| 1589年 |
1590年 : 蘇我理右衛門(住友二代目 住友友以の実父)、京都で銅吹き屋開業 : 後年、南蛮吹きを開発 : 南蛮吹きの図(鼓銅図録)写真提供:住友史料館 : 南蛮吹きの図(鼓銅図録) : 写真提供:住友史料館 : 南蛮吹き : 粗銅から銀を分離する技術で、純度の高い精銅を得ることができて銀も採集できた。南蛮人に原理を学んで開発し、同業者にも公開した。鉱山史上画期的な技術で、 蘇我理右衛門は、わが国銅精錬業の開祖となった。 |
| 1589年 |
蘇我理右衛門(住友二代目 住友友以の実父)、京都で銅吹き屋開業 |
| 1629年 |
1630年頃 : 住友家の初代 住友政友、京都で薬屋ならびに出版・書籍販売を : おこなう富士屋を開業 : 写真提供:住友史料館 : 写真提供:住友史料館 : 文殊院旨意書 : 住友家初代 政友が晩年、商人の心得を説いたもので、現在の住友事業精神の基盤となった。 |
| 1629年 |
住友家の初代 住友政友、京都で薬屋ならびに出版・書籍販売をおこなう富士屋を開業 |
| 1680年 |
1681年 : 住友三代目 住友友信 備中の吉岡銅山の採掘に着手 : 写真提供:一般社団法人 高梁市観光協会 : 写真提供:一般社団法人 高梁市観光協会 : 吉岡銅山 : 岡山県高梁市の吉岡銅山の経営は、別子銅山以前に着手。この地では今も住友電工焼結合金(株)が世界最大級の焼結部品工場を展開している。 |
| 1680年 |
住友三代目 住友友信 備中の吉岡銅山の採掘に着手 |
| 1689年 |
1690年 : 別子銅山発見 |
| 1689年 |
別子銅山発見 |
| 1690年 |
1691年 : 別子銅山開坑 : 写真提供:住友史料館 : 写真提供:住友史料館 : 別子銅山 : 吉岡銅山の支配人が対岸の愛媛県新居浜市に鉱脈があるとの情報を入手。それが世界有数の鉱山・別子銅山の発見・開坑につながった。 |
| 1690年 |
別子銅山開坑 |
| 1895年 |
1895年 : 日本製銅(株)設立 |
| 1895年 |
日本製銅(株)設立 |
| 1897年 |
1897年の創業以来、住友電工は豊かで夢のある未来の実現に向けて、イノベーションに挑戦し続けてきました。当時、ケーブルなど高級品は、そのすべてを輸入に頼っていました。そのような状態を憂いて、国のため、電線事業を開拓することを決意しました。銅線、硅銅線の製造から始まり、国産初の高圧地下送電線ケーブルの製造、世界最長の海底ケーブルの製造・敷設にも成功するなど、日本の産業の発展を支える役割を担いました。 |
| 1897年 |
1897年 : 住友家 日本製銅(株)買収 |
| 1897年 |
1897年 : <創業>大阪市北区安治川に住友伸銅場開設 : 写真提供:住友史料館 : 写真提供:住友史料館 : 住友伸銅場 : 大阪市福島区にあった日本製銅(株)の工場を買い受け、住友伸銅場を開設。それを機に、本社を工場正面南側の大阪市北区に設置。現在、住友伸銅場の跡地には、大阪市福島区野田にある中央卸売市場本場がある。 |
| 1897年 |
住友電工は1897年の創業以来、豊かで夢のある未来の実現に向けて、イノベーションに挑戦し続けてきました。 |
| 1897年 |
住友家 日本製銅(株)買収 |
| 1897年 |
大阪市北区安治川に住友伸銅場開設 |
| 1911年 |
住友電線製造所の開設により、電気事業の発展に対応し、電力用鉛被紙ケーブルの実用化に成功しました。 |
| 1911年03月 |
住友伸銅場が誕生し、住友電気工業株式会社の前身となった。 |
| 1945年 |
戦争は終わったものの、工場は数次にわたる空襲にあって惨憺たる状況でした。当時の別宮社長は、社員に対して今までの苦労をねぎらった後、「日本を文化国家として再建するためには、当社の製品はなければならないものであるから、企業の形態がどのように変わろうとも、少しでも製品を作って使命を達成しなければならない、とにかく生産一途に励むほかない」と告げました。電線のほかにも手持資材を利用して、ゴム長靴、電熱器、金網などの日用必需品や、鍬などの農具も製造しました。 |
| 1945年 |
戦争終結後、工場は空襲により惨憺たる状況となるも、社員は生産を続け、電線や日用品、農具などを製造した。 |
| 1950年09月 |
ジェーン台風は、1950年9月に大阪を襲った大型台風で、関西を中心に死者336人、被災者50万人、倒壊家屋1万5000戸の被害が出ました。当社大阪製作所の西工場も高潮で浸水し、出荷を待っていたインド向けアルミ架空送電線が冠水しました。水洗いすれば問題はない程度の軽微な被害でしたが、全量を製造しなおすという指示が下されました。「あくまでも良品を供給して信用を重んじる」という当社の伝統的な精神がここに表れています。 |
| 1950年09月 |
ジェーン台風により大阪製作所の西工場が高潮で浸水し、インド向けアルミ架空送電線が冠水したが、良品を供給するために全量を製造しなおす指示が下された。 |
| 1954年 |
国産化に成功したオイルテンパー線が登場した。 |
| 1961年 |
東海道新幹線に採用されたディビダーク式コンクリート枕木の開発が始まった。 |
| 1962年 |
東海道新幹線に採用されたディビダーク式枕木の納入が本格化し、空気ばねの研究も開始された。 |
| 1964年 |
シンコム衛星用パラボラアンテナが開発され、採用された。 |
| 1970年 |
大阪万博で動く歩道や電力ケーブル、交通ゲーム制御システムが活躍し、バスロケーションシステムの実験も開始された。 |
| 1970年 |
初の海外製造会社(タイ)設立。 |
| 1971年 |
1971年に実験計画が決定し、1972年6月から実験システムの設計・制作を開始、1973 年8月から1974年1月にわたり各機能の実験を行いました。 |
| 1972年06月 |
1972年6月から実験システムの設計・制作を開始。 |
| 1973年08月 |
1973年8月から1974年1月にわたり各機能の実験を行いました。 |
| 1974年01月 |
1974年1月にわたり各機能の実験を行いました。 |
| 1974年 |
世界最大規模の東京交通管制センターが完成し、光ファイバケーブルの製造も開始された。 |
| 1987年 |
Sumitomo Electric Copper Rolling Works Founded 1987。住友電気工業株式会社の前身、住友電線製造所の母体となった住友伸銅場が誕生しました。この年は、日清戦争(明治27~28年)後の起業ブームの反動で、不況が深刻になりつつありました。住友伸銅場の設立は、当時、経営難に陥っていた日本製銅株式会社を住友家が同年3 月に買収したのがきっかけとなりました。 |