| 1947-07-01 |
柔道界の大同団結のために発展的解消を目指し、講道館柔道有段者会総会が東京・工業クラブで開かれ、館長(有段者会総長)の指名により全国組織結成の準備委員会が発会した。 |
| 1949-05-04 |
「講道館有段者会」と「全日本柔道連盟結成準備委員会」が東京・丸の内工業クラブで開かれ、柔道有段者会の発展的解消並びに全柔連規約原案を承認して全日本柔道連盟が結成された(以下、全柔連)。 |
| 1949-06-08 |
嘉納・全柔連会長名で連合国軍総司令部マッカーサー元帥へ文書を提出した。 |
| 1949-10-03 |
理事会により決定(事務局長・澤逸與 兼講道館総務部長)。日本体育協会仮加盟により、同協会アマチュア規程に準拠して、アマチュア資格審査委員会において、「一般競技者(アマ)と職業柔道家(プロ)に関する規程」を定めた。第1条「収入を目的としないで柔道を愛好するためにのみ柔道の競技をなす者を一般競技者とする」 |
| 1949-10-26 |
同年7月15日付で加盟申請書を提出していた。 |
| 1949-10-28 |
全柔連結成記念大会として挙行。関ケ原を境に東軍6区24都道県、西軍4区22府県、東西各30選手により勝ち抜き試合で勝敗を争った。西軍3将・松本安市が東軍大将・羽鳥輝久を大外刈で降し、西軍優勝。 |
| 1960-11-18 |
全日本実業団柔道連盟が発足。全国実業団体育連盟の柔道部会を発展的解消し結成。 |
| 1961-02-04 |
全柔連専門委員会発足。理事会において、東京オリンピックに備えて「柔道オリンピック審議会」及び「柔道オリンピック特別委員会」の設置を決定。 |
| 1961-03-02 |
「講道館柔道試合審判規定」の適用(準改正) |
| 1962-03-12 |
「講道館柔道試合審判規程」の適用(準改正) |
| 1962-06-03 |
財団法人全日本柔道連盟設立準備委員会及び設立発起人会 キャピトル東京ホテルにおいて開催。寄付行為、理事選出、基金の寄付など財団設立許可申請に必要な全ての事項を協議の上可決した。6月8日には、許可する旨の文書が下付された。 |
| 1962-06-08 |
財団法人として全柔連が発足 昭和57年より法人化に取り組み、38年ぶりに法人格を有した(専務理事・神永昭夫、事務局長・山本信明)。 |
| 1962-07-19 |
全柔連、審判委員選考委員会を設置 |
| 1965-05-03 |
全柔連理事会・評議員会 |
| 1972-04-03 |
昭和28年5月より「特別加盟」。47年5月15日を以って日本への復帰が認められることになり、いち早く沖縄県柔道連盟から正式加盟の手続きがなされた。4月30日の全柔連評議員会において、日本復帰の5月15日付をもって加盟承認と決定した。 |
| 1977年01月 |
女子柔道試合実施へ 全柔連理事会は、講道館女子柔道の修行目的を崩さない方法で女子試合を行う方針を固め、さしあたり各都道府県連盟(協会)、またはその下部組織で女子試合を実施し、全日本大会の開催や国際試合参加のための底辺固めを行うことを決定した。 |
| 1978-11-18 |
全柔連創立30周年記念十地区対抗柔道大会(講道館) 団体5人点取り試合のトーナメント方式で行われ、決勝で東京(藤鷹浩一郎、斎藤仁、加瀬次郎、長谷川育男、小野沢弘史)が関東を降し優勝。 |
| 1980年01月 |
嘉納履正・全柔連会長(講道館長)辞任 前年12月14日の講道館維持員会において辞意を表明。1月11日の全柔連理事会において辞任が承認され、1月末を以って退任。 |
| 1984-04-01 |
全柔連、法人化検討委員会 国会議員、日体協役員、学識経験者の新委員を加え、寄付行為の内容について審議することとした。 |
| 1984-04-03 |
全柔連評議員会 法人化検討委員会の設置を決定。 |
| 1984-07-19 |
寄付行為、設立当初の理事を含む等々を審議可決し、法人設立許可申請書の提出準備が全て完了した。 |
| 1988-04-01 |
全柔連登録制度スタート 本年度は「指導者資格登録制度」と「特別会員資格登録」のみ実施し、次年度より全面実施。 |
| 1988-04-03 |
柔道界の紛争解決 30日全柔連、全学柔連とも別々に評議員会を開き、先に国会議員柔道連盟がまとめた「全柔連の法人化、全柔連と講道館の分離」を骨子とする最終調停案を双方が受入れることを決めた。なお、全学柔連と全大学柔連の組織一本化については、第三者の斡旋介入を断り、両団体間で話し合いによって解決することとした。全柔連は理事会、評議員会において、従来の主張通り「一本化へは全柔連が主体をもつこと」を確認。 |
| 1988-06-26 |
「全日本柔道連盟競技者規則」実施 「日本体育協会スポーツ憲章」昭和61年5月7日施行にともない。従来の「全柔連アマチュア」規定に代わり制定した。 |
| 1988-11-03 |
全柔連臨時評議員会 IJF理事会決定「IJFFは全柔連に加盟していない日本国内のいかなる団体も承認しない」に基づき、全日本学生柔道連盟に関して三項目の決定を行った。 |
| 1991-03-15 |
1995世界選手権日本立候補へ 全柔連評議員会で、1995年の世界選手権大会開催に立候補する案を承認した。7月のIJF総会で先に表明しているキューバ、フランスと競合するが、日本開催が決定すれば1958年以来37年ぶりとなる。 |
| 1991-12-28 |
全柔連、山本信明・事務局長 辞任 |
| 1993-03-21 |
全柔連、神永昭夫・専務理事 逝去(56) |
| 1993-04-01 |
全柔連、鳥海又五郎・事務局長 就任 |
| 1995-04-01 |
1995年世界柔道選手権大会事務局開設 |
| 1997-03-21 |
全柔連専門委員会 理事会並びに評議員会において「専門委員会規定」が定められ、専門委員会は総務(財務から名称変更)、登録(特別から常設に)、広報、教育普及、審判、強化(国際試合選手強化から変更)、国際、医科学の8委員会となった。 |
| 1997-03-22 |
日本学生柔道連盟が社団法人化。文部省より、(社)全日本学生柔道連盟設立が許可された。 |
| 1997年11月 |
全柔連は「柔道衣と畳に関する提案」として国際シンポジウム(20日講道館)と嘉納杯大会のなかでデモンストレーションを行った。柔道衣に関しては下穿の側面に赤、青のラインを入れた物や、紅白紐を結ぶ代わりに、黒帯を締めずに赤、青帯を締める案も示した。また、将来的に見据えて、カラー畳も発表した。 |
| 1997年12月 |
全柔連「柔道衣検討委員会」設置。IJFの「カラー柔道衣採用については各大陸連盟で実際に使用した結果をもとに判断したい」という決定をうけて、カラー柔道衣の是非を検討するために設置を決定した。 |
| 1997-12-01 |
全柔連理事会と評議員会において、IJFのなかで孤立化を避けると共に、選手強化の面からボイコットは出来ない。また、カラー柔道衣反対の立場で参加して、その欠点の裏付けをとる、としてカラー柔道衣の試験的採用が決まっている欧州の一連の国際大会への選手派遣を決定した。カラー化反対の立場は不変。 |
| 1998-08-17 |
「柔道衣を着ないでゲーム感覚で直接、子供たちと全柔連のコーチ・選手が交流を持とう」というコンセプトで全柔連広報委員会によって企画された。1998(平成10)年から強化委員会とジョイントしてパワーアップ。若干の内容変更の結果、全国5ブロックで行なわれるジュニア強化合宿の付帯イベントとして開催されることとなった。 |