株式会社マツオカコーポレーション
MATSUOKA CORPORATION 別名
1956-01-01
TYO
Japan
縫製事業:メンズ・レディースのカジュアルウェア、インナーウェア、ワーキングウェア等の縫製、洗い加工、プリーツ加工、生地開発と生産
ラミネーションフィルム事業:フィルム生産及びラミネート加工、生地及び加工技術の研究開発
各事業にかかる貿易業務
〒720-0067 広島県福山市西町二丁目8番19号
松岡 典之
633,020,000  (6 億)
177 人
21,086 人
会社名
Group 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行等 株主等
グループ会社 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行・融資・与信 出資・持分・株主
Group 子会社
グループ会社 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行・融資・与信 出資・持分・株主
Group 子会社
オカノハイテック株式会社(現 オー・エイチ・ティ株式会社)
グループ会社 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行・融資・与信 出資・持分・株主
Group
クレディ・スイス証券ジャパン株式会社
グループ会社 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行・融資・与信 出資・持分・株主
Group
上海世界聯合服装有限公司
グループ会社 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行・融資・与信 出資・持分・株主
Group
中央青山監査法人
グループ会社 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行・融資・与信 出資・持分・株主
Group
日本キャップジェミニ・アーンストアンドヤング株式会社
グループ会社 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行・融資・与信 出資・持分・株主
Group
株式会社INCJ(旧 産業革新機構)
グループ会社 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行・融資・与信 出資・持分・株主
Group
株式会社サザビー(現株式会社サザビーリーグ)
グループ会社 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行・融資・与信 出資・持分・株主
Group
株式会社シェーンコーポレーションジャパン
グループ会社 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行・融資・与信 出資・持分・株主
Group
株式会社ベルリッツコーポレーション
グループ会社 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行・融資・与信 出資・持分・株主
Group
株式会社ワールド
グループ会社 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行・融資・与信 出資・持分・株主
Group
株式会社ワールドインダストリー
グループ会社 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行・融資・与信 出資・持分・株主
Group
株式会社誠和
グループ会社 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行・融資・与信 出資・持分・株主
Group
株式会社Stanb y C
グループ会社 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行・融資・与信 出資・持分・株主
Group
連雲港松岡服飾貿易有限公司
グループ会社 親会社 子会社 得意先 仕入先 業務提携 銀行・融資・与信 出資・持分・株主
Group 子会社

17 件
日付概要
1956年 広島県で呉服店として開業。マツオカは広島県の甲奴郡(こうぬぐん)上下町(※現在の広島県府中市)において、呉服店として会社を設立。府中市は広島県と岡山県にまたがる「備後地域」と呼ばれるエリアで、戦前は「備後かすり」という藍染かすりの産地として有名でした。設立から間もない1957年に、現在の代表取締役、松岡 典之(まつおか のりゆき)が誕生します。
1956年 1956年
1956年 設立年 1956年
1963年 売り手からつくり手へ。1970年代には、既製服の需要拡大を受けて受注が増加。1980年には、100名ほどの工員を抱える規模に成長します。
1982年 ものづくりの新天地を目指して。1970年代の高度経済成長で順調に推移したアパレル産業ですが、1980年代に入るとサービス業などへ人材が流出し、縫製工場で働いてくれる人員が徐々に減りはじめました。スタッフの高齢化も進み、労働力の確保という観点から、縫製業を継続していくためには「海外に出ていくしかない」と思い立ちます。そこで、労働資源の豊富だった韓国の工場で委託生産を始めることにしました。その工場では数千人の従業員が整然と並んで座って、忙しくミシンを踏んでいるのです。かたや備後の私の工場はわずか100名。規模感の違いに大きな衝撃を受けました。
1990年 次の舞台、中国へ。1988年のソウル五輪に沸いた韓国も、日本と同様に若い労働資源は製造業からサービス業へと流れていきます。このままではお客さまのニーズに応えられないと感じ、次の舞台である中国での製造を目指します。1989年に天安門事件が起き、不安定な情勢のなかでの決断でした。浙江省平湖市にある650人の工場に出資する機会を得て、合弁企業の形で自分たちの工場をスタートしました。人との出会いに恵まれた挑戦でした。
1991年 初の生産100万枚を実現。『このまま日本で縫製業を続けていても未来はない』という強い危機感からスタートした海外での製造は、お客さまの期待に応えたいという一心から生まれています。その想いを胸にまだ誰も行っていない土地を目指すことで、新たな事業に賛同して一緒に働いてもらえる人材が集まってくれたと思っています。ついに100万枚の生産も実現し、わずか1年で初期投資を回収することができました。
1998年 日本国内の工場を全て閉鎖。650人でスタートした中国の工場は、3年後の1993年には3000人にまで一気に拡大。しかし『ものづくり』は工場の中だけでは成立しません。生地やボタンなどのあらゆる資材を縫製工場に届けなければ動くことができず、海を越えた縫製業のサプライチェーンを構築する必要がありました。そのため、中国を主要な生産拠点とし、日本国内の工場は全て閉鎖しました。
1998年 日本国内の工場を全て閉鎖。650人でスタートした中国の工場は、3年後の1993年には3000人にまで一気に拡大。しかし、『ものづくり』は工場の中だけでは成立しません。生地やボタンなどのあらゆる資材を縫製工場に届けなければ動くことができず、海を越えた縫製業のサプライチェーンを構築する必要がありました。そのため、中国を主要な生産拠点とし、日本国内の工場は全て閉鎖しました。
1999年 上海証券取引所B株市場へ上場。中国での生産は順調に推移し、1999年には上海証券取引所B株市場へ上場します。浙江省では当時、ワーキングウェアやカジュアルウェアを扱う縫製工場が数多く育ってきていたため、わたしたちも上場で得た資金で新しい工場を上海の金山区に設立しました。働く人もたくさんいて、オーダーもたくさんあり、地域の企業がどんどん成長していく。産業も都市も目覚ましい発展を遂げ、中国の発展が加速していく時代でした。
1999年 上海証券取引所B株市場へ上場。中国での生産は順調に推移し、1999年には上海証券取引所B株市場へ上場します。浙江省では当時、ワーキングウェアやカジュアルウェアを扱う縫製工場が数多く育ってきていたため、わたしたちも上場で得た資金で新しい工場を上海の金山区に設立しました。働く人もたくさんいて、オーダーもたんばかりあり、地域の企業がどんどん成長していく。産業も都市も目覚ましい発展を遂げ、中国の発展が加速していく時代でした。
2003年 インドシナ半島を横断する生産拠点づくり。生産地のリスク分散をめざして、2004年にミャンマーの日系工場を譲り受けて操業を開始。2007年には日系の縫製メーカーとして初めて、バングラデシュのダッカに工場を立ち上げます。また、縫製事業以外の新規事業への可能性を模索するなか、2003年には嘉興德永紡織品有限公司(JDT中国)を子会社化し、中国で高機能のフィルム生産とラミネート加工事業を開始しました。その後、2009年には「東レ株式会社」との合弁で機能性下着の専用工場をバングラデシュのバルーカに新設しました。さらに生産拠点をインドシナ半島の東西に持つことでさらにリスクヘッジができると考え、2015年にベトナム北部のハノイ、2018年には「株式会社ファーストリテイリング」「蝶理株式会社」「東レ株式会社」との4社合弁企業としてインドネシアにも工場を設立しました。
2017年 縫製業として初の東証一部上場。2017年12月に長年の目標であった東証一部に上場させていただきました。アパレルの縫製業としては他に例がなく、弊社が初めての事例となるためあらためて身が引き締まる思いでした。しかし、逆に言えば縫製という事業の実態は、これまで明らかになってこなかったということでもあります。今後は経営情報を広く適切に開示しながら、コンプライアンスに基づくガバナンス体制をしっかり整えることで「縫製業のマツオカ」のみならず、縫製業という事業をしっかり「永続」させていきたいと考えています。
2017年12月 縫製業として初の東証一部上場。2017年12月に長年の目標であった東証一部に上場させていただきました。アパレルの縫製業としては他に例がなく、弊社が初めての事例となるためあらためて身が引き締まる思いでした。しかし、逆に言えば縫製という事業の実態は、これまで明らかになってこなかったということでもあります。今後は経営情報を広く適切に開示しながら、コンプライアンスに基づくガバナンス体制をしっかり整えることで「縫製業のマツオカ」のみならず、縫製業という事業をしっかり「永続」させていきたいと考えています。
2021年 新たな成長の実現に向けて。ポストコロナの需要回復を見込むと、近い将来、縫製工場、いわゆる「つくり場」が圧倒的に足りなくなることが予想されます。アパレル需要の回復にしっかりと対応するため、わたしたちは、2021年5月に公表した中期経営計画「ビジョン2025」に基づき、コスト競争力の高いASEAN諸国等への生産地シフトを進めています。なかでも、高い成長性が期待できるベトナムとバングラデシュにおいて大規模な設備投資を行い、生産拠点の拡充を図りました。これにより生産能力の拡大とサプライチェーンのさらなる多元化を推進し、コロナ後の新たな成長の実現を目指します。
2021年 縫製業界の未来を紡ぐために。不安定な世界情勢やパンデミックによってグローバルなサプライチェーンのリスクが高まり、今後は中国・ASEAN諸国等の縫製工場が減っていくと予想されます。必然的に上がっていく人件費や固定費を生産性の向上などで吸収しながら、このリスクをアパレル業界全体としてどうやって共存していくか考えなければいけません。また「サステナビリティ」が叫ばれるなか、「環境」や「人権」など企業にはその対応コストも追加的に求められていきます。わたしたちは高い専門性と汎用性を持った海外工場をASEAN諸国等を中心にバランスよく広げ、生産供給網を多元化させることでお客様が「欲しいときに欲しいものを欲しい量」お届けできるように頑張ってまいります。
2021年05月 新たな成長の実現に向けて。ポストコロナの需要回復を見込むと、近い将来、縫製工場、いわゆる「つくり場」が圧倒的に足りなくなることが予想されます。アパレル需要の回復にしっかりと対応するため、わたしたちは、2021年5月に公表した中期経営計画「ビジョン2025」に基づき、コスト競争力の高いASEAN諸国等への生産地シフトを進めています。なかでも、高い成長性が期待できるベトナムとバングラデシュにおいて大規模な設備投資を行い、生産拠点の拡充を図りました。これにより生産能力の拡大とサプライチェーンのさらなる多元化を推進し、コロナ後の新たな成長の実現を目指します。
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7240001034000
商号又は名称株式会社マツオカコーポレーション
フリガナマツオカコーポレーション
英語名
法人種別301
住所〒720-0067 広島県福山市西町2丁目8番19号
郵便番号7200067
都道府県コード34
市区町村コード207
国外所在地
国内所在地(都道府県)英語
国内所在地(市区町村等)英語
国外所在地(英語)
法人番号指定年月日2015-10-05
更新年月日2025-11-14
変更年月日2025-11-04
登記記録の閉鎖等年月日
登記記録の閉鎖等の事由
承継先法人番号
変更事由の詳細
最新履歴1
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処理区分12
訂正区分0
商号又は名称イメージID
国内所在地イメージID
一連番号4931351
出典:国税庁法人番号公表サイト 基本3情報
7240001034000
法人番号7240001034000
商号又は名称株式会社マツオカコーポレーション
商号又は名称(カナ)マツオカコーポレーション
商号又は名称(英字)
登記記録の閉鎖等年月日
登記記録の閉鎖等の事由
登記住所広島県福山市西町2丁目8番19号
郵便番号7200067
都道府県広島県
都道府県コード34
市区町村(郡)福山市
市区町村コード207
番地以下西町2丁目8番19号
組織種別301
処理区分12
訂正区分0
状態
代表者名称代表取締役社長執行役員 松岡 典之
資本金603000000
従業員数204
企業規模詳細(男性)97
企業規模詳細(女性)107
事業概要
WebサイトURL
創業年
事業種目I:卸売業、小売業
設立年月日
全省庁統一資格-資格等級
全省庁統一資格-営業品目
更新年月日2025-11-14
キー情報7240001034000
出典:Gビズインフォ(経済産業省)
2026-07-20 02:48 (Model: ggml-org/gpt-oss-20b )
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