創始者、島田孫市は明治政府がガラスの国産興業の礎として築いた品川工作分局に入局する。英国人技師J.スピートより最新の舶来吹きのガラス食器生産の指導を受け、後に全国へ広めることに努力。島田は生産技能だけでなく、当時秘伝の原料の調合法も学び、基礎知識を培った。
大阪川崎村で島田硝子製造所を創業。『舶来吹き』の技術を生かした食器やランプを生産。大変優れた品質で、業績を伸ばす。
東京神田に佐々木宗次郎商店を創業。日本のガラス工業はランプの国産化ではじまり、同店も営業の主体を石油ランプとし、ハワイ、中国、東南アジア諸国へランプを輸出。国内にも販路を拡張、全国的な卸問屋となる。
大阪海老江に最新技術を取り入れた新工場を建設。特に窯は当時の最先端で、ドイツのものと比較しても劣らず、国内で特許を取得する。
灯りがランプから、ガス灯、電灯へと代わっていくにしたがい、食器類を販売の主体とする。
増大する食器類の需要に応えるため、直営工場の稼働を開始し生産から販売まで一貫体制をとる。
米国より最新鋭の全自動押型機を導入し、タンブラーの製造を開始。最新鋭の重油燃焼タンク炉とあいまって、高品位な商品を量産する。
ガラス専用焼付顔料を開発し、手描きによる焼き付け加工を開始。後のガラスプリント加工の前身となる。
鉛クリスタルガラスの量産化に成功。当時、市場にほとんど出回っておらず、日本での草分けとなる。
色被せカットガラスの量産化に成功。欧州品と遜色ない品質で、米国への輸出を開始する。
食料品缶詰代用の容器としてガラス製アンカーコップの製造を開始。 当時生産統制下で不足していたブリキの代用として大量に使用される。
ガラスへの印刷機を発明し、日本初のスクリーン印刷による生産を開始。この加工方法は特許となり、日本のプリントグラスの印刷の礎となる。
占領軍向けの照明ガラスの納入を受け持ち、生産に力を注ぐ。
日産10万個のタンブラー製造が可能なH28マシンをアジアで初導入。安価で高品質のタンブラーの大量供給が可能になる。
大阪海老江工場にオートメーション製造機H-28マシンを導入。
日本初の食器用口部強化グラス「HS ハードストロング」の生産を開始。安全性と豊富な品揃えで業務用市場を席巻し、現在もトップブランドであり続けている。
プレス成形機MDP-24-30ダブルマシンを導入。一度に2個の製品がプレス成形できる新鋭機で、安価で高品質の皿鉢が大量供給可能になる。
TBM-18マシン導入。ガラスを金型にほとんど押し付けずにタンブラーを成形できることで、生地肌の美しい高品位グラスの生産が可能になる。
最高級クリスタルガラスの生産を行う無公害の最新鋭工場を東京墨田に竣工。ここで培われた技術と職人は、後の新工場へと受け継がれる。
国産初の食器用強化グラス「HS ハードストロング」が、1967年(昭和42年)の発売より50周年を迎える。
「HS ハードストロング」が1967年(昭和42年)の発売より50周年を迎える