| 1909-01 |
個人経営として創業した「千代田組」は100周年を迎えました。 |
| 1909-01 |
創業 : 1909(明治42)年1月 |
| 1909-01-02 |
千代田組創業。創業者・朝吹常吉は、東京の京橋区数寄屋町4丁目(現在の銀座5丁目)に店を開き、取締役社長に就任。父である朝吹英二の助言により千代田組と名付けた。当初の営業種目は「諸機械器具材料並びに油類の販売業」。 |
| 1912 |
芝浦製作所と特約販売契約を締結。国産第1号のモーター「芝浦モートル」の販売を全面的に委託される。 |
| 1913 |
九州に福岡支店を開設。 |
| 1914 |
仙台市に東北支店を開設。電気の需要が高まり、芝浦製作所製品の需要が増加。日本初の水車発電機、日本初の扇風機、日本初の誘導電動機が登場。 |
| 1914-03-09 |
日本初のエスカレーターが東京上野公園で開催された東京大正博覧会において試運転される。 |
| 1916 |
米国の飛行家チャールズ・ナイルズが模範飛行を公開する際、千代田組が販売を扱うガソリンが使用される。 |
| 1917 |
大阪支店を開設。支店の食堂兼寄宿舎も賃借。 |
| 1918 |
従業員数が15名から101名に増加。売上高も100,000円から3,000,000円に拡大。第一次世界大戦の影響で発電所建設計画の需要が高まる。 |
| 1918-07 |
設立 : 1918(大正7)年7月 |
| 1918-07-28 |
個人経営から株式会社へ組織を変更し、千代田組の株主総会を開催。 |
| 1919 |
東京本店、大阪支店、九州支店、東北支店、小倉出張所の5営業拠点を配置。 |
| 1920 |
金沢に営業拠点を開設。 |
| 1920 |
名古屋出張員事務所を開設し、荏原製作所「ゐのくち式ポンプ」の取り扱いを開始。産業用・揚水用・排水用など多種類のポンプを拡販し、荏原製作所との結びつきを強めていきました。 |
| 1922 |
茨城県の北東部に位置する石岡第一発電所。1911(明治44)年に竣工し、大正期の増設工事を経て現在は国の重要文化財に指定されています。 |
| 1923-09-01 |
関東大震災が発生。千代田組の本店事務所は災害を免れたが、20名の社員が住居や家財を失いました。 |
| 1924 |
名古屋に営業拠点を開設。 |
| 1924 |
東京本店に製紙用品部が新設され、製紙用パルプの輸入等に関わるなど製紙用品に関する特約が急増しました。椿本チエインと取引開始。機械用チェーン分野への転換を進めていた椿本チエインと代理店契約を締結。当時の椿本チエインは小規模工場の時代であり、千代田組本店に駐在員が派遣されていました。 |
| 1925 |
ラジオ放送開始に応じて、芝浦製作所のラジオセット小売りを開始する他、軽量書類金庫、スチール製デスクやロッカーなど取扱品を拡大。本社には、電機部、機材部、油部、雑貨部がありました。 |
| 1931 |
不況下の地道な販促・営業活動を行い、銀行の取り付け騒ぎが全国で発生する中、堅実方針を変えず、取引商品を拡大。1929(昭和4)年には、本店を丸ビルから帝国生命ビルに移転し、業績悪化に伴い芝浦製作所とタイアップし、単相小型モーターを使った農機具の拡販に乗り出しました。 |
| 1935 |
発電用機器などを納入していた矢作水力会社(現在の中部電力)や電機機器一切を納入していた矢作工業(現在の東亜合成)などさまざまな分野で、目覚ましい発展を遂げました。 |
| 1936 |
金輸出の再禁止が実施され不況に終止符が打たれ、満州事変により軍需産業を中心に経済が活性化。千代田組は芝浦製作所製品を中心とした電機機器、関連設備の納入が活発になり、セメント・窯業、ガソリン、電鉄関連などでも業績向上を重ねる。 |
| 1938 |
千代田組の銀座販売店を独立させ、現在の中央区銀座5丁目4番地で萬寿企業株式会社を創業。 |
| 1939 |
東京電気と芝浦製作所が合併し、「東京芝浦電気株式会社」が誕生。軍需に対応した生産が求められるようになり、自由な経済活動が制約される。 |
| 1941-10 |
萬寿企業総会が開催される。 |
| 1942 |
経済統制の始まり、萬寿企業設立。 |
| 1944-03-09 |
東京大空襲により、帝国生命ビルから日本橋に移転していた本店が焼失。 |
| 1945-08 |
第二次世界大戦終戦。 |
| 1949 |
戦前から取引のあったメーカーとの関係が徐々に復活。 |
| 1950 |
朝鮮戦争勃発により特需が発生し、経済復興とともに千代田組の売上が伸びる。 |
| 1955-03-12 |
創業者の朝吹常吉が逝去。 |
| 1958 |
創業50周年を迎える |
| 1964 |
テレビ、トランジスタラジオなどの電子応用製品や洗濯機、冷蔵庫などのモータ応用機器の量産体制整備と専用工場の新設。 |
| 1967 |
千代田重機株式会社を1967(昭和42)年設立 |
| 1968 |
1968(昭和43)年、IHIとの間で特約店契約の話が進められ、製品の拡販に注力。千代田組の機械部門は、ボイラ、クレーン、暖房・空調、コンプレッサに、それぞれの専任担当者を置いて対応し、強い絆を構築していきました。 |
| 1969 |
1969(昭和44)年、千代田組創業60周年を迎え、売上高が88億円に到達。 |
| 1969-06 |
1969(昭和44)年6月、約1,000坪の自社倉庫を新設し、一部を椿本チエイン製作所に賃貸しました。 |
| 1970-11 |
1970(昭和45)年11月、営業本部に技術室を新設。 |
| 1971 |
1971(昭和46)年、東京物流センターを設置し、本店倉庫部、本店物販部が新設されました。 |
| 1971 |
公害対策基本法を受け、千代田組は1971(昭和46)年、公害防止関係の機器を全社的に取り上げる方針を打ち出しました。また、人手不足や人件費高騰を解決するための省力関係機器にも着目。環境保全運動の高まり、省エネ・省資源の潮流をつかみ、売上を伸ばしました。 |
| 1973-02 |
円変動相場制に移行。戦後日本は、米ドルを基準に1ドル=360円の固定相場制を維持していましたが、1973(昭和48)年2月、変動為替相場制に移行。日本経済は、高度成長の段階を終え、低成長期に入っていましたが、「安価で高品質」を実現し、円安にも支えられて輸出を増大させていきました。 |
| 1973-10-18 |
石油危機について報道する記事。(日本経済新聞、1973(昭和48)年10月18日) |
| 1974 |
1974(昭和49)年度に売上高が382億円台だったが、1975(昭和50)年度に減益となるなどの影響を受けました。 |
| 1975 |
1974(昭和49)年度に売上高が382億円台だったが、1975(昭和50)年度に減益となるなどの影響を受けました。 |
| 1975 |
石油危機の影響により、インフレが加速し、石油関連製品を筆頭に小売物価、卸売物価が急騰しました。 |
| 1976 |
(昭和51)年 |
| 1977 |
本社に電子機器営業部が誕生。部長以下2名のスタッフでスタートし、ファクシミリ、オフィスコンピュータを取り扱いました。当時、コンピュータ導入は先進的な企業に限られ、ほとんどの企業ではファクシミリの名前すら知られていない状況。従来の販売方法、販売市場とは異なる新しい市場開拓への船出でした。 |
| 1978 |
半導体向け水処理装置分野への進出。電子・半導体向け水処理設備で使用される純水装置用工業用水、前濾過装置への需要が高まり、千代田組は、この分野に強みを持つ企業とタイアップ。大規模な設備案件での純水処理システムの一環受注を実現するなどの成果を上げました。 |
| 1979 |
OA機器営業部による拡販体制を整えました。 |
| 1984 |
メキシコに拠点を設立。メキシコ電力公社(CFE)、メキシコ中央電灯電力会社(CLYF)、メキシコ石油公団(PEMEX)の国際入札に参加するため、現地に合弁会社を設立しました。 |
| 1984 |
産業エレクトロニクス、メカトロニクスに属する機器の拡販に取り組み、売上高は1984年度に700億円台に達しました。 |
| 1985 |
(昭和60)年 |
| 1989 |
二段・多段式パーキング、シャトルパーキングシステムなどの種類があった立体駐車場。バブル期を迎え、ビル・施設関係の業績が飛躍的に伸張。商業ビルの電気設備、電源装置、中央監視システムなどが活性化し、昇降機設備、立体駐車場設備の需要も大きく伸びました。 |
| 1989 |
コンピュータシステム営業からソリューション営業へと移行し、情報システム営業部として営業強化を図りました。 |
| 1989 |
山崎宗一が社長に就任。21世紀の高度情報化社会に適合する企業を目指し、「中期計画CHISM・3000」が策定されました。 |
| 1989-04-01 |
1989年(平成元年)4月1日、日本ではじめて消費税が税率3%で導入されました。これに伴って、貴金属、毛皮製品、自動車、テレビ、冷蔵庫など、特定の贅沢品やサービスに税金をかける「物品税」の制度が廃止されました。 |
| 1990 |
「CHISM-3000」の社内説明資料。 |
| 1992 |
英文表示のみ「CHIYODAGUMI Ltd.」から「CHIYODA CORPORATION」とし、情報機器の営業関係で使用。それに伴いCIを実施し、社章マーク、イメージマークを制作しました。 |
| 1994 |
1994(平成6)年に千代田機電に社名変更 |
| 1995 |
阪神・淡路大震災が発生。1月17日、午前5時46分、マグニチュード7.3戦後最大の震災が発生。大阪市北区西天満のビルに入居していた関西支店も被害を受けました。 |
| 1997-09 |
香港が中国返還となった1997年9月に、千代田組全額出資の現地法人「千代田組香港有限公司」を設立。海外において直接売買業務ができる独立法人として設立されました。 |
| 1999 |
事業構造の見直しを行い、電力、情報システム、機械製品、標準品の営業を強化し、さらなる拡大を目指しました。 |
| 2001 |
ISO14001環境マネジメントシステムの認証取得のための活動をスタートし、2001年5月に認証を取得しました。 |
| 2006 |
2006(平成18)年に施行された「会社法」を受け、内部統制システムの構築を実施。これまで自主独立的に経営のほぼ全般を任せていたグループ会社にも、千代田組のグループ会社としての意識付けと共同戦略による相乗効果を狙い、より強固な相互関係の構築に取り組みました。 |
| 2009 |
2009(平成21)年、創業100周年祝賀パーティー。創業者の生涯をパネルで紹介するコーナーなど、古い貴重な資料も展示されました。 |
| 2011-12-21 |
設立2011(平成23)年12月21日 |
| 2016-01-04 |
設立2016(平成28)年1月4日 |
| 2016-01-08 |
設立2016(平成28)年1月8日 |
| 2016-03-02 |
設立2016(平成28)年3月2日 |
| 2017-12 |
株式会社ヤマナカ【2017(平成29)年12月】 |
| 2019 |
2019年、ブランドタグラインとして「つなぎ つむいで 組 なかま とつくる」を策定。 |
| 2019-07 |
千代田冷熱システム【旧・株式会社フジコー環境システム、2019(令和元)年7月】 |
| 2019-12 |
株式会社マイダス【2019(令和元)年12月】 |
| 2020 |
2020(令和2)年 コロナ流行 |
| 2020-06 |
ジャパングリッドギア株式会社【2020(令和2)年6月】 |