ONO-1110、第2相5試験の結果を公表 ↗
ONO-1110の第2相臨床試験では、帯状疱疹後神経痛、線維筋痛症、ハンナ型間質性膀胱炎の試験で、疼痛スコアの改善を示唆する有効性シグナルが確認されました。これらの試験は主要評価項目を達成しておらず、次の臨床試験を計画中です。うつ病および社交不安症では有効性シグナルが認められず、今後の開発は行わない予定です。5試験すべてで良好な安全性プロファイルが確認されました。
| 会社名 | Group | 親会社 | 子会社 | 得意先 | 仕入先 | 業務提携 | 銀行等 | 株主等 |
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| 株式会社テックドクター | ||||||||
| Deciphera Pharmaceuticals (Australia) Pty. Ltd. | ||||||||
| Deciphera Pharmaceuticals (Canada) Corp. | ||||||||
| Deciphera Pharmaceuticals (France) SAS | ||||||||
| Deciphera Pharmaceuticals (Germany) GmbH | ||||||||
| Deciphera Pharmaceuticals (Italy) S.r.I. | ||||||||
| Deciphera Pharmaceuticals (Netherlands) B.V. | ||||||||
| Deciphera Pharmaceuticals (Spain) S.L. | ||||||||
| Deciphera Pharmaceuticals (Switzerland) AG | ||||||||
| Deciphera Pharmaceuticals (UK) Limited | ||||||||
| Deciphera Pharmaceuticals Securities Corporation | ||||||||
| Deciphera Pharmaceuticals, Inc. | ||||||||
| Jorna Therapeutics | ||||||||
| LigaChem Biosciences | ||||||||
| Merck | ||||||||
| NEX-I社 | ||||||||
| ONO PHARMA UK LTD, London (UK) | ||||||||
| Ph-Japan | ||||||||
| Receptor AI | ||||||||
| SKBP社 | ||||||||
| アイオニス社 | ||||||||
| アストラゼネカ社 | ||||||||
| オノ ベンチャー インベストメント インク | ||||||||
| オノ ベンチャー インベストメント ファンド I エルピー | ||||||||
| オノ・ファーマ・ユーエスエー インク | ||||||||
| オノ・ファーマ・ユーケー・リミテッド | ||||||||
| ギリアド・サイエンシズ社 | ||||||||
| コーディア社 | ||||||||
| コーナーストーン社 | ||||||||
| セルヴィエ社 | ||||||||
| バーテックス社 | ||||||||
| ビアル社 | ||||||||
| ファイザー社 | ||||||||
| ライボン社 | ||||||||
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| 猫舌堂 | ||||||||
| 韓国小野薬品工業株式会社 | ||||||||
| 医療従事者 | ||||||||
| 医薬品卸売会社 | ||||||||
| 患者さん | ||||||||
| 特定非営利活動法人ピープルズ・ホープ・ジャパン | ||||||||
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| SK Biopharmaceuticals Co., Ltd. | ||||||||
| SK Life Science社 | ||||||||
| アレイバイオファーマ社 | ||||||||
| ギリアド社 | ||||||||
| 米国フォーティーセブン社 | ||||||||
| Bial 社 | ||||||||
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| Forty Seven社 | ||||||||
| IDAC 社 | ||||||||
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| Merck社 | ||||||||
| NEX-I | ||||||||
| Rafael Pharmaceuticals社 | ||||||||
| SK Biopharmaceuticals社 | ||||||||
| Vertex Pharmaceuticals Incorporated | ||||||||
| Vertex Pharmaceuticals Incorporated | ||||||||
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| アムジェン社 | ||||||||
| アレイ社 | ||||||||
| オニキス社 | ||||||||
| カイ社 | ||||||||
| カリオファーム社 | ||||||||
| サファイア社 | ||||||||
| セリアド社 | ||||||||
| ドイツメルク社 | ||||||||
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| ノバルティス社 | ||||||||
| ブリストル・マイヤーズ スクイブ社 | ||||||||
| ヘルシングループ | ||||||||
| メダレックス社 | ||||||||
| ロシュグループ | ||||||||
| 米国メルク社 | ||||||||
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小野薬品の創業は、初代伏見屋市兵衞が20歳のときに別家が許され、1717年、のれん分けにより伏見屋市兵衞を襲名したことから始まります。
小野薬品の創業は、初代伏見屋市兵衞が20歳のときに別家が許され、1717年、のれん分けにより伏見屋市兵衞を襲名したことから始まる。
小野薬品は1717年の創業以来、江戸・明治・大正・昭和・平成、そして令和と、300年にわたり、患者さんの健康を願い「病気と苦痛に対する人間の闘いのために」邁進してまいりました。
1722(享保7)年、徳川幕府は偽薬を排除するため、和薬種の検査を行う「和薬種改会所」を江戸・駿府・京・大坂・堺の五都市に設立します。道修町では薬種屋124軒が株仲間として幕府から公認され、大坂に入る和薬種はすべて道修町で検査されることとなったのですが、このとき、幕府が設置を命じた和薬種の真偽を検査する「和薬種改会所」の初代頭取に就任したのが初代伏見屋市左衞門です。
1722(享保7)年、徳川幕府は偽薬を排除するため、和薬種の検査を行う「和薬種改会所」を江戸・駿府・京・大坂・堺の五都市に設立し、道修町では薬種屋124軒が株仲間として幕府から公認され、大坂に入る和薬種はすべて道修町で検査されることとなった。伏見屋市兵衞はこの年に道修町で開店し、借家ながらも一軒の独立した店を持った。
1722年、徳川幕府は偽薬を排除するため、和薬種の検査を行う「和薬種改会所」を江戸・駿府・京・大坂・堺の五都市に設立し、道修町では薬種屋124軒が株仲間として幕府から公認され、大坂に入る和薬種はすべて道修町で検査されることとなった。
1722(享保7)年、徳川幕府は偽薬を排除するため、和薬種の検査を行う「和薬種改会所」を江戸・駿府・京・大坂・堺の五都市に設立し、道修町では薬種屋124軒が株仲間として幕府から公認され、大坂に入る和薬種はすべて道修町で検査されることとなった。
小野薬品は道修町で開店し、借家ながらも一軒の独立した店を持った。
伏見屋市兵衞が、和薬種の検査を行う「和薬種改会所」の初代頭取に就任した。
1722年に道修町で開店、借家ながらも一軒の独立した店をもったことは、『嘉永二酉新版 日本二千年袖鑒 初編五』の伏見屋市兵衞図版にも記されています。
株仲間として名前が挙げられたのは1735(享保20)年の人数帳からでした。
1848年、六代目市兵衞の頃、伏見屋に一羽の鶴が舞い降りるエピソードがあり、『道修町漫録』に記されている。鶴は幕府に願い出て飼育され、後に「千歳明神」として祀られ、今も本店の屋上に鎮座している。
1848年(嘉永元)10月22日 大坂坐摩神社祭禮の日、一鶴伏見屋市兵衞の物干台に飛来しこの氏神祭の佳き日天来の宝客を早速金鋼の中に招じて瑞祥を寿祝した。
1848年、六代目市兵衞の頃、伏見屋に一羽の鶴が舞い降ります。
1848年10月22日、大坂坐摩神社祭禮の日、一鶴伏見屋市兵衞の物干台に飛来しこの氏神祭の佳き日天来の宝客を早速金鋼の中に招じて瑞祥を寿祝したと記され、自社所蔵の四曲八双屏風にも「鶴飛来図」として描かれています。
六代目市兵衞の頃、伏見屋に一羽の鶴が舞い降りる。このエピソードは、『道修町漫録』に、「嘉永元(一八四八)年10月22日 大坂坐摩神社祭禮の日、一鶴伏見屋市兵衞の物干台に飛来しこの氏神祭の佳き日天来の宝客を早速金鋼の中に招じて瑞祥を寿祝した」と記され、自社所蔵の四曲八双屏風にも「鶴飛来図」として描かれている。
六代目市兵衞の頃、伏見屋に一羽の鶴が舞い降りるというエピソードがあり、「鶴飛来図」として記録されている。
明治以降、西洋医学が本格的に導入され、医薬品の製造技術は飛躍的に進展。小野市兵衞は、大日本製薬株式会社を設立し、試験部を設けて薬品の試験を行った。
1934(昭和9)年、八代目市兵衞は創業以来続いた屋号を合名会社「小野市兵衞(小野市)商店」に改組・改称して近代的経営への切り替えを図りました。
1934(昭和9)年、八代目市兵衞は屋号を合名会社「小野市兵衞(小野市)商店」に改組・改称し、近代的経営に切り替えた。
八代目市兵衞は1934(昭和9)年、創業以来続いた屋号を合名会社「小野市兵衞(小野市)商店」(資本金16万円)に改組・改称して近代的経営への切り替えを図りました。
昭和になり、八代目市兵衞は1934(昭和9)年、創業以来続いた屋号を合名会社「小野市兵衞(小野市)商店」(資本金16万円)に改組・改称して近代的経営への切り替えを図りました。
1947(昭和22)年、敗戦の傷跡がまだ癒えず、日本中が混乱のさなかにあった中、小野雄造(九代目小野市兵衞)は、「時代の流れの中で生き抜くために、進むべき道は医薬品の製造しかない」という考えのもと、念願だった医薬品製造への本格進出に挑み、「日本有機化工株式会社」と「日本理化学工業株式会社」の二社を設立し、医薬品の「販売」と「製造」という二つの機能を持つ製薬会社として新たなスタートを切った。
1947年、専務取締役の小野雄造は、「時代の流れの中で生き抜くために、進むべき道は医薬品の製造しかない」と考え、日本有機化工株式会社と日本理化学工業株式会社を設立し、医薬品の販売と製造を開始した。
敗戦の傷跡がまだ癒えず、日本中が混乱のさなかにあった1947年、小野雄造(九代目小野市兵衞)は、「時代の流れの中で生き抜くために、進むべき道は医薬品の製造しかない」と考え、「日本有機化工株式会社」と「日本理化学工業株式会社」を設立し、医薬品の「販売」と「製造」の二つの機能を持つ製薬会社として新たなスタートを切った。
1947(昭和22)年、専務取締役であった小野雄造(九代目小野市兵衞)は、「時代の流れの中で生き抜くために、進むべき道は医薬品の製造しかない」という考えのもと、念願だった医薬品製造への本格進出に挑みます。
1947(昭和22)年、専務取締役であった小野雄造(九代目小野市兵衞)は、「時代の流れの中で生き抜くために、進むべき道は医薬品の製造しかない」という考えのもと、念願だった医薬品製造への本格進出に挑みます。 「日本有機化工株式会社」と「日本理化学工業株式会社」の二社を設立し、医薬品の「販売」と「製造」という二つの機能を持つ製薬会社として、新たなスタートを切ったのです。
1948(昭和23)年、大阪大学の村橋俊介教授との共同開発により、当時合成が至難とされていたエフェドリンの工業化に成功し、喘息鎮咳剤「エフェドリン錠」を発売しました。
1948年、大阪大学の村橋俊介教授との共同開発により、合成が難しかったエフェドリンの工業化に成功し、喘息鎮咳剤「エフェドリン錠」を発売した。
日本有機化工を「小野薬品工業」と改称。同年、エフェドリンの工業化に成功し、喘息鎮咳剤「エフェドリン錠」を発売。
翌1948(昭和23)年には、日本有機化工を「小野薬品工業」と改称。同年、大阪大学 村橋俊介教授との共同開発により、当時合成が至難とされていたエフェドリンの工業化に成功、喘息鎮咳剤「エフェドリン錠」を発売しました。
1948(昭和23)年、日本有機化工を「小野薬品工業」と改称。同年、大阪大学 村橋俊介教授との共同開発により、当時合成が至難とされていたエフェドリンの工業化に成功、喘息鎮咳剤「エフェドリン錠」を発売しました。
小野薬品は大衆薬の拡充を目指し、広告宣伝活動を積極的に展開。コレステロール代謝改善剤「アテロ」や総合強精活力剤「リキホルモ」などを広告に起用し、営業所も拡充。
1950(昭和25)年から1964(昭和39)年にかけては、小野薬品にとって大衆薬の拡充を目指した時代といえます。
戦後、本格的に大衆薬市場に参入。老人病研究会を発足し、プロスタグランディンの研究を開始。
その出発点は、「夢の物質」と言われたプロスタグランディンとの出会いでした。
1956年に老人病研究会を発足
1958年にアテロを発売
1958年にコレステロール代謝改善剤「アテロ」を発売
1960年に発売した睡眠鎮静剤『ボンブレン』に含まれたサリドマイドによる催奇形性の問題。
1960年に発売した睡眠鎮静剤「ボンブレン」に含まれたサリドマイドによる催奇形性の問題
1961年に発売した腎疾患治療剤『キドラ』に含まれたクロロキンが長期使用によって体内に蓄積し、網膜症を引き起こした問題。
1961年に発売した腎疾患治療剤「キドラ」に含まれたクロロキンが長期使用によって体内に蓄積し、網膜症を引き起こした問題
1962(昭和37)年に大証二部、翌1963(昭和38)年には東証二部への株式上場を果たす。
1962年、大証二部に株式上場を果たす。
大阪証券取引所第2部に株式上場。
1962(昭和37)年に大証二部に株式上場しました。
1962(昭和37)年に大証二部上場を果たしました。
1963年、東証二部に株式上場を果たす。
東京証券取引所第2部に株式上場。
1963(昭和38)年に東証二部に株式上場しました。
1963(昭和38)年に東証二部上場を果たしました。
研究用PGの合成に成功。
1965年に研究用PGを合成
1965年に第九回老人病研究会を開催
1967年に第一回PG研究会を開催
1967年に京都大学で第一回PG研究会を開催
1968年、研究用PGの化学合成に成功し、研究を加速させる。
1968年にPGの全化学合成に成功
1968(昭和43)年6月、PGをはじめとする本格的な医療用医薬品の創製を目指して、中央研究所(現・水無瀬研究所)を開設。
中央研究所(現・水無瀬研究所)を開設し、PGをはじめとする医薬品の研究開発を本格化。
1968年6月に中央研究所を開設
1968年6月に中央研究所(現・水無瀬研究所)を開設
1974年3月、世界初のPG関連製剤として陣痛誘発・促進剤「プロスタルモンF注射液」を発売。
世界初のPG関連製剤「プロスタルモンF注射液」を発売。
1974年3月に世界初のPG関連製剤として陣痛誘発・促進剤『プロスタルモンF注射液』が発売されました。
1974年3月に世界初のPG関連製剤として陣痛誘発・促進剤「プロスタルモンF注射液」が発売されました
1978年、膵炎治療剤「注射用エフオーワイ」など、多くのプロスタグランディン製剤を上市。
1978年、膵炎治療剤「注射用エフオーワイ」を発売し、以降も多くのプロスタグランディン製剤を上市した。
経口陣痛促進剤「プロスタルモンE錠」を発売。
1978年に経口陣痛促進剤『プロスタルモンE錠』が発売されました。
1978年に膵炎治療剤『注射用エフオーワイ』が発売されました。
1978年に経口陣痛促進剤「プロスタルモンE錠」が発売されました
1978年に膵炎治療剤「注射用エフオーワイ」が発売されました
「注射用プロスタンディン」や「オパルモン錠」などの世界初薬を次々と発売。
1979年にベルグストローム教授から手紙を受領
1979年に注射用プロスタンディンが発売されました。
1979年に難病であるバージャー病の治療剤「注射用プロスタンディン」が発売されました
1982年、ベルグストローム、サムエルソン、ベインの3博士と協力し、最先端の研究を推進。
1982年、ベルグストローム教授らと協力し、研究を進める。
ノーベル生理学・医学賞を受賞したベルグストローム教授らと協力し、プロスタグランディンの研究を推進。
1982年にノーベル生理学・医学賞を受賞されたベルグストローム、サムエルソン、ベインの3博士や、1990年にノーベル化学賞に輝いたコーリー博士をはじめ、小野薬品は世界トップクラスの研究者から学び、協力し合うことで、かつてない医薬品を生み出してきました。
1982年にノーベル生理学・医学賞を受賞されたベルグストローム、サムエルソン、ベインの3博士と協力し、研究を進めました
慢性膵炎治療剤「フオイパン錠」を発売。
1985年に慢性膵炎の治療に役立つ世界初の経口蛋白分解酵素阻害剤『フオイパン錠』が発売されました。
1985年に慢性膵炎の治療に役立つ世界初の経口蛋白分解酵素阻害剤「フオイパン錠」が発売されました
1988年、世界初のトロンボキサン合成酵素阻害剤「注射用カタクロット」を発売。
世界初のトロンボキサン合成酵素阻害剤「注射用カタクロット」を発売。
1988年に世界初のトロンボキサン合成酵素阻害剤『注射用カタクロット』が発売されました。
1988年に世界初の閉塞性血栓血管炎治療剤『オパルモン錠』が発売されました。
1988年に世界初のトロンボキサン合成酵素阻害剤「注射用カタクロット」が発売されました
1988年に世界初の閉塞性血栓血管炎治療剤「オパルモン錠」が発売されました
1990年、ハーバード大学のE.J.コーリー教授がPGの全化学合成に成功し、小野薬品もこれに続き、世界に先駆けてPGの全合成に成功。
1990年、ハーバード大学のE.J.コーリー教授らとともにPGの全化学合成に成功。
PGの全化学合成に成功。
1990年にノーベル化学賞に輝いたコーリー博士をはじめ、小野薬品は世界トップクラスの研究者から学び、協力し合うことで、かつてない医薬品を生み出してきました。
がん細胞に直接攻撃を加える医薬品が主流だったなか、がん細胞への攻撃を阻害していたブレーキを解除するという「オプジーボ」のメカニズムは、従来のがん治療の枠組みを超えた画期的なものでした。
1990年にノーベル化学賞に輝いたコーリー博士と協力し、研究を進めました
1990 がん細胞に直接攻撃を加える医薬品が主流だったなか、がん細胞への攻撃を阻害していたブレーキを解除するという「オプジーボ」のメカニズムは、従来のがん治療の枠組みを超えた画期的なものでした。
1992年、京都大学の本庶佑教授らによりPD-1が発見される。
PD-1が京都大学本庶研究所で発見される。
1992年に世界初のアルドース還元酵素阻害剤『キネダック錠』が発売されました。
1992年に経口トロンボキサン合成酵素阻害剤『ベガ錠』が発売されました。
1992(平成4)年に京都大学本庶研究所室でPD-1が発見されますが、その機能は長い間不明でした。
1992年に世界初のアルドース還元酵素阻害剤「キネダック錠」が発売されました
1992年に経口トロンボキサン合成酵素阻害剤「ベガ錠」が気管支喘息治療剤として発売されました
1995年に世界初のロイコトリエン受容体拮抗剤『オノンカプセル』が発売されました。
1995年に世界初のロイコトリエン受容体拮抗剤「オノンカプセル」が喘息治療剤として発売されました
1999年、PD-1の欠損マウスが自己免疫疾患を発症することが確認される。
PD-1の欠損マウスが自己免疫疾患を発症することが確認される。
1999(平成11)年にようやく、PD-1の欠損マウスが加齢に伴って自己免疫疾患を発症するという興味深い結果が得られました。
2000年、PD-1に結合する分子としてPD-L1が同定される。
PD-L1が同定される。
2000(平成12)年には、PD-1に結合する分子としてPD-L1を同定。
2014年7月、「オプジーボ」がPD-1を標的とする免疫チェックポイント阻害剤として世界で初めて承認・発売される。
2002年、PD-1ががん免疫の抑制に関与することが確認される。
PD-1ががん免疫の抑制に関与することが確認される。
「オノアクト」発売。
2002年に世界初の急性肺障害治療薬『注射用エラスポール』と頻脈性不整脈治療剤『オノアクト点滴静注用』が発売されました.
2002(平成14)年には、同欠損マウスによってPD-1ががん免疫の抑制に関与することが確認されたのです。
2002(平成14)年の「オノアクト」上市以降、自社創製化合物の開発中止が相次ぎ、厳しい状況に直面しましたが、自社創製化合物の開発に加え、開発パイプライン拡充、そして製品ラインナップ充実のためにライセンス活動を強化しました。
2002年に世界初の急性肺障害治療薬となる「注射用エラスポール」が発売されました
2002年に頻脈性不整脈治療剤「オノアクト点滴静注用」が発売されました
2005年、抗PD-1抗体の臨床開発が始まる。
抗悪性腫瘍剤「オプジーボ点滴静注」の開発が始まる。
2007(平成19)年の過活動膀胱治療剤「ステーブラ錠」
2009(平成21)年の骨粗鬆症治療剤「リカルボン錠」
2014年7月、「オプジーボ」がPD-1を標的とする免疫チェックポイント阻害剤として世界で初めて承認・発売される。
抗ヒトPD-1モノクローナル抗体「オプジーボ点滴静注」が世界で初めて承認・発売される。
2014(平成26)年7月、「オプジーボ」は、PD-1を標的とする免疫チェックポイント阻害剤として、世界で初めて承認され
2014(平成26)年7月、「オプジーボ」は、PD-1を標的とする免疫チェックポイント阻害剤として、世界で初めて承認され、同年9月に発売された薬剤となりました。
2014(平成26)年9月に発売された薬剤となりました。
2017年、小野薬品は創業300年を迎え、新薬の研究開発を継続し、未来への挑戦を続けている。
2017年、小野薬品は創業300年を迎え、新薬の創製に成功する確率はわずか2.5万分の1とされる中、次々と新薬を世に送り出し、イノベーションを推進している。
創業300年を迎え、新薬の創製に成功する確率は2.5万分の1とされる中、小野薬品は新薬の研究開発を継続。
2017 創業300年、新薬の創製に成功する確率は、わずか2.5万分の1。新薬づくりを取りまく環境が厳しさを増すなか、小野薬品は新薬の研究開発を貫いてきました。
ONO-1110の第2相臨床試験では、帯状疱疹後神経痛、線維筋痛症、ハンナ型間質性膀胱炎の試験で、疼痛スコアの改善を示唆する有効性シグナルが確認されました。これらの試験は主要評価項目を達成しておらず、次の臨床試験を計画中です。うつ病および社交不安症では有効性シグナルが認められず、今後の開発は行わない予定です。5試験すべてで良好な安全性プロファイルが確認されました。
2026年10月8日、小野薬品工業は米国Biohaven社と、IgG分解薬アセット(BHV-1300、BHV-1310、BHV-1320)を日本・韓国・台湾・ASEAN諸国で独占的に開発・商業化できるライセンス契約を締結した。BHV-1300はバセドウ病を対象にグローバル第3相試験を実施中で、IgG分解薬は自己免疫疾患の原因となる自己抗体を除去する新たな治療薬である。これらのアセットはBiohaven社のMoDE™プラットフォームから創出されたものである。
小野薬品工業のコーポレートベンチャーキャピタル「OVI」は、投資先企業との連携強化と戦略的リターンの最大化を目的に、米国ケンブリッジに拠点を移転しました。
2026年9月16日、小野薬品工業は、エキスコプリ®(セノバメート)12.5 mg/50 mg/100 mg/200 mgの国内製造販売承認を取得した。承認は、国際共同第3相試験YKP3089C035において、既存治療との併用で発作頻度の変化率を有意に改善し、管理可能な安全性プロファイルを確認した結果に基づく。これにより、既存治療でコントロール不良な部分発作(焦点発作)を有するアジア人患者に対する新たな治療選択肢が提供される。
小野薬品工業は米国Aitia社と創薬提携契約を締結し、Aitia社の因果AIで構築したデジタルツイン(GDT)を用いて神経領域の新規治療標的とバイオマーカーを探索する。小野薬品は、同定された治療標的に対する医薬品候補を全世界で独占的に研究・開発・商業化するオプション権を有する。
小野薬品は、台湾の規制当局から切除可能な非小細胞肺がんに対するオプジーボと化学療法の併用療法の効能追加承認を取得しました。対象はEGFR陰性またはALK未再構成の成人患者で、術前補助療法と術後補助療法に適用されます。
小野薬品工業は、GPIFが採用するESG投資指数のうち5つと、FTSE4Good Index Seriesの構成銘柄に継続選定されました。これにより、同社は持続可能な投資基準を満たし、長期的な成長を目指しています。
小野薬品工業は米国のMediar Therapeuticsと線維性炎症性疾患に対する新規抗体医薬品の創製を目的とした提携契約を締結した。両社は抗体候補の探索と創製を共同で進め、当社は全世界での開発・製造・商業化のオプション権を持つ。
小野薬品工業は、韓国で切除可能な非小細胞肺がんに対するオプジーボと化学療法の併用術前補助療法と術後補助療法の効能追加承認を取得しました。
小野薬品工業は令和8年熊本地震の被災者支援と復旧のため、日本赤十字社を通じて義援金1000万円を寄付しました。被災地の一日も早い復旧と復興を願っています。