| 1917-07-25 |
1917年7月25日、東京市小石川区原町120番地(現 文京区白山四丁目)に、測距儀、顕微鏡などの光学機器の国産化を目指し、日本光学工業株式会社が誕生した。 |
| 1917-07-25 |
1917(大正6)年7月25日、当時の東京市小石川区原町120番地(現 文京区白山四丁目)に、測距儀、顕微鏡などの光学機器の国産化を目指し、日本光学工業株式会社が誕生した。ニコンの一世紀にわたる足跡の第一歩である。 |
| 1917-07-25 |
1917年7月25日、東京市小石川区原町120番地(現 文京区白山四丁目)に、日本光学工業株式会社が誕生した。 |
| 1917-07-25 |
ニコンの原点「日本光学工業」誕生 |
| 1921年 |
1921年に発売した超小型双眼鏡「ミクロン」は、初めてニコンで開発、設計、製造のすべてを行った双眼鏡のひとつ。小型高性能な双眼鏡として好評を博した。 |
| 1921年 |
1921年、光学技術の進んでいたドイツから8名の技術者たちが招聘された。レンズ設計の世界的権威ランゲ博士をはじめ、顕微鏡設計に豊富な経験を誇ったアハト、ベルニック、ディルマンなどが指導にあたった。 |
| 1921年 |
1921(大正10)年に発売した超小型双眼鏡「ミクロン」は、初めてニコンで開発、設計、製造のすべてを行った双眼鏡のひとつ。小型高性能な双眼鏡として好評を博した。1948年(昭和23年)と1997(平成9)年には復刻版が発売され、現在も販売される人気機種である。 |
| 1921年 |
1921(大正10)年、光学技術の進んでいたドイツから8名の技術者たちが招聘された。レンズ設計の世界的権威であるランゲ博士をはじめ、顕微鏡設計に豊富な経験を誇ったアハト、精密機械技術に秀でたベルニック、レンズ設計・計算を専門とするディルマンなど、彼らの指導は技術の向上に飛躍的な成果をもたらした。 |
| 1921年 |
光学技術の進んでいたドイツから8名の技術者たちが招聘される |
| 1923年09月 |
1923年9月の関東大震災で硝子研究工場は設備に損害を受け、研究は一時中止となった。1924年2月に復旧工事が完了し、硝子研究所での研究を再開した。 |
| 1923年09月 |
1923年(大正12年)9月の関東大震災で硝子研究工場は設備に損害を受け、研究は一時中止となった。1924年2月に復旧工事が完了し、硝子研究所での研究を再開した。 |
| 1923年09月 |
1923年9月、関東大震災で硝子研究工場が損害を受けた。 |
| 1923年09月 |
関東大震災で硝子研究工場は設備に損害を受け、研究は一時中止となる |
| 1924年02月 |
1924年2月に硝子研究所の復旧工事が完了し、研究を再開した。 |
| 1924年02月 |
1924年2月、硝子研究所の研究が再開された。 |
| 1924年02月 |
硝子研究所での研究を再開 |
| 1925年 |
1925年には「JOICO(ジョイコ)顕微鏡」を発売。最大765倍まで拡大できる、当時としては画期的な顕微鏡だった。 |
| 1925年 |
1925(大正14)年には「JOICO(ジョイコ)顕微鏡」を発売。最大765倍まで拡大できる、当時としては画期的な顕微鏡だった。 |
| 1925年 |
1925年には「JOICO(ジョイコ)顕微鏡」を発売 |
| 1927年03月 |
1927年(昭和2年)3月までに約70回の大熔解、220回を超える試験熔解を行った。その目的はひとえにガラスの品質の向上、量産技術の確立にあった。 |
| 1927年03月 |
1927年3月、約70回の大熔解を行った。 |
| 1927年03月 |
硝子研究所の研究を再開し、ガラスの品質向上と量産技術の確立に努める |
| 1929年 |
1929年末に試作完了後、さらに修正され、1931年には本家のテッサーに見劣りしないレベルに達したといわれるまでになった。 |
| 1929年 |
1929(昭和4)年に最初のレンズ「アニター12cm F4.5」は完成した。その後、数種類のレンズの開発に成功し、写真レンズの製造に見通しがついたので、製品のブランド名が検討された。 |
| 1929年 |
最初のレンズ「アニター12cm F4.5」が完成 |
| 1929年12月 |
1929(昭和4)年末に試作完了後、さらに修正され、1931年には本家のテッサーに見劣りしないレベルに達したといわれるまでになった。 |
| 1931年 |
1931年、東京科学博物館に上野新館が完成した際、屋上の天文ドームに「8インチ天体望遠鏡」が設置された。 |
| 1931年 |
1931(昭和6)年、東京科学博物館に上野新館が完成した際、屋上の天文ドームに「8インチ天体望遠鏡」が設置された。これは「20cm屈折赤道儀」と呼ばれることもあり、本格的な赤道儀式屈折望遠鏡としては国産第1号といわれ、国産の天体望遠鏡では当時最大の口径を誇るものであった。1954年に大改修を行い、2005(平成17)年までの70年以上にわたり、日本で最も長く、来場者に天体の魅力を伝え続けてきた。役目を終えた後、2014年4月からは、国立科学博物館の地球館地下3階、「宇宙を探る」コーナーにて常設展示されている。 |
| 1931年 |
「NIKKOR(ニッコール)」商標登録 |
| 1931年 |
屋上の天文ドームに「8インチ天体望遠鏡」が設置される |
| 1932年 |
1932年、「NIKKOR(ニッコール)」というブランド名が商標登録された。 |
| 1932年 |
この名は1932年に商標登録された。 |
| 1932年 |
「NIKKOR(ニッコール)」商標登録 |
| 1933年 |
1933年、地図製作を目的とした航空写真機用レンズを納入したことからNIKKORレンズの歴史は始まる。 |
| 1933年 |
1933年(昭和8)年、地図製作を目的とした航空写真機用レンズを納入したことからNIKKORレンズの歴史は始まる。「空」を意味する「Aero(エアロ)」を接頭語にして「Aero-NIKKOR」と命名された。最初に70cm F5のほか、小型航空写真用として18cm F4.5のNIKKORレンズが納入された。 |
| 1933年 |
航空写真用レンズ「Aero-NIKKOR」が納入される |
| 1946年 |
1948年3月に産声をあげたが、設計図が完成したのは1946年9月。 |
| 1946年03月 |
ニコンカメラの初号機「ニコンⅠ型」が完成 |
| 1946年09月 |
1946(昭和21)年9月に設計図が完成してから2年足らず。ニコンカメラの初号機「ニコンⅠ型」は、1948年3月に産声をあげた。 |
| 1946年09月 |
1946年9月、ニコンⅠ型の設計図が完成した。 |
| 1948年 |
「JOICO(ジョイコ)」顕微鏡を発売 |
| 1948年03月 |
1948年3月にニコンカメラの初号機「ニコンⅠ型」が発売された。 |
| 1948年03月 |
1948年3月に産声をあげた。 |
| 1948年03月 |
ニコンカメラの初号機「ニコンⅠ型」が発売 |
| 1953年 |
写真文化の向上のため、「ニッコールクラブ」が設立された。発起人には木村伊兵衛、土門拳、三木淳、亀倉雄策、溝口健二、高峰秀子氏などが名を連ねた。 |
| 1953年 |
ニッコールクラブ設立。木村伊兵衛、土門拳、三木淳、亀倉雄策、溝口健二、高峰秀子氏などが発起人となり設立。写真は1953年から発刊されている会報誌。中央が創刊号の表紙。 |
| 1953年 |
1953年、ニッコールクラブの会報誌が発刊された。 |
| 1953年 |
ニッコールクラブ設立 |
| 1954年 |
屋上の天文ドームの「8インチ天体望遠鏡」が大改修される |
| 1956年 |
1956(昭和31)年に高解像度の「マイクロニッコール」を開発すると、印刷会社や電気関係メーカーから、高解像度レンズに関する問い合わせが相次いだ。 |
| 1958年 |
1958年に開催されたブリュッセル万国博覧会で、「ニコンSP」はニッコールレンズ、光学ガラスとともにグランプリを受賞した。 |
| 1958年 |
1958(昭和33)年に開催されたブリュッセル万国博覧会で、「ニコンSP」はニッコールレンズ、光学ガラスとともにグランプリを受賞した。 |
| 1958年 |
1958年、ブリュッセル万国博覧会でニコンSPがグランプリを受賞した。 |
| 1958年 |
「ニコンSP」がブリュッセル万国博覧会でグランプリを受賞 |
| 1962年08月 |
「ウルトラマイクロ・ニッコール」が開発される |
| 1964年 |
1964年、文部省のプロジェクトでニコンが製作を担当したルーリングエンジンの国産第1号機が完成した。 |
| 1964年 |
1964(昭和39)年、文部省(現 文部科学省)のプロジェクトで、ニコンが製作を担当したルーリングエンジンの国産第1号機が完成した。しかし、それは精度や安定性において実用レベルにはいたらなかった。 |
| 1964年 |
ルーリングエンジンの国産第1号機が完成 |
| 1964年 |
「NIKKOR-H 300mm F2.8」レンズが発売 |
| 1967年 |
ルーリングエンジン2号機の開発を開始 |
| 1968年 |
1968年に発売された「ニコンフォトミックFTN」が選ばれた。 |
| 1968年 |
「ニコンF」が開発される |
| 1969年 |
「ニコンF」が発売される |
| 1971年01月 |
1971年1月、ニコンはNASAからの依頼に応え、月面着陸・探査用の記録用カメラの供給契約を結んだ。 |
| 1971年01月 |
1971(昭和46)年1月、ニコンはNASA(アメリカ航空宇宙局)からの依頼に応えてある契約を結んだ。それは、その年の7月に打ち上げが予定されていた、月面着陸・探査を目的とするアポロ15号から、翌年打ち上げ予定のアポロ17号までに搭載する記録用カメラの供給に関するものであった。開発のベースには、1968年に発売されていた「ニコンフォトミックFTN」が選ばれた。 |
| 1971年01月 |
NASAからの依頼に応え、「ニコンフォトミックFTN」が月面探査用カメラとして納入される |
| 1971年12月 |
1971年12月、新種光学ガラスPC102「EDガラス」を開発し、大型化・量産化に成功した。 |
| 1971年12月 |
1971(昭和46)年12月、新種光学ガラスPC102「EDガラス」を開発。連続溶解によって他社に先がけて大型化・量産化した。 |
| 1971年12月 |
新種光学ガラスPC102「EDガラス」を開発 |
| 1972年01月 |
「NIKKOR-H 300mm F2.8」レンズが発売 |
| 1973年 |
ニコンの光学・精密技術を結集した「ニコンF」は国内外で大きな反響を呼び、1973(昭和48)年までの15年間にわたって生産され、ニコンとニッコールのブランドを揺るぎないものにした。 |
| 1973年 |
1973年、ニコンFの生産が終了した。 |
| 1976年 |
1976(昭和51)年に開発した画期的な光学系CFシステムを実習用生物顕微鏡に拡げ、性能の向上を図った。軸上色収差および倍率色収差がきわめて少ないCF光学系を備えたことにより、医学部・歯学部学生の実習用顕微鏡のクラスでは最高級の性能をもつものとなり、位相差装置、落射蛍光装置、簡易偏光装置など高級機に準じた付属品の利用が可能になった。 |
| 1976年03月 |
1976年3月、通産省の主導で「超エル・エス・アイ技術研究組合(超LSI研)」が発足し、回路パターンを10分の1にする縮小投影型露光装置の開発を依頼された。 |
| 1976年03月 |
1976(昭和51)年3月、通産省(現 経済産業省)の主導で「超エル・エス・アイ技術研究組合(超LSI研)」が発足。超LSI研はニコンに回路パターンを10分の1にする縮小投影型露光装置、ステッパーの開発を依頼した。 |
| 1976年05月 |
北極圏12,000キロを犬ぞり単独行で走破 |
| 1977年06月 |
犬ぞり用カメラの改良を行い、「ニコンF2チタンウエムラスペシャル」が完成 |
| 1978年 |
1978年秋、NASAからスペースシャトルに搭載するカメラ製作の依頼があった。 |
| 1978年 |
1978(昭和53)年の秋、NASA(アメリカ航空宇宙局)からスペースシャトルに搭載するカメラ製作の依頼があった。 |
| 1978年 |
NASAのスペースシャトルにカメラを納入 |
| 1978年05月 |
スペースシャトル用カメラ「F3“ビッグカメラ”」と「F3“スモールカメラ”」を納入 |
| 1979年 |
1979年にウェハ表面検査装置NICIS-MX2を発売し、目視外観検査の効率化を実現した。 |
| 1979年 |
「オプチステーション」とは、ウェハを自動搬送し、目視外観検査を効率化する装置。1979(昭和54)年に発売したウェハ表面検査装置NICIS-MX2に代えて製品化した。 |
| 1979年 |
1979(昭和54)年半ばごろから、電子画像分野の調査を開始していた。1984年、共同通信社とともに開発した、世界初の35mmフィルムダイレクト電送装置「NT-1000」(モノクロ写真用)を報道向けに発売。この装置は、引き伸ばしたプリントを電話回線で送信する従来のシステムを革新。35mmのネガフィルム、ポジフィルムから直接画像を読み取ることができ、モニターを確認しながらトリミングや、手書きの文字を同時送信することが可能で、即時性が求められる報道現場のニーズに応えた。 |
| 1979年 |
1979(昭和54)年半ばごろから、電子画像分野の調査を開始していた。 |
| 1979年 |
ウェハ表面検査装置「オプチステーション」を発売 |
| 1980年02月 |
国産初の商用ステッパー「NSR-1010G」を発表 |
| 1982年 |
「ニコンF3チタンウエムラスペシャル」を製作 |
| 1984年 |
1984年、共同通信社とともに開発した世界初の35mmフィルムダイレクト電送装置「NT-1000」を発売した。 |
| 1984年 |
1984年、共同通信社とともに開発した、世界初の35mmフィルムダイレクト電送装置「NT-1000」(モノクロ写真用)を報道向けに発売。この装置は、引き伸ばしたプリントを電話回線で送信する従来のシステムを革新。35mmのネガフィルム、ポジフィルムから直接画像を読み取ることができ、モニターを確認しながらトリミングや、手書きの文字を同時送信することが可能で、即時性が求められる報道現場のニーズに応えた。 |
| 1984年 |
世界初の35mmフィルムダイレクト電送装置「NT-1000」を発売 |
| 1986年 |
1986年に大型基板用露光装置「NSR-L7501G」を発売し、75mm角までの対応を可能にした。 |
| 1986年 |
1986(昭和61)年に、大型基板用露光装置「NSR-L7501G」を発売。当時の半導体露光装置の露光範囲は最大30mm角であったが、この装置は75mm角までの対応を可能にした。 |
| 1986年 |
大型基板用露光装置「NSR-L7501G」を発売 |
| 1988年 |
1988年には、フィルムを使わない、モノクロ専用の電子カメラ「QV-1000C」と交換レンズ「QVニッコール」、電送装置「QV-1010T」で構成されるスチルビデオカメラシステムを発売。この技術がやがて、ニコンのデジタルカメラシステム開発へと繋がっていく。 |
| 1988-04-01 |
1988年4月1日、日本光学工業株式会社は「株式会社ニコン」として新たなスタートを切った。 |
| 1988-04-01 |
1988(昭和63)年4月1日、日本光学工業株式会社は「株式会社ニコン」として新たなスタートを切った。当時、すでに「ニコン」というブランド名は、各分野で高い信用を得ていた。世界的にも広く浸透し、信頼を集めている名称を有効に活かし、国際企業として発展していくための社名変更であった。 |
| 1988-04-01 |
日本光学工業株式会社が「株式会社ニコン」に社名変更 |
| 1996年 |
1996年、社長直轄のプロジェクトが立ち上げられ、2年を期限とする本格的なデジタルカメラ新製品の開発に取り組むこととなった。 |
| 1996年 |
1996(平成8)年に、社長直轄のプロジェクトが立ち上げられた。その目的は、2年を期限とする本格的なデジタルカメラ新製品の開発であった。設計その他の部署から集められた10人ほどの精鋭がこの課題に取り組むこととなる。当初、現場のリーダーから、デジタル技術の蓄積が少ない現状において2年での開発は難しい、せめて3年は欲しいという申し出があった。しかし「今のニコンにその時間はない」と、2年での開発に取り組んだ。 |
| 1996年 |
1996年に、社長直轄のプロジェクトが立ち上げられた。その目的は、2年を期限とする本格的なデジタルカメラ新製品の開発であった。設計その他の部署から集められた10人ほどの精鋭がこの課題に取り組むこととなる。 |
| 1996年 |
デジタルカメラの本格的な開発プロジェクトが立ち上げられる |
| 1998年04月 |
1998年4月、コンパクトデジタルカメラ「COOLPIX 900」を発売した。 |
| 1998年04月 |
1998年4月にコンパクトデジタルカメラ「COOLPIX 900」を、その翌年の1999年9月には、プロフェッショナル向けのデジタル一眼レフカメラ 「D1」を発売する。画質性能や操作性、機能性などに優れた、高い総合力を持ち、さらにその価格は当時のライバル機の1/3の65万円という画期的なもので、デジタル一眼レフカメラが本格的に普及するきっかけをつくった。その後もニコンは、プロフェッショナルの期待を超えるフラッグシップモデルを生み出し続け、その優れた資質は、最新のニコンデジタル一眼レフカメラ「D5」へと受け継がれている。 |
| 1998年04月 |
コンパクトデジタルカメラ「COOLPIX 900」を発売 |
| 1999年09月 |
1999年9月、プロフェッショナル向けのデジタル一眼レフカメラ「D1」を発売した。 |
| 1999年09月 |
1998年4月にコンパクトデジタルカメラ「COOLPIX 900」を、その翌年の1999年9月には、プロフェッショナル向けのデジタル一眼レフカメラ 「D1」を発売する。画質性能や操作性、機能性などに優れた、高い総合力を持ち、さらにその価格は当時のライバル機の1/3の65万円という画期的なもので、デジタル一眼レフカメラが本格的に普及するきっかけをつくった。その後もニコンは、プロフェッショナルの期待を超えるフラッグシップモデルを生み出し続け、その優れた資質は、最新のニコンデジタル一眼レフカメラ「D5」へと受け継がれている。 |
| 1999年09月 |
プロ向けデジタル一眼レフカメラ「D1」を発売 |
| 2000年02月 |
2000年2月、「FOCAS」が初観測を迎え、最も遠い128.8億光年先の銀河を発見した。 |
| 2000年02月 |
2000(平成12)年2月、「FOCAS」が初観測を迎えた。観測史上最も遠い128.8億光年先の銀河を発見しただけでなく、2006年に発表された「最も遠い場所にある天体ベストテン」のうち、9個をすばる望遠鏡の主焦点カメラで発見し、「FOCAS」によってその存在が確認された。 |
| 2000年02月 |
「FOCAS」初観測を迎える |
| 2005年04月 |
「HDS」により最も鉄組成の少ない星を発見 |
| 2006年 |
2006年、「FOCAS」によって9つの天体が「最も遠い場所にある天体ベストテン」に選ばれた。 |
| 2006年01月 |
人工衛星「だいち」の打ち上げ |
| 2006年02月 |
赤外線天文衛星「あかり」の打ち上げ |
| 2009年 |
2009年、NASAにデジタル一眼レフカメラ「D3S」11台と交換レンズを納入した。 |
| 2009年 |
2009(平成21)年に、国際宇宙ステーション(ISS)内での記録撮影用として、NASA(米国航空宇宙局)に、デジタル一眼レフカメラ「D3S」11台と交換レンズ「AF-S NIKKOR 14-24mm f2.8G ED」7本を納入。 |
| 2009年 |
国際宇宙ステーション(ISS)に記録撮影用カメラを納入 |
| 2010年 |
2010年、ロシア連邦宇宙局に「D3S」や「D3X」などの機材を納入した。 |
| 2010年 |
2010年にはロシア連邦宇宙局が国際宇宙ステーション(ISS)の運営を委託している、S.P.コロレフ ロケット アンド スペース コーポレーション“エネルギア”に、宇宙での記録撮影用として、「D3S」1台と「D3X」2台、「AF-S NIKKOR 400mm f/2.8G ED VR」などの交換レンズ、ソフトウェア、アクセサリー類を納入した。いずれもISSのアメリカ区画、ロシア区画の船内および船外活動で活躍している。 |
| 2010年 |
2010年にはロシア連邦宇宙局が国際宇宙ステーション(ISS)の運営を委託している、S.P.コロレフ ロケット アンド スペース コーポレーション“エネルギア”に、宇宙での記録撮影用として、「D3S」1台と「D3X」2台、「AF-S NIKKOR 400mm f/2.8G ED VR」などの交換レンズ、ソフトウェア、アクセサリー類を納入した。 |
| 2010年 |
ロシア連邦宇宙局にカメラとレンズを納入 |
| 2010年05月 |
金星探査機「あかつき」の打ち上げ |
| 2013-09-14 |
2013年9月14日、JAXAが惑星分光観測衛星「ひさき」を打ち上げ、ニコンは望遠鏡の主鏡を製造した。 |
| 2013-09-14 |
2013(平成25)年9月14日、宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、鹿児島県の内之浦宇宙空間観測所より、惑星分光観測衛星SPRINT-Aを搭載したイプシロンロケットの打ち上げに成功した。その後、SPRINT-Aは無事軌道に投入され、「ひさき」と命名された。「ひさき」は地球を回る高度約1000kmの人工衛星軌道から金星や火星、木星などを遠隔観測する世界で最初の惑星観測専用の宇宙望遠鏡であり、ニコンは望遠鏡の主鏡(口径20cm)を製造することでこのプロジェクトに参加している。主鏡の母材はSiC(炭化ケイ素)であり、この材料は非常に硬く加工が難しいが、精密加工技術を駆使することで完成させた。 |
| 2013-09-14 |
惑星分光観測衛星「ひさき」を打ち上げ、望遠鏡の主鏡を製造 |
| 2017年 |
2017年に創立100周年を迎え、記念事業やロゴ制定などを行った。 |
| 2017年 |
2017年に迎える創立100周年を記念して開設。 |
| 2017年 |
アディティブマニュファクチャリング事業の統括会社Nikon Advanced Manufacturing Inc.を米国に設立 |
| 2017年 |
創立100周年記念事業の一環として「ニコン創立100周年記念ロゴ」を制定。ニコン創立100周年記念製品の発売のほか、世界各地でイベントやキャンペーンを開催。 |
| 2017年 |
創立100周年を迎え、記念事業や新製品を展開 |