| 1716年 |
小野薬品の創業は、初代伏見屋市兵衞が20歳のときに別家が許され、1717年、のれん分けにより伏見屋市兵衞を襲名したことから始まります。 |
| 1716年 |
小野薬品の創業は、初代伏見屋市兵衞が20歳のときに別家が許され、1717年、のれん分けにより伏見屋市兵衞を襲名したことから始まる。 |
| 1721年 |
1722(享保7)年、徳川幕府は偽薬を排除するため、和薬種の検査を行う「和薬種改会所」を江戸・駿府・京・大坂・堺の五都市に設立します。道修町では薬種屋124軒が株仲間として幕府から公認され、大坂に入る和薬種はすべて道修町で検査されることとなったのですが、このとき、幕府が設置を命じた和薬種の真偽を検査する「和薬種改会所」の初代頭取に就任したのが初代伏見屋市左衞門です。 |
| 1721年 |
1722(享保7)年、徳川幕府は偽薬を排除するため、和薬種の検査を行う「和薬種改会所」を江戸・駿府・京・大坂・堺の五都市に設立し、道修町では薬種屋124軒が株仲間として幕府から公認され、大坂に入る和薬種はすべて道修町で検査されることとなった。伏見屋市兵衞はこの年に道修町で開店し、借家ながらも一軒の独立した店を持った。 |
| 1721年 |
1722年、徳川幕府は偽薬を排除するため、和薬種の検査を行う「和薬種改会所」を江戸・駿府・京・大坂・堺の五都市に設立し、道修町では薬種屋124軒が株仲間として幕府から公認され、大坂に入る和薬種はすべて道修町で検査されることとなった。 |
| 1721年 |
1722(享保7)年、徳川幕府は偽薬を排除するため、和薬種の検査を行う「和薬種改会所」を江戸・駿府・京・大坂・堺の五都市に設立し、道修町では薬種屋124軒が株仲間として幕府から公認され、大坂に入る和薬種はすべて道修町で検査されることとなった。 |
| 1721年 |
小野薬品は道修町で開店し、借家ながらも一軒の独立した店を持った。 |
| 1721年 |
伏見屋市兵衞が、和薬種の検査を行う「和薬種改会所」の初代頭取に就任した。 |
| 1847年 |
1848年、六代目市兵衞の頃、伏見屋に一羽の鶴が舞い降りるエピソードがあり、『道修町漫録』に記されている。鶴は幕府に願い出て飼育され、後に「千歳明神」として祀られ、今も本店の屋上に鎮座している。 |
| 1848年 |
1848年10月22日、大坂坐摩神社祭禮の日、一鶴伏見屋市兵衞の物干台に飛来しこの氏神祭の佳き日天来の宝客を早速金鋼の中に招じて瑞祥を寿祝したと記され、自社所蔵の四曲八双屏風にも「鶴飛来図」として描かれています。 |
| 1848-10-21 |
六代目市兵衞の頃、伏見屋に一羽の鶴が舞い降りる。このエピソードは、『道修町漫録』に、「嘉永元(一八四八)年10月22日 大坂坐摩神社祭禮の日、一鶴伏見屋市兵衞の物干台に飛来しこの氏神祭の佳き日天来の宝客を早速金鋼の中に招じて瑞祥を寿祝した」と記され、自社所蔵の四曲八双屏風にも「鶴飛来図」として描かれている。 |
| 1848-10-21 |
六代目市兵衞の頃、伏見屋に一羽の鶴が舞い降りるというエピソードがあり、「鶴飛来図」として記録されている。 |
| 1867年 |
明治以降、西洋医学が本格的に導入され、医薬品の製造技術は飛躍的に進展。小野市兵衞は、大日本製薬株式会社を設立し、試験部を設けて薬品の試験を行った。 |
| 1934年 |
1934(昭和9)年、八代目市兵衞は創業以来続いた屋号を合名会社「小野市兵衞(小野市)商店」に改組・改称して近代的経営への切り替えを図りました。 |
| 1934年 |
1934(昭和9)年、八代目市兵衞は屋号を合名会社「小野市兵衞(小野市)商店」に改組・改称し、近代的経営に切り替えた。 |
| 1947年 |
1947(昭和22)年、敗戦の傷跡がまだ癒えず、日本中が混乱のさなかにあった中、小野雄造(九代目小野市兵衞)は、「時代の流れの中で生き抜くために、進むべき道は医薬品の製造しかない」という考えのもと、念願だった医薬品製造への本格進出に挑み、「日本有機化工株式会社」と「日本理化学工業株式会社」の二社を設立し、医薬品の「販売」と「製造」という二つの機能を持つ製薬会社として新たなスタートを切った。 |
| 1947年 |
1947年、専務取締役の小野雄造は、「時代の流れの中で生き抜くために、進むべき道は医薬品の製造しかない」と考え、日本有機化工株式会社と日本理化学工業株式会社を設立し、医薬品の販売と製造を開始した。 |
| 1947年 |
敗戦の傷跡がまだ癒えず、日本中が混乱のさなかにあった1947年、小野雄造(九代目小野市兵衞)は、「時代の流れの中で生き抜くために、進むべき道は医薬品の製造しかない」と考え、「日本有機化工株式会社」と「日本理化学工業株式会社」を設立し、医薬品の「販売」と「製造」の二つの機能を持つ製薬会社として新たなスタートを切った。 |
| 1948年 |
1948(昭和23)年、大阪大学の村橋俊介教授との共同開発により、当時合成が至難とされていたエフェドリンの工業化に成功し、喘息鎮咳剤「エフェドリン錠」を発売しました。 |
| 1948年 |
1948年、大阪大学の村橋俊介教授との共同開発により、合成が難しかったエフェドリンの工業化に成功し、喘息鎮咳剤「エフェドリン錠」を発売した。 |
| 1948年 |
日本有機化工を「小野薬品工業」と改称。同年、エフェドリンの工業化に成功し、喘息鎮咳剤「エフェドリン錠」を発売。 |
| 1950年 |
小野薬品は大衆薬の拡充を目指し、広告宣伝活動を積極的に展開。コレステロール代謝改善剤「アテロ」や総合強精活力剤「リキホルモ」などを広告に起用し、営業所も拡充。 |
| 1956年 |
戦後、本格的に大衆薬市場に参入。老人病研究会を発足し、プロスタグランディンの研究を開始。 |
| 1962年 |
1962(昭和37)年に大証二部、翌1963(昭和38)年には東証二部への株式上場を果たす。 |
| 1962年 |
1962年、大証二部に株式上場を果たす。 |
| 1962年 |
大阪証券取引所第2部に株式上場。 |
| 1963年 |
1963年、東証二部に株式上場を果たす。 |
| 1963年 |
東京証券取引所第2部に株式上場。 |
| 1965年 |
研究用PGの合成に成功。 |
| 1968年 |
1968年、研究用PGの化学合成に成功し、研究を加速させる。 |
| 1968年06月 |
1968(昭和43)年6月、PGをはじめとする本格的な医療用医薬品の創製を目指して、中央研究所(現・水無瀬研究所)を開設。 |
| 1968年06月 |
中央研究所(現・水無瀬研究所)を開設し、PGをはじめとする医薬品の研究開発を本格化。 |
| 1974年03月 |
1974年3月、世界初のPG関連製剤として陣痛誘発・促進剤「プロスタルモンF注射液」を発売。 |
| 1974年03月 |
世界初のPG関連製剤「プロスタルモンF注射液」を発売。 |
| 1978年 |
1978年、膵炎治療剤「注射用エフオーワイ」など、多くのプロスタグランディン製剤を上市。 |
| 1978年 |
1978年、膵炎治療剤「注射用エフオーワイ」を発売し、以降も多くのプロスタグランディン製剤を上市した。 |
| 1978年 |
経口陣痛促進剤「プロスタルモンE錠」を発売。 |
| 1979年 |
「注射用プロスタンディン」や「オパルモン錠」などの世界初薬を次々と発売。 |
| 1982年 |
1982年、ベルグストローム、サムエルソン、ベインの3博士と協力し、最先端の研究を推進。 |
| 1982年 |
1982年、ベルグストローム教授らと協力し、研究を進める。 |
| 1982年 |
ノーベル生理学・医学賞を受賞したベルグストローム教授らと協力し、プロスタグランディンの研究を推進。 |
| 1985年 |
慢性膵炎治療剤「フオイパン錠」を発売。 |
| 1988年 |
1988年、世界初のトロンボキサン合成酵素阻害剤「注射用カタクロット」を発売。 |
| 1988年 |
世界初のトロンボキサン合成酵素阻害剤「注射用カタクロット」を発売。 |
| 1990年 |
1990年、ハーバード大学のE.J.コーリー教授がPGの全化学合成に成功し、小野薬品もこれに続き、世界に先駆けてPGの全合成に成功。 |
| 1990年 |
1990年、ハーバード大学のE.J.コーリー教授らとともにPGの全化学合成に成功。 |
| 1990年 |
PGの全化学合成に成功。 |
| 1992年 |
1992年、京都大学の本庶佑教授らによりPD-1が発見される。 |
| 1992年 |
PD-1が京都大学本庶研究所で発見される。 |
| 1999年 |
1999年、PD-1の欠損マウスが自己免疫疾患を発症することが確認される。 |
| 1999年 |
PD-1の欠損マウスが自己免疫疾患を発症することが確認される。 |
| 2000年 |
2000年、PD-1に結合する分子としてPD-L1が同定される。 |
| 2000年 |
PD-L1が同定される。 |
| 2002年 |
2014年7月、「オプジーボ」がPD-1を標的とする免疫チェックポイント阻害剤として世界で初めて承認・発売される。 |
| 2002年 |
2002年、PD-1ががん免疫の抑制に関与することが確認される。 |
| 2002年 |
PD-1ががん免疫の抑制に関与することが確認される。 |
| 2002年 |
「オノアクト」発売。 |
| 2005年 |
2005年、抗PD-1抗体の臨床開発が始まる。 |
| 2005年 |
抗悪性腫瘍剤「オプジーボ点滴静注」の開発が始まる。 |
| 2014年07月 |
2014年7月、「オプジーボ」がPD-1を標的とする免疫チェックポイント阻害剤として世界で初めて承認・発売される。 |
| 2014年07月 |
抗ヒトPD-1モノクローナル抗体「オプジーボ点滴静注」が世界で初めて承認・発売される。 |
| 2017年 |
2017年、小野薬品は創業300年を迎え、新薬の研究開発を継続し、未来への挑戦を続けている。 |
| 2017年 |
2017年、小野薬品は創業300年を迎え、新薬の創製に成功する確率はわずか2.5万分の1とされる中、次々と新薬を世に送り出し、イノベーションを推進している。 |
| 2017年 |
創業300年を迎え、新薬の創製に成功する確率は2.5万分の1とされる中、小野薬品は新薬の研究開発を継続。 |