く、CBCラジオとリスナーとが交流する看板イベントとなりました。
日曜日のドラゴンズ応援番組「サンデードラゴンズ」が10月2日、放送開始。前年のドラゴンズ優勝を受けて始まった「夕刊ドラゴンズ」が源流で、放送時間やテイスト、MCを代えながら、この地域をファンとともに盛り上げ続けています。
中日クラウンズ 第25回大会にJ.ニクラウスが登場
創立35周年 ラジオで35時間の生放送を実施
4月に平日深夜のニュース枠を新設し「CBC情報デスク」として放送開始(午後11時45分~翌0時30分)。朝刊制作が行われる中日新聞からの中継を盛り込み、デスクが翌日の紙面を紹介しました。9月に「おやすみニュースワイド」と改題しながら、深夜帯の情報需要の開拓に挑戦した番組でした。
中日クラウンズ 尾崎将司が初優勝
バブル期真っ只中の1988年、CBC初の本格的な深夜帯バラエティ番組がスタート。ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、爆笑問題、今田耕司・東野幸治ら、次世代を担う若手芸人をいち早く起用しました。漫才やコントに音楽ライブを加え、さらにお色気もまぶしたバラエティ「デイブレイク」、運行中の地下鉄でロケをした「てなもんやWARS」、アメリカの放送局が日本のディープな一面に密着する…という設定のバイリンガル番組「BAD TUNING」など、「バカバカしい企画を大真面目にやる」実験的な番組が続々と誕生。今ではここに書けない危険ネタも多めな、バブル期ならではの熱気で深夜のテレビを大いに賑わせました。
8月31日にマジック「25」が点灯して以降、10月7日のヤクルト戦に勝ったことで中日ドラゴンズが優勝。星野監督の下での初優勝となりました。翌日の未明から、テレビ・ラジオそれぞれで優勝特番を放送しました。
名古屋市制100周年を祝うイベント向けにFM局を開設。英語によるDJが在日米軍向けラジオ「FEN」しかない時代に、アメリカにジングルを発注してニューヨークからDJを呼び寄せました。毎週末、スタジオ前にファンが押し寄せてディスコ状態。大きな熱狂を生みました。
CBCアナウンサーが歴代最多の42人だった1989年。全員が集合した、きわめて珍しい集合写真が撮影されていました。後列には久野誠アナ、右端には小堀アナ。前列には水分アナの若かりし頃の姿も確認できます。
「ハートにオンエア」CBC初の局キャラ 宇宙坊やが誕生
CBCの夕方を盛り上げた伝説の番組「ミックスパイください」が3月26日からスタート(平日午後5時~6時)。小堀勝啓アナウンサーによる軽妙なトークの一方で、湾岸戦争や「オウム」、阪神大震災など、時勢に応じてニュースも報じる姿勢で、看板番組へ上り詰めました。
1991年開始の「正解るんです」から、今田耕司、東野幸治による番組シリーズがスタート。
株式会社シービーシーヴィジョン設立。
「サンデードラゴンズ」500回記念でアシスタント総出演
「今田・東野の血が騒ぐ」が終了。
政治経済から身近な話題、下ネタまで取り扱う「つボイノリオの聞けば聞くほど」が10月4日、放送開始。
ボクシング「薬師寺・辰吉戦」名古屋地区平均視聴率52・2%
土曜の朝に、生放送とVTRを交えて地元情報を伝えるスタイルを確立したともいえるのが「興味のルツボ」(9時25分~10時20分、のちに「興味の生ルツボ」へ)。
初のラ・テ共通キャンペーン「Dela Sosol(デラ・ソソール)CBC」。ラジオ・テレビ共同で使うCM曲は東京バナナボーイズが作曲し、アニメーションはイラストレーターの田中秀幸さんが制作。キャンペーンは1年間続き、民放連賞テレビCM第1種部門で最優秀賞を受賞しました。
キャンペーン「ぱっかウケCBC」で「ぱっか馬之助」誕生
自社公式ホームページ開設
この年の3月に完成したナゴヤドーム。
テレビ中継も4月6日の中日戦中継からドーム発に切り替わりました。
9月28日には大規模クイズ大会「超Q IN DOME」を開催。9万人以上の応募から選ばれた2万人がドームに集まり、収録は5時間に及びました。
鶴瓶と名優がアドリブでぶつかる 「スジナシ」放送開始
ローカル深夜番組としてスタートした「スジナシ」は、笑福亭鶴瓶と毎回異なるゲストとが、事前の台本=「スジ」なしでぶっつけ本番の即興芝居に挑むバラエティ番組。
現在の「CBC会館」南に位置する「CBC放送センター」が完成、11月から稼働しました。放送のデジタル化を見据えた機能集約が目的で、その後2015年には南東の一角が新たに増築されました。
「ユーガッタ!CBC」放送開始。「ミックスパイください」と「CBCニュースワイド」で盤石の人気を博した夕方の時間帯を統合し、全国ニュース枠も含めた2時間枠としたのが「ユーガッタ!CBC」(平日午後4時50分~6時55分)。各地の夕方の情報番組がワイド化していたことを受けての挑戦でした。
番組は1999年まで続きました。
1999年にはぎんさん宅を舞台に、あえて娘である4姉妹(当時、平均年齢80歳)に注目。何気ない会話に焦点を当てたドキュメンタリー「えんがわ」を制作し、文化庁芸術祭など多数の賞を受賞。
TBS系列の「ドラマ30」枠でCBC制作23作目となった「キッズ・ウォー~ざけんなよ~」シーズン1が8月2日にスタート。シリーズは同枠で異例のヒットを記録し、のちにゴールデン・プライムタイムでの特番も制作されました。現在でも、TVerなど各プラットフォームで不定期配信され、根強いファンに支持されています。
99年10月からの「ネッパ者」で再び深夜番組となり、「ノブナガ」「本能Z」(2020年3月終了)まで続きました。
本格的なデジタル時代への対応と新たなビジネスモデル構築の第一歩として「CBCデジタルセンター」が発足。ホームページの強化やデータ放送の実験、インターネットビジネスの展開、携帯端末向けサイトのスタートなど、放送の枠を超えた事業を推進しました。「hicbc.com」のドメインもここから始まりました。
50周年 新キャッチコピーは「@(あっと)いわせる.CBC」
2000年9月11日、東海地方に甚大な被害をもたらした「東海豪雨」。CBCは当日の夕方から特番体制を組み、総力を挙げて情報収集と現場取材にあたりました。浸水した避難所や河川の決壊現場など、被害の実情を連日報道したほか、10月9日には発生から1か月を受けた特集番組を放送しました。
ワッキーが街の人と地名でしりとりし旅した「ノブナガ」の名物コーナー。日本中を飛ばされ続けること3年10か月、304日502か所のロケ、全国24万7千キロの旅。全国22局で放送されたほか、書籍・DVD化なども行われ、多くの視聴者に愛された企画でした。
2001年4月、土曜午前~昼にかけて放送されたワイド生番組「晴れ♡どきドキ晴れ」が放送開始。「ラジオの生ワイドのテレビ版」を指向し、板東英二さんをはじめとする出演者とアナウンサー陣による軽妙な掛け合いや、ニュース・生通販を内包した長時間ワイドとして親しまれました。
2001年7月、小泉旋風下の参院選投票日前日にCBCが始めたのは、新キャラクター選挙。大混戦の末に9月1日、癒やし系の「しび・しだぞう」氏が初当選を果たしました。この「選挙」ではデジタル新時代における双方向の試みとして携帯電話による投票を導入し、若い世代をはじめ、多くの支持を集めました。
2002年4月、平日朝の全国ネット情報番組「おはよう!グッデイ」内のローカルゾーンとして、「グッデイCBC」がスタートしました。メインMCに入社3年目の石井亮次アナを起用し、「主婦層のアイドルに育てる」という制作方針のもと、柔軟な構成でアナウンサーと共に番組の成長を目指しました。
株式会社テクノビジョンに社名変更。
2003年12月1日午前11時、高精細映像やデータ放送が売りの地上デジタル放送がスタート。特番「デジタル放送まつり」を放送して盛り上げました。これに伴い、1961年以来テレビ電波を発信してきた名古屋市のテレビ塔(現・中部電力 MIRAI TOWER)から、瀬戸市の瀬戸デジタルタワーへと送信所が移行しました。
映画「ULTRAMAN」公開
テレビシリーズ「ウルトラマンネクサス」(毎週土曜午前7時30分~8時)の全国ネット放送とともに、映画「ULTRAMAN」の製作に出資しました。CBCが映画ビジネスに参画するのは、1983年公開の「アイコ十六歳」以来。劇場公開とテレビ放送を連動させるこの取り組みを契機として、IP・コンテンツビジネスの本格的な展開をスタートさせました。
2002年開始のキャンペーン「いっしょに歌お!CBCラジオ」から、夏川りみ「涙そうそう」や平原綾香「Jupiter」等のヒット曲が誕生。2004年には、市内6会場を結ぶ「FREE LIVE!」を開催し、ラジオでの7時間生放送イベントとして、その後5年間続きました。
1967年の放送開始以来、東海地方の子どもたちに愛され続けた「天才クイズ」が37年の歴史に幕を下ろしました。9月25日に「100校対抗最終回スペシャル」を放送し、大勢の参加者で大きな盛り上がりを見せました。2023年からは「新天才クイズ」として不定期放送中です。
「愛・地球博」に際し、CBCはZIP-FMと公式FM局を共同運営。万博の会期1か月前の2005年2月25日に開局し、会場の話題をはじめ交通情報も提供。また全国のラジオ局に先駆け、楽曲やCMをファイル化してサーバー経由で送出したことにも注目が集まりました。最終日の9月25日には、LOVE PSYCHEDELICOが出演してステージ「フェアウェルパーティー」を開催しました。
3月25日から9月25日まで開催された「愛・地球博」では、中日新聞社ら計7社と協力してパビリオン「夢見る山」を出展しました。ほか、平日の午前には「まるっと万博」を編成し、連日、長久手会場から生中継しました。
夕方のニュース・情報番組を刷新し、「イッポウ」がスタート。ニュースをいち早く伝える「一報」にこだわり、視聴者の視点に「一歩」でも近づきたいという姿勢を番組名に込め、地域ナンバーワンの報道番組を目指しました。
ケータイでテレビの新文化「ワンセグ」の普及
キャラクター「ころんちゃん」誕生
中日ドラゴンズがリーグ2位ながらクライマックスシリーズを制し、勢いそのまま53年ぶりの日本一に。CBCでは日本シリーズを中継したほか、記念DVD「中日ドラゴンズ日本一記念盤 感動の軌跡2007」を製作・発売しました。同作はオリコン週間ランキングで歴代野球関連DVDの販売枚数1位(当時)を記録。中国で海賊版が出回るほどの反響を呼びました。
これまでの土曜午前の情報番組の集大成が、現在も続く「なるほどプレゼンター!花咲かタイムズ」。東貴博&友近のコンビは週末の顔としてすっかり定着。スタジオとVTRに出演していたリポーターには、ハリセンボン・渡辺直美・ゆりやんレトリィバァなど、豪華な面々が!
松坂屋提供の「カトレヤミュージック」は、2008年まで43年間(全1万5261回)続いた長寿番組。
2009年4月からはTBSでもレギュラー放送を開始し、東京・紀伊國屋ホールでの「劇場スジナシ」の開催や、DVDシリーズの展開など、深夜枠の枠を超えて大きな足跡を残しました。
第51回中日クラウンズ・最終日(名古屋ゴルフ倶楽部 和合コース)、石川遼選手(当時18歳)が驚異のバーディラッシュ。首位と6打差・18位からのスタートながら、前半9ホール中7ホールでバーディをマークして「28」。後半も5つのバーディをマークし、合計12バーディ。この日のスコアは「58」で、世界主要ツアーの最少ストローク記録を更新する歴史的なチャージで逆転優勝。中日クラウンズの歴史の中でも、最年少優勝、最大打差逆転優勝、1ラウンド最多バーディなど記録ずくめの快挙でした。
60周年キャッチフレーズ「ロココロ」
ぎんさん没後の2010年には、続編「えんがわ ~18年目の春」で日本民間放送連盟賞の最優秀賞を獲得するなど、シリーズを通して高い評価を得ました。
CBCラジオの番組制作業務を受託。
地上波ラジオ放送をインターネット経由で配信するサービス「radiko」に、中京地区のラジオ局が新たに参加しました。radikoは2014年にエリアフリー(有料サービス)、2016年にタイムフリーでの聴取サービスを開始し、放送波に次ぐ重要なインフラとなっています。
2011年7月24日正午、CBCテレビの地上アナログ放送が終了。同日23時59分には電波の送信を停止する完全停波を迎え、1956年のテレビ開局以来、半世紀以上にわたって続いたアナログ放送の運用が幕を閉じ、テレビ放送は「地上デジタル放送」へ完全移行しました。
株式会社CBCラジオに社名変更。
名古屋地区営業部を設立。
統一キャンペーン「ぴたっ。CBC」
CBCラジオの東京地区営業業務を受託。
14時・15時台にローカル情報番組を開拓した「ゴゴスマ」。当初は東海3県向けの生活情報番組でしたが、いまでは全国規模で「今」を届け、温かいコメンテーター陣がにぎやかに伝える、CBCの看板番組になりました。
中部日本放送 ラジオ事業を「株式会社CBCラジオ」に承継
中部日本放送より放送免許承継。
中部日本放送が全国で5番目となる認定放送持株会社に。テレビ放送事業は新たに設立した「株式会社CBCテレビ」に承継し、テレビ放送のコールサインも「JOGX-DTV」と改められました。
都市型難聴対策として、CBCラジオがFM補完放送(93.7MHz、ワイドFM)を開始。愛知県瀬戸市の三国山FM放送所から名古屋周辺をカバーしています。
「ゴゴスマ」TBSテレビで放送開始 初回は名古屋城空撮も
その後2015年には南東の一角が新たに増築されました。
CBCテレビが企画・主催して全国巡回した明治150年記念特別展「華ひらく皇室文化 —明治宮廷を彩る技と美—」。その最初の会場となった徳川美術館には、現在の天皇陛下である当時の皇太子さまにご来場いただきました。CBCが制作した皇室関連の展覧会へのご来場は、2011年の「宮廷の雅」に続く2回目となりました。
番組が大切にしている6月9日は、放送25年を迎えた2018年、「つボイノリオ記念日」に認定。
16時台のドラマ再放送を大転換し、地域向けの情報番組を充実。4月1日開始の「チャント!」は16時台からの3時間枠とし、途中に全国ニュースをはさみながらも「ゴゴスマ」から5時間連続で自社制作を行うことになりました。
コロナ禍のテレビ各番組 ソーシャルディスタンスを意識
70周年キャンペーン「未来にワクワクを」
「本能Z」(2020年3月終了)
その後、「ワイドFM」の開局などを経て、2021年1月10日にサービスを終了しました。
「キユーピー3分クッキング」放送開始60周年
実に11年ぶりとなる、ゴールデンタイムでのレギュラーローカル番組「太田×石井のデララバ」。2021年の単発番組での共演以来、息の合った掛け合いを見せてきた太田光・石井亮次の2人が東海地方を深堀りし、話題のスポットや地元企業・看板商品の「知らんかった」を紹介しています。
2004年にレギュラー放送を終えた「天才クイズ」。2023年からは「新天才クイズ」として復活しています。問題を出すのはおなじみ天才博士。小学生の皆さんの熱い挑戦を、CBCホールで待っています!
「シェアシェア」誕生
社内のプロジェクトメンバーが中心となってCBCのブランドメッセージを策定しました。メッセージの根底には、「真実と自由を求める」「価値の創造に生きる」「協同と責任をたっとぶ」というCBCの『綱領』があります。この精神を未来へ受け継ぎ、挑戦や変化に前向きな会社であり続けたい…そんな決意を表現しています。
2015年3月のTBSテレビでの放送開始以来、年々ネット局を拡大させてきた「ゴゴスマ」。2025年3月には25局目のネットとなる山形県・テレビユー山形での放送が始まりました。
17年ぶりとなる、CBCテレビ主催の局イベント「5チャン春祭り」を3月19日~23日の5日間、栄・久屋大通公園で開催。各番組にちなんだグルメや限定グッズ、関連のステージイベントを揃えて、大盛況となりました。公開生放送・公開収録など、テレビの現場を存分に感じられるイベントのほか、アナウンサーによるカラオケステージも実施しました。
ニュース
ニュースはありません。
公的データ
国税庁・基本情報3180001109729
- 商号又は名称
- 株式会社CBCテレビ
- フリガナ
- シービーシーテレビ
- 英語名
- 法人種別
- 301
- 住所
- 〒460-0007 愛知県名古屋市中区新栄1丁目2番8号
- 郵便番号
- 4600007
- 都道府県コード
- 23
- 市区町村コード
- 106
- 国外所在地
- 国内所在地(都道府県)英語
- 国内所在地(市区町村等)英語
- 国外所在地(英語)
- 法人番号指定年月日
- 2015-10-05
- 更新年月日
- 2018-07-13
- 変更年月日
- 2015-10-05
- 登記記録の閉鎖等年月日
- 登記記録の閉鎖等の事由
- 承継先法人番号
- 変更事由の詳細
- 最新履歴
- 1
- 検索対象除外
- 0
- 処理区分
- 01
- 訂正区分
- 1
- 商号又は名称イメージID
- 国内所在地イメージID
- 一連番号
- 3556101
経済産業省・gBizINFO3180001109729
- 法人番号
- 3180001109729
- 商号又は名称
- 株式会社CBCテレビ
- 商号又は名称(カナ)
- シービーシーテレビ
- 商号又は名称(英字)
- 登記記録の閉鎖等年月日
- 登記記録の閉鎖等の事由
- 登記住所
- 愛知県名古屋市中区新栄1丁目2番8号
- 郵便番号
- 4600007
- 都道府県
- 愛知県
- 都道府県コード
- 23
- 市区町村(郡)
- 名古屋市中区
- 市区町村コード
- 106
- 番地以下
- 新栄1丁目2番8号
- 組織種別
- 301
- 処理区分
- 01
- 訂正区分
- 1
- 状態
- 代表者名称
- 代表取締役 松波 啓三
- 資本金
- 従業員数
- 305
- 企業規模詳細(男性)
- 企業規模詳細(女性)
- 事業概要
- 放送法による一般放送事業(テレビの放送)
- WebサイトURL
- https://hicbc.com/tv/corporation/general/
- 創業年
- 事業種目
- G:情報通信業
- 設立年月日
- 2013-05-10
- 全省庁統一資格-資格等級
- ||A|
- 全省庁統一資格-営業品目
- 301
- 更新年月日
- 2018-07-13
- キー情報
- 3180001109729