株式会社中村屋
1923-04-01
TYO
Japan
和洋菓子の製造・販売
パンの製造・販売
飲食店の運営
〒160-0022 東京都新宿区新宿三丁目26番13号
島田 裕之
7,469,400,000  (74 億)
793 人

113 件
日付概要
1869年 創業者 相馬愛蔵、長野県安曇野市穂高に誕生。相馬家は祖父の代まで庄屋を務めていた地元の名家で、愛蔵は1歳にも満たないときに父が亡くなり、兄に育てられ養嗣子となる。
1869年 明治時代(1870年~)に中村屋の創業が始まったと推測されるが、具体的な創業年の記載はない。
1869年 創業者 相馬愛蔵、長野県安曇野市穂高に誕生
1874年 創業者 星良(黒光)、父 喜四郎、母 巳之治の三女として宮城県仙台市北四番町に生まれる。戊辰戦争後に没落し、貧しい生活を送る。1883年に片平丁小学校に入学し、仙台教会に通い押川方義に教えを受ける。
1874年 創業者 星良、宮城県仙台市北四番町に誕生
1883年 愛蔵、長野県中学校松本支校に入学。信州時代の友人たちと交流を深める。
1883年 愛蔵、長野県中学校松本支校に入学
1884年 愛蔵、上級の木下尚江と親交を結び、信州時代の友人たちと交流を続ける。
1884年 愛蔵、上級の木下尚江と親交を結ぶ
1886年 愛蔵、東京専門学校(現 早稲田大学)に入学。
1886年 愛蔵、東京専門学校(現 早稲田大学)に入学
1889年 良、仙台東一番丁教会で洗礼を受ける。
1889年 良、仙台東一番丁教会で洗礼を受ける
1890年 愛蔵、東京専門学校卒業後、北海道に渡り養蚕を学び、『蚕種製造論』を出版。信州の養蚕の盛んな土地柄に由来し、蚕の飼育と生産に貢献。
1890年 愛蔵、東京専門学校卒業後、北海道に渡り養蚕を学ぶ
1891年 良、宮城女学校に入学。帰郷後、東穂高禁酒会を設立し、社会浄化や節制を推進。
1891年 良、片平丁小学校、東二番丁(高等)小学校を経て、宮城女学校に入学
1892年 良、宮城女学校を自主退学し、横浜のフェリス和英女学校に入学。
1892年 良、宮城女学校を自主退学し、横浜のフェリス和英女学校に入学
1894年 愛蔵、仙台を訪問し、島貫兵太夫と知り合う。島貫は牧師で日本力行会の設立者。
1894年 愛蔵、仙台を訪問し、島貫兵太夫を知る
1895年 良、明治女学校を退学し、横浜のフェリス和英女学校から東京の明治女学校に転学。
1895年 良、フェリス和英女学校から明治女学校へ転学
1897年 愛蔵と良、結婚式を牛込の日本基督教会で挙げる。
1897年 愛蔵・良、結婚式を牛込の日本基督教会で挙げる
1898年 長女俊子、1901年に上京するまで穂高に残る。俊子は後に画家の中村彝の絵のモデルとなる。
1898年 愛蔵・良の長女 俊子誕生
1898年 相馬安兵衛・愛蔵の勧めにより井口、穂高に研成義塾を創立
1900年 長男安雄、1903年に誕生。早稲田大学、ロンドン大学、ドイツで学び、盲導犬輸入のきっかけとなる。1948年に中村屋の二代目社長に就任。
1900年 巖本善治、良に「黒光」のペンネームを授ける(以後、黒光)
1901年 愛蔵・黒光夫妻、穂高を出て上京し、本郷に中村屋を創業。1901年12月30日に本郷の東京帝国大学正門前のパン屋を居抜きで買い取り、店名もそのままに営業開始。
1901年 愛蔵・黒光、穂高を出て上京。本郷に中村屋を創業
1904年 中村屋、1904年に「クリームパン」「クリームワッフル」を創案し、発売。
1904年 「クリームパン」「クリームワッフル」を創案し、発売
1907年 中村屋、新宿に支店を開設。
1907年 新宿に支店を開設
1908年 彫刻家の碌山、1910年に血を吐き若くして亡くなるまで中村屋を訪れ、アトリエで創作活動を行う。碌山の遺作「女」像は重要文化財に指定されている。
1908年 彫刻家 碌山、頻繁に中村屋を訪問
1909年 中村屋、1909年に新宿の支店を現在地に移し、本店とする。日本風家屋に改築し、「ちん餅」など和菓子も販売開始。
1909年 新宿の支店を現在地に移し、本店とする
1912年 大正時代(1912年~)に中村屋は活動を開始したと推測されるが、具体的な出来事の記載はない。
1926年 昭和時代(1926年~)に中村屋の歴史が記録され始める。
1927-06-12 1927(昭和2)年6月12日に喫茶部(レストラン)を開設し、純印度式カリーを発売。
1927-06-12 1927(昭和2)年6月12日にレストランを開設し、純印度式カリーを発売。喫茶部(レストラン)の開設とともに純印度式カリーを売り出すことを提案し、評判を博す。
1927-06-12 1927(昭和2)年に喫茶部(レストラン)が設けられ、「月餅」「天下一品支那饅頭」(中華まん)も登場。
1927-06-12 1927(昭和2)年にラス・ビハリ・ボースと俊子の結婚。結婚式は頭山満邸で親族と一部関係者のみが出席して行われ、写真にはボースと俊子、創業者相馬愛蔵と黒光、頭山満が写っている。
1927-06-12 1927(昭和2)年にラス・ビハリ・ボースと俊子の結婚式が行われ、写真には会場を別にして行われた披露宴の様子が写っている。
1927-06-12 1927(昭和2)年に喫茶部開設当日の記念写真が撮影される。
1927-06-12 1927(昭和2)年に喫茶部の開設とともに純印度式カリーが発売され、評判を博す。
1930年 1930(昭和5)年に雑誌『中村屋』を発刊し、社歌(『中村屋の歌』)も制定される。
1930年 1930(昭和5)年に雑誌「中村屋」が創刊され、社内報と社歌が制定される。
1931年 1931(昭和6)年にロシアの製菓技師スタンレー・オホツキーを採用し、多くのロシア菓子を販売。
1931年 1931(昭和6)年にロシア人菓子職人スタンレー・オホツキーを採用。
1933年 1933(昭和8)年から四季の絵をデザインした包装紙を使用し、同年にピロシキを発売。
1933年 1933(昭和8)年に四季包装紙の使用を開始。
1934年 1934(昭和9)年に日本で初めて水羊羹の缶詰を発売。
1937年 1937(昭和12)年に中村不折の書による『中村屋』の文字を商標登録し、企業内学校『研成学院』を設立。
1937年 1937(昭和12)年に中村不折揮亳の「中村屋」の文字を商標登録。
1938年 1938(昭和13)年に相馬愛蔵の著書『一商人として』を刊行し、欧州視察も行う。
1938年 1938(昭和13)年に相馬愛蔵が『一商人として』を出版。
1939年 1939(昭和14)年に株式を公開。
1940年 1940(昭和15)年に株式を公開し、同年にカリーパンを発売。
1940年 1940(昭和15)年にカリーパンを発売。
1945-05-25 1945(昭和20)年5月25日の東京大空襲により本店をはじめ寄宿舎、工場などすべてが灰燼に帰す。
1945-05-25 1945(昭和20)年5月25日の東京大空襲で本店をはじめ寄宿舎、工場などすべてが被災し焼失。
1948-04-22 1948(昭和23)年4月22日に戦後復興を成し、売店と喫茶室の営業を本格的に再開。
1948-04-22 1948(昭和23)年4月22日に戦後復興のため売店と喫茶室の営業を再開。
1950年 1950(昭和25)年に関東大震災から始まる社会貢献活動として、震災記念の特価販売を行う。
1951年 関東大震災(1923年)後の新宿で闇市が登場し、尾津組による不法占拠と闇市の形成があった。
1951年 1951(昭和26)年に笹塚(東京)工場が落成。
1952年 戦後の生産増に対応し、1952(昭和27)年に調布から笹塚に洋菓子工場を落成。
1953年 1953(昭和28)年に株式を東京証券市場に公開し、伊勢丹に直売店を出店、多店舗展開を開始。
1953年 1953(昭和28)年に株式を東京証券市場に公開し、連続式製パン機を輸入導入。
1954年 1954(昭和29)年に相馬愛蔵が83歳で死去し、同年に本店東館が営業開始。
1954年 1954(昭和29)年に愛蔵が死去。
1955年 1955(昭和30)年に黒光が79歳で死去し、寄付により老人ホーム『黒光ホーム』が完成。
1955年 1955(昭和30)年に黒光が死去。
1956年 1956(昭和31)年に「碌山」を発売。
1957年 1957(昭和32)年に東京証券取引所に株式を上場。
1957年 1957(昭和32)年に東京証券取引所に株式上場。
1958年 1958(昭和33)年に本店を改装し、神奈川工場が竣工。
1958年 1958(昭和33)年に本店を改装し開店。
1959年 1959(昭和34)年にQCを導入し、「カリー缶詰」「コールマンカリー」を発売。
1963年 1963(昭和38)年に大阪営業所を開設。
1967年 1967(昭和42)年に大阪証券取引所に上場。
1968年 1968(昭和43)年に「カリーライス誕生」(愛蔵・黒光の半生記)舞台公演が芸術座で行われる。
1968-11-01 1968(昭和43)年11月1日に神奈川工場が落成し、同年に『カリーライス誕生』の舞台公演が行われる。
1968-11-01 1968(昭和43)年11月1日に神奈川工場が落成。
1969年 1969(昭和44)年に全国ネットで朝のテレビドラマ『パンとあこがれ』が放映される。
1969年 1969(昭和44)年に全国ネットで朝のテレビドラマ「パンとあこがれ」(相馬夫妻伝)が放映される。
1970年 1970(昭和45)年に大阪万博に出展し、工芸菓子やレストランでの販売を行う。
1970年 1970(昭和45)年に大阪万博に出店し、工芸菓子「日本庭園」を展示。
1971年 1971(昭和46)年頃に全国に営業所を開設し、全国展開を本格化させる。
1971年 1971(昭和46)年に全国に営業所を開設し、全国展開を本格化。
1972年 1972(昭和47)年に本店を改装し、パック入りのカステラを発売。
1972年 1972(昭和47)年に本店を改装し、「パックカステラ」を発売。
1973年 1973(昭和48)年に福岡営業所を開設し、黒光製菓に出資し子会社化。
1973年 1973(昭和48)年に福岡営業所を開設し、黒光製菓㈱に出資し子会社化。
1975年 1975(昭和50)年にNC店制度が発足し、初のフランチャイズ店が開店。
1975年 1975(昭和50)年に中村屋チェーン(NC)店制度が発足。
1977年 1977(昭和52)年に(株)ハピーモアに出資し、子会社とする。
1977年 1977(昭和52)年に株式会社ハピーモアに出資し、子会社化。
1979年 1979(昭和54)年に本店を『シェモア新宿中村屋』としてリニューアルし、埼玉工場が落成。
1979年 1979(昭和54)年に本店を「シェモア新宿中村屋」として新装開店。
1979年 1979(昭和54)年に埼玉工場が落成。
1982年 1982(昭和57)年に南欧風レストラン『オリーブハウス』の1号店を開店。
1982年 1982(昭和57)年に南欧風レストラン「オリーブハウス」の1号店を開店。
1983年 1983(昭和58)年に株主優待制度を導入し、神奈川工場が竣工。
1983年 1983(昭和58)年に株主優待制度導入と神奈川工場竣工、カリーまんを発売。
1985年 1985(昭和60)年にピザまんを発売し、前年に発売したじゃがまるくんが『’84年日経・年間最優秀賞』を受賞。
1985年 1985(昭和60)年に「じゃがまるくん」を発売し、’84年日経・年間最優秀賞を受賞。
1986年 1986(昭和61)年にピザまんを発売。
1986年 1986(昭和61)年に「ピザまん」を発売。
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6011101015442
商号又は名称株式会社中村屋
フリガナナカムラヤ
英語名
法人種別301
住所〒160-0022 東京都新宿区新宿3丁目26番13号
郵便番号1600022
都道府県コード13
市区町村コード104
国外所在地
国内所在地(都道府県)英語
国内所在地(市区町村等)英語
国外所在地(英語)
法人番号指定年月日2015-10-05
更新年月日2018-07-26
変更年月日2015-10-05
登記記録の閉鎖等年月日
登記記録の閉鎖等の事由
承継先法人番号
変更事由の詳細
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処理区分01
訂正区分1
商号又は名称イメージID
国内所在地イメージID
一連番号2098416
出典:国税庁法人番号公表サイト 基本3情報
6011101015442
法人番号6011101015442
商号又は名称株式会社中村屋
商号又は名称(カナ)ナカムラヤ
商号又は名称(英字)
登記記録の閉鎖等年月日
登記記録の閉鎖等の事由
登記住所東京都新宿区新宿3丁目26番13号
郵便番号1600022
都道府県東京都
都道府県コード13
市区町村(郡)新宿区
市区町村コード104
番地以下新宿3丁目26番13号
組織種別301
処理区分01
訂正区分1
状態
代表者名称代表取締役社長 島 田 裕 之
資本金7469402000
従業員数1595
企業規模詳細(男性)965
企業規模詳細(女性)630
事業概要各種和洋菓子、食品、パンの製造・販売、レストランの経営
WebサイトURLhttp://www.nakamuraya.co.jp/
創業年
事業種目E:製造業
設立年月日
全省庁統一資格-資格等級
全省庁統一資格-営業品目
更新年月日2018-07-26
キー情報6011101015442
出典:Gビズインフォ(経済産業省)
2026-07-20 11:18 (Model: gpt-4.1-nano )
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