扶桑薬品工業、アジアの透析薬開発企業賞を受賞 ↗
扶桑薬品工業株式会社は、Pharma Tech Outlook APACにより「Dialysis Drug Development Company of the Year in Asia 2026」に選出されました。同社の透析医療における取り組みと実績が評価されました。詳細は同誌のプロフィール記事で紹介されています。
| 会社名 | Group | 親会社 | 子会社 | 得意先 | 仕入先 | 業務提携 | 銀行等 | 株主等 |
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1937年(昭和12年)株式会社大和商会 設立。大阪市南区(現・大阪市中央区東心斎橋)に株式会社大和商会誕生。
扶桑の黎明期
昭和12年3月25日、当時国産化されたブドウ糖の販売会社として大阪市南区(現・大阪市中央区東心斎橋)に株式会社大和商会誕生。
株式会社大和商会 設立
大阪市東成区東今里に今里工場を設置し、ブドウ糖注射液など医薬品製造業へ進出。
1943年(昭和18年)今里工場設置。大阪市東成区東今里に今里工場を設置し、ブドウ糖注射液など医薬品製造業へ進出。
今里工場 設置
ビタノーン注、注射用蒸留水。
1946年(昭和21年)ビタノーン注、注射用蒸留水を製造。
ビタノーン注、注射用蒸留水
戦後混乱期さなかの創立10周年。今里第一工場のお稲荷さん前で戸田 幸平 社長(当時)を囲む当時のメンバー。
1947年(昭和22年)創立10周年式典。戦後混乱期さなかの創立10周年。今里第一工場のお稲荷さん前で戸田 幸平 社長(当時)を囲む当時のメンバー。
創立10周年式典
今里工場が隣家の出火で類焼する憂き目を見たが、直後に操業を開始した、のこぎり状の屋根が特徴的な今里第二工場。
1948年(昭和23年)今里第二工場操業開始。今里工場が隣家の出火で類焼する憂き目を見たが、直後に操業を開始した、のこぎり状の屋根が特徴的な今里第二工場。
今里第二工場 操業開始
社名を扶桑薬品工業と変更。改められた現社名が読める、今里第二工場事務所。
1949年(昭和24年)社名変更。社名を扶桑薬品工業と変更。改められた現社名が読める、今里第二工場事務所。
社名変更
サルソバビロン注。
1951年(昭和26年)サルソバビロン注を製造。
サルソバビロン注
岡山に出張所(写真)、大阪・東京に営業所を開設。
1952年(昭和27年)営業拠点拡充開始。岡山に出張所(写真)、大阪・東京に営業所を開設。
営業拠点の拡充開始
本社を大阪市東成区東今里より、大阪市東区道修町(当時)の大阪営業所所在地に移転。
1953年(昭和28年)本社を道修町に移転。本社を大阪市東成区東今里より、大阪市東区道修町(当時)の大阪営業所所在地に移転。
本社を道修町に移転
ネオカルドラミン。
1954年(昭和29年)ネオカルドラミンを製造。
ネオカルドラミン
大阪市城東区森之宮に全従業員の労力奉仕で城東工場を建設稼働。今里工場廃止。写真上方は大阪砲兵工廠跡。
1957年(昭和32年)城東工場竣工。大阪市城東区森之宮に全従業員の労力奉仕で城東工場を建設稼働。今里工場廃止。
城東工場 竣工
透析液開発。
1960年(昭和35年)透析液開発を開始。
透析液開発
生産拠点拡大。
1975年(昭和50年)生産拠点拡大を実施。
生産拠点の拡大
東証一部上場。
1989年(昭和64年)東証一部に上場。
東証一部上場
粉末型透析剤へ。
2000年(平成12年)粉末型透析剤へ移行。
粉末型透析剤へ
プライム市場移行。
2019年(令和元年)プライム市場へ移行。
プライム市場移行
扶桑薬品工業株式会社は、Pharma Tech Outlook APACにより「Dialysis Drug Development Company of the Year in Asia 2026」に選出されました。同社の透析医療における取り組みと実績が評価されました。詳細は同誌のプロフィール記事で紹介されています。
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