| 1869年 |
創業者 相馬愛蔵、長野県安曇野市穂高に誕生。相馬家は祖父の代まで庄屋を務めていた地元の名家で、愛蔵は1歳にも満たないときに父が亡くなり、兄に育てられ養嗣子となる。 |
| 1869年 |
明治時代(1870年~)に中村屋の創業が始まったと推測されるが、具体的な創業年の記載はない。 |
| 1869年 |
創業者 相馬愛蔵、長野県安曇野市穂高に誕生 |
| 1874年 |
創業者 星良(黒光)、父 喜四郎、母 巳之治の三女として宮城県仙台市北四番町に生まれる。戊辰戦争後に没落し、貧しい生活を送る。1883年に片平丁小学校に入学し、仙台教会に通い押川方義に教えを受ける。 |
| 1874年 |
創業者 星良、宮城県仙台市北四番町に誕生 |
| 1883年 |
愛蔵、長野県中学校松本支校に入学。信州時代の友人たちと交流を深める。 |
| 1883年 |
愛蔵、長野県中学校松本支校に入学 |
| 1884年 |
愛蔵、上級の木下尚江と親交を結び、信州時代の友人たちと交流を続ける。 |
| 1884年 |
愛蔵、上級の木下尚江と親交を結ぶ |
| 1886年 |
愛蔵、東京専門学校(現 早稲田大学)に入学。 |
| 1886年 |
愛蔵、東京専門学校(現 早稲田大学)に入学 |
| 1889年 |
良、仙台東一番丁教会で洗礼を受ける。 |
| 1889年 |
良、仙台東一番丁教会で洗礼を受ける |
| 1890年 |
愛蔵、東京専門学校卒業後、北海道に渡り養蚕を学び、『蚕種製造論』を出版。信州の養蚕の盛んな土地柄に由来し、蚕の飼育と生産に貢献。 |
| 1890年 |
愛蔵、東京専門学校卒業後、北海道に渡り養蚕を学ぶ |
| 1891年 |
良、宮城女学校に入学。帰郷後、東穂高禁酒会を設立し、社会浄化や節制を推進。 |
| 1891年 |
良、片平丁小学校、東二番丁(高等)小学校を経て、宮城女学校に入学 |
| 1892年 |
良、宮城女学校を自主退学し、横浜のフェリス和英女学校に入学。 |
| 1892年 |
良、宮城女学校を自主退学し、横浜のフェリス和英女学校に入学 |
| 1894年 |
愛蔵、仙台を訪問し、島貫兵太夫と知り合う。島貫は牧師で日本力行会の設立者。 |
| 1894年 |
愛蔵、仙台を訪問し、島貫兵太夫を知る |
| 1895年 |
良、明治女学校を退学し、横浜のフェリス和英女学校から東京の明治女学校に転学。 |
| 1895年 |
良、フェリス和英女学校から明治女学校へ転学 |
| 1897年 |
愛蔵と良、結婚式を牛込の日本基督教会で挙げる。 |
| 1897年 |
愛蔵・良、結婚式を牛込の日本基督教会で挙げる |
| 1898年 |
長女俊子、1901年に上京するまで穂高に残る。俊子は後に画家の中村彝の絵のモデルとなる。 |
| 1898年 |
愛蔵・良の長女 俊子誕生 |
| 1898年 |
相馬安兵衛・愛蔵の勧めにより井口、穂高に研成義塾を創立 |
| 1900年 |
長男安雄、1903年に誕生。早稲田大学、ロンドン大学、ドイツで学び、盲導犬輸入のきっかけとなる。1948年に中村屋の二代目社長に就任。 |
| 1900年 |
巖本善治、良に「黒光」のペンネームを授ける(以後、黒光) |
| 1901年 |
愛蔵・黒光夫妻、穂高を出て上京し、本郷に中村屋を創業。1901年12月30日に本郷の東京帝国大学正門前のパン屋を居抜きで買い取り、店名もそのままに営業開始。 |
| 1901年 |
愛蔵・黒光、穂高を出て上京。本郷に中村屋を創業 |
| 1904年 |
中村屋、1904年に「クリームパン」「クリームワッフル」を創案し、発売。 |
| 1904年 |
「クリームパン」「クリームワッフル」を創案し、発売 |
| 1907年 |
中村屋、新宿に支店を開設。 |
| 1907年 |
新宿に支店を開設 |
| 1908年 |
彫刻家の碌山、1910年に血を吐き若くして亡くなるまで中村屋を訪れ、アトリエで創作活動を行う。碌山の遺作「女」像は重要文化財に指定されている。 |
| 1908年 |
彫刻家 碌山、頻繁に中村屋を訪問 |
| 1909年 |
中村屋、1909年に新宿の支店を現在地に移し、本店とする。日本風家屋に改築し、「ちん餅」など和菓子も販売開始。 |
| 1909年 |
新宿の支店を現在地に移し、本店とする |
| 1912年 |
大正時代(1912年~)に中村屋は活動を開始したと推測されるが、具体的な出来事の記載はない。 |
| 1926年 |
昭和時代(1926年~)に中村屋の歴史が記録され始める。 |
| 1927-06-12 |
1927(昭和2)年6月12日に喫茶部(レストラン)を開設し、純印度式カリーを発売。 |
| 1927-06-12 |
1927(昭和2)年6月12日にレストランを開設し、純印度式カリーを発売。喫茶部(レストラン)の開設とともに純印度式カリーを売り出すことを提案し、評判を博す。 |
| 1927-06-12 |
1927(昭和2)年に喫茶部(レストラン)が設けられ、「月餅」「天下一品支那饅頭」(中華まん)も登場。 |
| 1927-06-12 |
1927(昭和2)年にラス・ビハリ・ボースと俊子の結婚。結婚式は頭山満邸で親族と一部関係者のみが出席して行われ、写真にはボースと俊子、創業者相馬愛蔵と黒光、頭山満が写っている。 |
| 1927-06-12 |
1927(昭和2)年にラス・ビハリ・ボースと俊子の結婚式が行われ、写真には会場を別にして行われた披露宴の様子が写っている。 |
| 1927-06-12 |
1927(昭和2)年に喫茶部開設当日の記念写真が撮影される。 |
| 1927-06-12 |
1927(昭和2)年に喫茶部の開設とともに純印度式カリーが発売され、評判を博す。 |
| 1930年 |
1930(昭和5)年に雑誌『中村屋』を発刊し、社歌(『中村屋の歌』)も制定される。 |
| 1930年 |
1930(昭和5)年に雑誌「中村屋」が創刊され、社内報と社歌が制定される。 |
| 1931年 |
1931(昭和6)年にロシアの製菓技師スタンレー・オホツキーを採用し、多くのロシア菓子を販売。 |
| 1931年 |
1931(昭和6)年にロシア人菓子職人スタンレー・オホツキーを採用。 |
| 1933年 |
1933(昭和8)年から四季の絵をデザインした包装紙を使用し、同年にピロシキを発売。 |
| 1933年 |
1933(昭和8)年に四季包装紙の使用を開始。 |
| 1934年 |
1934(昭和9)年に日本で初めて水羊羹の缶詰を発売。 |
| 1937年 |
1937(昭和12)年に中村不折の書による『中村屋』の文字を商標登録し、企業内学校『研成学院』を設立。 |
| 1937年 |
1937(昭和12)年に中村不折揮亳の「中村屋」の文字を商標登録。 |
| 1938年 |
1938(昭和13)年に相馬愛蔵の著書『一商人として』を刊行し、欧州視察も行う。 |
| 1938年 |
1938(昭和13)年に相馬愛蔵が『一商人として』を出版。 |
| 1939年 |
1939(昭和14)年に株式を公開。 |
| 1940年 |
1940(昭和15)年に株式を公開し、同年にカリーパンを発売。 |
| 1940年 |
1940(昭和15)年にカリーパンを発売。 |
| 1945-05-25 |
1945(昭和20)年5月25日の東京大空襲により本店をはじめ寄宿舎、工場などすべてが灰燼に帰す。 |
| 1945-05-25 |
1945(昭和20)年5月25日の東京大空襲で本店をはじめ寄宿舎、工場などすべてが被災し焼失。 |
| 1948-04-22 |
1948(昭和23)年4月22日に戦後復興を成し、売店と喫茶室の営業を本格的に再開。 |
| 1948-04-22 |
1948(昭和23)年4月22日に戦後復興のため売店と喫茶室の営業を再開。 |
| 1950年 |
1950(昭和25)年に関東大震災から始まる社会貢献活動として、震災記念の特価販売を行う。 |
| 1951年 |
関東大震災(1923年)後の新宿で闇市が登場し、尾津組による不法占拠と闇市の形成があった。 |
| 1951年 |
1951(昭和26)年に笹塚(東京)工場が落成。 |
| 1952年 |
戦後の生産増に対応し、1952(昭和27)年に調布から笹塚に洋菓子工場を落成。 |
| 1953年 |
1953(昭和28)年に株式を東京証券市場に公開し、伊勢丹に直売店を出店、多店舗展開を開始。 |
| 1953年 |
1953(昭和28)年に株式を東京証券市場に公開し、連続式製パン機を輸入導入。 |
| 1954年 |
1954(昭和29)年に相馬愛蔵が83歳で死去し、同年に本店東館が営業開始。 |
| 1954年 |
1954(昭和29)年に愛蔵が死去。 |
| 1955年 |
1955(昭和30)年に黒光が79歳で死去し、寄付により老人ホーム『黒光ホーム』が完成。 |
| 1955年 |
1955(昭和30)年に黒光が死去。 |
| 1956年 |
1956(昭和31)年に「碌山」を発売。 |
| 1957年 |
1957(昭和32)年に東京証券取引所に株式を上場。 |
| 1957年 |
1957(昭和32)年に東京証券取引所に株式上場。 |
| 1958年 |
1958(昭和33)年に本店を改装し、神奈川工場が竣工。 |
| 1958年 |
1958(昭和33)年に本店を改装し開店。 |
| 1959年 |
1959(昭和34)年にQCを導入し、「カリー缶詰」「コールマンカリー」を発売。 |
| 1963年 |
1963(昭和38)年に大阪営業所を開設。 |
| 1967年 |
1967(昭和42)年に大阪証券取引所に上場。 |
| 1968年 |
1968(昭和43)年に「カリーライス誕生」(愛蔵・黒光の半生記)舞台公演が芸術座で行われる。 |
| 1968-11-01 |
1968(昭和43)年11月1日に神奈川工場が落成し、同年に『カリーライス誕生』の舞台公演が行われる。 |
| 1968-11-01 |
1968(昭和43)年11月1日に神奈川工場が落成。 |
| 1969年 |
1969(昭和44)年に全国ネットで朝のテレビドラマ『パンとあこがれ』が放映される。 |
| 1969年 |
1969(昭和44)年に全国ネットで朝のテレビドラマ「パンとあこがれ」(相馬夫妻伝)が放映される。 |
| 1970年 |
1970(昭和45)年に大阪万博に出展し、工芸菓子やレストランでの販売を行う。 |
| 1970年 |
1970(昭和45)年に大阪万博に出店し、工芸菓子「日本庭園」を展示。 |
| 1971年 |
1971(昭和46)年頃に全国に営業所を開設し、全国展開を本格化させる。 |
| 1971年 |
1971(昭和46)年に全国に営業所を開設し、全国展開を本格化。 |
| 1972年 |
1972(昭和47)年に本店を改装し、パック入りのカステラを発売。 |
| 1972年 |
1972(昭和47)年に本店を改装し、「パックカステラ」を発売。 |
| 1973年 |
1973(昭和48)年に福岡営業所を開設し、黒光製菓に出資し子会社化。 |
| 1973年 |
1973(昭和48)年に福岡営業所を開設し、黒光製菓㈱に出資し子会社化。 |
| 1975年 |
1975(昭和50)年にNC店制度が発足し、初のフランチャイズ店が開店。 |
| 1975年 |
1975(昭和50)年に中村屋チェーン(NC)店制度が発足。 |
| 1977年 |
1977(昭和52)年に(株)ハピーモアに出資し、子会社とする。 |
| 1977年 |
1977(昭和52)年に株式会社ハピーモアに出資し、子会社化。 |
| 1979年 |
1979(昭和54)年に本店を『シェモア新宿中村屋』としてリニューアルし、埼玉工場が落成。 |
| 1979年 |
1979(昭和54)年に本店を「シェモア新宿中村屋」として新装開店。 |
| 1979年 |
1979(昭和54)年に埼玉工場が落成。 |
| 1982年 |
1982(昭和57)年に南欧風レストラン『オリーブハウス』の1号店を開店。 |
| 1982年 |
1982(昭和57)年に南欧風レストラン「オリーブハウス」の1号店を開店。 |
| 1983年 |
1983(昭和58)年に株主優待制度を導入し、神奈川工場が竣工。 |
| 1983年 |
1983(昭和58)年に株主優待制度導入と神奈川工場竣工、カリーまんを発売。 |
| 1985年 |
1985(昭和60)年にピザまんを発売し、前年に発売したじゃがまるくんが『’84年日経・年間最優秀賞』を受賞。 |
| 1985年 |
1985(昭和60)年に「じゃがまるくん」を発売し、’84年日経・年間最優秀賞を受賞。 |
| 1986年 |
1986(昭和61)年にピザまんを発売。 |
| 1986年 |
1986(昭和61)年に「ピザまん」を発売。 |