| 1902年 |
1902年、新宿に感光材料の開発と製造を行う「六桜社」(後に淀橋工場と改称)が設立され、翌年には、ここで製造された国産初の印画紙「さくら白金タイプ紙」が発売されました。 |
| 1903年 |
1903年、国産初の印画紙「さくら白金タイプ紙」が発売されました。 |
| 1923年 |
1923年、六代目杉浦六右衞門の遺言をうけた息子の七代目六右衛門により、写真技術と芸術の人材育成のための写真学校「小西写真専門学校」が設立されました。その後、「東京工芸大学」と名を変えたこの学校は、テクノロジーとアートを融合した教育機関として、多くの写真家や研究者を輩出しています。 |
| 1928-11-11 |
田嶋一雄は、欧州訪問の際に光学機器の将来性に着目。帰国後の1928年11月11日に「日独写真機商店」(後のミノルタ株式会社)を設立し、現在の西宮市武庫川河畔に最初の工場を開きました。当時、周辺に下請け工場などはなく、ドイツから呼び寄せた技術者たちの指導のもと、小さな部品の1つ1つにいたるまで自社生産が行われていました。そして翌年にはカメラ一号機「ニフカレッテ」を発売します。 |
| 1929年 |
一般撮影用写真フィルム「さくらフィルム」を発売しました。 |
| 1933年 |
1933年、これまで輸入品が当たり前とされていたX線フィルムで、海外製品と比べても遜色ない「さくらレントゲンフィルム」を開発・生産し、販売を開始しました。 |
| 1936年 |
組織を株式会社に改め、株式会社小西六本店(後のコニカ株式会社)を設立しました。 |
| 1940年 |
1940年、国産初のカラーフィルム「さくら天然色フィルム」を発表しました。そして翌1941年に「さくら天然色フィルム」は18枚撮り10円で発売されました。 |
| 1951年 |
1951年、日本初のCMソングをラジオで流しました。 |
| 1951年 |
1951年、日本初のCMソングをラジオで流しました。 |
| 1952年 |
1952年、初の米国拠点を設立しました。 |
| 1956年 |
1956年、米国・フィラデルフィアに現地法人コニフォト・コーポレーションを設立しました。 |
| 1956年 |
1956年、米国フィラデルフィアに現地法人コニフォト・コーポレーションを設立しました。 |
| 1958年 |
1958年にプラネタリウム一号機が完成し、兵庫県の遊園地・阪神パークで開催された科学博覧会で公開実演され、3か月で20万人を超える多くの観客を集めました。 |
| 1959年 |
1959年、ニューヨークにカメラの販売会社ミノルタコーポレーションを設立しました。 |
| 1959年 |
1959年、ニューヨークにミノルタコーポレーションを設立しました。 |
| 1960年 |
複写機一号機「ミノルタコピーマスター」(湿式ジアゾ複写機)完成
カメラで培った技術を元に光学関連機器の開発に取り組み始めました。中でもとくに注力したのは複写機の開発です。1960年に第一号機として湿式ジアゾ複写機「ミノルタコピーマスター」を完成。その後も開発を進め、情報化社会の進展に伴って需要を伸ばしていきます。 |
| 1962年 |
米国の宇宙船フレンドシップ7号の記録用カメラとして「ミノルタハイマチック」が搭載される
1950年代、米国のカメラショーに積極的に出展するなど業界に先駆けて海外へ打って出ていきました。当時、世界では超大国による宇宙開発競争が活発化していました。1958年に米航空宇宙局(NASA)が設立され、1961年に有人宇宙飛行に成功、1962年にはジョン・グレン飛行士が地球周回軌道を飛行し、宇宙から見た地球の撮影に成功します。その時使用したカメラが「ミノルタハイマチック」でした。この快挙は、世界における日本のカメラの評価を大きく変えました。その時のカメラは、米国ワシントンのスミソニアン博物館に永久所蔵品として展示されています。 |
| 1962年 |
初の欧州拠点を設立 |
| 1962年 |
1962年、ドイツ・ハンブルクにカメラの販売拠点として、コニカ・ヨーロッパ・センターを開設。欧州における製品流通とアフターサービスの体制を整えました。翌年にはケルン市で開催された第8回フォトキナに初出展し、その後欧州への輸出を徐々に増やしていきます。 |
| 1962年 |
1950年代、米国のカメラショーに積極的に出展するなど業界に先駆けて海外へ打って出ていきました。当時、世界では超大国による宇宙開発競争が活発化していました。1958年に米航空宇宙局(NASA)が設立され、1961年に有人宇宙飛行に成功、1962年にはジョン・グレン飛行士が地球周回軌道を飛行し、宇宙から見た地球の撮影に成功します。その時使用したカメラが「ミノルタハイマチック」でした。この快挙は、世界における日本のカメラの評価を大きく変えました。その時のカメラは、米国ワシントンのスミソニアン博物館に永久所蔵品として展示されています。 |
| 1962年 |
初の欧州拠点を設立 |
| 1962年 |
1962年、ドイツ・ハンブルクにカメラの販売拠点として、コニカ・ヨーロッパ・センターを開設。欧州における製品流通とアフターサービスの体制を整えました。翌年にはケルン市で開催された第8回フォトキナに初出展し、その後欧州への輸出を徐々に増やしていきます。 |
| 1965年 |
1965年に設立したミノルタスイスを出資者として、ハンブルクに子会社を設立。 |
| 1965年 |
ミノルタは1965年に設立したミノルタスイスを出資者として、ハンブルクに子会社を設立。 |
| 1966年 |
財団法人橘保善会(現 コニカミノルタ科学技術振興財団)設立 |
| 1966年 |
初の量産型光学式プラネタリウム「MS-10」一号機を設置 |
| 1966年 |
初の量産型光学式プラネタリウム「MS-10」一号機を設置 |
| 1966年 |
財団法人橘保善会(現 コニカミノルタ科学技術振興財団)設立 |
| 1968年 |
テレビ色彩調整分析器「ミノルタTVカラーアナライザー」発売、産業用計測機器分野に進出 |
| 1968年 |
テレビ色彩調整分析器「ミノルタTVカラーアナライザー」発売、産業用計測機器分野に進出 |
| 1968年 |
1968年、米国の宇宙船アポロ8号に「ミノルタスペースメーター」が搭載されました。これは米航空宇宙局(NASA)から、当時当社が市販していた露出計「オートスポット1°」をアポロ計画向けに改良してほしいという依頼を受けて製造したものでした。この露出計は1969年に史上初の有人月面着陸を成し遂げたアポロ11号にも搭載され、世紀の宇宙開拓プロジェクトに貢献しました。 |
| 1969年 |
1969年に事務機部門を設立しました。 |
| 1969年 |
史上初の有人月面着陸を果たしたアポロ11号に、露出計「ミノルタスペースメーター」搭載 |
| 1969年 |
1969年、ミノルタ事務機部門を設立しました。 |
| 1969年 |
1968年、米国の宇宙船アポロ8号に「ミノルタスペースメーター」が搭載されました。これは米航空宇宙局(NASA)から、当時当社が市販していた露出計「オートスポット1°」をアポロ計画向けに改良してほしいという依頼を受けて製造したものでした。この露出計は1969年に史上初の有人月面着陸を成し遂げたアポロ11号にも搭載され、世紀の宇宙開拓プロジェクトに貢献しました。 |
| 1969年 |
1968年、米国の宇宙船アポロ8号に「ミノルタスペースメーター」が搭載されました。これは米航空宇宙局(NASA)から、当時当社が市販していた露出計「オートスポット1°」をアポロ計画向けに改良してほしいという依頼を受けて製造したものでした。この露出計は1969年に史上初の有人月面着陸を成し遂げたアポロ11号にも搭載され、世紀の宇宙開拓プロジェクトに貢献しました。 |
| 1971年 |
当社初の普通紙複写機「U-BIX480」発売 |
| 1971年 |
1970年に開催されたビジネスショーに出展、翌1971年に「U-BIX(ユービックス)480」という商品名で発売して、生産が需要に追い付かないほどの好評を博しました。 |
| 1971年 |
今日広く普及している、普通紙を使用する電子写真複写機(普通紙複写機、PPC)の開発を進め、ついに独自技術によるPPCを完成。1970年に開催されたビジネスショーに出展、翌1971年に「U-BIX(ユービックス)480」という商品名で発売して、生産が需要に追い付かないほどの好評を博しました。 |
| 1971年 |
1971年に当社初の普通紙複写機「U-BIX480」発売。今日広く普及している、普通紙を使用する電子写真複写機(普通紙複写機、PPC)の開発を進め、ついに独自技術によるPPCを完成。1970年に開催されたビジネスショーに出展、翌1971年に「U-BIX(ユービックス)480」という商品名で発売して、生産が需要に追い付かないほどの好評を博しました。 |
| 1973年 |
運転免許証を作成する「さくらカラーIDシステム」全国で稼動 |
| 1973年 |
運転免許証を作成する「さくらカラーIDシステム」全国で稼動。 |
| 1973年 |
運転免許証を作成する「さくらカラーIDシステム」全国で稼動 |
| 1973年 |
1973年に運転免許証を作成する「さくらカラーIDシステム」が全国で稼動。 |
| 1975年 |
世界初のフラッシュ内蔵カメラ「コニカC35EF(ピッカリコニカ)」発売 |
| 1975年 |
世界初のフラッシュ内蔵カメラ「コニカC35EF(ピッカリコニカ)」発売。誰でも簡単に撮れるカメラをとことん追求した結果生まれた、世界初のフラッシュ内蔵カメラ「コニカC35EF(愛称:ピッカリコニカ)」。「シャッターを押すだけでいつでも写真を撮りたい」そんな一般ユーザーの根源的なニーズを捉え、カメラ大衆化時代の到来を象徴する大ヒット商品となりました。 |
| 1975年 |
ランゲンハーゲンに複写機の販売拠点を開設。 |
| 1975年 |
誰でも簡単に撮れるカメラをとことん追求した結果生まれた、世界初のフラッシュ内蔵カメラ「コニカC35EF(愛称:ピッカリコニカ)」。「シャッターを押すだけでいつでも写真を撮りたい」そんな一般ユーザーの根源的なニーズを捉え、カメラ大衆化時代の到来を象徴する大ヒット商品となりました。 |
| 1975年 |
1975年に世界初のフラッシュ内蔵カメラ「コニカC35EF(ピッカリコニカ)」発売。誰でも簡単に撮れるカメラをとことん追求した結果生まれた、世界初のフラッシュ内蔵カメラ「コニカC35EF(愛称:ピッカリコニカ)」。「シャッターを押すだけでいつでも写真を撮りたい」そんな一般ユーザーの根源的なニーズを捉え、カメラ大衆化時代の到来を象徴する大ヒット商品となりました。 |
| 1975年 |
1975年にはランゲンハーゲンに複写機の販売拠点を開設しました。 |
| 1976年 |
業界初の24枚撮りフィルム「サクラカラー24」発売 |
| 1976年 |
業界初の24枚撮りフィルム「サクラカラー24」発売。 |
| 1976年 |
業界初の24枚撮りフィルム「サクラカラー24」発売 |
| 1976年 |
1976年に業界初の24枚撮りフィルム「サクラカラー24」発売。 |
| 1977年 |
1977年に事務機部門が子会社として独立しました。 |
| 1977年 |
世界初の指先測定型パルスオキシメータ「OXIMET MET-1471」発売 |
| 1977年 |
世界初のオートフォーカスカメラ「コニカC35AF(ジャスピンコニカ)」発売 |
| 1977年 |
世界初の指先測定型パルスオキシメータ「OXIMET MET-1471」発売。パルスオキシメータとは、動脈血中に含まれる酸素の量(動脈血酸素飽和度 SpO2)を、採血することなく測定する装置です。体内への酸素の取り入れ状況をリアルタイムに検知するため、病院の手術室や集中治療室、呼吸器科の外来などで、幅広く使用されています。当社は1977年、世界で最初の指先測定型のパルスオキシメータ「OXIMET MET-1471」を発売。その後、小型化と高品質の追求を進め、40年以上を経て、新型コロナウイルス感染症患者の重症度の判断に有効なツールとしても大いに活用されました。 |
| 1977年 |
世界初のオートフォーカスカメラ「コニカC35AF(ジャスピンコニカ)」発売。当時行った撮影済みフィルムの市場調査の結果、写真の失敗要因の36%がピンボケ(焦点が合っておらず不鮮明になる)であることが判明。その解消をめざした技術開発によって生まれたのが、世界初のオートフォーカスカメラ「コニカC35AF(愛称:ジャスピンコニカ)」です。シャッターを押すだけで自動的に焦点を合わせてくれるカメラの登場で、多くの人が鮮明な写真を撮影できるようになりました。 |
| 1977年 |
1977年、ミノルタ事務機部門が子会社として独立しました。 |
| 1977年 |
当社は1977年、世界で最初の指先測定型のパルスオキシメータ「OXIMET MET-1471」を発売。その後、小型化と高品質の追求を進め、40年以上を経て、新型コロナウイルス感染症患者の重症度の判断に有効なツールとしても大いに活用されました。 |
| 1977年 |
当時行った撮影済みフィルムの市場調査の結果、写真の失敗要因の36%がピンボケ(焦点が合っておらず不鮮明になる)であることが判明。その解消をめざした技術開発によって生まれたのが、世界初のオートフォーカスカメラ「コニカC35AF(愛称:ジャスピンコニカ)」です。シャッターを押すだけで自動的に焦点を合わせてくれるカメラの登場で、多くの人が鮮明な写真を撮影できるようになりました。 |
| 1977年 |
1977年に世界初の指先測定型パルスオキシメータ「OXIMET MET-1471」発売。パルスオキシメータとは、動脈血中に含まれる酸素の量(動脈血酸素飽和度 SpO2)を、採血することなく測定する装置です。体内への酸素の取り入れ状況をリアルタイムに検知するため、病院の手術室や集中治療室、呼吸器科の外来などで、幅広く使用されています。当社は1977年、世界で最初の指先測定型のパルスオキシメータ「OXIMET MET-1471」を発売。その後、小型化と高品質の追求を進め、40年以上を経て、新型コロナウイルス感染症患者の重症度の判断に有効なツールとしても大いに活用されました。 |
| 1977年 |
1977年に世界初のオートフォーカスカメラ「コニカC35AF(ジャスピンコニカ)」発売。当時行った撮影済みフィルムの市場調査の結果、写真の失敗要因の36%がピンボケ(焦点が合っておらず不鮮明になる)であることが判明。その解消をめざした技術開発によって生まれたのが、世界初のオートフォーカスカメラ「コニカC35AF(愛称:ジャスピンコニカ)」です。シャッターを押すだけで自動的に焦点を合わせてくれるカメラの登場で、多くの人が鮮明な写真を撮影できるようになりました。 |
| 2003年 |
2003年、コニカミノルタの誕生により、コニカミノルタQOLソリューションズ株式会社が誕生しました。 |
| 2003年 |
2003年、コニカミノルタが設立され、コニカとミノルタの統合により新たな企業が誕生しました。 |