| 1918年12月 |
大正7年12月、T型フォード16台で発足した同社は後に数社との合併を経て神奈川都市交通に発展、高島町交差点近くの同社ビル1階には、当社も事務所を置いたこともあった。 |
| 1924年 |
当社がこれを導入したのは開業間もない大正13年だった |
| 1924年 |
大正13年創業以来、横浜を中心にここ神奈川の地で「石油」という産業の基幹を担う仕事に情熱と誇りをもって取り組んでいます。 |
| 1924年08月 |
横浜市中区桜木町にて「横浜豊商会」創業 三菱商事燃料部代理店 |
| 1924-08-01 |
豊商会横浜出張所開業 |
| 1928年 |
昭和3年には片瀬給油所も経営するようになっていった。 |
| 1928年08月 |
昭和3年8月開通した専用道「日本自動車道」 |
| 1929年02月 |
昭和4年2月、現在地と同じ高島町に給油所を移転開設した。 |
| 1930年 |
昭和5年、東京にあった各系列の代表格としての大手特約店7社の発起によって「石油協会」が結成された |
| 1930年 |
昭和5年に助手から正式運転手となったある顧客は、「相生町にあったスタンドでは5ガロン1円55銭だった。これにガソリンガールから煙草1箱を手渡され、コーヒー付きのサービスだった」 |
| 1930年02月 |
西区高島町に移転(現本社所在地) |
| 1931年 |
昭和6年、元料理屋を買収して表高島町に移転することを決めた |
| 1933年 |
昭和8年、「日ソ石油」が輸入、販売されるようになると販売合戦はさらに激しくなり、対抗する元売6社が1ガロン(約3.8リットル)あたり特約店渡し価格40銭と協定したが守られず、ついには26銭まで暴落するという状況があった。 |
| 1934年 |
昭和9年に入ると京浜重工業地帯のエネルギーを一手に賄う横浜港には内外各地から石油が到着し、横浜経済の興隆は益々上がっていった。 |
| 1935年 |
昭和10年全国自動車保有台数の推移 |
| 1935年 |
昭和10年から同23年まで三菱石油の社員として当社との納品業務に携わってきた鈴木次郎氏 |
| 1945-05-28 |
豊商会が創業した横浜は、昭和20年5月29日に米軍による猛烈な空襲攻撃を受けて壊滅する。横浜大空襲は同日午前10時半に始まったが、これを後藤張幹は片瀬の自宅のラジオで臨時ニュースを聞き、危険も顧みず急遽、出社したという。 |
| 1949年02月 |
法人組織に改組 日本石油株式会社特約店となる |
| 1949年02月 |
後藤張幹と株主6名をもって法人を設立し、社名を「株式会社豊商会」とし、資本金は200万円だった。 |
| 1949年06月 |
同25年6月に朝鮮動乱が勃発し、未曾有の特需ブームが押し寄せ、日本経済はわずか2年半で簡単に戦前水準を回復し、高度成長への途を拓いていった。 |
| 1949-06-10 |
昭和25年6月10日付けで当社が建設省藤沢土木出張所へ提出した製品納入見積書をみると、当時の大口需要家に対する価格が、表のようになっていて状況が把握できる。 |
| 1949年07月 |
株式會社豊商會の用箋 昭和 24年7月起 後藤用 |
| 1949-08-01 |
昭和24年8月1日に藤沢西給油所を開設し、 |
| 1949-12-14 |
後藤張幹社長は新生豊商会の1年の愛顧の気持ちを込め戦後初の「御歳暮」を用意した。それは「豊商会」の金文字入り特注の「手帳」である。12月14日から感謝の気持ちと共に顧客へ配った。 |
| 1950年03月 |
昭和26年3月に入社し、以来、専ら潤滑油畑を歩いて来た神山隆二は、「入社当時はまだ統制下で、1号線のスタンドも当社の高島町給油所から藤沢遊行寺下の神奈川石油までの間に、戸塚平戸と戸塚警察署隣の内田さんとの、合わせて4軒しかありませんでした」と回顧する。 |
| 1952-04-01 |
同27年4月1日に従来の吉野町給油所を改築して再開店し活発な事業展開に励んでいた。 |
| 1952-04-01 |
吉野町を改造オープン |
| 1952年06月 |
統制撤廃を目前に控える昭和27年6月、社長は全国石油協会総会に神奈川県支会常任埋事の資格で出席し、「統制撤廃後における市場安定策と業界の結束を強く求める」と発言、まとまりのない業界体質と自由化後の過当競争を予測して憂慮した。 |
| 1952年07月 |
切符制による価格統制が解除されるのは昭和27年7月であった。 |
| 1952年09月 |
「神奈川県石油業協組」が設立され、設立発起人である後藤張幹も10名の理事の1人として選任された。この協組設立による業界の一本化は東京に先んじた。このときに協定された自動車用揮発油の価格は1リットル35円(65、72オクタン価共通)、白灯油1リットル24円、軽油1リットル19円というものであり、約3年前の24年暮の統計で全国に28万台に及ばなかった自動車台数が、この年9月には65万台と増えていた。 |
| 1953-04-06 |
28年4月6日も自宅で気分が悪くなり、日頃、家族の主治医として付き合いがあった日浦幸助医師の往診を受けた。 |
| 1956年02月 |
当社は東神奈川給油所の運営を開始した |
| 1958年 |
昭和23年秋になると石油製品販売の統制解除が確定的となり、特約店を復活させる施策を決め、同年末までに全国「74店」を選定した |
| 1959-02-26 |
当社が日本石油と「特約販売契約」を締結したのは昭和24年2月26日であった。公団から日石本社に戻った新井浩販売担当常務の仲介によるものであった。当社は直後、資本金200万円をもって株式会社に改組し、社長に後藤張幹が就任した。日本石油は翌24年2月、特約店網形成「第2弾」として「81店」を加え、当社が「選考基準を満たしている」としてその1社に仲間入りしたのである。 |
| 1959年04月 |
日本石油は翌月29店を追加し、合計184店をもって同年4月以降の統制撤廃に備えた。 |
| 1960年04月 |
本社を横浜市西区桜木町の都市交通ビルに移転 |
| 1962年05月 |
豊計器工業株式会社を設立 |
| 1963年 |
資本金を1000万円に増資して企業体力を強化した。 |
| 1963年02月 |
「花咲町給油所」を開設した。 |
| 1963年04月 |
「戸塚給油所」を開設した。 |
| 1963年05月 |
後藤秀一、ヨシ子夫妻に嗣子元信が生まれた。 |
| 1964-11-12 |
磯子の横浜プリンスホテルで催された「創立40同年記念行事」に後藤張幹・トキ夫妻が元気な様子を見せ、後藤秀一専務が代表して挨拶をした。会場には日本石油の幹部も出席し、当社の社歴に乾杯の音頭を取って花を添えた。 |
| 1965年01月 |
高島町本社で元旦の記念撮影(昭和30年) |
| 1967年 |
本社を中区相生町日吉ビルに移転した。 |
| 1967年03月 |
資本金を2000万円に増資した。 |
| 1967年04月 |
資本金を1500万円に増資した。 |
| 1967年04月 |
「ニュー日石ゴールドガソリン」を新発売した。 |
| 1967年08月 |
「東大和」給油所を開設した。 |
| 1967年11月 |
「藤ヶ岡」給油所を開設した。 |
| 1967年12月 |
油槽所を横浜市旭区川井宿町に開設 |
| 1968年04月 |
本社を横浜市中区住吉町に移転 |
| 1969年 |
昭和44年に発行した社内誌『ゆたか』 |
| 1969年01月 |
昭和44年1月をもって閉鎖 |
| 1969年 |
売上高が26億円を突破した。 |
| 1969年 |
野球部を結成した。 |
| 1969年 |
電算機を導入した。 |
| 1969年05月 |
東名高速が開通した。 |
| 1970年 |
30億円の売上目標を設定した。 |
| 1971年 |
昭和46年に勇退 |
| 1971年 |
新横浜給油所を開設した。 |
| 1971年 |
大津給油所を開設した。 |
| 1971年 |
週休2日制を実施した。 |
| 1971年 |
1971年、当時の後藤秀一社長の英断で、横浜市の動脈ともいえる幹線道路の建設に積極的な協力を惜しまず、土地を売却した。 |
| 1971年04月 |
社内報『ゆたか』で社員平均年齢30.7歳等が報告された。 |
| 1971年06月 |
藤沢市・石川給油所を開設した。 |
| 1971-08-09 |
創立47周年記念会を開催し、社員に万古焼の花瓶を贈った。 |
| 1971年10月 |
鳥浜給油所を新設した。 |
| 1972年05月 |
大和市・上草柳給油所を開設した。 |
| 1973年 |
従業員主導の親睦組織が1973年に誕生している。 |
| 1977-04-01 |
後藤秀一が代表取締役に就任した。 |
| 1977-06-20 |
後藤張幹が逝去した。 |
| 1979年 |
1979年に設立した(有)ゆたか酒店。 |
| 1983年 |
1983年、たばこ・酒類の販売許可を取得。 |
| 1983年07月 |
後藤ヨシ子が取締役に就任した。 |
| 1983年08月 |
株式会社ウェスタンジュエル・ユタカを設立 |
| 1985年 |
1985年設立のユタカガス(株)。 |
| 1985年02月 |
ユタカガス株式会社を設立 |
| 1986年 |
後藤ヨシ子が副社長に就任した。 |
| 1987-10-28 |
1987年10月31日、地鎮祭を行って着工し、翌年6月10日に竣工した。 |
| 1988年06月 |
本社を横浜市西区高島に移転 |
| 1988年06月 |
1988年6月には現在の本社所在地に自社ビルが完成し、創業の地に復帰させた。 |
| 1989年 |
1989年、後藤ヨシ子が社長に就任した。 |
| 1989-03-14 |
後藤秀一が代表取締役会長に就任した。 |
| 1989-03-14 |
後藤ヨシ子が代表取締役社長に就任した。 |
| 1990年 |
直営給油所を増設 |
| 1990年 |
1990年発端の株価暴落。 |
| 1992年 |
1992年、旧本社跡地に建設されたライオンズマンション相鉄いずみ野に「セブンイレブン横浜日向山店」として開店させ。 |
| 1993年11月 |
1993年11月、社員旅行を挙行した。 |
| 1994年 |
1994年、創業70年を迎える。 |
| 1994年06月 |
1994年6月、横浜みなとみらい21に竣工間もないランドマークタワー70階のロイヤルパークホテル宴会場「シリウス」において、祝賀パーティーを行った。 |
| 1996年 |
1996年夏、たまたま休日出勤していた社員が受けた電話が発端で、新たな経営戦略「廃棄物収集運搬」の仕事が始まった。 |
| 1997年02月 |
横浜市産業廃棄物収集運搬業許可取得 |
| 1997年04月 |
横浜市特別管理産業廃棄物収集運搬業許可取得 |
| 1997年04月 |
横浜市一般廃棄物収集運搬業許可取得 |
| 1997年06月 |
1997年6月に竣工していた日石ビル。 |
| 1999年04月 |
神奈川県産業廃棄物収集運搬業許可取得 |
| 2005年 |
2005年、後藤秀一取締役会長逝去により、後藤ヨシ子が会長に、後藤元信が社長に就任した。 |
| 2006年 |
2006年に横浜商工会議所副会頭に推され就任。 |
| 2006年05月 |
ISO14001認証取得 |
| 2008年 |
2008年、環境パフォーマンスの向上・順守義務を満たすこと・環境目標の達成を課した「ISO14001承認」を取得する。 |
| 2008年 |
リーマンショックが発生した2008年には、厳しい経済環境ながら、サンリッチ日向山を除く全てのフルサービスSSからセルフサービスSSへの転換を完了する。 |
| 2008年04月 |
横浜型地域貢献企業認定 |
| 2009年11月 |
古物商(自動車・道具類)許可取得 |
| 2011-03-11 |
2011年3月11日午後2時46分、日本中はおろか世界中を震撼させた東日本大震災が発生した。震災直後には元売会社(当時のJX日鉱日石エネルギー(株))の根岸製油所で全装置が緊急運転停止となり、引き続いて各地で道路網の寸断、物流の停止等も発生、東北地方から関東地方にかけてSSの地下タンクが次々に枯渇した。 |
| 2011-03-21 |
震災10日後、3月21日に根岸製油所が稼働を再開し、当社へも同日に全SSへガソリン、軽油の配送が始まった。現場が通常の業務に回復したのは、発生から20日後、根岸製油所稼働開始から10日後のことだった。 |
| 2012年08月 |
東京都産業廃棄物収集運搬業許可取得 |
| 2013年02月 |
埼玉県産業廃棄物収集運搬業許可取得 |
| 2014年04月 |
鎌倉市一般廃棄物収集運搬業許可取得 |
| 2015年08月 |
神奈川県解体工事業者登録 |
| 2017年05月 |
神奈川県特別管理産業廃棄物収集運搬業許可取得 |
| 2022年05月 |
産業廃棄物積替保管施設を横浜市泉区上飯田町に開設 |