| 1872年 |
杉浦六三郎、東京麹町の小西屋六兵衛店で石版・写真器材の取り扱い開始(後のコニカ株式会社の創業)。杉浦六三郎は25歳の時に写真館で撮影した写真に感動し、写真器材の取り扱いをはじめ、その後家業から独立し、日本橋に石版・写真器材の販売店「小西本店」を開業した。 |
| 1872年 |
杉浦六三郎、東京麹町の小西屋六兵衛店で石版・写真器材の取り扱い開始(後のコニカ株式会社の創業) |
| 1872年 |
杉浦六三郎、東京麹町の小西屋六兵衛店で石版・写真器材の取り扱い開始(後のコニカ株式会社の創業) 杉浦六三郎(後に六代目杉浦六右衛門と改名)の曽祖父がはじめた薬種問屋「小西屋六兵衛店」は、東京でも有数の大商店でした。六三郎は25歳の時に写真館で撮影した写真に感動し、写真器材の取り扱いをはじめます。その後、家業から独立、日本橋に石版・写真器材の販売店「小西本店」(後のコニカ株式会社)を開業しました。 |
| 1881年 |
1882年に写真用暗箱の製造と石版印刷器械の製造を開始した。 |
| 1881年 |
写真用暗箱の製造を開始 |
| 1881年 |
石版印刷器械の製造を開始 |
| 1896年 |
1896年にX線器械を輸入し実験を実施した。 |
| 1896年 |
X線器械を輸入し実験を実施 |
| 1896年 |
X線器械を国内で初めて輸入しました。これはドイツの物理学者レントゲンによってX線が発見された翌年という非常に早い時期のことで、X線機械の輸入によって日本の医学界に貢献したいと願ってのことです。 |
| 1897年 |
1897年に映画撮影機器を国内初輸入し、初の日本人撮影による映画が完成した。 |
| 1897年 |
映画撮影機器を国内初輸入、初の日本人撮影による映画が完成 |
| 1902年 |
1902年、新宿に感光材料の開発と製造を行う「六桜社」(後に淀橋工場と改称)が設立 |
| 1902年 |
1902年、新宿に感光材料の開発と製造を行う「六桜社」(後に淀橋工場と改称)が設立され、翌年には、ここで製造された国産初の印画紙「さくら白金タイプ紙」が発売されました。 |
| 1903年 |
1903年に国産初の印画紙「さくら白金タイプ紙」を発売し、同年に国産初のブランド付量産カメラ「チェリー手提用暗函」を発売した。 |
| 1903年 |
国産初の印画紙「さくら白金タイプ紙」発売 |
| 1903年 |
国産初のブランド付量産カメラ「チェリー手提用暗函」発売 |
| 1913年 |
1913年に石版印刷インキの製造に成功した。 |
| 1913年 |
石版印刷インキの製造に成功 |
| 1923年 |
1923年に小西写真専門学校(現 東京工芸大学)を設立した。 |
| 1923年 |
小西写真専門学校(現 東京工芸大学)設立 |
| 1923年 |
1923年、六代目杉浦六右衞門の遺言をうけた息子の七代目六右衛門により、写真技術と芸術の人材育成のための写真学校「小西写真専門学校」が設立されました。 |
| 1928年 |
1928年に田嶋一雄が「日独写真機商店」(後のミノルタ株式会社)を設立し、国産カメラの製造に着手した。 |
| 1928年 |
田嶋一雄、「日独写真機商店」(後のミノルタ株式会社)を創立、国産カメラの製造に着手 |
| 1928-11-11 |
田嶋一雄、「日独写真機商店」(後のミノルタ株式会社)を創立、国産カメラの製造に着手 |
| 1928-11-11 |
田嶋一雄は、欧州訪問の際に光学機器の将来性に着目。帰国後の1928年11月11日に「日独写真機商店」(後のミノルタ株式会社)を設立し、現在の西宮市武庫川河畔に最初の工場を開きました。当時、周辺に下請け工場などはなく、ドイツから呼び寄せた技術者たちの指導のもと、小さな部品の1つ1つにいたるまで自社生産が行われていました。そして翌年にはカメラ一号機「ニフカレッテ」を発売します。 |
| 1928-11-11 |
田嶋一雄、「日独写真機商店」(後のミノルタ株式会社)を創立、国産カメラの製造に着手 父が経営する神戸の貿易会社に勤めていた田嶋一雄は、欧州訪問の際に光学機器の将来性に着目。帰国後の1928年11月11日に「日独写真機商店」(後のミノルタ株式会社)を設立し、現在の西宮市武庫川河畔に最初の工場を開きました。当時、周辺に下請け工場などはなく、ドイツから呼び寄せた技術者たちの指導のもと、小さな部品の1つ1つにいたるまで自社生産が行われていました。そして翌年にはカメラ一号機「ニフカレッテ」を発売します。 |
| 1929年 |
1929年に一般撮影用写真フィルム「さくらフィルム」を発売した。 |
| 1929年 |
一般撮影用写真フィルム「さくらフィルム」発売 |
| 1933年 |
1933年に自社開発・生産の「さくらレントゲンフィルム」を発売した。 |
| 1933年 |
自社開発・生産の「さくらレントゲンフィルム」発売 |
| 1936年 |
1936年に組織を株式会社に改め、株式会社小西六本店(後のコニカ株式会社)を設立した。 |
| 1936年 |
組織を株式会社に改め、株式会社小西六本店(後のコニカ株式会社)を設立 |
| 1940年 |
1940年に国産初のカラーフィルム「さくら天然色フィルム」を発表した。 |
| 1940年 |
国産初のカラーフィルム「さくら天然色フィルム」発表 |
| 1941年 |
1941年に「さくら天然色フィルム」が18枚撮り10円で発売された。 |
| 1941年 |
「さくら天然色フィルム」は18枚撮り10円で発売 |
| 1951年 |
1951年に日本初のCMソングをラジオで流した。 |
| 1951年 |
日本初のCMソングをラジオで流す |
| 1952年 |
1952年に米国・フィラデルフィアに代理店コニカ・カメラ・カンパニーを設立した。 |
| 1952年 |
初の米国拠点を設立 |
| 1952年 |
1952年、米国・フィラデルフィアに代理店コニカ・カメラ・カンパニーを設立し、製品の流通体制を整えました。 |
| 1956年 |
1956年、同市に現地法人コニフォト・コーポレーションを設立 |
| 1956年 |
1956年、同市に現地法人コニフォト・コーポレーションを設立しました。 |
| 1958年 |
1958年にプラネタリウム一号機を完成させ、兵庫県の阪神パークで公開実演し、3か月で20万人を超える観客を集めた。 |
| 1958年 |
プラネタリウム一号機完成、科学博覧会で公開実演 |
| 1958年 |
1958年に一号機が完成。兵庫県の遊園地・阪神パークで開催された科学博覧会で公開実演され、3か月で20万人を超える多くの観客を集めました。 |
| 1959年 |
1959年、ニューヨークにカメラの販売会社ミノルタコーポレーションを設立 |
| 1959年 |
1959年、ニューヨークにカメラの販売会社ミノルタコーポレーションを設立しました。 |
| 1960年 |
カメラで培った技術を元に光学関連機器の開発に取り組み始めました。中でもとくに注力したのは複写機の開発です。1960年に第一号機として湿式ジアゾ複写機「ミノルタコピーマスター」を完成。その後も開発を進め、情報化社会の進展に伴って需要を伸ばしていきます。 |
| 1960年 |
複写機一号機「ミノルタコピーマスター」(湿式ジアゾ複写機)完成 |
| 1962年 |
1962年、米国の宇宙船フレンドシップ7号の記録用カメラとして「ミノルタハイマチック」が搭載される。当時、米国の宇宙開発競争が活発化しており、ジョン・グレン飛行士の地球周回軌道飛行や宇宙からの地球撮影に成功した際に使用されたカメラであり、世界における日本のカメラの評価を大きく変えた。 |
| 1962年 |
1962年、コニカはドイツ・ハンブルクにカメラの販売拠点としてコニカ・ヨーロッパ・センターを開設し、欧州における製品流通とアフターサービスの体制を整えた。 |
| 1962年 |
米国の宇宙船フレンドシップ7号の記録用カメラとして「ミノルタハイマチック」が搭載される |
| 1962年 |
初の欧州拠点を設立 |
| 1962年 |
コニカは、1962年、ドイツ・ハンブルクにカメラの販売拠点として、コニカ・ヨーロッパ・センターを開設。 |
| 1963年 |
翌年にはケルン市で開催された第8回フォトキナに初出展し、その後欧州への輸出を徐々に増やしていきます。 |
| 1963年 |
翌年にはケルン市で開催された第8回フォトキナに初出展。 |
| 1965年 |
ミノルタは1965年に設立したミノルタスイスを出資者として、ハンブルクに子会社を設立。 |
| 1966年 |
1966年、財団法人橘保善会(現 コニカミノルタ科学技術振興財団)が設立された。 |
| 1966年 |
1966年、初の量産型光学式プラネタリウム「MS-10」一号機を設置した。 |
| 1966年 |
財団法人橘保善会(現 コニカミノルタ科学技術振興財団)設立 |
| 1966年 |
初の量産型光学式プラネタリウム「MS-10」一号機を設置 |
| 1968年 |
1968年、テレビ色彩調整分析器「ミノルタTVカラーアナライザー」を発売し、産業用計測機器分野に進出した。 |
| 1968年 |
1968年、米国の宇宙船アポロ8号に「ミノルタスペースメーター」が搭載された。これはNASAからの依頼により、当社の市販露出計「オートスポット1°」を改良したものであり、1969年のアポロ11号の月面着陸にも搭載された。 |
| 1968年 |
テレビ色彩調整分析器「ミノルタTVカラーアナライザー」発売、産業用計測機器分野に進出 |
| 1968年 |
アポロ8号に「ミノルタスペースメーター」が搭載 |
| 1969年 |
1969年に設立した事務機部門 |
| 1969年 |
1968年、米国の宇宙船アポロ8号に「ミノルタスペースメーター」が搭載されました。これは米航空宇宙局(NASA)から、当時当社が市販していた露出計「オートスポット1°」をアポロ計画向けに改良してほしいという依頼を受けて製造したものでした。この露出計は1969年に史上初の有人月面着陸を成し遂げたアポロ11号にも搭載され、世紀の宇宙開拓プロジェクトに貢献しました。 |
| 1969年 |
1969年に設立した事務機部門は1977年には子会社として独立しました。 |
| 1969年 |
史上初の有人月面着陸を果たしたアポロ11号に、露出計「ミノルタスペースメーター」搭載 |
| 1971年 |
1971年、当社初の普通紙複写機「U-BIX480」を発売。電子写真複写機の開発を進め、好評を博した。 |
| 1971年 |
今日広く普及している、普通紙を使用する電子写真複写機(普通紙複写機、PPC)の開発を進め、ついに独自技術によるPPCを完成。1970年に開催されたビジネスショーに出展、翌1971年に「U-BIX(ユービックス)480」という商品名で発売して、生産が需要に追い付かないほどの好評を博しました。 |
| 1971年 |
当社初の普通紙複写機「U-BIX480」発売 |
| 1973年 |
1973年、運転免許証作成の「さくらカラーIDシステム」が全国で稼動を開始した。 |
| 1973年 |
運転免許証を作成する「さくらカラーIDシステム」全国で稼動 |
| 1975年 |
1975年、誰でも簡単に撮れるカメラを追求し、世界初のフラッシュ内蔵カメラ「コニカC35EF(愛称:ピッカリコニカ)」を発売した。 |
| 1975年 |
1975年にはランゲンハーゲンに複写機の販売拠点を開設しました。 |
| 1975年 |
世界初のフラッシュ内蔵カメラ「コニカC35EF(ピッカリコニカ)」発売 |
| 1976年 |
1976年、業界初の24枚撮りフィルム「サクラカラー24」を発売した。 |
| 1976年 |
業界初の24枚撮りフィルム「サクラカラー24」発売 |
| 1977年 |
1977年、世界初の指先測定型パルスオキシメータ「OXIMET MET-1471」を発売し、医療分野での活用が進んだ。 |
| 1977年 |
1977年、撮影済みフィルムの市場調査の結果、写真の失敗要因の36%がピンボケであることを踏まえ、世界初のオートフォーカスカメラ「コニカC35AF(愛称:ジャスピンコニカ)」を発売した。 |
| 1977年 |
1977年には子会社として独立 |
| 1977年 |
1977年に子会社として独立しました。 |
| 1977年 |
世界初の指先測定型パルスオキシメータ「OXIMET MET-1471」発売 |
| 1977年 |
世界初のオートフォーカスカメラ「コニカC35AF(ジャスピンコニカ)」発売 |
| 2003年 |
2003年にコニカミノルタが誕生し、新しい価値の創造へと歩み始めました。 |
| 2003年 |
2003~現在 コニカミノルタの誕生、新しい価値の創造へ |