| 1942年 |
第2次世界大戦の間の必要な食料を管理するため、日本政府は水産会社を集めて、帝国水産統制株式会社(現ニチレイ)をつくり、日本の水産資源をその管理下におきました。ニチレイの歴史は1942年に誕生した「帝国水産統制株式会社」からスタートします。なんとも重々しい名前ですが、それも当然で1942年といえば、第2次世界大戦の真っ最中。「腹が減っては戦はできぬ」ではありませんが、やはり食べ物の確保は重要な問題でした。そこで、国が食料を管理するため、水産会社を集めて帝国水産を作りました。 |
| 1942年 |
ニチレイの前身 帝国水産統制がつくられる。第2次世界大戦の間の必要な食料を管理するため、日本政府は水産会社を集めて、帝国水産統制株式会社(現ニチレイ)をつくり、日本の水産資源をその管理下におきました。 |
| 1942-12-24 |
前身である帝国水産統制株式会社の設立 |
| 1943年 |
漁業会社の統制、製氷・冷蔵・凍結、水産の各事業を開始 |
| 1945年 |
戦争によって大きな被害をうけた帝国水産ですが、敗戦後の食料不足をなんとかしたいという想いのもと、国策会社から民間の企業となり、再スタートをきることになります。帝国水産は「日本冷蔵株式会社」として生まれ変わります。新会社としてスタートした日本冷蔵は、戦後の混乱期を乗り切り、企業の再建・整備を果たしていきます。もちろん、その道のりは平坦ではありませんでした。 |
| 1945年 |
民営会社 日本冷蔵として再スタート。戦争によって大きな被害をうけた帝国水産が敗戦後の食料不足を背景に、国策会社から民間の企業となり、再スタートをきる。 |
| 1945-12-01 |
日本冷蔵株式会社として改組 |
| 1946年 |
果汁入りアイスキャンディ「レイカ」を発売。戦後間もないころ駅売りを中心に全国で販売されていた冷凍果実のアイスキャンディ「レイカ(冷果)」が冷凍食品の始まりとなる。 |
| 1946年 |
果汁入りアイスキャンディ「レイカ」を発売。戦後間もないころ駅売りを中心に販売されていた冷凍果実のアイスキャンディが冷凍食品事業の始まりとなる。 |
| 1952年 |
冷凍天ぷらセットを発売 |
| 1952年 |
冷凍天ぷらセットの発売 |
| 1954年 |
冷凍茶碗むしを発売。調理冷凍食品の先駆けとなる商品で、卵と出汁を混ぜたものに下ごしらえした具材を入れ、小分け袋に詰めて解凍後蒸し調理する方式を採用した。 |
| 1954年 |
冷凍茶碗むしの発売。調理冷凍食品の先駆けとなる商品として開発される。 |
| 1955年 |
水産物の洋上輸出を開始 |
| 1955年 |
水産物の洋上輸出開始 |
| 1956年 |
畜産事業を開始 |
| 1956年 |
南極観測隊に冷凍野菜や茶碗蒸しなど69種約20トンの冷凍食材を提供し、極寒の地での食事を支えた。 |
| 1956年 |
畜産事業開始。南極観測隊に冷凍食材を提供。 |
| 1959年 |
東京から九州までの輸送を可能にする冷凍トラック「はやぶさ」を開発。最大積載量3トン、温度管理はマイナス20℃からマイナス23℃。 |
| 1959年 |
長距離冷凍トラックを開発。東京から九州までの輸送を可能にし、冷凍食品の認知度やイメージアップに貢献。 |
| 1960年 |
農畜産品の研究のため、鎌ヶ谷試験所を開設し、回転鶏舎を設置。 |
| 1960年 |
農畜産品の研究のため、鎌ヶ谷試験所を開設。冷蔵庫とともに冷凍食品が普及し始める。 |
| 1964年 |
選手村へ多種多彩な冷凍食材を大量に供給し、オリンピックの食事支援に貢献。 |
| 1964年 |
冷凍食品の品質や調理技術を向上させ、冷凍食品のイメージを改善。 |
| 1964年 |
東京オリンピックに貢献。選手村へ多種多彩な冷凍食材を大量に供給。 |
| 1964年 |
冷凍食品のイメージが変わるきっかけとなる大阪万博に出店。冷凍食品の品質や調理技術の向上をアピール。 |
| 1965年 |
冷凍コロッケなどの冷凍食品の販売開始。 |
| 1966年 |
冷凍食品の家庭普及に向けて、冷凍ストッカーの普及促進や宣伝活動を展開。 |
| 1970年 |
万博のテーマに合わせて「テラス日冷」を出店し、冷凍食品の品質向上と外食産業の発展に寄与。 |
| 1970年 |
日本万国博覧会(大阪)に食堂「テラス日冷」を出店。冷凍食品のイメージ向上と外食産業への浸透を促進。 |
| 1974年 |
「グリーンベルト」ブランドを展開し、家庭用冷凍食品の普及を促進。 |
| 1974年 |
家庭用冷凍食品のシリーズ化「グリーンベルト」ブランドを展開 |
| 1980年 |
社会の外食化とともに、冷凍食品の需要が拡大。ファストフードやコンビニエンスストアでの展開が進む。 |
| 1980年 |
社会の変化に伴い、外食や買って食べる「食の外部化」が進む。冷凍食品の快進撃が始まる。 |
| 1982年 |
バイオサイエンス事業に進出し、研究開発を開始。 |
| 1982年 |
バイオテクノロジー分野へ進出 |
| 1985年 |
企業コンセプト「心の満足」のもと、社名をニチレイに変更し、ブランドイメージを刷新。 |
| 1985年 |
株式会社ニチレイに社名変更。企業イメージ刷新と新企業コンセプト「心の満足」の導入。 |
| 1985-02-01 |
株式会社ニチレイに社名変更 現在に至る |
| 1987年 |
1988年に発売されたアセロラドリンクの誕生。 |
| 1987年 |
アセロラドリンク190g缶発売開始。新規分野の開拓とブランド知名度向上を図る。 |
| 1988年 |
オランダの冷蔵倉庫会社買収を皮切りに、ドイツ、ポーランド、フランスへとエリア拡大。 |
| 1988年 |
欧州で低温物流事業開始。オランダの冷蔵倉庫会社買収を皮切りに、ドイツ、ポーランド、フランスへ拡大。 |
| 1993年 |
冷凍食品の物流拠点として本格的に展開。 |
| 1993年 |
通過型物流センター(TC)事業を本格的に開始。 |
| 1994年 |
レンジでチンするだけの電子レンジ対応冷凍食品の先駆け商品を発売。 |
| 1994年 |
電子レンジ対応冷凍食品「新・レンジ生活®」発売。電子レンジ調理の普及と冷凍食品の利便性向上に貢献。 |
| 2000年 |
中国産冷凍野菜の残留農薬問題を受け、栽培・農薬管理・トレーサビリティを見直し、安全性を向上させる体制を構築。 |
| 2000年 |
品質保証の強化。中国産冷凍野菜の安全管理体制を見直し、トレーサビリティシステムを構築。 |
| 2001年 |
「プロの技」を研究し、卵のコーティングによるパラッとした炒飯を実現。船橋工場から発売され、売上ナンバーワン商品に。 |
| 2001年 |
家庭用冷凍炒飯「本格炒め炒飯®」発売。プロの技を再現し、米粒のパラッとした食感を実現。 |
| 2004年 |
中国において低温物流事業をスタート。 |
| 2004年 |
中国での低温物流事業スタート。 |
| 2005年 |
グループ全体の戦略を担う持株会社体制に移行し、各事業会社を設立。 |
| 2005年 |
持株会社体制へ移行。グループ全体の戦略と意思決定の迅速化を図る。 |
| 2007年 |
岩手県洋野町にて「純和鶏®」養鶏を開始。国内育種の鶏を育て、長めの飼育期間とトレーサビリティを実現。 |
| 2007年 |
岩手県洋野町で「純和鶏®」養鶏開始。国内育種による鶏肉の自給率向上と品質向上を目指す。 |
| 2008年 |
タイにGFPTニチレイを設立し、生鳥処理から製品製造まで一貫体制を構築。 |
| 2008年 |
タイにチキン加工品のフルインテグレーション工場設立(GFPTニチレイ)。 |
| 2011年 |
東扇島物流センターを新設し、免震対応など先進技術を導入。2013年に第2期増設。 |
| 2011年 |
東扇島物流センターに高機能大型冷蔵倉庫を新設。免震対応など先進技術を導入。 |
| 2012年 |
イノバジアンクイジーン社を買収し、アメリカにてアジアンフードの販売を展開。 |
| 2012年 |
北米事業でアジアンフード事業スタート。イノバジアンクイジーン社を買収。 |
| 2013年 |
SCGロジスティクスマネジメントと合弁でSCGニチレイロジスティクスを設立。 |
| 2013年 |
タイで低温物流事業開始。SCGロジスティクスマネジメントと合弁設立。 |
| 2019年 |
埼玉県狭山市にグローバルイノベーションセンターを新設し、診断薬などの研究・生産を開始。 |
| 2019年 |
バイオサイエンス事業の研究開発・生産拠点を埼玉県狭山市に新設。 |
| 2022年 |
「トラックドライバー2024年問題」の解決に向けて、「SULS」の運行を開始し、ドライバーの労働環境改善と効率化を実現。 |
| 2022年 |
「SULS」(サルス)により新たな低温物流の輸配送基盤を構築。 |
| 2025年 |
1970年の大阪万博に続き、2025年の万博でもレストラン「テラスニチレイ」を出店。 |
| 2025年 |
ニチレイフーズが大阪・関西万博に協賛。 |
| 2026年 |
多様化する顧客ニーズと社会課題に対応し、食品事業の成長とグローバル展開を加速させるため、両社を統合。 |
| 2026年 |
ニチレイフーズとニチレイフレッシュが統合。 |