| 1903年 |
岩谷直治は、1903年、島根県安濃郡長久村(現 大田市)に父・邦吉郎と母・ミサの五男として誕生しました。 |
| 1930年 |
創業者 岩谷直治が大阪市港区に岩谷直治商店を創業。 |
| 1930年 |
創業者 岩谷直治が大阪市港区に岩谷直治商店を創業。酸素・溶接棒・カーバイドの販売に取り組んだのが、イワタニのはじまりでした。 |
| 1930年05月 |
1930年、5月: 岩谷直治商店を創業 |
| 1930年05月 |
岩谷直治商店を創業 |
| 1939年 |
1939年、経済統制によって自由な商いの道が閉ざされたことから「金生海運商会」を設立し、中国大陸との海運業を始めました。 |
| 1939年 |
金生海運商会を設立し、中国大陸との海運業を始めました。 |
| 1941年 |
1941年には、事業の拡大を図るため上海に「金生洋行」を設立しましたが、所有していた2隻の船が陸軍に徴用されたため、海運業を諦めて中国での溶材料販売を始めました。 |
| 1941年 |
1941年頃、原子水素溶接機械が輸入され水素が使われたことで水素需要が出始めました。 |
| 1941年 |
金生洋行を設立し、海運業を諦めて中国での溶材料販売を始めました。 |
| 1941年 |
1941年頃、原子水素溶接機械が輸入され水素が使われたことで水素需要が出始めました。当時、硬化油脂製造工場では自家使用する以外の水素を捨てていましたが、直治は「もったいない」と、この余剰水素を引き取り販売したのが水素事業の始まりでした。 |
| 1945年02月 |
1945年2月、岩谷産業株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。 |
| 1945年02月 |
岩谷産業株式会社設立 代表取締役社長に就任 |
| 1945-02-02 |
岩谷直治商店は、1945年2月2日に岩谷産業株式会社に改組し、新たなスタートを切りました。 |
| 1945-02-02 |
岩谷産業株式会社に改組し、新たなスタートを切りました。 |
| 1945-03-13 |
1945年3月13日の空襲で、大阪市港区市岡浜通りの本店が焼失したという電報を上海で受けた直治は、中国の事業を畳むことにしました。 |
| 1945-03-13 |
大阪市港区市岡浜通りの本店が焼失したという電報を受け、中国の事業を畳むことにしました。 |
| 1947年 |
1947年、東区(現 中央区)に新築した木造の大阪本社は1970年まで使用し、現在、その跡地は「イワタニ水素ステーション 大阪本町」として蘇っています。 |
| 1947年 |
東区に新築した木造の大阪本社を建設しました。 |
| 1952年 |
1952年、講演で「イタリアではプロパンガスをボンベに詰めて家庭用の燃料として使用している」ということを知った直治は、かまどの煮炊きに苦労している母を思い浮かべました。「主婦をススや煙から解放したい。これこそ自分がやりたかった事業である」という信念で、「金がないのなら酸素ボンベも何もかも売り払って資金を作れ」と檄を飛ばし、50歳にして不退転の決意でプロパンガス事業を始めました。 |
| 1952年 |
1952年、講演で「イタリアではプロパンガスをボンベに詰めて家庭用の燃料として使用している」ということを知った直治は、かまどの煮炊きに苦労している母を思い浮かべました。 |
| 1956年 |
1956年から母校の長久小学校に本を毎年寄付し、これは「岩谷文庫」と名付けられました。 |
| 1958年 |
1958年、「今から事業化の道をつけておく。イワタニがやらなければ誰がやるのだ」と、役員の渋面を一蹴して、大阪水素工業(株)を設立しました。 |
| 1958年 |
1958年、「今から事業化の道をつけておく。イワタニがやらなければ誰がやるのだ」と、役員の渋面を一蹴して、大阪水素工業(株)を設立しました。水素の需要が増加の一途をたどるのを見た直治は、「やがて液化水素の時代が来る」と考え、液化水素製造プラントを建設し、宇宙開発事業団(現 JAXA)に液化水素の納入を開始しました。 |
| 1966年 |
1966年には島根県に財団法人岩谷育英会を設立し、 |
| 1970年 |
1947年、東区(現 中央区)に新築した木造の大阪本社は1970年まで使用し、現在、その跡地は「イワタニ水素ステーション 大阪本町」として蘇っています。 |
| 1970年 |
大阪本社を1970年まで使用しました。 |
| 1973年 |
1973年には母校の島根県立大田高等学校(卒業時は大田農学校)に図書館を寄付するなど、直治の故郷を強く思う気持ちを表しています。 |
| 1973年 |
1973年、直治は古希を迎えたのを機に「社会に役立つことをやろう」と思い立ちました。持っていた自社株と現金合わせて約30億円を投じて、財団法人岩谷直治記念財団を設立。 |
| 1973年12月 |
1973年12月、財団法人 岩谷直治記念財団を設立し、理事に就任。 |
| 1973年12月 |
財団法人 岩谷直治記念財団を設立 理事に就任 |
| 1985年12月 |
1985年12月、岩谷産業株式会社の代表取締役会長に就任。 |
| 1985年12月 |
岩谷産業株式会社 代表取締役会長に就任 |
| 1986-08-13 |
1986年8月13日、液化水素を燃料にしたH-Iロケットの打ち上げ成功を種子島で見た直治は、「プロパンが台所を変えたように、21世紀には水素が世の中を変えることを確信した。これは理層ではなく、長年ガスと付き合ってきた私の勘である」と語りました。 |
| 1986-08-13 |
1986年8月13日、液化水素を燃料にしたH-Iロケットの打ち上げ成功を種子島で見た直治は、 |
| 1986-08-13 |
1986年8月13日、液化水素を燃料にしたH-Iロケットの打ち上げ成功を種子島で見た直治は、「プロパンが台所を変えたように、21世紀には水素が世の中を変えることを確信した。これは理屈ではなく、長年ガスと付き合ってきた私の勘である」と語りました。 |
| 1998年06月 |
1998年6月、岩谷産業株式会社の取締役名誉会長に就任。 |
| 1998年06月 |
岩谷産業株式会社 取締役名誉会長に就任 |
| 2005年 |
2005年、取締役名誉会長 岩谷直治は満102歳で亡くなりました。 |
| 2005年07月 |
2005年7月、岩谷直治氏が死去し、享年102歳。 |
| 2005年07月 |
死去、享年102歳 |
| 2011-03-03 |
創業者 岩谷直治の生涯を 漫画で紹介しています。 制作: 株式会社漫画家学会 漫画: かぢばあたる 発行: 大阪商工会議所 大阪企業家ミュージアム 発行日: 2011年3月3日 |
| 2011-03-03 |
創業者 岩谷直治を紹介した漫画 発行日:2011年3月3日 |
| 2011-03-03 |
漫画で紹介しています。発行日:2011年3月3日。 |
| 2011-03-03 |
発行日:2011年3月3日 |