Open company graph database — free web & API
ログイン

株式会社中村屋

新宿中村屋別名株式会社中村屋(新宿中村屋)別名Nakamura Co., Ltd.別名
銘柄コード
上場市場
TYO
国
Japan
従業員(単独)
793
関連会社
8
§01

基本情報

BASIC
所在地
〒160-0022 東京都新宿区新宿三丁目26番13号
社長
島田 裕之
資本金
7,469,400,000  (74 億)
従業員数(単独)
793 人
従業員数(連結)
開始日
1923-04-01
終了日
§02

サイト

1 DOMAINS
§03

事業内容

8
和洋菓子の製造・販売パンの製造・販売飲食店の運営各種和洋菓子、パン、その他食料品の製造・販売飲食店の営業日本ワインの販売料理の提供通信販売
§04

関連会社

8 COMPANIES
会社名 Group 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行等 株主等
株式会社ハピーモア
Group
株式会社ハピーモア
Group
株式会社エヌエーシーシステム
Group
株式会社エヌエーシーシステム
Group
株式会社中村屋
Group
黒光製菓株式会社
Group
みずほ信託銀行株式会社
得意先
ヤマモリ
業務提携
リンク無しの社名は OpenBizGraph 未登録企業
§05

関連図

NETWORK
資本関係 得意先 仕入先 業務提携 銀行・株主 ドラッグで移動 · クリックで詳細へ
§06

沿革

197 EVENTS

創業者 相馬愛蔵、長野県安曇野市穂高に誕生。相馬家は祖父の代まで庄屋を務めていた地元の名家で、愛蔵は1歳にも満たないときに父が亡くなり、兄に育てられ養嗣子となる。

明治時代(1870年~)に中村屋の創業が始まったと推測されるが、具体的な創業年の記載はない。

創業者 相馬愛蔵、長野県安曇野市穂高に誕生

創業者 星良(黒光)、父 喜四郎、母 巳之治の三女として宮城県仙台市北四番町に生まれる。戊辰戦争後に没落し、貧しい生活を送る。1883年に片平丁小学校に入学し、仙台教会に通い押川方義に教えを受ける。

創業者 星良、宮城県仙台市北四番町に誕生

愛蔵、長野県中学校松本支校に入学。信州時代の友人たちと交流を深める。

愛蔵、長野県中学校松本支校に入学

愛蔵、上級の木下尚江と親交を結び、信州時代の友人たちと交流を続ける。

愛蔵、上級の木下尚江と親交を結ぶ

愛蔵、東京専門学校(現 早稲田大学)に入学。

愛蔵、東京専門学校(現 早稲田大学)に入学

良、仙台東一番丁教会で洗礼を受ける。

良、仙台東一番丁教会で洗礼を受ける

愛蔵、東京専門学校卒業後、北海道に渡り養蚕を学び、『蚕種製造論』を出版。信州の養蚕の盛んな土地柄に由来し、蚕の飼育と生産に貢献。

愛蔵、東京専門学校卒業後、北海道に渡り養蚕を学ぶ

良、宮城女学校に入学。帰郷後、東穂高禁酒会を設立し、社会浄化や節制を推進。

良、片平丁小学校、東二番丁(高等)小学校を経て、宮城女学校に入学

良、宮城女学校を自主退学し、横浜のフェリス和英女学校に入学。

良、宮城女学校を自主退学し、横浜のフェリス和英女学校に入学

愛蔵、仙台を訪問し、島貫兵太夫と知り合う。島貫は牧師で日本力行会の設立者。

愛蔵、仙台を訪問し、島貫兵太夫を知る

良、明治女学校を退学し、横浜のフェリス和英女学校から東京の明治女学校に転学。

良、フェリス和英女学校から明治女学校へ転学

愛蔵と良、結婚式を牛込の日本基督教会で挙げる。

愛蔵・良、結婚式を牛込の日本基督教会で挙げる

長女俊子、1901年に上京するまで穂高に残る。俊子は後に画家の中村彝の絵のモデルとなる。

愛蔵・良の長女 俊子誕生

相馬安兵衛・愛蔵の勧めにより井口、穂高に研成義塾を創立

長男安雄、1903年に誕生。早稲田大学、ロンドン大学、ドイツで学び、盲導犬輸入のきっかけとなる。1948年に中村屋の二代目社長に就任。

巖本善治、良に「黒光」のペンネームを授ける(以後、黒光)

愛蔵・黒光夫妻、穂高を出て上京し、本郷に中村屋を創業。1901年12月30日に本郷の東京帝国大学正門前のパン屋を居抜きで買い取り、店名もそのままに営業開始。

愛蔵・黒光、穂高を出て上京。本郷に中村屋を創業

創業は1901(明治34)年。東京・本郷の東京帝国大学(現 東京大学)正門前にあったパン屋「中村屋」を居抜きで買い取り、店名もそのままにして始まりました。

愛蔵・黒光、穂高を出て上京。本郷に中村屋を創業

相馬夫妻は当時ようやく広まり始めた「パン」に目をつけ、パン屋を創業します。新聞広告を出し、本郷帝大(現 東京大学)正門前のパン屋を居抜きで買い取り商売を始めたのは暮れも押し詰まった1901(明治34)年12月30日のことでした。

中村屋、1904年に「クリームパン」「クリームワッフル」を創案し、発売。

「クリームパン」「クリームワッフル」を創案し、発売

「クリームパン」「クリームワッフル」を創案し、発売

中村屋、新宿に支店を開設。

新宿に支店を開設

中村屋は1907(明治40)年に支店を新宿に出店。

新宿に支店を開設

彫刻家の碌山、1910年に血を吐き若くして亡くなるまで中村屋を訪れ、アトリエで創作活動を行う。碌山の遺作「女」像は重要文化財に指定されている。

彫刻家 碌山、頻繁に中村屋を訪問

彫刻家 碌山、頻繁に中村屋を訪問

碌山はヨーロッパ留学から日本に戻った1908(明治41)年春、現在の新宿駅西口、新宿郵便局の裏あたりにアトリエを設け、創作活動を行いました。

中村屋、1909年に新宿の支店を現在地に移し、本店とする。日本風家屋に改築し、「ちん餅」など和菓子も販売開始。

新宿の支店を現在地に移し、本店とする

1909(明治42)年に本店を新宿の現在地に移転します。

新宿の支店を現在地に移し、本店とする。

ちん餅の発売

碌山は1910(明治43)年、中村屋の居間で血を吐き、30歳の若さで亡くなります。

画家 中村彝、中村屋裏のアトリエに住む

大正時代(1912年~)に中村屋は活動を開始したと推測されるが、具体的な出来事の記載はない。

昭和時代(1926年~)に中村屋の歴史が記録され始める。

純印度式カリー、月餅、中華まんを発売します

1927(昭和2)年に喫茶部(レストラン)が設けらカリーライスが発売されますが、同時に「月餅」「天下一品支那饅頭」(現在の中華まん)も登場しました。

1927(昭和2)年6月12日に喫茶部(レストラン)を開設し、純印度式カリーを発売。

1927(昭和2)年6月12日にレストランを開設し、純印度式カリーを発売。喫茶部(レストラン)の開設とともに純印度式カリーを売り出すことを提案し、評判を博す。

1927(昭和2)年に喫茶部(レストラン)が設けられ、「月餅」「天下一品支那饅頭」(中華まん)も登場。

1927(昭和2)年にラス・ビハリ・ボースと俊子の結婚。結婚式は頭山満邸で親族と一部関係者のみが出席して行われ、写真にはボースと俊子、創業者相馬愛蔵と黒光、頭山満が写っている。

1927(昭和2)年にラス・ビハリ・ボースと俊子の結婚式が行われ、写真には会場を別にして行われた披露宴の様子が写っている。

1927(昭和2)年に喫茶部開設当日の記念写真が撮影される。

1927(昭和2)年に喫茶部の開設とともに純印度式カリーが発売され、評判を博す。

レストランを開設します

お客さまからのご要望もあり、1927(昭和2)年6月12日に喫茶部(レストラン)を開設。建物の左側を増築し、喫茶部の入り口としました。

1930(昭和5)年に雑誌『中村屋』を発刊し、社歌(『中村屋の歌』)も制定される。

1930(昭和5)年に雑誌「中村屋」が創刊され、社内報と社歌が制定される。

従業員の保養所を設け

1930(昭和5)年、雑誌「中村屋」(今で言う社内報)を発刊します。

1931(昭和6)年にロシアの製菓技師スタンレー・オホツキーを採用し、多くのロシア菓子を販売。

1931(昭和6)年にロシア人菓子職人スタンレー・オホツキーを採用。

1931(昭和6)年、ロシアの製菓技師 スタンレー・オホツキーを採用。

1933(昭和8)年から四季の絵をデザインした包装紙を使用し、同年にピロシキを発売。

1933(昭和8)年に四季包装紙の使用を開始。

1933(昭和8)年から1989(平成元)年まで使用された中村屋の包装紙。

1934(昭和9)年に日本で初めて水羊羹の缶詰を発売。

1934(昭和9)年、中村屋は日本で初めて「水羊羹」の缶詰化に成功します。

1937(昭和12)年に中村不折の書による『中村屋』の文字を商標登録し、企業内学校『研成学院』を設立。

1937(昭和12)年に中村不折揮亳の「中村屋」の文字を商標登録。

店員のための企業内学校を作り

中村不折揮亳「中村屋」の文字を商標登録

中村屋のマークを商標登録

研成学院開校

1938(昭和13)年に相馬愛蔵の著書『一商人として』を刊行し、欧州視察も行う。

1938(昭和13)年に相馬愛蔵が『一商人として』を出版。

鎌倉に、黒光庵・妙俊庵(保養所)を建設。

愛蔵『一商人として』出版

1939(昭和14)年に株式を公開。

株式を公開

1940(昭和15)年に株式を公開し、同年にカリーパンを発売。

1940(昭和15)年にカリーパンを発売。

カリーパンを作られた

「カリーパン」を発売

大空襲により本店、寄宿舎、工場など焼失

1945(昭和20)年5月25日の東京大空襲により本店をはじめ寄宿舎、工場などすべてが灰燼に帰す。

1945(昭和20)年5月25日の東京大空襲で本店をはじめ寄宿舎、工場などすべてが被災し焼失。

東京大空襲で被災し、本店をはじめ寄宿舎、工場などすべてが灰燼に帰しました

1945(昭和20)年5月25日の大空襲で中村屋は被災しますがこの作品は焼け残り、戦後も建て直された新宿本店の3階に飾られていました。

中村屋焼け跡に尾津組が不法占拠し闇市ができる

1946(昭和21)年に調布に工場を建てます

安雄が中村屋の二代目社長に就任

1948(昭和23)年4月22日に戦後復興を成し、売店と喫茶室の営業を本格的に再開。

1948(昭和23)年4月22日に戦後復興のため売店と喫茶室の営業を再開。

中村屋は戦後復興を成し開業します。

1950(昭和25)年に関東大震災から始まる社会貢献活動として、震災記念の特価販売を行う。

関東大震災から始まる社会貢献

関東大震災(1923年)後の新宿で闇市が登場し、尾津組による不法占拠と闇市の形成があった。

1951(昭和26)年に笹塚(東京)工場が落成。

笹塚(東京)工場落成

戦後の生産増に対応し、1952(昭和27)年に調布から笹塚に洋菓子工場を落成。

笹塚工場敷地の中央部に落成した洋菓子工場 1952(昭和27)年

1953(昭和28)年に株式を東京証券市場に公開し、伊勢丹に直売店を出店、多店舗展開を開始。

1953(昭和28)年に株式を東京証券市場に公開し、連続式製パン機を輸入導入。

伊勢丹老舗街への出店

株式を東京証券市場店頭に公開

連続式製パン機をアメリカから輸入

百貨店に進出。伊勢丹に直売店を出店し多店舗展開へ

1954(昭和29)年に相馬愛蔵が83歳で死去し、同年に本店東館が営業開始。

1954(昭和29)年に愛蔵が死去。

東館新設

愛蔵死去、享年83歳

特約店制度が発足

本店東館が営業開始

1955(昭和30)年に黒光が79歳で死去し、寄付により老人ホーム『黒光ホーム』が完成。

1955(昭和30)年に黒光が死去。

黒光死去、享年79歳

老人ホーム「黒光ホーム」が完成

1956(昭和31)年に「碌山」を発売。

「碌山」を発売

1957(昭和32)年に東京証券取引所に株式を上場。

1957(昭和32)年に東京証券取引所に株式上場。

東京証券取引所に株式上場

1958(昭和33)年に本店を改装し、神奈川工場が竣工。

1958(昭和33)年に本店を改装し開店。

本店ビルの改装

本店改装、開店

本社・本店ビルが完成

1959(昭和34)年にQCを導入し、「カリー缶詰」「コールマンカリー」を発売。

QCを導入

「カリー缶詰」「コールマンカリー」を発売

1963(昭和38)年に大阪営業所を開設。

大阪営業所開設

1967(昭和42)年に大阪証券取引所に上場。

大阪証券取引所に上場

1968(昭和43)年に「カリーライス誕生」(愛蔵・黒光の半生記)舞台公演が芸術座で行われる。

芸術座で「カリーライス誕生」公演

1968(昭和43)年11月1日に神奈川工場が落成し、同年に『カリーライス誕生』の舞台公演が行われる。

1968(昭和43)年11月1日に神奈川工場が落成。

神奈川工場落成

1969(昭和44)年に全国ネットで朝のテレビドラマ『パンとあこがれ』が放映される。

1969(昭和44)年に全国ネットで朝のテレビドラマ「パンとあこがれ」(相馬夫妻伝)が放映される。

全国ネットで朝のテレビドラマ「パンとあこがれ」が放映

「うにあられ」を発売

1970(昭和45)年に大阪万博に出展し、工芸菓子やレストランでの販売を行う。

1970(昭和45)年に大阪万博に出店し、工芸菓子「日本庭園」を展示。

日本万国博覧会に出店

1971(昭和46)年頃に全国に営業所を開設し、全国展開を本格化させる。

1971(昭和46)年に全国に営業所を開設し、全国展開を本格化。

1972(昭和47)年に本店を改装し、パック入りのカステラを発売。

1972(昭和47)年に本店を改装し、「パックカステラ」を発売。

全国に営業所を開設し、全国展開を本格的にスタート

本店改装、開店

「パックカステラ」を発売

1973(昭和48)年に福岡営業所を開設し、黒光製菓に出資し子会社化。

1973(昭和48)年に福岡営業所を開設し、黒光製菓㈱に出資し子会社化。

福岡営業所を開設

黒光製菓㈱に出資し、子会社とする

1975(昭和50)年にNC店制度が発足し、初のフランチャイズ店が開店。

1975(昭和50)年に中村屋チェーン(NC)店制度が発足。

NC(中村屋チェーン)店制度が発足

開店当日のNC保谷駅前店

1977(昭和52)年に(株)ハピーモアに出資し、子会社とする。

1977(昭和52)年に株式会社ハピーモアに出資し、子会社化。

(株)ハピーモアに出資し、子会社とする

1978年まで増刷

1979(昭和54)年に本店を『シェモア新宿中村屋』としてリニューアルし、埼玉工場が落成。

1979(昭和54)年に本店を「シェモア新宿中村屋」として新装開店。

1979(昭和54)年に埼玉工場が落成。

本店の改装

本店、「シェモア新宿中村屋」として新装開店

埼玉工場落成

1982(昭和57)年に南欧風レストラン『オリーブハウス』の1号店を開店。

1982(昭和57)年に南欧風レストラン「オリーブハウス」の1号店を開店。

南欧風レストラン「オリーブハウス」の1号店を開店

1983(昭和58)年に株主優待制度を導入し、神奈川工場が竣工。

1983(昭和58)年に株主優待制度導入と神奈川工場竣工、カリーまんを発売。

株主優待制度導入

食品工場(後に神奈川工場に改称)落成

「カリーまん」を発売

1985(昭和60)年にピザまんを発売し、前年に発売したじゃがまるくんが『’84年日経・年間最優秀賞』を受賞。

1985(昭和60)年に「じゃがまるくん」を発売し、’84年日経・年間最優秀賞を受賞。

前年「じゃがまるくん」を発売し、「’84年日経・年間最優秀賞」受賞

中華まんコンビニに展開

1986(昭和61)年にピザまんを発売。

1986(昭和61)年に「ピザまん」を発売。

「ピザまん」を発売

§07

ニュース

0 ARTICLES

ニュースはありません。

§08

公的データ

GOV
国税庁・基本情報6011101015442
商号又は名称
株式会社中村屋
フリガナ
ナカムラヤ
英語名
法人種別
301
住所
〒160-0022 東京都新宿区新宿3丁目26番13号
郵便番号
1600022
都道府県コード
13
市区町村コード
104
国外所在地
国内所在地(都道府県)英語
国内所在地(市区町村等)英語
国外所在地(英語)
法人番号指定年月日
2015-10-05
更新年月日
2018-07-26
変更年月日
2015-10-05
登記記録の閉鎖等年月日
登記記録の閉鎖等の事由
承継先法人番号
変更事由の詳細
最新履歴
1
検索対象除外
0
処理区分
01
訂正区分
1
商号又は名称イメージID
国内所在地イメージID
一連番号
2098416
出典:国税庁法人番号公表サイト 基本3情報
経済産業省・gBizINFO6011101015442
法人番号
6011101015442
商号又は名称
株式会社中村屋
商号又は名称(カナ)
ナカムラヤ
商号又は名称(英字)
登記記録の閉鎖等年月日
登記記録の閉鎖等の事由
登記住所
東京都新宿区新宿3丁目26番13号
郵便番号
1600022
都道府県
東京都
都道府県コード
13
市区町村(郡)
新宿区
市区町村コード
104
番地以下
新宿3丁目26番13号
組織種別
301
処理区分
01
訂正区分
1
状態
代表者名称
代表取締役社長 島 田 裕 之
資本金
7469402000
従業員数
1595
企業規模詳細(男性)
965
企業規模詳細(女性)
630
事業概要
各種和洋菓子、食品、パンの製造・販売、レストランの経営
WebサイトURL
http://www.nakamuraya.co.jp/
創業年
事業種目
E:製造業
設立年月日
全省庁統一資格-資格等級
全省庁統一資格-営業品目
更新年月日
2018-07-26
キー情報
6011101015442
出典:Gビズインフォ(経済産業省)
§09

出典・更新

SOURCES
↑