| 1589年 |
業祖蘇我理右衛門(家祖住友政友の姉婿)、京都に銅吹き・銅細工を業とす(屋号:泉屋) |
| 1599年 |
蘇我理右衛門、粗銅に含まれる銀を抜き取り、銅と銀を得る技術(南蛮吹き)を習得 |
| 1629年 |
住友政友、文殊院嘉休と号し、書籍出版と薬種商を営む |
| 1629年 |
二代住友友以(理右衛門の長男、政友の娘婿)泉屋の本拠を大阪に移す |
| 1689年 |
四代住友友芳、伊予別子銅山発見、翌1691年開坑 |
| 1697年 |
1698年に江戸期最高の253万5,000斤(約1,521トン)に達した。 |
| 1867年 |
政府の別子銅山接収を免れ、以降西洋技術の導入により別子銅山を再興 |
| 1867年 |
開坑後約180年を経た明治初年になると、別子銅山の産銅量が400トン程度にまで落ちた。 |
| 1869年 |
1870(明治3)年に黒色火薬を用いた採鉱法を導入した。 |
| 1869年 |
1870(明治3)年に導入した |
| 1869年 |
御雇い外国人のフランシス・コワニエから黒色火薬を用いた近代的採鉱法を教わり、1870(明治3)年に導入した。 |
| 1869年 |
1870(明治3)年に導入したのもその一つであった。 |
| 1869年 |
1870(明治3)年に黒色火薬を用いた近代的採鉱法を導入した。 |
| 1873年 |
1874年にフランス人技師ルイ・ラロックを招聘し、約1年半にわたる調査をもとに別子銅山の復興計画をまとめた。 |
| 1873年 |
1874年にはフランス人技師 ルイ・ラロックを招聘し |
| 1873年 |
1874年にフランス人技師ルイ・ラロックを招聘し、約1年半にわたる綿密な調査をもとに、別子銅山の復興計画をまとめた。 |
| 1873年 |
1874年にフランス人技師 ルイ・ラロックを招聘 |
| 1873年 |
1874年にはフランス人技師ルイ・ラロックを招聘し、約1年半にわたる綿密な調査をもとに、別子銅山の復興計画をまとめた。 |
| 1873年 |
1874年にはフランス人技師 ルイ・ラロックを招聘し、約1年半にわたる綿密な調査をもとに、別子銅山の復興計画をまとめた。 |
| 1873年 |
1874年にフランス人技師ルイ・ラロックを招聘し、別子銅山の復興計画をまとめた。 |
| 1877年01月 |
1877(明治10)年2月に総理代人(のちの総理事)となった広瀬宰平。 |
| 1877年01月 |
1877(明治10)年2月に総理代人となった広瀬 |
| 1877年01月 |
1877(明治10)年2月に総理代人(のちの総理事)となった広瀬。 |
| 1877年01月 |
1877(明治10)年2月に総理代人(のちの総理事)となった広瀬は、第12代家長住友友とちかの命を受け、 |
| 1877年01月 |
1877(明治10)年2月に総理代人となった広瀬宰平。 |
| 1877年01月 |
1877(明治10)年2月に総理代人となった広瀬宰平が活動を開始した。 |
| 1881年 |
1882年に全19款196条から成る家法を制定した。 |
| 1883年 |
1884年に新居浜の惣開に洋式製錬所を建設した。 |
| 1883年 |
1884年に新居浜の惣開に洋式製錬所を建設していたが、 |
| 1883年 |
1884年に新居浜の惣開に洋式製錬所を建設。 |
| 1887年 |
1888年に江戸期のピークを上回る1,745トンとなった。 |
| 1887年 |
1888年に湿式製銅を採用した山根製錬所を建設した。 |
| 1887年 |
1888年に湿式製銅を採用した山根製錬所を建設し、江戸期のピークを上回る1,745トンの産銅量を記録した。 |
| 1887年 |
1888年に湿式製銅を採用した山根製錬所を建設。 |
| 1887年 |
1888年には江戸期のピークを上回る1,745トンとなった。 |
| 1887年 |
1888年に別子の産銅量が1,745トンとなった。 |
| 1891年 |
1891年に家法と家憲は分離され、 |
| 1891年 |
1891年に家法と家憲は分離され、この条文は「営業の要旨」として、次のように二つに分けられた。 |
| 1891年 |
1891年に家法と家憲は分離され、営業の要旨として二つに分けられた。 |
| 1891年 |
1891年に家法と家憲を分離し、営業の要旨を制定した。 |
| 1891年10月 |
住友家法改正にあたり、「営業の要旨」制定 |
| 1893年09月 |
製錬所の排煙(亜硫酸ガス)による煙害が拡大し、地元から県庁へ陳情(煙害問題の発端) |
| 1894年 |
1894年に惣開で本格的な洋式製錬が開始され、煙害が発生した。 |
| 1894年 |
1894年から檜や杉の植林数を増やした。 |
| 1894年 |
1894年に惣開で本格的な洋式製錬が開始されると被害は深刻化し、地元から県庁に陳情が行われたほか、農民による暴動も発生した。 |
| 1894年 |
1894年に惣開で本格的な洋式製錬が開始。 |
| 1894年 |
1894年から檜や杉の植林数を増やし、 |
| 1894年 |
1894年に惣開で本格的な洋式製錬を開始し、煙害問題が深刻化した。 |
| 1894年 |
1894年から檜や杉の植林数を増やし、植林事業を拡大した。 |
| 1895年 |
1895年に住友銀行を設立した。 |
| 1895年 |
1895年に住友銀行 |
| 1895年 |
1895年に住友銀行を発足した。 |
| 1895年 |
1895年に住友銀行が発足した。 |
| 1895年 |
1895年に住友銀行が発足。 |
| 1897年 |
1897年に住友伸銅場(のちの住友金属工業および現住友電気工業)を設立した。 |
| 1897年 |
1897(明治30)年に3,000トンを超えた産銅量を記録した。 |
| 1897年 |
1897年に住友伸銅場 |
| 1897年 |
1897年に住友伸銅場(のちの住友金属工業および現住友電気工業)を発足した。 |
| 1897年 |
1897(明治30)年に3,000トンを超えた産銅量は、 |
| 1897年 |
1897年に100万本の植林を行った。 |
| 1897年 |
1897年に住友伸銅場(のちの住友金属工業および現住友電気工業)が発足し、3,000トンを超えた産銅量が記録された。 |
| 1897年 |
1897(明治30)年に3,000トンを超えた産銅量。 |
| 1897年 |
1897年に住友伸銅場(のちの住友金属工業および現住友電気工業)が発足。 |
| 1897年 |
1897年に100万本植林。 |
| 1897年 |
1897(明治30)年に住友伸銅場(後の住友金属工業・現住友電気工業)を発足した。 |
| 1897年 |
1897年に別子銅山の産銅量が3,000トンを超えた。 |
| 1897年 |
1897年に植林数が100万本に達した。 |
| 1899年 |
1899年に住友倉庫を設立した。 |
| 1899年 |
1899年に住友倉庫 |
| 1899年 |
1899年に住友倉庫を発足した。 |
| 1899年 |
1899年に住友倉庫が発足した。 |
| 1899年 |
1899年に住友倉庫が発足。 |
| 1901年 |
1901年に住友鋳鋼場を設立した。 |
| 1901年 |
1901年に住友鋳鋼場 |
| 1901年 |
1901年に住友鋳鋼場(のちの住友金属工業)を発足した。 |
| 1901年 |
1901年に200万本の植林を行った。 |
| 1901年 |
1901年に住友鋳鋼場(のちの住友金属工業)が発足し、別子銅山の植林数が200万本を超えた。 |
| 1901年 |
1901年に住友鋳鋼場(のちの住友金属工業)が発足。 |
| 1901年 |
1901年に200万本超の植林。 |
| 1901年 |
1901年に住友鋳鋼場(後の住友金属工業)を発足した。 |
| 1901年 |
1901年に植林数が200万本を超えた。 |
| 1905年01月 |
四阪島製錬所が本格操業を開始 |
| 1905年01月 |
製錬所を四阪島に移転するも煙害被害が拡大 |
| 1905年01月 |
1905年1月に四阪島製錬所が本格操業を開始する |
| 1905年01月 |
四阪島製錬所が本格操業を開始する |
| 1908年04月 |
硫酸・肥料の製造計画が発議された |
| 1908年04月 |
1908年4月に別子銅山の煙害対策として硫酸・肥料製造計画が発議された |
| 1908年04月 |
別子銅山の煙害対策として硫酸・肥料の製造計画が発議された |
| 1908年04月 |
別子銅山の煙害対策として硫酸・肥料製造計画が発議 |
| 1908年04月 |
1908年4月に別子銅山の煙害対策として硫酸・肥料の製造計画が発議された |
| 1909年 |
1909年に産銅量が6,000トン台に達した。 |
| 1909年 |
1909年には6,000トン台に達した |
| 1909年 |
1909年には6,000トン台に達した。 |
| 1909年 |
農民代表との協議会 |
| 1909年 |
1909年の農民代表との協議会 |
| 1909年 |
1909年に別子銅山の産銅量が6,000トン台に達した。 |
| 1909年 |
1909年に6,000トン台に達した。 |
| 1909年 |
1909年に農民代表との協議会で鈴木が農鉱併進の方針を提唱した |
| 1910年11月 |
煙害問題の賠償金支払いが妥結 |
| 1910年11月 |
1910年11月に煙害問題の賠償金支払いが妥結 |
| 1910年11月 |
1910年11月に煙害問題の賠償金支払いが妥結する |
| 1910年11月 |
1910年11月に煙害問題の賠償金支払いが妥結した |
| 1911年 |
1911年に住友電線製造所(現住友電気工業)を設立した。 |
| 1911年 |
1911年に住友電線製造所(現住友電気工業) |
| 1911年 |
住友総本店の重役会で計画実施が決定 |
| 1911年 |
住友電線製造所を発足 |
| 1911年 |
秋 煙害防除のため、亜硫酸ガスを硫酸として回収し、過燐酸石灰(肥料)を製造することを決定 |
| 1911年 |
1911年秋に住友総本店の重役会で同計画の実施が決定 |
| 1911年 |
1911年に住友電線製造所(現住友電気工業)が発足 |
| 1911年 |
煙害防除のため、亜硫酸ガスを硫酸として回収し、過燐酸石灰(肥料)を製造することを決定 |
| 1911年 |
住友総本店の重役会で計画の実施が決定 |
| 1911年 |
1911年秋に住友総本店の重役会で同計画の実施が決定され |
| 1911年 |
1911年秋に住友総本店の重役会で同計画の実施が決定された |
| 1911年 |
住友総本店の重役会で同計画の実施が決定 |
| 1911年09月 |
住友総本店の重役会で同計画の実施が決定 |
| 1913年09月 |
1913(大正2)年9月に住友総本店直営の肥料製造所として設立 |
| 1913-09-22 |
1913(大正2)年9月22日に住友総本店直営の肥料製造所として設立された。 |
| 1913-09-22 |
当社の前身・住友肥料製造所は、1913(大正2)年 9月22日に住友総本店の直営部門としてスタートを切った。 |
| 1913-09-22 |
1913(大正2)年9月22日に住友総本店の直営部門としてスタートを切った |
| 1913-09-22 |
住友肥料製造所が住友総本店の直営部門としてスタート |
| 1913-09-22 |
1913年9月22日に住友肥料製造所が住友総本店の直営部門としてスタート |
| 1913-09-22 |
住友肥料製造所が住友総本店の直営部門としてスタートを切った |
| 1913-09-22 |
1913年9月22日に住友肥料製造所が住友総本店の直営部門としてスタートを切った |
| 1913年11月 |
工場建設を開始 |
| 1915年 |
1915年に営業を開始 |
| 1915年04月 |
大阪出張所を開設 |
| 1915年04月 |
1915年4月に大阪出張所を開設 |
| 1915年04月 |
1915年4月に阪出張所を開設 |
| 1915年04月 |
1915年4月に大阪出張所を開設した |
| 1915年09月 |
操業開始 |
| 1915年09月 |
1915年9月に操業開始 |
| 1915年09月 |
住友肥料製造所の操業開始 |
| 1915年09月 |
1915年9月に操業開始した |
| 1915年09月 |
大阪出張所を開設 |
| 1915-10-04 |
出荷開始 |
| 1915-10-04 |
1915(大正4)年10月4日に新居浜の地から過燐酸石灰を初出荷開業 |
| 1915-10-04 |
1915年10月4日に出荷開始 |
| 1915-10-04 |
1915(大正4)年10月4日に新居浜の地から過燐酸石灰を初出荷し開業 |
| 1915-10-04 |
住友肥料製造所の過燐酸石灰の出荷開始 |
| 1915-10-04 |
1915年10月4日に住友肥料製造所の過燐酸石灰が出荷開始した |
| 1915年12月 |
1915年末、社員はわずか約160名であった |
| 1915年12月 |
肥料(過燐酸石灰)の製造を開始した1915年末 |
| 1916年 |
1916年に過燐酸石灰生産量1万9,000トン |
| 1916年 |
過燐酸石灰の生産量は1万9,000トン |
| 1916年 |
過燐酸石灰の生産量が1万9,000トン |
| 1916年 |
1916年に過燐酸石灰の生産量が1万9,000トン |
| 1916-02-25 |
1916年2月25日に設立された。 |
| 1916年07月 |
1916年7月に大阪舎密工業のアニリン工場と大阪瓦斯の染料工場を買収し、 |
| 1916年07月 |
1916年7月に大阪舎密工業のアニリン工場と大阪瓦斯の染料工場を買収し、日本染料製造の製品として販売する一方、同月に春日出工場の建設に着手し、1918年上期から逐次本格生産を始めた。 |
| 1917年 |
1917年に過燐酸石灰生産量3万6,000トン |
| 1917年 |
過燐酸石灰の生産量は3万6,000トン |
| 1917年 |
過燐酸石灰の生産量が3万6,000トン |
| 1917年 |
1917年に過燐酸石灰の生産量が3万6,000トンへと拡大 |
| 1917年03月 |
硫酸設備4基体制が完成 |
| 1917年03月 |
1917年3月に硫酸設備4基体制が完成 |
| 1917年03月 |
1917年3月に硫酸設備4基体制が完成した |
| 1917年03月 |
1917年3月に当初計画の硫酸設備4基体制が完成 |
| 1918年 |
1918年に日米板ガラス(現日本板硝子)を設立した。 |
| 1918年 |
1918年に日米板ガラス(現日本板硝子) |
| 1918年 |
日米板ガラスを発足 |
| 1918年 |
1918年上期から逐次本格生産を始めた。 |
| 1918年 |
1918年に日米板ガラス(現日本板硝子)が設立 |
| 1918年 |
日米板ガラス(現日本板硝子)が設立 |
| 1918年 |
1918年に日米板ガラス(現日本板硝子)を設立した |
| 1918年 |
1918年に日米板ガラス(現日本板硝子)に出資 |
| 1918年11月 |
1918年11月に工場が所在する大阪市西区春日出町に移転された。 |
| 1919年 |
1919年に大阪北港(現住友商事)と土佐吉野川水力電気(現住友共同電力)を設立した。 |
| 1919年 |
1919年に大阪北港(現住友商事) |
| 1919年 |
大阪北港と土佐吉野川水力電気を発足 |
| 1919年 |
大阪北港(現住友商事)が設立 |
| 1919年 |
1919年に大阪北港(現住友商事)を発足した |
| 1919年 |
1919年に大阪北港(現住友商事)と土佐吉野川水力電気(現住友共同電力)を発足 |
| 1920年 |
1920年に日本電気へ出資した。 |
| 1920年 |
1920年に日本電気へ出資 |
| 1920年 |
日本電気へ出資 |
| 1920年 |
日米板ガラスと日本電気へ出資 |
| 1920年 |
1920年に日本電気へ出資した |
| 1921年02月 |
1921年2月に個人商店であった住友総本店が住友合資会社へと組織を改めた。 |
| 1921年02月 |
1921年2月には個人商店であった住友総本店が住友合資会社へと組織を改めた。 |
| 1921年02月 |
1921年2月に住友総本店が住友合資会社へと組織を改めた。 |
| 1921年02月 |
住友総本店が住友合資会社へ組織改め |
| 1921年02月 |
1921年2月に住友総本店が住友合資会社へ組織改め |
| 1921年02月 |
住友総本店が住友合資会社へと組織を改めた |
| 1921年02月 |
1921年2月に住友総本店が住友合資会社へと組織を改めた |
| 1921年02月 |
住友総本店が住友合資会社へ組織を改めた |
| 1925年 |
1925年に住友肥料製造所が住友合資会社の直営から離れ |
| 1925年 |
1925年に設立3日後には本店を新居浜から大阪へ移転 |
| 1925年 |
従業員数が379名に増加(1925年末) |
| 1925年 |
従業員数は379名に増加 |
| 1925-06-01 |
1925年6月1日、住友肥料製造所は住友合資会社の直営から離れ、株式会社住友肥料製造所として新発足した。 |
| 1925-06-01 |
住友肥料製造所が株式会社として新発足 |
| 1925-06-01 |
1925年6月1日に住友肥料製造所が株式会社住友肥料製造所として新発足 |
| 1925-06-01 |
住友肥料製造所が株式会社住友肥料製造所として新発足 |
| 1925-06-01 |
1925年6月1日に住友肥料製造所が住友合資会社の直営から離れ、株式会社住友肥料製造所として新発足 |
| 1925-06-01 |
1925年6月1日に住友肥料製造所が株式会社住友肥料製造所として新発足した |
| 1925-06-04 |
本店を新居浜から大阪へ移転 |
| 1925年12月 |
従業員数が379名に増加 |
| 1925年12月 |
業界第3位の規模となっていた |
| 1925年12月 |
1925年末に従業員数が379名に増加 |
| 1926年08月 |
1926年8月に監査役の稲畑勝太郎が社長に就任した。 |
| 1928年10月 |
1928年10月に米国のNEC社とアンモニア合成技術導入契約を結んだ。 |
| 1928年10月 |
1928年10月に同社と契約を結んだ。 |
| 1929年 |
1929(昭和4)年から稼働を開始 |
| 1929年 |
1929(昭和4)年から稼働を開始する予定となっていた。 |
| 1929年06月 |
1929年6月に着工し、1930年12月に日産25トンの工場が新居浜に完成した。 |
| 1929年06月 |
1929年6月にアンモニア合成工場を着工した。 |
| 1929年06月 |
1929年6月に着工 |
| 1929年06月 |
1929年6月に着工し、 |
| 1929年06月 |
1929年6月に着工した。 |
| 1930年12月 |
1930年12月に日産25トンのアンモニア合成工場が新居浜に完成した。 |
| 1930年12月 |
1930年12月に日産25トンの工場が新居浜に完成した。 |
| 1931年04月 |
1931年4月からアンモニア合成工場の本格操業に入った。 |
| 1931年04月 |
1931年4月から本格操業に入った。 |
| 1931年04月 |
1931年4月から本格操業に入った |
| 1932年 |
住友合資会社からアルミナ製造の試験を依頼された |
| 1932年 |
1932(昭 和7)年に住友合資会社からアルミナ製造の試験を受けたことに始まる。 |
| 1932年 |
アルミナ製造の試験を受注 |
| 1932年 |
1932(昭 和7)年に住友合資会社からアルミナ製造の試験をゆだねられたことに始まる。 |
| 1933年01月 |
1933年1月に米国のCCC社(Chemical Construction Corp.)からセルデン式接触硫酸製造法を導入し |
| 1933年01月 |
1933年1月に米国のCCC社からセルデン式接触硫酸製造法を導入した。 |
| 1933年01月 |
1933年1月に米国のCCC社からセルデン式接触硫酸製造法を導入し、 |
| 1933年01月 |
1933年1月に米国のCCC社(Chemical Construction Corp.)からセルデン式接触硫酸製造法を導入した。 |
| 1933年07月 |
1933年7月から医薬向けに尿素の試験製造を開始した。 |
| 1933年07月 |
1933年7月から医薬向けに試験製造を開始したが、 |
| 1933年07月 |
1933年7月から医薬向けに試験製造を開始した。 |
| 1934年 |
ファインケミカル事業を傘下に |
| 1934年 |
1934 ファインケミカル事業を傘下に |
| 1934年02月 |
1934年2月には50%硝酸日産50トンの工場が完成し、 |
| 1934年02月 |
1934年2月に2,000万円への倍額増資を行い、 |
| 1934年02月 |
1934年2月に50%硝酸日産50トンの工場が完成した。 |
| 1934年02月 |
1934年2月に2,000万円への倍額増資を行った。 |
| 1934-02-01 |
1934年2月に50%硝酸日産50トンの工場が完成し、硝酸事業への本格的な進出を果たした。 |
| 1934-02-01 |
1934年2月に2,000万円への倍額増資を行った。 |
| 1934-02-15 |
1934年2月15日には社名を株式会社住友肥料製造所から住友化学工業株式会社に改めた。 |
| 1934年03月 |
1934年3月に日産45トンの硫酸工場を建設した。 |
| 1934年03月 |
翌3月には住友の製造会社で初めて株式を公開した。 |
| 1934年03月 |
1934年3月に住友の製造会社で初めて株式を公開した。 |
| 1934年03月 |
1934年3月には住友の製造会社で初めて株式を公開した。 |
| 1934-03-01 |
1934年3月に住友の製造会社で初めて株式を公開した。 |
| 1934年06月 |
住友アルミニウム製錬株式会社設立 |
| 1934年06月 |
住友アルミニウム製錬株式会社を設立 |
| 1934年06月 |
1934年6月に住友アルミニウム製錬株式会社が設立された。 |
| 1934年06月 |
1934年6月に住友アルミニウム製錬株式会社(資本金1,000万円、住友側75%出資)が設立された。 |
| 1936年 |
副産タール分留品の供給を開始 |
| 1936年 |
1936年には副産タール分留品の供給を開始し、原料の供給を通じて同社との関係を深めた。 |
| 1936年 |
副産タール分留品の供給を開始し |
| 1936年02月 |
操業を開始 |
| 1936年02月 |
1936年2月に操業を開始した。 |
| 1936年02月 |
1936年2月から操業を開始した。 |
| 1936年06月 |
氷晶石工場を完成 |
| 1936年06月 |
1936年6月に年産300トンの氷晶石工場を完成させた。 |
| 1936年09月 |
1936年9月に大阪の酉島工場で医薬品、 |
| 1936年09月 |
酉島工場操業開始 |
| 1936年09月 |
1936年9月から操業を開始した。 |
| 1936年09月 |
酉島工場が操業を開始 |
| 1936年09月 |
1936年9月に大坂の酉島工場で医薬品、 |
| 1936年09月 |
酉島工場の操業開始 |
| 1937年 |
1937年にはメタノールとホルマリンの事業が新たに加わった。 |
| 1937年01月 |
フェナセチン等上市 |
| 1937年01月 |
1937年1月からフェナセチン(解熱鎮痛剤用)や塩酸プロカイン(局所麻酔用)などを順次上市し、 |
| 1937年01月 |
フェナセチン(解熱鎮痛剤用)や塩酸プロカイン(局所麻酔用)を順次上市 |
| 1937年01月 |
フェナセチン(解熱鎮痛剤用)や塩酸プロカイン(局所麻酔用)を上市 |
| 1937年01月 |
フェナセチン(解熱鎮痛剤用)や塩酸プロカイン(局所麻酔用)などを順次上市 |
| 1937年01月 |
フェナセチン等の上市 |
| 1937年06月 |
6月に日産5トンのメタノール工場が、 |
| 1937年06月 |
ボーキサイトからアルミナを得るバイヤー法への転換を決定 |
| 1937年06月 |
1937年6月にボーキサイトからアルミナを得るバイヤー法への転換を決定した。 |
| 1937年06月 |
アルミナ生産をボーキサイトからのバイヤー法へ転換 |
| 1937-06-01 |
1937年6月に日産5トンのメタノール工場が建設された。 |
| 1937年09月 |
9月には日産5.5トンのホルマリン工場が、 |
| 1937-09-01 |
1937年9月に日産5.5トンのホルマリン工場が建設された。 |
| 1938年 |
1938年に炭酸ガスとアンモニアの直接合成法に変更し、尿素の製造を本格化させた。 |
| 1938年 |
1938年に炭酸ガスとアンモニアの直 接合成法に変更し、製造を本格化 |
| 1938年 |
1938年には炭酸ガスとアンモニアの直 接合成法に変更し、製造を本格化させた |
| 1938年 |
1938年には炭酸ガスとアンモニアの直接合成法に変更し、製造を本格化させた。 |
| 1938年 |
ニシチン軟膏発売 |
| 1938年 |
1938年には大衆向け医薬品「ニシチン軟膏」などを発売した。 |
| 1938年 |
大衆向け医薬品「ニシチン軟膏」を発売 |
| 1938年 |
ニシチン軟膏を発売 |
| 1938年 |
大衆向け医薬品「ニシチン軟膏」などを発売 |
| 1938年01月 |
1938年に炭酸ガスとアンモニアの直 接合成法に変更し、製造を本格化させた。 |
| 1938年02月 |
アルミナ生産を開始 |
| 1938年02月 |
1938年2月に日産5トンの規模で始まった。 |
| 1938年02月 |
アルミナ生産を日産5トン規模で開始 |
| 1938年02月 |
1938年2月に日産5トンの規模で始まり。 |
| 1938年04月 |
1938年4月からマリン工場の本格操業を開始した。 |
| 1938年04月 |
1938年4月から本格操業を開始し |
| 1938年04月 |
1938年4月から本格操業を 開始 |
| 1938年04月 |
1938年4月から本格操業を開始し、 |
| 1938年04月 |
メタノール、ホルマリンの本格的製造を開始 |
| 1938年04月 |
1938年4月から本格操業を開始した。 |
| 1938-04-01 |
1938年4月から本格操業を開始した。 |
| 1938年08月 |
1938年8月に尿素樹脂の製造を目的に、日本ベークライトとの折半出資で株式会社合成樹脂工業所(現住友ベークライト)を設立した。 |
| 1938年08月 |
1938年8月には尿素樹脂の製造を目的に、日本ベークライトとの折半出資で株式会社合成樹脂工業所(現住友ベークライト)を設立した。 |
| 1938年08月 |
同年8月には尿素樹脂の製造を目的に、日本ベークライトとの折半出資で株式会社合成樹脂工業所(現住友ベークライト)を設立した。 |
| 1938-08-01 |
1938年8月に尿素樹脂の製造を目的に、日本ベークライトとの折半出資で株式会社合成樹脂工業所(現住友ベークライト)を設立した。 |
| 1939年06月 |
1939年6月に硝石の中間実験工場を設置した。 |
| 1939年06月 |
1939年6月に硝石の中間実験工場を |
| 1939年06月 |
1939年6月に硝石の中間実験工場を、 |
| 1939-06-01 |
1939年6月に硝石の中間実験工場を設置した。 |
| 1939年12月 |
1939年12月に大分の鶴崎工場で染料などの原料・中間物の生産を開始した。 |
| 1939年12月 |
鶴崎工場一部操業開始 |
| 1939年12月 |
一部操業開始 |
| 1939年12月 |
鶴崎工場が一部操業を開始 |
| 1940年03月 |
1940年3月に年産8,000トンの第二工場を建設した |
| 1941年07月 |
1941年7月に年産3,600トンのメタノール工場を建設した。 |
| 1941年07月 |
1941年7月には年産3,600トンのメタノール工場を建設した。 |
| 1941-07-01 |
1941年7月に年産3,600トンのメタノール工場を建設した。 |
| 1942年 |
1942年には工業薬品の構成比が37%となった。 |
| 1942年 |
1942年には工業薬品の構成比は37%となった。 |
| 1942年09月 |
1942年9月に年産1万トンの第三工場を建設した |
| 1942年12月 |
1942年12月から京都帝国大学化学研究所の設備を借り受けてブナ系合成ゴムの試験製造を行った。 |
| 1942年12月 |
1942年12月からは京都帝国大学化学研究所の設備を借り受けてブナ系合成ゴムの試験製造を行った。 |
| 1942-12-01 |
1942年12月から京都帝国大学化学研究所の設備を借り受けてブナ系合成ゴムの試験製造を行った。 |
| 1943年 |
染料品種絞り込み |
| 1943年 |
1943年には染料品種が3分の1以下の155種に絞り込まれ、約200社の染料会社が大手6社ほかに整理されることが決まった。 |
| 1943年 |
染料品種が155種に絞り込まれ |
| 1943年 |
染料品種が 3分の 1以下の 155種に絞り込まれ |
| 1943年 |
染料品種が155種に絞り込まれ、約200社が整理 |
| 1943年12月 |
1943年12月にイソブタノールの製造設備を設置した。 |
| 1943年12月 |
1943年12月にイソブタノールの製造設備を設置し、 |
| 1943-12-01 |
1943年12月にイソブタノールの製造設備を設置した。 |
| 1944年01月 |
日本染料製造合併決断 |
| 1944年 |
1944年に当社と住友アルミニウム製錬の合併が決まった |
| 1944年 |
1944 総合化学メーカーへの成長 |
| 1944年01月 |
1944年1月の第1次軍需会社の指定に洩れたことで、日本染料製造は原料・資材の割当が期待できなくなり、当社との合併を決断したのである。 |
| 1944年01月 |
第1次軍需会社の指定に洩れた |
| 1944年01月 |
日本染料製造との合併を決断 |
| 1944年01月 |
第1次軍需会社の指定に洩れたことで、日本染料製造は原料・資材の割当が期待できなくなり、当社との合併を決断した |
| 1944年01月 |
日本染料製造との合併決断 |
| 1944-07-01 |
1944年7月1日に日本染料製造株式会社を合併することでスタートした。 |
| 1944年07月 |
大阪製造所発足 |
| 1944年07月 |
日本染料製造株式会社を合併して、染料、医薬品部門に進出(現在の大阪・大分工場) |
| 1944-07-01 |
1944年7月1日に日本染料製造株式会社を合併した。 |
| 1944年07月 |
1944年7月にこれら3工場を傘下に置く大阪製造所を発足させた。 |
| 1944年07月 |
大阪製造所を発足させた |
| 1944-07-01 |
1944(昭和19)年7月1日に日本染料製造株式会社を合併することでスタートした。 |
| 1945年06月 |
春日出工場空襲 |
| 1945年06月 |
1945年6月の空襲で春日出工場が廃墟と化したほか、新居浜製造所と軽金属製造所でも大きな被害を受け、死者・重軽傷者は69人を数えた。 |
| 1945年06月 |
春日出工場が廃墟と化した |
| 1945年06月 |
春日出工場が空襲で廃墟と化した |
| 1945年08月 |
尾崎染料化学工業所譲受 |
| 1945年08月 |
1945年8月に尾崎染料化学工業所を譲り受け、大阪製造所岡山工場とした。 |
| 1945年08月 |
尾崎染料化学工業所を譲り受け |
| 1945年08月 |
尾崎染料化学工業所を譲り受け、大阪製造所岡山工場とした |
| 1945-08-15 |
太平洋戦争終結 |
| 1945-08-15 |
1945年8月15日、太平洋戦争が終結した。 |
| 1945-08-15 |
太平洋戦争が終結 |
| 1945-08-15 |
太平洋戦争が終結した |
| 1945-11-04 |
解体案提出 |
| 1945-11-04 |
1945年11月4日に解体案を提出 |
| 1945-11-04 |
解体案を提出 |
| 1945-11-04 |
住友財閥解体案提出 |
| 1946-01-21 |
住友本社解散 |
| 1946-01-21 |
1946年1月21日に実質的に解散し、当社は同年2月26日に日新化学工業株式会社に社名を変更した。 |
| 1946-01-21 |
住友本社実質的に解散 |
| 1946-01-21 |
住友本社が実質的に解散 |
| 1946-01-21 |
実質的に解散 |
| 1946年02月 |
日新化学工業株式会社に社名変更 |
| 1946-02-26 |
社名変更日新化学工業 |
| 1946-02-26 |
1946年2月26日に日新化学工業株式会社に社名を変更した。 |
| 1946-02-26 |
日新化学工業株式会社に社名変更 |
| 1946-02-26 |
日新化学工業株式会社に社名を変更 |
| 1946年10月 |
株式引き渡し |
| 1946年10月 |
1946年10月に持株会社整理委員会に引き渡され、後日従業員に時価で売却された。 |
| 1946年10月 |
持株会社整理委員会に引き渡し |
| 1946年10月 |
持株会社整理委員会に引き渡された |
| 1946年10月 |
持株会社整理委員会に引き渡され |
| 1946年12月 |
持株会社の指 定を受け |
| 1947年07月 |
GHQ提示案 |
| 1947年07月 |
1947年7月にGHQから提示された案は、新居浜製造所、大阪製造所、アルミニウム部門、和歌山工場、岡山工場を別会社とし、日新化学工業を整理会社とする6分割案であった。 |
| 1947年07月 |
GHQから提示された案 |
| 1947年07月 |
GHQ から提示された案 |
| 1948年02月 |
1948年2月には過度経済力集中排除法(集排法)の対象となり、会社分割などの再編成を行う必要が生じた。 |
| 1948年02月 |
集排法の対象となり |
| 1948年05月 |
1948年5月にボーキサイトからアルミナの製造を再開できた |
| 1949年04月 |
集排法指定解除 |
| 1949年04月 |
1949年4月に指定を解除され、再編成問題も決着をみた。 |
| 1949年04月 |
指定を解除 |
| 1949年04月 |
指定を解除され、再編成問題が決着 |
| 1949年04月 |
集排法解除 |
| 1949年08月 |
1949年8月に再建整備計画が認可された |
| 1949年11月 |
1949年11月に住友アルミニウム製錬の全設備を譲り受けた |
| 1949年11月 |
住友アルミニウム製錬(株)から全設備を譲り受け |
| 1950年 |
1950年の朝鮮戦争による特需をきっかけにアルミニウム事業は軌道に乗った |
| 1952年04月 |
サンフランシスコ講和条約発効 |
| 1952年04月 |
1952年4月、サンフランシスコ講和条約が発効 |
| 1952年04月 |
サンフランシスコ講和条約が発効 |
| 1952年08月 |
住友商号に復帰し、住友化学工業株式会社と社名変更 |
| 1955年07月 |
1955年7月にイギリスのICI社と高圧ポリエチレンの技術導入契約を結び、 |
| 1955年07月 |
1955年7月にイギリスのICI社と高圧ポリエチレンの技術導入契約を結び |
| 1955年07月 |
当社は1955年7月にイギリスのICI社と高圧ポリエチレンの技術導入契約を結び |
| 1956年03月 |
1956年3月に米国の S&W 社(Stone & Webster Engineering Corp.)から技術を導入した。 |
| 1956年03月 |
1956年3月に米国の S&W 社(Stone & Webster Engineering Corp.)から技術を導入した |
| 1956年03月 |
エチレンについては1956年3月に米国のS&W社から技術を導入した。 |
| 1958年03月 |
1958年3月に愛媛の大江地区にエチレン工場(年産1万2,000トン)とポリエチレン工場(年産1万1,000トン)が完成した。 |
| 1958年03月 |
1958年3月に愛媛の大江地区にエチレン工場(年産1万2,000トン)とポリエチレン工場(年産1万1,000トン)が完成 |
| 1958年03月 |
エチレン工場(年産1万2,000トン)とポリエチレン工場(年産1万1,000トン)は1958年3月に愛媛の大江地区に完成し |
| 1958年05月 |
大江で、エチレンおよび誘導品(低密度ポリエチレン)の本格生産を開始し、石油化学事業へ進出 |
| 1958年05月 |
1958年5月から本格操業に入った。 |
| 1958年05月 |
1958年5月から本格操業に入った |
| 1958年05月 |
同年5月から本格操業に入った。 |
| 1959年01月 |
1959年1月にアセチレン法によるプラントが新居浜製造所に完成した。 |
| 1961年08月 |
1961年8月に名古屋製造所で第1期年産1万5,000トンの操業を開始した |
| 1962年 |
スミチオン製造開始 |
| 1962年 |
1962年に有機リン系殺虫剤「スミチオン」の製造を開始し、さらに医薬原体の製造も加わる |
| 1962年 |
有機リン系殺虫剤「スミチオン」の製造開始 |
| 1962年 |
有機リン系殺虫剤「スミチオン」の製造を開始 |
| 1962年04月 |
有機リン系の農業用殺虫剤「スミチオン」を独自開発し、販売開始 |
| 1962年11月 |
1962年11月に年産6,500トンのポリプロピレン製造設備を完成させた。 |
| 1962年11月 |
1962年11月に年産6,500トンのポリプロピレン製造設備を完成させた |
| 1962年11月 |
1962年11月に年産6,500トンの製造設備を完成させた。 |
| 1963年08月 |
1963年8月にUSラバー社との合弁で住友ノーガタック株式会社(資本金9億5,500万円、当社51%出資)を設立し、ABS樹脂の分野へ進出した。 |
| 1963年08月 |
1963年8月にUSラバー社との合弁で住友ノーガタック株式会社(資本金9億5,500万円、当社51%出資)を設立し、ABS樹脂の分野へ進出した |
| 1963年08月 |
1963年8月にUSラバー社との合弁で住友ノーガタック株式会社を設立し、ABS樹脂の分野へ進出した。 |
| 1963年09月 |
1963年9月に帝人、呉羽紡績との均等出資で日本ラクタム株式会社を設立した。 |
| 1963年09月 |
1963年9月に帝人・呉羽紡績との均等出資で日本ラクタム株式会社を設立し、1965年4月に年産1万8,000トンの工場を建設した。 |
| 1964年05月 |
大分製造所設立 |
| 1964年05月 |
1964年5月に大分製造所、1983年3月には大分工場と名称を改めた。 |
| 1964年05月 |
大分製造所 |
| 1964年05月 |
大分製造所を設立 |
| 1964年05月 |
大分製造所を改名 |
| 1964年08月 |
1964年8月にエチレン製造設備を年産8万7,000トンに増強した。 |
| 1964年08月 |
1964年8月までにエチレン製造設備を年産87,000トンに増強した |
| 1964年08月 |
1964年8月までにエチレン製造設備を年産87,000トンに増強した。 |
| 1964年09月 |
1964年9月に年産1万5,000トンの工場を設けた。 |
| 1964年09月 |
1964年9月にプロピレンとアンモニアを原料とするソハイオ法を導入し、年産1万5,000トンの工場を設けた |
| 1964年09月 |
1964年9月に年産15,000トンの工場を設けた。 |
| 1964年12月 |
1964年12月に名古屋製造所の全設備(年産4万6,500トン)を完成させた |
| 1965年04月 |
1965年4月に千葉県姉崎地区に石油化学コンビナートを建設する計画を申請した。 |
| 1965年04月 |
1965年4月に年産1万8,000トンの工場を建設した。 |
| 1965年04月 |
1965年4月に年産1万8,000トンのカプロラクタム工場を建設した |
| 1965年04月 |
1965年4月に年産18,000トンの工場を建設した。 |
| 1965年11月 |
中央研究所(高槻)を設置(2003年3月高槻地区研究所閉鎖) |
| 1965年11月 |
住友千葉化学工業株式会社を設立(1975年1月同社を合併、現在の千葉工場) |
| 1965年11月 |
1965年11月に100%子会社の住友千葉化学工業株式会 社を設立した。 |
| 1965年11月 |
1965年11月に100%子会社の住友千葉化学工業株式会社を設立した |
| 1965年11月 |
1965年11月に住友千葉化学工業株式会社を設立した。 |
| 1966年01月 |
1966年1月に年産4万トンのエチレン工場を大江製造所に建設した。 |
| 1966年01月 |
1966年1月に年産4万トンのエチレン工場を大江製造所に建設した |
| 1966年01月 |
1966年1月に年産40,000トンのエチレン工場を大江製造所に建設した。 |
| 1967年04月 |
1967年4月に年産3万トンのポリプロピレンを増強した。 |
| 1967年04月 |
1967年4月に年産12万トンのエチレン工場のうち7万トン分が完成した。 |
| 1967年04月 |
1967年4月にポリプロピレンの生産能力を年産3万トンへ増強した |
| 1967年04月 |
1967年4月に年産12万トンのうち7万トン分が完成した。 |
| 1967年04月 |
1967年4月までに年産30,000トンへと増強された。 |
| 1967年05月 |
1967年5月にBTX工場を大江製造所に設けた。 |
| 1967年05月 |
1967年5月にBTX(ベンゼン、トルエン、キシレン)工場を大江製造所に設けた |
| 1967年06月 |
1967年6月に磯浦工場の第1期年産1万7,000トンの設備を建設した |
| 1967年06月 |
1967年6月に認可基準が30万トンに引き上げられた。 |
| 1967年06月 |
1967年6月にエチレン製造設備の認可基準が30万トンに引き上げられた |
| 1967年06月 |
1967年6月に認可基準が300,000トンに引き上げられた。 |
| 1967年10月 |
1967年10月に年産約2万トンの塩化ビニル重合設備を設けた。 |
| 1967年10月 |
1967年10月に年産約2万トンの塩化ビニル樹脂重合設備を設けた |
| 1967年10月 |
1967年10月に年産約20,000トンの重合設備を設けた。 |
| 1968年03月 |
1968年3月に年産4万トンへと増強し、原料のシクロヘキサンを自給化した。 |
| 1968年03月 |
1968年3月にエチレン工場の生産能力を年産4万トンへ増強し、シクロヘキサンを自給化した |
| 1968年09月 |
1968年9月に富山新港臨海工業地区に約33万㎡の用地を取得した |
| 1968年09月 |
1968年9月に東日本メタノール株式会社を設立した。 |
| 1968年09月 |
1968年9月に当社を中心に10社の出資により東日本メタノール株式会社を設立した |
| 1968年09月 |
1968年9月にBTX工場を設けた。 |
| 1968年10月 |
1968年10月にスチレンモノマー設備を完成させた。 |
| 1968年10月 |
1968年10月にスチレンモノマー設備を完成させた |
| 1968年11月 |
1968年11月に日本アンモニア株式会社を設立した。 |
| 1968年11月 |
1968年11月にエチレン工場の設備全てが完成した。 |
| 1968年11月 |
1968年11月に年産12万トンの設備が完成した。 |
| 1969年 |
1969年に同計画への参加を決定し、日本側の幹事会社としてプロジェクトの推進役を果たした。 |
| 1969年 |
当社は、1969年に同計画への参加を決 定し、日本側の幹事会社としてプロジェクトの推進役を果たした。 |
| 1969年 |
1969年にアサハン計画への参加を決定し、日本側の幹事会社としてプロジェクトの推進役を果たした。 |
| 1969年02月 |
1969年2月にニュージーランド・アルミニウム・スメルターズ社(略称エンザス)が設立され、当社は同社に対して25%の出資を行った。 |
| 1969年02月 |
1969年2月にニュージーランド・アルミニウム・ス メルターズ社(略称エンザス)が設立され、当社は同社に対して25%の出資を行った。 |
| 1969年11月 |
1969年11月に磯浦工場の全設備を完成させた |
| 1969年11月 |
1969年11月にEPDM工場を建設した |
| 1969年11月 |
1969年11月にEPDM工場を建設した。 |
| 1969年12月 |
1969年12月に千葉塩ビモノマー株式会社を設立した。 |
| 1970年01月 |
住友千葉化学(株)のエチレン年産30万トン設備が完成 |
| 1970年01月 |
1970年1月に年産30万トンのエチレン工場を姉崎地区に建設した。 |
| 1970年01月 |
1970年1月に年産30万トンのエチレン工場を建設した |
| 1970年01月 |
1970年1月にEVAエマルジョン工場を建設した |
| 1970年01月 |
1970年1月に年産30万トンのエチレン工場を建設した。 |
| 1970年01月 |
1970年1月にEVAエマルジョン工場を建設した。 |
| 1970年02月 |
1970年2月に富山製造所の第1期前半年産2万8,000トンを操業開始した |
| 1970年08月 |
1970年8月に年産3万トンの塩化ビニル重合設備を設けた。 |
| 1970年08月 |
1970年8月に年産3万トンの塩化ビニル樹脂重合設備を設けた |
| 1970年08月 |
1970年8月に年産30,000トンの重合設備を設けた。 |
| 1970年12月 |
1970年末に年産90,000トンへと増強された。 |
| 1971年01月 |
1971年1月に年産16万トンの塩化ビニルモノマー工場を建設した。 |
| 1971年01月 |
1971年1月に年産16万トンの塩化ビニルモノマー工場を建設した |
| 1971年01月 |
1971年1月に年産160,000トンの工場を建設した。 |
| 1971年04月 |
1971年4月には第1期年産7万5,000トンの工場が完成した。 |
| 1971年04月 |
1971年4月、エンザス計画の第1期工場が完成した。 |
| 1971年04月 |
1971年4月には第 1期年産7万5,000トンの工場が完成し、 |
| 1971年04月 |
1971年4月に日産1,550トンのアンモニア工場を建設した。 |
| 1971年04月 |
1971年4月に日産1,550トンのアンモニア工場を建設した |
| 1971年04月 |
1971年4月に第1期年産7万5,000トンの工場が完成 |
| 1971年04月 |
1971年4月に第1期年産7万5,000トンの工場が完成し、 |
| 1971年07月 |
宝塚研究所を設置、医薬・農薬部門の研究体制を強化 |
| 1971年08月 |
1971年8月にSBR工場を建設した |
| 1971年08月 |
1971年8月にSBR工場を建設した。 |
| 1971年12月 |
1971(昭 和46)年12月にシンガポール政府から協力要請を受けたことが発端である。 |
| 1972年01月 |
1972年1月から地金の受け入れを開始した。 |
| 1972年01月 |
1972年1月、エンザス計画で地金の受け入れを開始した。 |
| 1972年01月 |
1972年1月に年産13万トンのポリプロピレンを増強した。 |
| 1972年01月 |
1972年1月にポリエチレンの生産能力を年産13万トンへ増強した |
| 1972年01月 |
1972年1月から地金の受け入れを開始 |
| 1972年01月 |
1972年1月に年産130,000トンへ増強された。 |
| 1973年08月 |
1973年8月にブラジル政府から参加の要請を受けたアマゾン計画も、海外経済協力基金が出資したナショナルプロジェクトである。 |
| 1973年08月 |
1973年8月、ブラジル政府からアマゾン計画への参加要請を受けた。 |
| 1973年08月 |
1973年8月にブラジル政府から参加の要請を受けたアマゾン計画も、海外経済協力基金が出資した ナショナルプロジェクトである。 |
| 1973年08月 |
1973年8月にブラジル政府から参加の要請を受けたアマゾン計画 |
| 1973年08月 |
1973年8月にブラジル政府から参加の要請を受けたアマゾン計画。 |
| 1973年10月 |
1973年10月に富山製造所第3期の運転開始を一部繰り延べた |
| 1973年10月 |
1973年10月に年産18万トンの全設備が完成した |
| 1973年10月 |
1973年10月に第1次オイルショックが発生した。 |
| 1973年10月 |
1973年10月に第1次オイルショックにより未曽有の難局に見舞われた。 |
| 1973年12月 |
1973年12月にベネズエラのガイアナ地区でのアルミニウム共同製錬計画(年産28万トン、当社4%出資)が決定された。 |
| 1973年12月 |
1973年12月、ベネズエラ計画への参加を決定した。 |
| 1973年12月 |
1973年12月にベネズエラのガイアナ 地区でのアルミニウム共同製錬計画(年産 28 万 トン、当社4%出資) |
| 1973年12月 |
1973年12月にベネズエラのガイアナ地区でのアルミニウム共同製錬計画(年産28万トン、当社4%出資)への参加を決定 |
| 1973年12月 |
1973年12月にベネズエラのガイアナ地区でのアルミニウム共同製錬計画(年産28万トン、当社4%出資)への参加を決定した。 |
| 1974年08月 |
1974年8月に住友東予アルミニウム製錬株式会社を設立した |
| 1974年11月 |
1974年11月に25%の減産体制をとった |
| 1975年01月 |
1975年1月、シンガポール政府との間で基本契約が結ばれ、年産30万トンのエチレン工場を中心とする石油化学コンビナートの建設計画がスタートした。 |
| 1975年 |
1975年、日本政府の資金援助が決まり、アサハン計画がナショナルプロジェクトとなった。 |
| 1975年 |
1975年には日本政府の資金援助が 決まり、両国のナショナルプロジェクトとなった。 |
| 1975年01月 |
1975年1月、シンガポール政府との間で基本契約 が結ばれ、年産30万トンのエチレン工場を中心と する石油化学コンビナートの建設計画がスタートし た。 |
| 1975年01月 |
住友千葉化学工業を合併して千葉製造所を発足させた |
| 1975年01月 |
1975年1月に経常損益が赤字に陥った。 |
| 1975年01月 |
1975年1月に住友千葉化学工業を合併して千葉製造所を発足させた。 |
| 1975年01月 |
1975年1月、石油化学事業の総合的な運営を目的に、住友千葉化学工業を合併して千葉製造所を発足させた。 |
| 1975年 |
1975年から1983年まで4次に及ぶ整員計画で人員の削減を図った。 |
| 1975年01月 |
石油化学事業の総合的な運営を目的に、住友千葉化学工業を合併して千葉製造所を発足させた。 |
| 1975年 |
1975 グローバル経営の深化 |
| 1975年01月 |
1975年1月に住友千葉化学工業株式会社と合併した |
| 1975年01月 |
石油化学事業の総合的な運営を目的に、住友千葉化学工業を合併して千葉製造所を発足させた |
| 1975年 |
1975年に同計画への参加を決定し、日本側の幹事会社としてプロジェクトの推進役を果たした。1975年には日本政府の資金援助が決まり、両国のナショナルプロジェクトとなった。 |
| 1975年01月 |
1975年1月、シンガポール政府との間で基本契約が結ばれ、年産30万トンのエチレン工場を中心とする石油化学コンビナートの建設計画がスタートし |
| 1975年 |
1975年に経常損益が赤字に陥った。 |
| 1975年 |
1975年には日本政府の資金援助が決まり、両国のナショナルプロジェクトとなった。 |
| 1975年02月 |
1975年2月に稼働率を65%にまで引き下げた |
| 1975年03月 |
1975年3月に愛媛県壬生川町地区への進出を決定し、第一期前半年産5万トンの設備を完成させた |
| 1976年 |
1976年に日本アンモニアの操業を中止した。 |
| 1976年04月 |
1976年4月に第二期後半が完成し生産能力は年産10万トンとなった |
| 1976年07月 |
1976年7月に住友アルミニウム製錬株式会社を設立した |
| 1976年07月 |
住友アルミニウム製錬株式会社を設立(同社にアルミニウム事業を譲渡、1986年同社解散) |
| 1976年07月 |
アルミニウム事業を分社化 |
| 1976年07月 |
1976年7月にアルミニウム事業を分社化した。 |
| 1976年07月 |
アルミニウム事業を分社化した。 |
| 1976年07月 |
1976年7月にアルミニウム事業を分社化しており、以下のとおり、石油化学の分野を中心に進められた。 |
| 1976年10月 |
千葉第1エチレン工場の休止 |
| 1976年10月 |
1976年10月に千葉第1エチレン工場を休止した。 |
| 1976年10月 |
千葉第1エチレン工場の休止。 |
| 1976年10月 |
千葉第1エチレン工場を休止 |
| 1976年10月 |
1976年10月に千葉第1エチレン工場の休止。 |
| 1977年07月 |
1977年7月には海外経済協力基金と石油化学企業11社など計23社の出資で日本側投資会社の日本シンガポール石油化学株式会社が設立された。 |
| 1977年07月 |
1977年7月、日本側投資会社の日本シンガポール石油化学株式会社が設立された。 |
| 1977年07月 |
1977年7月には海外経済協力基金と石油化学企 業11社など計23社の出資で日本側投資会社の日本 シンガポール石油化学株式会社が設立され、 |
| 1977年07月 |
1977年7月に日本側投資会社の日本シンガポール石油化学株式会社が設立 |
| 1977年07月 |
1977年7月に日本側投資会社の日本シンガポール石油化学株式会社が設立された。 |
| 1977年08月 |
1977年8月に現地エチレンセンター会社のペトロケミカル・コーポレーション・オブ・シンガポール(PCS)が発足した。 |
| 1977年08月 |
1977年8月、現地エチレンセンター会社のペトロケミカル・コーポレーション・オブ・シンガポール(PCS)が発足した。 |
| 1977年08月 |
ペトロケミカル・コーポレーション・オブ・シンガポール(PCS)設立 |
| 1977年08月 |
8月に 現地エチレンセンター会社のペトロケミカル・コー ポレーション・オブ・シンガポール(Petrochemical Corporation of Singapore (Pte.) Ltd. 、PCS)が発 足した。 |
| 1977年08月 |
1977年8月に現地エチレンセンター会社のペトロケミカル・コーポレーション・オブ・シンガポール(PCS)が設立 |
| 1977年08月 |
1977年8月に現地エチレンセンター会社のペトロケミカル・コーポレーション・オブ・シンガポール(PCS)が設立された。 |
| 1977年09月 |
業績改善総合対策を策定 |
| 1977年09月 |
1977年9月に業績改善総合対策を策定した。 |
| 1977年09月 |
業績改善総合対策を策定した。 |
| 1977年09月 |
1977年9月に業績改善総合対策を策定。 |
| 1977年12月 |
千葉第2エチレン工場を年産30万トンから33万トンへ増強する計画を決定 |
| 1977年12月 |
1977年12月に千葉第2エチレン工場を年産30万トンから33万トンへ増強する計画を決定した。 |
| 1977年12月 |
千葉第2エチレン工場を年産30万トンから33万トンへ増強する計画を決定した。 |
| 1977年12月 |
千葉第2エチレン工場の年産を30万トンから33万トンへ増強する計画を決定 |
| 1977年12月 |
1977年12月に千葉第2エチレン工場を年産30万トンから33万トンへと増強する計画を決定。 |
| 1978年01月 |
三沢工場の操業開始により、ピレスロイド系家庭用殺虫剤の生産体制を強化 |
| 1978年02月 |
1978年2月にベネズエラ計画が通電を開始した。 |
| 1978年02月 |
1978年2月、ベネズエラ計画が通電を開始した。 |
| 1978年02月 |
前者は 1978年2月に |
| 1978年02月 |
1978年2月にベネズエラ計画が通電を開始 |
| 1978年04月 |
1978年4月にはコマルコ社によりオーストラリア・ボイン島でのアルミニウム製錬事業への参加を決定した。 |
| 1978年04月 |
1978年4月、オーストラリア・ボイン島でのアルミニウム製錬事業への参加を決定した。 |
| 1978年04月 |
1978年4月にはコマルコ社に よるオーストラリア・ボイン島でのアルミニウム製 錬事業(年産20万6,800トン、当社4.5%出資)への 参加を決定した。 |
| 1978年04月 |
1978年4月にオーストラリア・ボイン島でのアルミニウム製錬事業への参加を決定した。 |
| 1978年05月 |
1978年5月に特定不況産業安定臨時措置法(特安法)が施行された。 |
| 1978年11月 |
千葉地区でのエチレンの増強が完成 |
| 1978年11月 |
1978年11月に千葉地区でのエチレン増強が完成した。 |
| 1978年11月 |
1978年11月に千葉地区でのエチレン増強を完成した。 |
| 1978年11月 |
千葉地区でのエチレン増強が完成した。 |
| 1978年11月 |
千葉地区でのエチレン増強を完成 |
| 1978年11月 |
1978年11月に千葉地区でのエチレンの増強が完成。 |
| 1979年01月 |
1979年1月に特定不況産業安定臨時措置法に基づく安定基本計画が告示され、年産53万トン分のアルミニウム電解炉を廃棄することが決まった |
| 1979年01月 |
1979年1月に第2次オイルショックが発生した。 |
| 1979年03月 |
1979年3月に名古屋製造所の全設備と富山製造所の一部設備を休止した |
| 1979年04月 |
大江工場の各設備を休止 |
| 1979年04月 |
1979年4月に大江工場の各設備を休止した。 |
| 1979年04月 |
大江工場の各設備を休止した。 |
| 1979年04月 |
1979年4月に大江工場の各設備は休止。 |
| 1980年 |
1980年、日本側投資会社2社と現地会社3社が設立され、ポリエチレン・ポリプロピレン・エチレングリコール等を生産する計画を立てた。 |
| 1980年 |
1980年に日本側投資会社2社と現地会社3社が設立され、ポリエチレン をはじめ、ポリプロピレン、エチレングリコールな どを生産する計画であった。 |
| 1980年 |
1980年に日本側投資会社2社と現地会社3社が設立 |
| 1980年03月 |
1980年3月に日本側投資会社の日本シンガポールポリオレフィン株式会社が設立された。 |
| 1980年04月 |
1980年4月に中低圧ポリエチレン:8万トン フィリップス石油 60 %、シンガポール政府 30%、当社 10% |
| 1980年04月 |
現地会社 Phillips Petroleum Singapore Chemicals (Private) Limited (PPSC) 1980年4月 中低圧ポリエチレン:8万トン |
| 1980年04月 |
1980年4月に原油公示価格が28ドルに跳ね上がった。 |
| 1980年04月 |
現地会社 Phillips Petroleum Singapore Chemicals (Private) Limited (PPSC) 1980年4月 中低圧ポリエチレン:8万トン フィリップス石油 60 %、シンガポール政府 30%、当社 10% |
| 1980年05月 |
ザ・ポリオレフィン・カンパニー(TPC)設立 |
| 1980年05月 |
現地会社 The Polyolefin Company (Singapore) Pte. Ltd. (TPC) 1980年5月 高圧ポリエチレン:12万トン |
| 1980年05月 |
現地会社 The Polyolefin Company (Singapore) Pte. Ltd. (TPC) 1980年5月 高圧ポリエチレン:12万トン ポリプロピレン:10万トン NSPC 70%、シンガポール政府 30% |
| 1980年05月 |
1980年5月に日本側投資会社の日本シンガポールエチレングリコール株式会社が設立された。 |
| 1980年08月 |
1980年8月に当社がイギリスのウエルカム社と技術導入契約を結んで研究を始めたインターフェロンである。 |
| 1980年08月 |
1980年8月に当社がイギリス のウエルカム社と技術導入契約を結んで研究を始め たインターフェロンである。 |
| 1980年09月 |
現地会社 Denka Singapore Private Limited (DSPL) 1980年9月 アセチレンブラック:5,200トン |
| 1980年09月 |
現地会社 Denka Singapore Private Limited (DSPL) 1980年9月 アセチレンブラック:5,200トン 電気化学工業 80%、シンガポール政府 20% |
| 1981年01月 |
1981年1月に住友アルミニウム製錬と住友東予アルミニウム製錬が合併した |
| 1981年 |
1981年度に再び経常赤字を記録した。 |
| 1981年01月 |
1981年1月まで住友東予アルミニウム製錬工場 |
| 1981年 |
1981年度に再び経常赤字を記録し、翌1982年度には大幅な当期損失の計上を余儀なくされた。 |
| 1981年01月 |
1981年1月まで住友東予アルミニウム製錬が終了した。 |
| 1981年10月 |
石油化学事業再編成・合理化計画 |
| 1981年10月 |
1981年10月に石油化学事業再編成・合理化計画を実施した。 |
| 1981年10月 |
1981年10月に業界17社を4グループに分けて共販化を進める合意が成立した。 |
| 1981年10月 |
石油化学事業再編成・合理化計画を実施した。 |
| 1981年10月 |
石油化学事業再編成・合理化計画を実施 |
| 1981年10月 |
1981年10月に石油化学事業再編成・合理化計画にもとづき、 |
| 1981年12月 |
日本アンモニア工場(千葉)を解散 |
| 1981年12月 |
1981年12月に解散した。 |
| 1981年12月 |
1981年12月に日本アンモニア工場を解散した。 |
| 1981年12月 |
日本アンモニアの操業を中止し、解散した。 |
| 1981年12月 |
日本アンモニア工場を解散 |
| 1982年01月 |
1982年1月、アサハン計画の第1期(年産7万5,000トン)が開始された。 |
| 1982年01月 |
年産7万5 , 000トンの第1期計画は、1982年1月に |
| 1982年 |
1982年度に大幅な当期損失を計上した。 |
| 1982年 |
1982年度に大幅な当期損失の計上を余儀なくされた。 |
| 1982年 |
1982年度には大幅な当期損失の計上を余儀なくされた。 |
| 1982年01月 |
1982年1月に年産7万5,000トンの第1期計画が開始された。 |
| 1982年02月 |
1982年2月にオーストラリア・ボイン島計画が通電を開始した。 |
| 1982年02月 |
1982年2月、オーストラリア・ボイン島でのアルミニウム製錬事業が通電を開始した。 |
| 1982年02月 |
インドネシア・アサハン・アルミニウム社が操業開始 |
| 1982年02月 |
後者は 1982年2月に通電を開始した。 |
| 1982年02月 |
1982年2月にボイン島計画が通電を開始 |
| 1982年02月 |
1982年2月にオーストラリア・ボイン島でのアルミニウム製錬事業が通電を開始した。 |
| 1982年03月 |
1982年3月に磯浦工場を停止した |
| 1982年03月 |
第一塩ビ販売株式会社を設立 |
| 1982年03月 |
1982年3月に第一塩ビ販売株式会社を設立した。 |
| 1982年03月 |
第一塩ビ販売株式会社(資本金9,000万円、当社25%出資)を設立した。 |
| 1982年04月 |
現地会社 Ethlene Glycols (Singapore) Private Limited (EGS) 1982年4月 エチレンオキサイド:8万トン エチレングリコール:8万7,500トン |
| 1982年04月 |
現地会社 Ethlene Glycols (Singapore) Private Limited (EGS) 1982年4月 エチレンオキサイド:8万トン エチレングリコール:8万7,500トン JSEC 50%、シンガポール政府 28% |
| 1982年04月 |
現地会社 Ethlene Glycols (Singapore) Private Limited (EGS) 1982年4月 エチレンオキサイド:8万トン エチレングリコール:8万7,500トン |
| 1982年11月 |
1982年11月に早期退職優遇制度を実施した。 |
| 1983年01月 |
1983年初めにはPCSのエチレンセンターのほか、一部の誘導品プラントが完成した。 |
| 1983年01月 |
愛媛工場のエチレンプラントおよび誘導品生産を休止し、千葉工場へ集約 |
| 1983年01月 |
1983年初めにPCSのエチレンセンターのほか、一部の誘導品プラントが完成した。 |
| 1983年03月 |
大阪工場名称変更 |
| 1983年03月 |
大分工場名称変更 |
| 1983年03月 |
1983年3月には大阪工場と名称を改めた。 |
| 1983年03月 |
1983年3月には大分工場と名称を改めた。 |
| 1983年03月 |
大阪工場名称改め |
| 1983年03月 |
大分工場名称改め |
| 1983年03月 |
大阪工場と名称を改めた |
| 1983年03月 |
大分工場と名称を改めた |
| 1983年05月 |
1983年5月に特定産業構造改善臨時措置法(産構法)が施行された。 |
| 1983年06月 |
産構法によるエチレン設備の処理を決定 |
| 1983年06月 |
ユニオンポリマー株式会社を設立 |
| 1983年06月 |
1983年6月に産構法によるエチレン設備の処理が決定された。 |
| 1983年06月 |
1983年6月にユニオンポリマー株式会社を設立した。 |
| 1983年06月 |
1983年6月にエチレン設備の処理を決定し、愛媛工場と千葉工場の設備を廃棄処理した。 |
| 1983年06月 |
1983年6月に過剰設備の処理を実施し、愛媛工場の193㎥を廃棄処理した。 |
| 1983年06月 |
産構法によるエチレン設備の処理が決まり、愛媛工場の全設備と千葉工場の一部を廃棄処理することとした。 |
| 1983年06月 |
ポリオレフィン設備の処理を実施した。 |
| 1983年06月 |
ユニオンポリマー株式会社(資本金4億円、当社18%出資)を設立した。 |
| 1983年06月 |
産構法によるエチレン設備の処理を決定し、愛媛工場と千葉工場の合計22万4,400トンを廃棄処理 |
| 1983年06月 |
1983年6月には産構法によるエチレン設備の処理が決まり、当社では愛媛工場の全設備と千葉工場の一部、合計22万4,400トンを廃棄処理することとした。 |
| 1983年06月 |
1983年6月に産構法の業種指定を受けて過剰設備の処理を実施し、当社は保有設備686㎥のうち愛媛工場の193㎥を廃棄処理した。 |
| 1983年06月 |
1983年6月にユニオンポリマー株式会社(資本金4億円、当社18%出資)を設立した。 |
| 1984年 |
1984年に住友製薬を設立した。 |
| 1984年02月 |
1984年2月、商業運転を開始した。 |
| 1984年02月 |
稲畑産業株式会社との間で住友製薬株式会社を設立(1984年10月営業開始) |
| 1984年02月 |
「シンガポール石油化学コンビナート」が操業開始 |
| 1984年02月 |
商業 運転を開始したのは 1984年2月となった。 |
| 1984年02月 |
1984年2月に商業運転を開始 |
| 1984年02月 |
1984年2月に商業運転を開始した。 |
| 1984-02-06 |
1984年2月に商業運転を開始した。 |
| 1984-02-06 |
1984年2月6日、当社と稲畑産業は医薬品の製造・販売事業を分離し、住友製薬株式会社を設立した。 |
| 1984-02-06 |
1984年2月6日に住友製薬株式会社を設立した。住友製薬が営業を開始した同年10月時点の資本金は50億円で、出資比率は当社が60%、稲畑産業が40%であった。 |
| 1984-02-06 |
1984(昭和 59)年2月6日、研究開発の効率化、販売の機動性の向上などを実現し、医薬事業の競争力を高めることを目的に、当社と稲畑産業は医薬品の製造・販売事業を分離し、住友製薬株式会社を設立した。 |
| 1984-02-06 |
1984(昭和 59)年2月6日、研究開発の効率化、販売の機動性の 向上などを実現し、医薬事業の競争力を高めること を目的に、当社と稲畑産業は医薬品の製造・販売事 業を分離し、住友製薬株式会社を設立した。 |
| 1984-02-06 |
1984年2月6日、研究開発の効率化、販売の機動性の向上などを実現し、医薬事業の競争力を高めることを目的に、当社と稲畑産業は医薬品の製造・販売事業を分離し、住友製薬株式会社を設立した。 |
| 1984年06月 |
東日本メタノール工場(千葉)を解散 |
| 1984年06月 |
1984年6月に東日本メタノールを解散した。 |
| 1984年06月 |
1984年6月に東日本メタノール工場を解散した。 |
| 1984年06月 |
東日本メタノールを解散した。 |
| 1984年06月 |
東日本メタノール工場を解散 |
| 1984年10月 |
住友製薬が営業を開始した同年10月時点の資本金は50億円で、出資比率は当社が60%、稲畑産業が40%であった。 |
| 1984年11月 |
1984年11月には全設備の完成を記念して完工式が行われた。 |
| 1984年11月 |
1984年11月、全設備の完成を記念して完工式が行われた。 |
| 1984年11月 |
完成し、1984年11月には全設備の完成を記念して 完工式が行われた。 |
| 1984年11月 |
1984年11月に全設備の完成を記念して完工式が行われた |
| 1984年11月 |
1984年11月に全設備の完成を記念して完工式が行われた。 |
| 1984年12月 |
1984年12月に東予工場(旧住友東予アルミニウム製錬)を停止した |
| 1985年 |
レスポンシブル・ケアは、1985(昭和60)年にカナダの化学品生産者協議会の提唱で誕生した |
| 1985年 |
1985(昭和60)年にカナダの化学品生産者協議会の提唱でレスポンシブル・ケア誕生 |
| 1985年02月 |
1985年2月に第1期計画の全設備が完成し、シンガポール石油化学コンビナートは本格操業に入った。 |
| 1985年02月 |
1985年2月に第1期計画の全設備が完成し、シンガ ポール石油化学コンビナートは本格操業に入った。 |
| 1985年07月 |
1985年7月にアマゾン川流域のアルミニウム工場第1期(年産16万トン)が操業開始となった。 |
| 1985年07月 |
1985年7月、アマゾン計画の第1期(年産16万トン)が操業開始となった。 |
| 1985年07月 |
ア ルミニウム工場の第1期(年産16万トン)は 1985年 7月に |
| 1985年07月 |
1985年7月にアマゾン計画の第1期(年産16万トン)が操業開始 |
| 1985年07月 |
1985年7月にアルミニウム工場の第1期(年産16万トン)が操業開始となった。 |
| 1985年09月 |
1985年9月に住友製薬のもとで本格プラント(愛媛バイオ工場)が完成した。 |
| 1985年09月 |
1985年9月には住友製薬のもとで本格プラント(愛媛バイオ工場)が完成 |
| 1985年09月 |
1985年9月には住友製 薬のもとで本格プラント(愛媛バイオ工場)が完成 |
| 1985年09月 |
1985年9月には住友製薬のもとで本格プラント(愛媛バイオ工場)が完成し、 |
| 1985年11月 |
愛媛工場のアンモニア製造設備停止(アンモニア製造から完全撤退) |
| 1985年11月 |
愛媛地区でアンモニア生産を停止 |
| 1985年11月 |
1985年11月に愛媛地区でアンモニア生産を停止した。 |
| 1985年11月 |
1985年11月にアンモニア生産を停止した。 |
| 1985年11月 |
愛媛地区でのアンモニア生産を停止した。 |
| 1985年11月 |
アンモニア生産を停止 |
| 1985年11月 |
1985年11月に愛媛地区でのアンモニア生産を停止した。 |
| 1986年03月 |
事業部を6事業部から14事業部に再編成し、基礎化学品部門、精密化学品部門、農業化学品部門、新規事業部門の4事業部門 に区分 |
| 1986年07月 |
1986年7月にアルミニウムの国内製錬事業から撤退を決定した |
| 1986年10月 |
1986年10月に富山製造所の操業を停止した |
| 1986年12月 |
1986年12月に住友アルミニウム製錬を解散した |
| 1987年01月 |
1987年1月に腎がんおよび多発性骨髄腫を適応症として製造承認を受けた。 |
| 1987年 |
1987年にすべてのアルミニウム製錬工場が姿を消した |
| 1987年 |
1987年、シンガポール政府は、資本市場の育成と資金の有効利用を目的に、国営企業の民営化を進めることを決定し、シンガポール石油化学事業については、保有株式のすべてをシェルグループへ売却しようとの意向を示した。 |
| 1987年01月 |
1987年1月に腎がんおよび多発性骨髄腫を適応症として製造承認を受けた |
| 1987年 |
1987年、シンガポール政府は、資本市場の育成と 資金の有効利用を目的に、国営企業の民営化を進め ることを決定し、シンガポール石油化学事業につい ては、保有株式のすべてをシェルグループへ売却し たいとの意向を示した。 |
| 1987年01月 |
1987年1月に腎がんおよび多発性骨髄腫を適応 症として製造承認を受けた |
| 1987年01月 |
1987年1月に腎がんおよび多発性骨髄腫を適応症として製造承認を受けたのち、同年4月から「スミフェロン」の商品名で販売を開始した。 |
| 1987年 |
1987年、シンガポール政府は、資本市場の育成と資金の有効利用を目的に、国営企業の民営化を進めることを決定し、シンガポール石油化学事業については、保有株式のすべてをシェルグループへ売却したいとの意向を示した。 |
| 1987年03月 |
1987年3月に住友製薬が抗不安薬「セディール」をファイザー社へ技術輸出した際、交換化合物として導入されたもので、2003年には売上高が400億円を超える主力製品に |
| 1987年04月 |
1987年4月から「スミフェロン」の商品名で販売を開始した。 |
| 1987年04月 |
1987年4月から「ス ミフェロン」の商品名で販売を開始した。 |
| 1987年04月 |
1987年4月に「スミフェロン」の商品名で販売を開始した。 |
| 1988年04月 |
1988年4月にシェブロン・ケミカル社との合弁でベーラントU.S.A.社を設立し、米国への進出が実現した。 |
| 1988年04月 |
シェブロン・ケミカル 社との合弁でベーラントU.S.A.社を設立し、米国への進出が実現した |
| 1988年04月 |
米国に農薬の開発・販売拠点ベーラントU.S.A.社を設立(1991年9月、100%子会社化) |
| 1988年04月 |
1988年4月に酉島工場の生産を中止した。 |
| 1988年04月 |
酉島工場生産中止 |
| 1988年04月 |
酉島工場の生産を中止 |
| 1988年04月 |
1988(昭和63)年4月にはシェブロン・ケミカル 社との合弁でベーラントU.S.A.社を設立し、米国への進出が実現した。 |
| 1988年04月 |
1988年4月にシェブロン・ケミカル社との合弁でベーラントU.S.A.社を設立 |
| 1988年06月 |
大阪工場内に安全性研究棟(現在の生物環境科学研究所)を設置、安全性研究所を宝塚総合研究所から分離 |
| 1989年03月 |
筑波研究所を設置 |
| 1989年04月 |
1989年4月にシンガポール政府とシェルグループの間で持株譲渡契約が締結された。 |
| 1989年04月 |
1989年4月に シンガポール政府とシェルグループの間で持株譲渡 契約が締結された。 |
| 1990年 |
1990年、アマゾン計画の第2期が操業開始となった。 |
| 1990年 |
第2期(同)は1990年に操業開始となった。 |
| 1990年 |
1990年に国際化学工業協会協議会 |
| 1990年 |
1990年にアマゾン計画の第2期が操業開始 |
| 1990年 |
1990年に第2期(年産16万トン)が操業開始となった。 |
| 1990年10月 |
1990年10月に住友化学フランス社が設立された。 |
| 1990年10月 |
住友化学フランス社 |
| 1990年10月 |
1990年10月の住友化学フランス社 |
| 1990年10月 |
1990年10月に住友化学フランス社を設立 |
| 1991年 |
1991年からレスポンシブル・ケアの取り組みを開始 |
| 1991年 |
当社は1991年からレスポンシブル・ケアの取り組みを開始し |
| 1992年 |
1992年に400億円以上の売上高を計上した |
| 1992年04月 |
住化ファインケム岡山工場化 |
| 1992年04月 |
1992年4月に住化ファインケム岡山工場となり、さらに2004年7月には当社と合併して岡山プラントとなった。 |
| 1992年04月 |
住化ファインケム岡山工場となり |
| 1992年04月 |
住化ファインケム岡山工場となる |
| 1992年04月 |
住化ファインケム岡山工場 |
| 1993年06月 |
フィラグロ・フランス社 |
| 1993年06月 |
1993 年6月のフィラグロ・フランス社 |
| 1993年06月 |
1993年6月にフィラグロ・フランス社を設立 |
| 1993年09月 |
1993(平成5)年9月にアルゼンチンで大豆用除草剤として登録を取得したフルミオキサジン工場(大分) |
| 1993年09月 |
1993年9月にアルゼンチンで大豆用除草剤として登録を取得したフルミオキサジン |
| 1993年09月 |
1993(平成5)年9月にアルゼンチンで大豆用除草剤として登録を取得したフルミオキサジン |
| 1993年09月 |
1993(平成5)年9月にアルゼンチンで大豆用除草剤として登録を取得したフルミオキサジン工場 |
| 1993年12月 |
1993年12月に高血圧症・狭心症治療薬「アムロジン」を発売した。 |
| 1993年12月 |
1993年12月には高血圧症・狭心症治療薬「アムロジン」を発売した。 |
| 1994年04月 |
製造、販売、研究を一体化した組織に再編成 事業部門を基礎化学、石油化学、精密化学、農業化学の4部門に再編成。各事業部門に製造(工場)、販売(事業部)、研究開発 (研究所)、管理(業務室)を一元化 |
| 1994年04月 |
1994年4月には「品質、環境、安全に関する基本方針」を定めた |
| 1994年04月 |
1994年4月に「品質、環境、安全に関する基本方針」を定めた |
| 1994年07月 |
住友化学アグロヨーロッパ |
| 1994年07月 |
住友化学アグロヨーロッパが、住友化学フランス・住友化学U.K.の農薬業務を引継ぎ、欧州における農薬の製造・販売・研究 開発の拠点会社としてスタート |
| 1994年07月 |
1994年7月に住友化学アグロヨーロッパ |
| 1994年07月 |
1994年7月に住友化学アグロヨーロッパを設立 |
| 1994年12月 |
1994年12月に当社とシェルグループを中心として第2期計画に着手した。 |
| 1994年12月 |
1994年12月には当社とシェルグループを中心として第2期計画に着手した。 |
| 1994年12月 |
1994年12月には当社とシェルグループ を中心として第2期計画に着手した。 |
| 1995年 |
1995年に年産能力を1万9,000トンへと増強した |
| 1995年 |
1995年に愛媛工場の年産能力を1万9,000トンへと増強 |
| 1995年 |
1995年に年産能力を1万9,000トンへと増強 |
| 1995年 |
1995年に日本化学工業協会内に日本レスポンシブル・ケア協議会が設立され、当社も同年参画 |
| 1995年 |
1995年に日本化学工業協会内に日本レスポンシブル・ケア協議会が設立され、当社も同年参画した |
| 1995年 |
1995年に日本化学工業協会内に日本レスポンシブル・ケア協議会設立 |
| 1995年 |
1995年に日本レスポンシブル・ケア協議会が設立され、当社も同年参画 |
| 1995年09月 |
1995年9月に発売したカルバペネム系抗生物質「メロペン」も大型商品の一つである。 |
| 1995年12月 |
国際品質保証規格「ISO9002」の住友化学全工場での取得を完了 |
| 1996年07月 |
1996年7月時点で年産能力は31万3,000トン(うち当社引取枠6万4600トン)に達した。 |
| 1996年07月 |
1996年7月、年産能力が31万3,000トンに達した。 |
| 1996年07月 |
住友化学シンガポールを設立 |
| 1996年07月 |
1996(平成8)年7月時点で年産能力は 31万3,000トン(うち当社引取枠6万4600トン)に達 した。 |
| 1996年07月 |
1996年7月時点で年産能力は31万3,000トンに達した |
| 1996年07月 |
1996年7月時点で年産能力は31万3,000トンに達した。 |
| 1997年03月 |
現地会社 The Polyolefin Company (Singapore) Pte. Ltd. (TPC) 1997年3月 高圧ポリエチレン:7万トン、直鎖状低密度ポリエチレン:12万トン、ポリプロピレン:12万トン |
| 1997年03月 |
現地会社 The Polyolefin Company (Singapore) Pte. Ltd. (TPC) 1997年3月 高圧ポリエチレン:7万トン、直鎖状低密度ポリエチ レン:12万トン、ポリプロピレン:12万トン NSPC 70% シェルグループ 30% |
| 1997年03月 |
1997年3月 高圧ポリエチレン:7万トン、直鎖状低密度ポリエチ レン:12万トン、ポリプロピレン:12万トン |
| 1997年03月 |
1997年3月 高圧ポリエチレン:7万トン、直鎖状低密度ポリエチレン:12万トン、ポリプロピレン:12万トン |
| 1997年04月 |
1997年4月に第2期のエチレン工場(年産51万5,000トン)が稼働を開始し、第1期分と合わせた生産能力は年産96万5,000トンと、東アジアで最大の石油化学コンビナートとなった。 |
| 1997年04月 |
「シンガポール石油化学コンビナート」第2期設備が操業開始、第1期分と合わせエチレン年産能力約100万トン |
| 1997年04月 |
1997年4月 エチレン:51万5,000トン、プロピレン:25万8,000トン、ブテン-1:3万2,000トン、MTBE:6万6,000トン、BTX:21万7,000トン |
| 1997年04月 |
1997年4月に第2期のエチレン工場(年 産51万5,000トン)が稼働を開始し、第1期分とあわ せた生産能力は年産96万5,000トンと、東アジアで は最大の石油化学コンビナートとなった。 |
| 1997年04月 |
現地会社 Petrochemical Corporation of Singapore (Pte.) Ltd. (PCS) 1997年4月 エチレン:51万5,000トン、プロピレン:25万8,000トン、ブテン -1:3万2,000トン、MTBE:6万6,000トン、BTX:21万7,000トン JSPC 50% シェルグループ 50% |
| 1997年04月 |
1997年4月 エチレン:51万5,000トン、プロピレン:25万8,000トン、ブテン -1:3万2,000トン、MTBE:6万6,000トン、BTX:21万7,000トン |
| 1997年05月 |
1997年5月に中低圧ポリエチレン:20万トン フィリップス石油 50%、シンガポール政府投資会社 30%、当社 20%。 |
| 1997年05月 |
現地会社 Phillips Petroleum Singapore Chemicals (Private) Limited(PPSC) 1997年5月 中低圧ポリエチレン:20万トン |
| 1997年05月 |
現地会社 Phillips Petroleum Singapore Chemicals (Private) Limited(PPSC) 1997年5月 中低圧ポリエチレン:20万トン フィリップス石油 50%、シンガポール 政府投資会社 30%、当社 20% |
| 1997年05月 |
1997年5月 中低圧ポリエチレン:20万トン |
| 1998年 |
1998年に第二プラント |
| 1998年 |
1998年に第二プラントを完成 |
| 1998年10月 |
シンガポールでのMMA・アクリル酸プロジェクトの全設備が完成 |
| 1999年03月 |
国際環境管理システム規格「ISO14001」の住友化学全工場での取得を完了 |
| 2000年01月 |
2000年1月に米国アボット・ラボラトリーズ社の生物農薬関連部門を買収し、ベーラント・バイオサイエンス社を設立した。 |
| 2000年01月 |
米国アボット・ラボラトリーズ社の生物農薬関連部門を買収し、ベーラント・バイオ サイエンス社を設立 |
| 2000年01月 |
アボット・ラボラトリーズ社から生物農薬関連事業を買収し、ベーラント・バイオサイエンス社を設立 |
| 2000年01月 |
2000年1月に米国アボット・ラボラトリーズ社の生物農薬関連部門を買収し、ベーラント・バイオサイエンス社を設立 |
| 2000年04月 |
SC エンバイロ・アグロ・インディア 社を設立 |
| 2000年04月 |
2000年4月にSCエンバイロ・アグロ・インディア社(2011年9月に住友化学インドと合併) |
| 2000年04月 |
2000年4月にSCエンバイロ・アグロ・インディア社を設立 |
| 2000年04月 |
2000年4月にSC エンバイロ・アグロ・インディア 社を設立(2011年9月に住友化学インドと合併) |
| 2000年05月 |
2000年5月に原料ナフサのソース多様化と安定確保を目的に、PCSとシェル・イースタン・ペトロ... 第2期計画のスタート ロリアム社との共同でコンデンセートスプリッターを新設した。 |
| 2000年05月 |
2000年5月には原料ナフサのソース多様化と安定確保を目的に、PCSとシェル・イースタン・ペトロリアムとの共同でコンデンセートスプリッターを新設した。 |
| 2000年05月 |
2000年5月には原料ナフサのソース多様化と安 定確保を目的に、PCSとシェル・イースタン・ペト |
| 2000年05月 |
2000年5月に原料ナフサのソース多様化と安定確保を目的に、PCSとシェル・イースタン・ペトロ... 第2期計画のスタート。 |
| 2000年05月 |
2000年5月には原料ナフサのソース多様化と安定確保を目的に、PCSとシェル・イースタン・ペトロロジー社との共同でコンデンセートスプリッターを新設した。 |
| 2000年10月 |
住友製薬(株)と共同運営のゲノム科学研究所を設立 |
| 2000年11月 |
2003年を目処に三井化学株式会社との全面統合を発表 |
| 2001年04月 |
2001年4月には除草剤の最大市場である米国でも登録を取得し、大豆畑の難防除雑草に卓効なことから、2004年ごろから需要が急速に伸び始め、「スミソーヤ(SUMISOYA)」、「VALOR」等の商品名で販売されている。 |
| 2001年04月 |
2001年4月に職務・成果主義をベースとした新しい人事処遇制度を導入した。 |
| 2001年04月 |
2001年4月に米国で登録を取得 |
| 2001年04月 |
2001年4月には除草剤の最大市場である米国でも登録を取得し |
| 2001年04月 |
職務・成果主義をベースとした新しい人事処遇制度を導入した。 |
| 2001年04月 |
2001年4月には除草剤の最大市場である米国でも登録を取得 |
| 2001年04月 |
2001年4月に職務・成果主義をベースとした新しい人事処遇制度を導入 |
| 2001年05月 |
アベンティス・クロップサイエンス社から家庭用殺虫剤事業を買収 |
| 2001年05月 |
アベンティス・クロップサイエンス社から家庭用殺虫剤関連事業を買収 |
| 2001年05月 |
2001年5月から韓国の東友ファインケム株式会社で偏光フィルムの製品化(チップカット)を開始 |
| 2001年05月 |
2001年5月にフランスのアベンティス・クロップサイエンス社から家庭用殺虫剤事業を買収 |
| 2001年05月 |
2001年5月から韓国の東友ファインケム株 式会社で偏光フィルムの製品化(チップカット)を開 始したのが最初である。 |
| 2001年05月 |
2001年5月から韓国の東友ファインケム株式会社で偏光フィルムの製品化(チップカット)を開始した |
| 2001年06月 |
2001年6月に稲畑産業との共同出資で台湾に住華科技株式会社を設立した。 |
| 2001年06月 |
2001年6月に稲畑産業との共同出資で台湾に住華科技株有限会社を設立 |
| 2001年06月 |
2001年6月には稲畑産業との共同出資で台湾に 住華科技股 有限公司を設立し、 |
| 2001年06月 |
2001年6月には稲畑産業との共同出資で台湾に住華科技股有限会社を設立 |
| 2001年09月 |
2001年9月の上海凱愛使希光電有限公司を皮切りに生産拠点の拡充を図った |
| 2001年09月 |
2001年9月の上海凱愛使希光電有限公司(2004年3 月に住化電子材料科技(上海)有限公司)を皮切りに、 |
| 2001年09月 |
2001年9月の上海凱愛使希光電有限公司を皮切りに |
| 2001-10-01 |
2001年10月1日付けで情報電子化学部門を新設した。 |
| 2001-10-01 |
情報電子化学部門を新設 |
| 2001年10月 |
情報電子化学部門を新設、基礎化学・石油化学・精密化学・農業化学・医薬品とあわせて6部門体制となる |
| 2001年10月 |
「オリセットネット」がマラリア防除の長期残効型蚊帳としてWHOの承認を取得 |
| 2001年10月 |
2001年10月に世界保健機 |
| 2001-10-01 |
2001(平成13)年10月1日付けで情報電子化学部門を新設 |
| 2001-10-01 |
2001年10月1日付けで情報電子化学部門を新設 |
| 2002年 |
ラービグ計画は、2002(平成14)年に投資顧問会社がもたらしたコンペティション参加のオファーから始まった |
| 2002年 |
2002(平成14)年に投資顧問会 社がもたらしたコンペティション参加のオファーか ら始まった。 |
| 2002年03月 |
株式会社日本触媒とMMA・アクリル酸の事業交換実施、MMA事業は当社に統合 |
| 2002年04月 |
2002年4月に「エミネンス」を上市 |
| 2002年04月 |
2002年4月に上市した「エミネンス」 |
| 2002年11月 |
2002年11月に武田薬品工業の農薬事業を引き継いだ住化武田農薬株式会社 |
| 2002年11月 |
武田薬品工業株式会社の農薬事業を同社との合弁子会社住化武田農薬株式会社に譲り受けて営業開始(2007年11月吸収合併) |
| 2003年 |
第3回・2003年 気相ベックマン転位プロセスの開発と工業化 (カプロラクタム) |
| 2003年 |
第3回・2003年 気相ベックマン転位プロセスの開発と工業化(カプロラクタム) |
| 2003年03月 |
三井化学(株)との全面統合を見送る |
| 2003年04月 |
大連住化凱飛化学有限公司を設立 |
| 2003年04月 |
韓国の子会社、東友STI(2002年4月設立、現東友ファインケム)で液晶パネル用カラーフィルター大型生産設備の操業開始 |
| 2003年04月 |
2003年4月にカラーフィルターの生産を開始 |
| 2003年04月 |
2003年4月に大連住化凱飛化学有限公司 |
| 2003年04月 |
2003年4月にカラーフィルターの生産 を開始し、 |
| 2003年04月 |
2003年4月に大連住化凱飛化学有限公司を設立 |
| 2003年07月 |
住友化学企業行動憲章制定 |
| 2003年07月 |
2003年7月に「住友化学企業行動憲章」を制定 |
| 2003年07月 |
2003年7月に住友化学企業行動憲章を制定 |
| 2003年07月 |
「住友化学企業行動憲章」を2003年7月に制定した |
| 2003年09月 |
2003年9月に完成し、既存の原体製造設備は |
| 2003年09月 |
韓国の子会社、東友光学フィルム(2002年10月設立、現東友ファインケム)で液晶パネル用偏光フィルム一貫生産設備の操業開始 |
| 2003年09月 |
2003年9月からは偏光フィルムの原反製造を行う |
| 2003年09月 |
2003年9月からオリセットネットの生産を始めた |
| 2003年09月 |
2003年9月からは偏光フィルムの原反製造 を行うなど、 |
| 2003年09月 |
タンザニアのA to Z社に製造技術を無償供与し、同社は2003年9月からオリセットネットの生産を始めた |
| 2003年09月 |
2003年9月にタンザニアのA to Z社オリセットネット生産開始 |
| 2004年 |
2004年の中期経営計画は、21世紀の当社グループが目指すべき姿として、「真のグローバルケミカルカンパニー」を掲げた。 |
| 2004年 |
2004年度からの中期経営計画 |
| 2004年 |
2004年頃から需要が急速に伸び始め |
| 2004年 |
2004(平成16)年の中期経営計画は、21世紀の当社グループが目指すべき姿として、「真のグローバル ケミカルカンパニー」を掲げた。 |
| 2004年 |
2004年ごろから需要が急速に伸び始め |
| 2004年 |
2004年の中期経営計画は、21世紀の当社グループが目指すべき姿として「真のグローバルケミカルカンパニー」を掲げた。 |
| 2004年 |
第4回・2004年 塩酸酸化プロセスの開発と工業化 |
| 2004年 |
2004年度からの中期経営計画では「真のグローバルケミカルカンパニーを目指して」をテーマに掲げた。 |
| 2004年 |
2004(平成16)年の中期経営計画は、21世紀の当社グループが目指すべき姿として、「真のグローバルケミカルカンパニー」を掲げた |
| 2004年03月 |
2004年3月に住化電子材料科技(上海)有限公司を設立 |
| 2004年03月 |
2004年3 月に住化電子材料科技(上海)有限公司 |
| 2004年03月 |
2004年3月に住化電子材料科技(上海)有限公司 |
| 2004年04月 |
2004年4月に偏光フィルムの一貫生産体制を構築した。 |
| 2004年04月 |
台湾の子会社、住華科技(2001年6月設立)で液晶ディスプレイ用偏光フィルム一貫生産設備の操業開始 |
| 2004年04月 |
2004年4月に偏光フィルムの一貫生産体制を構築 |
| 2004年04月 |
2004年4月に偏光 フィルムの一貫生産体制を構築した。 |
| 2004年05月 |
2004年5月にサウジ・アラムコとの間で覚書を締結 |
| 2004年05月 |
2004年5月にサウジ・アラムコとの間で覚書を締結した。 |
| 2004年07月 |
2004年7月に住化電子材料科技(無錫)有限公司を設立した。 |
| 2004年07月 |
岡山プラント合併 |
| 2004年07月 |
住化ファインケムが当社と合併 |
| 2004年07月 |
中国無錫に情報電子材料拠点「住化電子材料科技(無錫)有限公司」を設立 |
| 2004年07月 |
2004年7月には当社と合併して岡山プラントとなった。 |
| 2004年07月 |
2004年7月に住化電子材料科技(無錫)有限公司を設立 |
| 2004年07月 |
岡山プラントとなった |
| 2004年07月 |
岡山プラントに合併 |
| 2004年07月 |
2004年7月に住化電子材料科技(無錫)有限公司 |
| 2004年07月 |
当社と合併して岡山プラントとなった |
| 2004年08月 |
2004年8月にMMAポリマーの増強を実施した。 |
| 2004年08月 |
2004年8月にMMAポリマーの増強を実施 |
| 2004年08月 |
2004年8月にMMAポリマーの増強を実施した |
| 2004年10月 |
住友化学株式会社に社名変更 |
| 2004年11月 |
2004年11月には「CSR 基本方針」を制定 |
| 2004年11月 |
2004年11月にCSR基本方針を制定 |
| 2004年11月 |
2004年11月に「CSR 基本方針」を制定 |
| 2004年11月 |
2004年11月にCSR 基本方針を制定 |
| 2004年12月 |
2004年12月にはカルバペネム系抗生物質で国内シェア№1を達成した。 |
| 2005年 |
2005年に第三プラントを完成させ |
| 2005年 |
2005年に第三プラントを完成 |
| 2005年 |
2005年に第三プラント |
| 2005年08月 |
2005年8月にMMAモノマーの第二プラントを建設した。 |
| 2005年08月 |
2005年8月にサウジ・アラムコとの合弁契約が成立 |
| 2005年08月 |
2005年8月にはMMAモノマーの第二 プラントを建設 |
| 2005年08月 |
2005年8月にはサウジ・アラムコとの合弁契約が 成立し、 |
| 2005年08月 |
2005年8月にはMMAモノマーの第二 プラントを建設した |
| 2005年08月 |
2005年8月にはサウジ・アラムコとの合弁契約が成立 |
| 2005年09月 |
サウジ・アラムコと折半出資の合弁会社ラービグ・リファイニング・アンド・ペトロケミカル・カンパニー(ペトロ・ラービグ社)を設立 |
| 2005年09月 |
サウジ・アラムコと折半出資の合弁会社ラービグ・リファイニング・ペトロケミカル・カンパニー(ペトロ・ラービグ社)を設立 |
| 2005年09月 |
2005年9月にペトロ・ラービグ社を設立 |
| 2005年09月 |
2005年9月にペトロ・ラービグ社を設立した。 |
| 2005年09月 |
2005年9月に同社との折半出資で運営主体となるラービグ計画カンパニー(ペトロ・ラービグ社)が設立された |
| 2005年10月 |
2005年10月に住友製薬は大日本製薬と合併し、大日本住友製薬が発足した。 |
| 2005年10月 |
2005年10月に住友製薬は大日本製薬と合併した。 |
| 2005年10月 |
住友製薬株式会社と大日本製薬株式会社が合併し、大日本住友製薬株式会社となる |
| 2005年11月 |
2005年11月に「安全、環境、品質に関する基本方針」に改訂 |
| 2005年11月 |
2005年11月に安全、環境、品質に関する基本方針に改訂 |
| 2006年03月 |
2006年3月に起工式が挙行された |
| 2006年03月 |
2006年3月にサウジアラビアの石油鉱物資源相を はじめ両国の政府関係者、プロジェクトに関係する 各社の代表らを招いて起工式が挙行された。 |
| 2006年03月 |
2006年3月にサウジアラビアの石油鉱物資源相をはじめ両国の政府関係者、プロジェクトに関係する各社の代表らを招いて起工式が挙行された |
| 2006年08月 |
2006年8月に住化エレクトロニック・マテリアルズ・ポーランド社を設立した。 |
| 2006年08月 |
2006年8月に住化エレクトロニック・マテリアルズ・ポーランド社を設立 |
| 2006年08月 |
2006年8月には住化エレクトロニック・マテリアルズ・ポーランド社を設立し、欧州への進出を実現した(2012年末に生産終了)。 |
| 2006年08月 |
2006年8月には住化エレクトロニック・マテリアルズ・ポーランド社を設立 |
| 2006年10月 |
2006年10月に直鎖状低密度ポリエチレンの設備をポリプロピレンに転換し、合計年産65万トンへと増強を図った。 |
| 2006年10月 |
2006年10月に直鎖状低密度ポリエチレンの設備をポリプロピレンに 転換し、合計年産65万トンへと増強を図った。 |
| 2006年10月 |
2006年10月に直 鎖状低密度ポリエチレンの設備をポリプロピレンに 転換し、合計年産65万トンへと増強を図った。 |
| 2007年 |
2007年にシンガポールを皮切りに、ニューヨーク、ブリュッセル、上海(2011年8月に北京に移管)の世界4極に設けられた。 |
| 2007年 |
2007年のシンガポールを皮切りに、ニューヨーク、ブリュッセル、上海(2011年8月に北京に移管)の世界4極に設けられ、人事、内部統制、内部監査、法務・コンプライアンス、IT、経理、購買、物流などの分野で活動を展開している。 |
| 2007年 |
2007年にシンガポールにコーポレートブランチを設置した。 |
| 2007年 |
2007年年末にMMA ポリマーの第二プラント |
| 2007年 |
2007年のシンガポールを皮切りに、ニューヨーク、ブリュッセル、上海(2011年8月に北京に移管)の世界4極に設けられ |
| 2007年 |
2007年にシンガポールを皮切りに、ニューヨーク、ブリュッセル、上海(2011年8月に北京に移管)の世界4極に設けられ、人事、内部統制、内部監査、法務・コンプライアンス、IT、経理、購買、物流などの分野で活動を展開した。 |
| 2007年02月 |
2007年2月から稼働を開始 |
| 2007年02月 |
2007年2月からベクターヘルスインターナショナル社の新工場が稼働を開始 |
| 2007年02月 |
タンザニアの合弁会社ベクターヘルスインターナショナル社(VHI)の新工場が2007年2月から稼働を開始 |
| 2007年02月 |
2007年2月にVHI新工場稼働開始 |
| 2007年02月 |
2007年2月からベクターヘルスインターナショナル社(VHI)の新工場が稼働を開始 |
| 2007年07月 |
2007年7月に職能資格等級制度を廃止して役割の大きさで評価・処遇が決まる制度に改めた。 |
| 2007年07月 |
職能資格等級制度を廃止して役割の大きさで評価・処遇が決まる制度に改めた。 |
| 2007年07月 |
2007年7月に職能資格等級制度を廃止して役割の大きさで評価・処遇が決まる制度に改めた |
| 2007年07月 |
2007年7月に職能資格等級制度を廃止し、役割の大きさで評価・処遇が決まる制度に改めた。 |
| 2007年09月 |
高分子有機EL開発のパイオニアであるケンブリッジ・ディスプレイ・テクノロジーを完全子会社化 |
| 2007年11月 |
2007年11月に当社がフルミオキサを合併した。 |
| 2007年11月 |
当社が同社を合併 |
| 2007年11月 |
2007年11月には当社が同社を合併した |
| 2007年11月 |
2007年11月に当社が同社を合併 |
| 2007年12月 |
2007年年末にMMAポリマーの第二プラントを新設した。 |
| 2007年12月 |
2007年年末にMMAポリマーの第二プラントを建設した。 |
| 2007年12月 |
2007年年末にMMA ポリマーの第二プラント |
| 2007年12月 |
2007年12月にMMAポリマーの第二プラントを新設した。 |
| 2008年01月 |
2008年年初にMMAモノマーの第三プラントを新設した。 |
| 2008年01月 |
ペトロ・ラービグ社がサウジアラビア株式市場に上場 |
| 2008年 |
2008年頃のシンガポール石油化学コンビナート |
| 2008年01月 |
2008年1月にペトロ・ラービグ社が株式公開を実施 |
| 2008年 |
2008年年初に MMA モ ノマーの第三プラントを新設 |
| 2008年01月 |
2008年1月にペトロ・ラービグ社はサウ ジアラビア株式市場で新規株式公開を実施し、 |
| 2008年 |
第8回・2008年 クメンを循環利用するプロピレンオキサイド新 製法の開発と工業化 |
| 2008年01月 |
2008年年初に MMA モ ノマーの第三プラントを新設し、2012年7月に MMAポリマーの第三プラントが完成した。 |
| 2008年 |
第8回・2008年 クメンを循環利用するプロピレンオキサイド新製法の開発と工業化 |
| 2008年01月 |
2008年1月にペトロ・ラービグ社はサウジアラビア株式市場で新規株式公開を実施し、資本金は87億6,000万サウジ・リヤル(約2,700億円)、当社の出資比率は37.5%となった |
| 2008年 |
2008年年初にMMAモノマーの第三プラントを新設した。 |
| 2008年03月 |
コーポレートステートメント制定 |
| 2008年03月 |
2008年3月に、コンプライアンス体制の拠り所となる指針として「住友化学企業行動憲章」を2003 年7月に制定した |
| 2008年03月 |
2008年3月にコンプライアンス体制の拠り所となる指針として住友化学企業行動憲章を制定 |
| 2008年03月 |
2008年3月に、コンプライアンス体制の拠り所 となる指針として「住友化学企業行動憲章」を制定 |
| 2008年10月 |
2008年10月にサウジ・アラムコから原油処理設備を引き継ぎ |
| 2008年10月 |
2008年10月に サウジ・アラムコから原油処理能力日量 40万バレルの石油精製設備を引き継ぎ、 |
| 2008年10月 |
2008年10月にサウジ・アラムコから原油処理能力日量40万バレルの石油精製設備を引き継ぎ |
| 2009年01月 |
2009年1月に経営理念を制定した。 |
| 2009年01月 |
経営理念を制定 |
| 2009年01月 |
2009年1月に当社の基本精神や使命・価値観を明文化し、次のような「経営理念」を制定した。 |
| 2009年01月 |
経営理念を制定した。 |
| 2009年01月 |
2009年1月に当社の基本精神や使命・価値観を明文化し、次のような「経営理念」を制定した |
| 2009年04月 |
愛媛工場から大江地区を独立させ、「大江工場」を設立 |
| 2009年04月 |
2009年4月に当社とサウジ・アラムコがラービグ計画第2期企業化調査のための覚書を締結した。 |
| 2009年04月 |
ペトロ・ラービグ社の石油精製・石油化学統合コンビナートの基幹プラントであるエタンクラッカーが操業開始 |
| 2009年04月 |
2009年4月に稼働を開始 |
| 2009年04月 |
2009年4月、当社とサウジ・アラムコは、ラービ グ計画のさらなる発展を目指し、第2期計画の企業 化調査を実施するための覚書を締結した。 |
| 2009年04月 |
2009年4月に当社とサウジ・アラムコは、ラービグ計画のさらなる発展を目指し、第2期計画の企業化調査を実施するための覚書を締結した。 |
| 2009年04月 |
当社とサウジ・アラムコは、ラービグ計画のさらなる発展を目指し、第2期計画の企業化調査を実施するための覚書を締結した。 |
| 2009年04月 |
2009年4月に稼働を開始し、 |
| 2009年04月 |
2009年4月、当社とサウジ・アラムコは、ラービグ計画のさらなる発展を目指し、第2期計画の企業化調査を実施するための覚書を締結した |
| 2009年04月 |
2009年4月に稼働を開始し、2012年5月には第2期計画への着手を決定した |
| 2009年04月 |
2009年4月から新設のエタンクラッカーと5月から流動接触分解装置の稼働を開始した |
| 2009年04月 |
2009年4月、当社とサウジ・アラムコは、ラービグ計画のさらなる発展を目指し、第2期計画の企業化調査を実施するための覚書を締結した。 |
| 2009年05月 |
2009年5月に株式会社住化ファーム長野を設立した。 |
| 2009年05月 |
株式会社住化ファーム長野を設立 |
| 2009年05月 |
2009年5月に株式会社住化ファーム長野を設立した |
| 2009年05月 |
2009年5月から流動接触分解装置の稼働を開 始した。 |
| 2009年05月 |
2009年5月に株式会社住化ファーム長野を設立 |
| 2009年05月 |
2009年5月に全国で7農業法人を発足させた |
| 2009年10月 |
2009年10月には米国での販売体制を整備するため、総額26億ドルを投じてセプラコール社を買収した。 |
| 2009年10月 |
大日本住友製薬(株)が米国の医薬品会社セプラコール(現 サノビオン)社を買収 |
| 2009年11月 |
2009年11月に住化華北電子材料科技(北京)有限会社を設立 |
| 2009年11月 |
2009年11月には住化華北電子材料科技(北京)有限 公司を設立し、生産拠点の拡充を図った。 |
| 2009年11月 |
2009年11月には住化華北電子材料科技(北京)有限 公司を設立 |
| 2009年12月 |
2009年12月に「ラツーダ」の新薬承認を米国食品医薬品局へ申請し、2010年10月に販売許可を得たうえで、2011年2月から販売を開始した。 |
| 2009年12月 |
2009年12月に住化ファームおおいたを設立した |
| 2009年12月 |
2009年12月に住化ファームおおいたを設立 |
| 2010年 |
2010年に第四プラントを完成 |
| 2010年 |
海外売上高比率は2010年度に50%を超えた。 |
| 2010年 |
2010年に第四プラントを完成させ |
| 2010年 |
海外売上高比率が50%を超えた。 |
| 2010年 |
2010年に、タンザニア、 中国、ベトナムの生産拠点において合計で年間 6,000万張りの生産体制を構築 |
| 2010年 |
2010年にタンザニア、中国、ベトナムの生産拠点において合計で年間6,000万張りの生産体制を構築 |
| 2010年 |
2010年には、タンザニア、中国、ベトナムの生産拠点において合計で年間6,000万張りの生産体制を構築 |
| 2010年 |
2010年に第四プラント |
| 2010年 |
2010年にタンザニア、中国、ベトナムの生産拠点で年間6,000万張りの生産体制構築 |
| 2010年 |
2010年には、タンザニア、 中国、ベトナムの生産拠点において合計で年間 6,000万張りの生産体制を構築 |
| 2010年04月 |
2010年4月に大日本住友製薬アメリカと合併し、その後同年10月にはサノビオン社と商号を改めた。 |
| 2010年04月 |
ニューファーム社に資本参加し、農薬分野で包括的な業務提携を結んだ |
| 2010年04月 |
豪州の農薬会社ニューファーム社の発行済株式の20%を取得 |
| 2010年04月 |
2010年4月にオーストラリアのニューファーム社に資本参加し、農薬分野で包括的な業務提携を結んだ |
| 2010年10月 |
2010年10月には米国のモンサント社と提携し、同社の雑草防除体系に組み込まれたことで、大幅に販売が拡大している。 |
| 2010年10月 |
2010年10月に米国のモンサント社と提携し、同社の雑草防除体系に組み込まれた |
| 2010年10月 |
2010年10月には米国のモンサント社と提携し、同社の雑草防除体系に組み込まれたことで、大幅に販売が拡大している |
| 2010年10月 |
2010年10月には米国のモンサント社と提携し |
| 2011年 |
2011年夏にハエ等の大量発生対策として殺虫剤を無償供与 |
| 2011年 |
2011年以降、被災地へ社員ボランティアを派遣し、瓦礫撤去、機能性防虫ネットの取り付け、仮設住宅居住者への機能性インナーウェアの配布、理科実験教室の開催などの被災地支援活動を展開 |
| 2011年 |
2011年夏 |
| 2011年 |
2011年夏にはハエ等の大量発生対策として殺虫剤を無償供与 |
| 2011年02月 |
2011年2月から販売を開始した(ラツーダ) |
| 2011年02月 |
大日本住友製薬(株)の子会社サノビオン社が統合失調症治療薬「ラツーダ」を米国にて上市 |
| 2011年03月 |
2011年3月に武田薬品工業との間で、イギリスを除く EU加盟26カ国とロシアなど4カ国を対象に、共同開発・独占的販売契約を結んだ。 |
| 2011年03月 |
2011年3月期に50%を突破 |
| 2011年03月 |
2011年3月期に連結海外売上高比率が50%を突破 |
| 2011年03月 |
2011年3月期に連結海外売上高比率が50%を突破し、海外生産高比率も40%を超える水準となった。 |
| 2011年03月 |
連結海外売上高比率は2011年3月期に50%を突破 |
| 2011-03-11 |
2011年3月11日の東日本大震災に際して |
| 2011-03-11 |
2011年3月11日の東日本大震災に際して、当社グループは震災発生直後から支援を実施 |
| 2011-03-11 |
2011年3月11日の東日本大震災に際して、当社グループは震災発生直後から、さまざまな形で被災地の支援を実施 |
| 2011-03-11 |
2011年3月11日 東日本大震災に際して、当社グループは震災発生直後から、さまざまな形で被災地の支援を実施してきた |
| 2011年04月 |
健康・農業関連事業部門を新設 |
| 2011-04-01 |
2011年4月1日付で「精密化学部門」を廃止・再編し、同セグメントの事業を「基礎化学部門」および「健康・農業関連事業部門」に移管。2011年4月1日付で「農業化学部門」を「健康・農業関連事業部門」に改称。 |
| 2011年04月 |
「精密化学」部門を廃止 基礎化学、石油化学、情報電子化学、健康・農業関連事業、医薬品の5事業部門に再編成 |
| 2011-04-01 |
2011年4月1日付で「精密化学部門」を廃止・再編し、同セグメントの事業を「基礎化学部門」および「健康・農業関連事業部門」に移管。 |
| 2011-04-01 |
2011年4月1日付で「農業化学部門」を「健康・農業関連事業部門」に改称。 |
| 2011-04-01 |
精密化学部門廃止・再編し、同セグメントの事業を「基礎化学部門」および「健康・農業関連事業部門」に移管。農業化学部門を「健康・農業関連事業部門」に改称。 |
| 2011年04月 |
2011年4月に農業化学事業部門を医薬化学品事業も展開する「健康・農業関連事業部門」として新たなスタートを切った |
| 2011-04-01 |
精密化学部門廃止・再編し、同セグメントの事業を「基礎化学部門」および「健康・農業関連事業部門」に移管。 |
| 2011-04-01 |
農業化学部門を「健康・農業関連事業部門」に改称。 |
| 2011年04月 |
2011年4月に健康・農業関連事業部門を設立 |
| 2011-04-01 |
2011年4月1日付で「精密化学部門」を廃止・再編し、同セグメントの事業を「基礎化学部門」および「健康・農業関連事業部門」に移管。さらに「農業化学部門」を「健康・農業関連事業部門」に改称。 |
| 2011年04月 |
2011年4月に農業化学事業部門は、医薬化学品事業も展開する「健康・農業関連事業部門」として新たなスタートを切った |
| 2011-04-01 |
2011年4月1日付で「精密化学部門」を廃止・再編し、同セグメントの事業を「基礎化学部門」および「健康・農業関連事業部門」に移管し、「農業化学部門」を「健康・農業関連事業部門」に改称。 |
| 2011年06月 |
2011年6月に住友化学投資(中国)有限公司を設置した。 |
| 2011年06月 |
住友化学投資(中国)有限公司を設置した。 |
| 2011年06月 |
2011年6月に住友化学投資(中国)有限公司を設置 |
| 2011年08月 |
2011年8月に上海から北京に移管した。 |
| 2011年08月 |
2011年8月に上海のコーポレートブランチを北京に移管した。 |
| 2011年08月 |
2011年8月に上海のブランチを北京に移管した。 |
| 2011年08月 |
2011年8月に北京に移管した。 |
| 2011年08月 |
2011年8月にサンライズファーム西条を設立した |
| 2011年08月 |
2011年8月にサンライズファーム西条を設立 |
| 2011年08月 |
2011年8月に北京に移管 |
| 2011年09月 |
住友化学インドと合併 |
| 2011年09月 |
2011年9月に住化ファーム山形を設立した |
| 2011年09月 |
2011年9月に住化ファーム山形を設立 |
| 2011年09月 |
2011年9月にSCエンバイロ・アグロ・インディア社が住友化学インドと合併 |
| 2011年11月 |
2011年11月に住化ファーム三重を設立した |
| 2011年11月 |
2011年11月に住化ファーム三重を設立 |
| 2012年03月 |
2012年3月には大連にも年産2万トンの工場を建設し、合計年産16万トンの供給力を持つグローバルサプライヤーとなった。 |
| 2012年03月 |
2012年3月に大連に年産2万トンの工場を建設し、合計年産16万トンの供給力を持つグローバルサプライヤーとなった |
| 2012年03月 |
2012年3月には大連にも年産2万トンの工場を建設し、合計年産16万トンの供給力を持つグローバルサプライヤーとなった |
| 2012年03月 |
2012年3月には大連にも年産2万トンの工場を建設し |
| 2012年03月 |
2012年3月に大連にも年産2万トンの工場を建設し、合計年産16万トンの供給力を持つグローバルサプライヤーとなった |
| 2012年05月 |
2012年5月にラービグ第2期計画への着手を決定した。 |
| 2012年05月 |
東友ファインケム株式会社でタッチセンサーパネル量産工場が稼動開始 |
| 2012年05月 |
「ラービグ第2期計画」の推進を決定 |
| 2012年05月 |
2012年5月に第2期計画への着手を決定 |
| 2012年05月 |
ラービグ第2期計画への着手を決定した。 |
| 2012年05月 |
2012年5月には第2期計画への着手を決定した。 |
| 2012年05月 |
2012年5月にラービグ第2期計画への着手を決定 |
| 2012年06月 |
2012年6月にはカナダ保健省の承認を得て、同年9月からカナダでも販売を開始した。 |
| 2012年07月 |
2012年7月にMMAポリマーの第三プラントが完成した。 |
| 2012年07月 |
2012年7月に MMAポリマーの第三プラントが完成した。 |
| 2012年12月 |
2012年末に生産終了 |
| 2012年12月 |
2012年末に生産終了。 |
| 2013年 |
2013~15年度の中期経営計画を策定し、スローガン「Change and Innovation – for the next hundredth anniversary」を掲げた。 |
| 2013年 |
2013年 度からの中期経営計画で、 「Change and Innovat ion - for the next hundredth anniversary」をスローガンに掲げ、事 業構造や事業分野、企業風土の3つの切り口から変 革を進めることとした。 |
| 2013年 |
2013 年年末に省燃費タイヤ用溶液重合法スチレンブタジ エンゴムの設備を設けた |
| 2013年 |
2013~15 年度の中期経営計画で、 「Change and Innovat ion - for the next hundredth anniversary」をスローガンに掲げ、事 業構造や事業分野、企業風土の3つの切り口から変 革を進めることとした。 |
| 2013年 |
2013~15年度の中期経営計画で、 「Change and Innovat ion - for the next hundredth anniversary」をスローガンに掲げ、事業構造や事業分野、企業風土の3つの切り口から変革を進めることとした。また、経営目標の達成に向け、①強固な財務基盤の構築、②事業構造改善の断行、③次世代事業の開発、④グローバル経営の深化、⑤コンプライアンスの徹底、安全・安定操業の維持、の5つの重要経営課題に取り組むこととしている。 |
| 2013年 |
2013~15年度の中期経営計画で、 「Change and Innovat ion - for the next hundredth anniversary」をスローガンに掲げ、事業構造や事業分野、企業風土の3つの切り口から変革を進めることとした。 |
| 2013年02月 |
サンライズファーム豊田を設立 |
| 2013年02月 |
千葉工場のエチレン製造設備を2015年9月までに停止することを公表 |
| 2013年02月 |
2013年2月にサンライズファーム豊田を設立した |
| 2013年02月 |
2013年2月にサンライズファーム豊田を設立 |
| 2013年03月 |
2013年3月に住友化学 アジア・パシフィックを設置し、3月末に海外従業員比率が約40%となった。 |
| 2013年03月 |
2013年3月に住友化学 アジア・パシフィックを設置した。 |
| 2013年03月 |
2013年3月末に海外従業員比率が約40%となった。 |
| 2013年03月 |
2013年3月に住友化学アジア・パシフィックを設置した。 |
| 2013年03月 |
海外従業員比率が約40%となった。 |
| 2013年03月 |
住友化学アジア・パシフィックを設置した。 |
| 2013年03月 |
2013年3月に住友化学アジア・パシフィックを設置 |
| 2013年07月 |
住化ファーム茨城を設立 |
| 2013年07月 |
2013年7月に住化ファーム茨城を設立した |
| 2013年07月 |
2013年7月に住化ファーム茨城を設立 |
| 2013年09月 |
創業100周年 |
| 2013年12月 |
2013年年末に省燃費タイヤ用溶液重合法スチレンブタジエンゴムの設備を設けたほか、2014年第2四半期の完成を目途にブタジエン増産設備(年産10万トン)の建設計画を決定した。 |
| 2013年12月 |
2013年年末に省燃費タイヤ用溶液重合法スチレンブタジエンゴムの設備を設けた。 |
| 2013年12月 |
2013 年年末に省燃費タイヤ用溶液重合法スチレンブタジ エンゴムの設備を設けたほか、2014年第2四半期の 完成を目途にブタジエン増産設備(年産10万トン) の建設計画を決定した。 |
| 2014年01月 |
2014年1月に住友化学ヨーロッパと住友化学アメリカをそれぞれ欧州および米州の地域統括会社として設置した。 |
| 2014年01月 |
2014年1月には、住友化学ヨーロッパと住友化学アメリカを設置した。 |
| 2014年 |
2014年第2四半期の完成を目途にブタジエン増産設備(年産10万トン)の建設計画を決定した。 |
| 2014年01月 |
2014年1月に住友化学ヨーロッパと住友化学アメリカを設置した。 |
| 2014年01月 |
住友化学ヨーロッパと住友化学アメリカを設置した。 |
| 2014年 |
2014年第2四半期の 完成を目途にブタジエン増産設備(年産10万トン) の建設計画を決定した。 |
| 2014年01月 |
2014年1月に住友化学ヨーロッパと住友化学アメリカをそれぞれ欧州および米州の地域統括会社として設置 |
| 2014年 |
2014年第2四半期の完成を目途にブタジエン増産設備(年産10万トン)の建設計画を決定した. |
| 2014年01月 |
2014年1月に住友化学ヨーロッパと住友化学アメリカを設置し、世界4極に地域統括会社を設置した。 |
| 2014年03月 |
2014年3月末には世界30カ国以上に関係会社を有し、連結子会社164社に3万余名を擁する |
| 2014年03月 |
2014年3月期に50%を突破し、3月末には世界30カ国以上に関係会社を有し、連結子会社164社に3万余名を擁する |
| 2014年03月 |
2014年3月末に連結子会社164社に3万余名を擁する |
| 2014年03月 |
2014年3月末に世界30カ国以上に関係会社を有し、連結子会社164社に3万余名を擁する |
| 2015年 |
2015年には開業100周年を迎える |
| 2015年 |
2015年から始まる次の100年に向けて、コーポレートスローガン「豊かな明日を支える創造的ハイブリッド・ケミストリー」を掲げた。 |
| 2015年 |
2015年から始まる次の100年に向けて、 「豊かな明日を支える創造的ハイブリッド・ケミストリー」というコーポレートスローガンのもと、持続可能な社会の発展に貢献するとともに、一段の飛躍を目指してさまざまな課題にチャレンジしている。 |
| 2015年 |
2015年から始まる次の100年に向けて、 「豊かな明日を支える創造的ハイブリッド・ケミストリー」というコーポレートスローガンのもと、持 続可能な社会の発展に貢献するとともに、一段の飛躍を目指してさまざまな課題にチャレンジして いる。 |
| 2015年09月 |
2015(平成27)年9月までに、老朽化したエチレン製造設備(年産41万5,000トン)を停止することを決定した。 |
| 2015年09月 |
千葉工場の事業を再構築し、定期修理時期にあたる 2015(平成27)年9月までに、老朽化したエチレン製造設備(年産41万5,000トン)を停止すること。 |
| 2015年09月 |
2015年9月までに老朽化したエチレン製造設備(年産41万5,000トン)を停止することを決定。 |
| 2015年09月 |
2015(平成27)年9月までに、老朽化したエチレン 製造設備(年産41万5 , 000トン)を停止することを決定した。 |
| 2015年09月 |
老朽化したエチレン製造設備(年産41万5,000トン)を停止すること。 |
| 2015年09月 |
定期修理時期にあたる 2015(平成27)年9月までに、老朽化したエチレン 製造設備(年産41万5 , 000トン)を停止することを決定した。 |
| 2015年09月 |
千葉工場の事業を再構築し、定期修理時期にあたる2015年9月までに老朽化したエチレン製造設備(年産41万5,000トン)を停止すること。 |
| 2015年10月 |
2015年10月に開業から100年を迎える |
| 2015年10月 |
本冊子を刊行することといたしました |
| 2015年10月 |
2015年10月に開業から100年を迎えることとなり、その記念事業として本冊子を刊行することといたしました。 |
| 2016年 |
2016年前半に稼働開始を目標とした。 |
| 2025-02-10 |
●作物名「てんさい」が追加になりました。 ●作物名「にら」が追加になりました。 PDFはこちら |
| 2025-02-12 |
● 作物名「オリーブ」が追加になり、それに伴い、「果樹類(かんきつ、りんご、なし、びわ、もも、すもも、うめ、おうとう、ぶどう、かき、マンゴーを除く)」が「果樹類(かんきつ、りんご、なし、びわ、もも、うめ、おうとう、ぶどう、かき、マンゴー、オリーブを除く)」に変更されました。 PDFはこちら |
| 2025-02-26 |
● 作物名「あずき」を追加し、それに伴い、「豆類(種実、ただし、だいず、らっかせいを除く)」が「豆類(種実、ただし、だいず、あずき、らっかせいを除く)」に変更になりました。 ● 「だいず」および「キャベツ」の使用方法に「無人航空機による散布」が追加されました。 ● 「もも」および「ネクタリン」の適用病害名「果実赤点病」が追加されました。 ● 「小粒核果類(うめを除く)」および「うめ」の適用病害名「灰星病」が追加されました。 PDFはこちら |
| 2025-02-27 |
● 作物名「かぶ」が追加されました。 PDFはこちら |
| 2025-03-12 |
● 「だいず」の使用方法「無人航空機による散布」に適用害虫「ウコンノメイガ」、「ツメクサガ」、「フタスジヒメハムシ」および「マメハンミョウ」が追加されました。 ● 「はくさい」に適用害虫「ネキリムシ類」、使用方法「株元灌注」が追加されました。 ● 「はくさい」および「キャベツ」の適用害虫「アオムシ」および「ヨトウムシ」に使用方法「無人航空機による散布」が追加されました。 ● 「ブロッコリー」の適用害虫「ネキリムシ類」の希釈倍数「8000倍」が「4000~8000倍」に、使用液量「0.5L/㎡」が「0.5~1L/㎡」に変更になりました。 PDFはこちら |
| 2025-03-26 |
● 作物名「ホップ」が追加されました。 PDFはこちら |
| 2025-04-23 |
● 作物名「やまのいも」が追加されました。 ● 作物名「にんにく」が追加されました。 ● 作物名「ピーマン及びとうがらし類」が追加されました。 ● 作物名「なす」が追加されました。 ● 作物名「いちじく」が追加されました。 PDFはこちら |
| 2025-05-14 |
● 作物名「いんげんまめ」が追加され、それに伴い、「豆類(種実、ただし、だいず、あずきを除く)」が「豆類(種実、だいず、あずき、いんげんまめを除く)」に変更になりました。 ● 「だいず」の使用方法「無人航空機による散布」に適用害虫名「ダイズクキタマバエ」が追加され、使用液量「0.8L/10a}が「0.8~1.6L/10a」に「1.6L/10a」... ● 「とうもろこし」の使用方法に「無人航空機による散布」が追加されました。 ● 「てんさい」の使用方法「無人航空機による散布」... |
| 2025-05-14 |
● 「小麦」に使用方法「無人航空機による散布」が追加され、インピルフルキサムを含む農薬の総使用回数を「5回以内(種子への処理は1回以内、根雪前の散布及び無人航空機散布は2回以内、根雪後は2回以内)」に変更になりました。 ● 「たまねぎ」に使用方法「無人航空機による散布」が追加さました。 ● 「にんじん」に適用病害名「黒葉枯病」が追加されました。 ● 「トマト」および「ミニトマト」の適用病害名「白絹病」が追加されました。 ● 「もも」の希釈倍数「4000倍」に適用病害名「果実赤点病」... |
| 2025-06-11 |
● 「もも」、「ネクタリン」、「すもも」の適用害虫名に「クビアカツヤカミキリ」が追加されました。 ● 作物名「さくら」が追加され、それに伴い、「樹木類」が「樹木類(さくらを除く)」に変更になりました。 |
| 2025-06-19 |
● 「つるむらさき」の使用時期が「収穫7日前まで」から「収穫前日まで」に変更になりました。 ● 作物名「しそ(花穂)」が追加されました。 ● 「ぶどう」に適用病害名「つる割病」、使用時期「休眠期」が追加され、マンデストロビンを含む農薬の総使用回数「3回以内」が「4回以内(休眠期は1回以内、生育期は3回以内)」に変更になりました。 |
| 2025-07-09 |
● 「だいず」の使用方法「無人航空機による散布」に適用害虫名「オオタバコガ」が追加されました。 ● 「さといも」、「だいこん」および「はくさい」に使用方法「無人航空機による散布」が追加されました。 ● 「キャベツ」の使用方法「無人航空機による散布」に適用害虫名「オオタバコガ」が追加され、使用液量「1.6L/10a」... ● 「非結球あぶらな科葉菜類(こまつな、みずな、なばな類を除く)」、「こまつな」、「みずな」、および「なばな類」に適用害虫名「シロイチモジヨトウ」が追加されました。 ● 「ブロッコリー」の使用方法「無人航空機による散布」の使用液量「1.6L/10a」... ● 「しゅんぎく」に適用害虫名「シロイチモジヨトウ」が追加されました。 ● 「たまねぎ」に使用方法「無人航空機による散布」が追加されました。 |
| 2025-08-27 |
● 「かんきつ(みかんを除く)」および「みかん」の適用害虫名「コナカイガラムシ類」および「サンホーゼカイガラムシ」が「カイガラムシ類」に変更になりました。 ● 「かき」の適用害虫名「オオワタコナカイガラムシ」および「フジコナカイガラムシ」が「カイガラムシ類」に変更になりました。 |
| 2025-09-10 |
● 作物名「おうとう」が追加されました。 |
| 2025-09-18 |
● 作物名「しそ」が追加されました。 |
| 2025-10-01 |
● 「きゅうり」の、本剤使用回数が「12回以内」に変更されました。 |
| 2025-10-01 |
● 作物名「みしまさいこ」が追加されました。 ● 「かんしょ」の適用害虫名「ヒルガオハモグリガ」の希釈倍数「2500倍」が「2500~5000倍」に変更になりました。 ● 「かんしょ」の使用方法「無人航空機による散布」に適用害虫名「ヒルガオハモグリガ」が追加され、希釈倍数「32倍」および「64倍」をそれぞれ「32~40倍」および「40~80倍」に、使用液量「0.8L/10a」が「0.8~1.6L/10a」に変更になりました。 ● 「はくさい」のスピネトラムを含む農薬の総使用回数「3回以内(定植時までの処理は1回以内、定植後の散布は2回以内)」が「3回以内(定植時までの処理は1回以内、定植後は2回以内)」に変更になりました。 ● 「キャベツ」の使用方法「無人航空機による散布」が追加され、スピネトラムを含む農薬の総使用回数「3回以内(定植時までの処理は1回以内、定植後の散布は2回以内)」が「3回以内(定植時までの処理は1回以内、定植後は2回以内)」に変更になりました。 ● 「非結球あぶらな科葉菜類(こまつな、チンゲンサイ、なばな類を除く)」、「こまつな」および「なばな類」に適用害虫名「ハモグリバエ類」が追加されました。 ● 「カリフラワー」のスピネトラムを含む農薬の総使用回数「3回以内(定植時までの処理は1回以内、定植後の散布は2回以内)」が「3回以内(定植時までの処理は1回以内、定植後は2回以内)」に変更になりました。 ● 「たまねぎ」の使用方法「無人航空機による散布」に適用害虫名「ハスモンヨトウ」が追加され、使用液量「1.6L/10a」が「1.6~3.2L/10a」に変更になりました。 ● 「らっきょう」のスピネトラムを含む農薬の総使用回数「3回以内(種球浸漬は1回以内、散布は2回以内)」が「3回以内(植付前までの処理は1回以内、植付後は2回以内)」に変更になりました。 ● 「にんじん」に適用害虫名「キアゲハ」が追加されました。 ● 「トマト」および「ミニトマト」の希釈倍数「2500倍」に適用害虫名「チバクロバネキノコバエ」が追加されました。 |
| 2025-10-15 |
● 「ブロッコリー」の使用時期に「は種直後」が追加され「は種直後又は定植前(植穴堀前)」となりました。 |
| 2025-12-24 |
● 「ピーマン」に適用病害名「斑点細菌病」が追加されました。 |