コニカミノルタホールディングス株式会社
1936-12-22
Japan
〒100-7015 東京都千代田区丸の内2-7-2 JPタワー
大幸 利充
37,519,000,000 円 (375 億円)
3,922 人
35,631 人
会社名
Group 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行等 株主等
FIRST
グループ会社 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行・融資・与信 出資・持分・株主
Group
コニカミノルタFPTソリューションラボ株式会社
グループ会社 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行・融資・与信 出資・持分・株主
Group 子会社
コニカミノルタIJプロダクト株式会社
グループ会社 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行・融資・与信 出資・持分・株主
Group 子会社
コニカミノルタアドバンストオプティクス株式会社
グループ会社 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行・融資・与信 出資・持分・株主
Group 子会社
コニカミノルタソフトウェア研究所株式会社
グループ会社 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行・融資・与信 出資・持分・株主
Group 子会社
コニカミノルタ静岡株式会社
グループ会社 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行・融資・与信 出資・持分・株主
Group 子会社

54 件
日付概要
1872年 杉浦六三郎、東京麹町の小西屋六兵衛店で石版・写真器材の取り扱い開始(後のコニカ株式会社の創業) 杉浦六三郎(後に六代目杉浦六右衛門と改名)の曽祖父がはじめた薬種問屋「小西屋六兵衛店」は、東京でも有数の大商店でした。六三郎は25歳の時に写真館で撮影した写真に感動し、写真器材の取り扱いをはじめます。その後、家業から独立、日本橋に石版・写真器材の販売店「小西本店」(後のコニカ株式会社)を開業しました。
1881年 写真用暗箱の製造を開始
1881年 石版印刷器械の製造を開始
1896年 X線器械を輸入し実験を実施
1897年 映画撮影機器を国内初輸入、初の日本人撮影による映画が完成
1902年 1902年、新宿に感光材料の開発と製造を行う「六桜社」(後に淀橋工場と改称)が設立され、翌年には、ここで製造された国産初の印画紙「さくら白金タイプ紙」が発売されました。
1903年 国産初の印画紙「さくら白金タイプ紙」発売
1903年 国産初のブランド付量産カメラ「チェリー手提用暗函」発売
1913年 石版印刷インキの製造に成功
1923年 小西写真専門学校(現 東京工芸大学)設立
1923年 1923年、六代目杉浦六右衞門の遺言をうけた息子の七代目六右衛門により、写真技術と芸術の人材育成のための写真学校「小西写真専門学校」が設立されました。
1928年 田嶋一雄、「日独写真機商店」(後のミノルタ株式会社)を創立、国産カメラの製造に着手
1928-11-11 田嶋一雄は、欧州訪問の際に光学機器の将来性に着目。帰国後の1928年11月11日に「日独写真機商店」(後のミノルタ株式会社)を設立し、現在の西宮市武庫川河畔に最初の工場を開きました。
1929年 一般撮影用写真フィルム「さくらフィルム」発売
1929年 一般撮影用写真フィルム『さくらフィルム』発売。
1933年 自社開発・生産の「さくらレントゲンフィルム」発売
1933年 自社開発・生産の『さくらレントゲンフィルム』発売。
1936年 組織を株式会社に改め、株式会社小西六本店(後のコニカ株式会社)を設立
1936年 組織を株式会社に改め、株式会社小西六本店(後のコニカ株式会社)を設立。
1940年 国産初のカラーフィルム「さくら天然色フィルム」発表
1940年 国産初のカラーフィルム『さくら天然色フィルム』発表。
1951年 日本初のCMソングをラジオで流す
1951年 日本初のCMソングをラジオで流す。
1952年 初の米国拠点を設立
1952年 初の米国拠点を設立。
1956年 1956年、同市に現地法人コニフォト・コーポレーションを設立しました。
1958年 プラネタリウム一号機完成、科学博覧会で公開実演
1958年 プラネタリウム一号機完成、科学博覧会で公開実演。
1959年 1959年、ニューヨークにカメラの販売会社ミノルタコーポレーションを設立。
1960年 カメラで培った技術を元に光学関連機器の開発に取り組み始めました。中でもとくに注力したのは複写機の開発です。1960年に第一号機として湿式ジアゾ複写機「ミノルタコピーマスター」を完成。その後も開発を進め、情報化社会の進展に伴って需要を伸ばしていきます。
1962年 1950年代、米国のカメラショーに積極的に出展するなど業界に先駆けて海外へ打って出ていきました。当時、世界では超大国による宇宙開発競争が活発化していました。1958年に米航空宇宙局(NASA)が設立され、1961年に有人宇宙飛行に成功、1962年にはジョン・グレン飛行士が地球周回軌道を飛行し、宇宙から見た地球の撮影に成功します。その時使用したカメラが「ミノルタハイマチック」でした。この快挙は、世界における日本のカメラの評価を大きく変えました。その時のカメラは、米国ワシントンのスミソニアン博物館に永久所蔵品として展示されています。
1962年 初の欧州拠点を設立
1962年 初の欧州拠点を設立 コニカは、1962年、ドイツ・ハンブルクにカメラの販売拠点として、コニカ・ヨーロッパ・センターを開設。欧州における製品流通とアフターサービスの体制を整えました。翌年にはケルン市で開催された第8回フォトキナに初出展し、その後欧州への輸出を徐々に増やしていきます。
1965年 ミノルタは1965年に設立したミノルタスイスを出資者として、ハンブルクに子会社を設立。
1966年 財団法人橘保善会(現 コニカミノルタ科学技術振興財団)設立
1966年 初の量産型光学式プラネタリウム「MS-10」一号機を設置
1968年 テレビ色彩調整分析器「ミノルタTVカラーアナライザー」発売、産業用計測機器分野に進出
1969年 1969年に設立した事務機部門。
1969年 史上初の有人月面着陸を果たしたアポロ11号に、露出計「ミノルタスペースメーター」搭載
1971年 当社初の普通紙複写機「U-BIX480」発売
1971年 当社初の普通紙複写機「U-BIX480」発売 今日広く普及している、普通紙を使用する電子写真複写機(普通紙複写機、PPC)の開発を進め、ついに独自技術によるPPCを完成。1970年に開催されたビジネスショーに出展、翌1971年に「U-BIX(ユービックス)480」という商品名で発売して、生産が需要に追い付かないほどの好評を博しました。
1973年 運転免許証を作成する「さくらカラーIDシステム」全国で稼動
1973年 運転免許証を作成する「さくらカラーIDシステム」全国で稼動
1975年 世界初のフラッシュ内蔵カメラ「コニカC35EF(ピッカリコニカ)」発売
1975年 世界初のフラッシュ内蔵カメラ「コニカC35EF(ピッカリコニカ)」発売 誰でも簡単に撮れるカメラをとことん追求した結果生まれた、世界初のフラッシュ内蔵カメラ「コニカC35EF(愛称:ピッカリコニカ)」。「シャッターを押すだけでいつでも写真を撮りたい」そんな一般ユーザーの根源的なニーズを捉え、カメラ大衆化時代の到来を象徴する大ヒット商品となりました。
1975年 1975年にはランゲンハーゲンに複写機の販売拠点を開設しました。
1976年 業界初の24枚撮りフィルム「サクラカラー24」発売
1976年 業界初の24枚撮りフィルム「サクラカラー24」発売 詳しく見る
1977年 1977年には子会社として独立しました。
1977年 世界初の指先測定型パルスオキシメータ「OXIMET MET-1471」発売
1977年 世界初のオートフォーカスカメラ「コニカC35AF(ジャスピンコニカ)」発売
1977年 世界初の指先測定型パルスオキシメータ「OXIMET MET-1471」発売 パルスオキシメータとは、動脈血中に含まれる酸素の量(動脈血酸素飽和度 SpO2)を、採血することなく測定する装置です。体内への酸素の取り入れ状況をリアルタイムに検知するため、病院の手術室や集中治療室、呼吸器科の外来などで、幅広く使用されています。当社は1977年、世界で最初の指先測定型のパルスオキシメータ「OXIMET MET-1471」を発売。その後、小型化と高品質の追求を進め、40年以上を経て、新型コロナウイルス感染症患者の重症度の判断に有効なツールとしても大いに活用されました。
1977年 世界初のオートフォーカスカメラ「コニカC35AF(ジャスピンコニカ)」発売 当時行った撮影済みフィルムの市場調査の結果、写真の失敗要因の36%がピンボケ(焦点が合っておらず不鮮明になる)であることが判明。その解消をめざした技術開発によって生まれたのが、世界初のオートフォーカスカメラ「コニカC35AF(愛称:ジャスピンコニカ)」です。シャッターを押すだけで自動的に焦点を合わせてくれるカメラの登場で、多くの人が鮮明な写真を撮影できるようになりました。
2003年 2003~現在 コニカミノルタの誕生。
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2026-06-21 00:52 (Model: gpt-4.1-nano )
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