| 1923年 |
関東大震災が発生 |
| 1924年 |
初代社長 柴柳新二氏、恩加島鉄工所(大阪市南恩加島町)を創立 |
| 1924年 |
1924年 : 柴柳新二氏が恩加島鉄工所を創立 |
| 1924年 |
柴柳新二氏が恩加島鉄工所を創立 |
| 1929年 |
ニューヨーク証券取引所での株の大暴落をきっかけに世界恐慌が発生。日本も深刻な影響を受ける |
| 1931年 |
満州事変が勃発。日本と中華民国との間で武力紛争が起こる |
| 1934年 |
ドイツより電気アプセッターを導入、我が国初のエンジンバルブの量産化に着手 |
| 1934年 |
1934年 : 西ドイツから電気アプセッターを買い入れ、日本初のエンジンバルブの量産化開始 |
| 1934年 |
西ドイツから電気アプセッターを買い入れ、日本初のエンジンバルブの量産化開始 |
| 1936年 |
日本陸軍の青年将校らによる軍事クーデーター2.26事件が勃発 |
| 1937年 |
日本鍛工株式会社を創立、恩加島鉄工所を合併(大阪市西淀川区佃町) |
| 1937年 |
1937年 : 日本鍛工株式会社を創立、恩加島鉄工所を合併 |
| 1937年 |
日本鍛工株式会社を創立、恩加島鉄工所を合併(大阪市西淀川区佃町)。日中戦争が勃発。日本は戦争への道を歩み始めることに |
| 1937年 |
日本鍛工株式会社を創立、恩加島鉄工所を合併 |
| 1939年 |
ドイツ軍がポーランドへ侵攻、イギリス・フランスがドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦が開始される |
| 1941年 |
日本海軍が真珠湾を奇襲、太平洋戦争が勃発 |
| 1943年 |
航空機用中空エンジンバルブの生産を行うため、秦野工場の建設に着手 |
| 1945年 |
1945年 : 航空機用中空エンジンバルブ増産のため秦野工場建設、製造を開始 |
| 1945年 |
第2次世界大戦が終結し、国際連合が設立される |
| 1945年 |
航空機用中空エンジンバルブ増産のため秦野工場建設、製造を開始 |
| 1948年 |
旧日本鍛工株式会社より分離し、日鍛バルブ製造株式会社を設立 |
| 1948年 |
1948年 : 企業再建整備法に従い、旧日本鍛工株式会社より分離し、日鍛バルブ製造株式会社を設立 |
| 1948年 |
企業再建整備法に従い、旧日本鍛工株式会社より分離し、日鍛バルブ製造株式会社を設立 |
| 1949年 |
湯川秀樹博士が日本人として初めてノーベル賞(物理学賞)を受賞。中華人民共和国成立 |
| 1954年 |
戦後初のステライト盛弁を国産トラック用のディーゼルエンジン向けに生産 |
| 1954年 |
戦後初のステライト盛弁を国産トラック用のディーゼルエンジン向けに生産。日本の遠洋マグロ漁船第五福竜丸が米国の水爆実験によって発生した多量の放射性降下物(いわゆる死の灰)を浴びる |
| 1956年 |
本田宗一郎氏来社、二輪レーサーマシン用中空エンジンバルブを戦後初試作 |
| 1956年 |
本田宗一郎氏来社、二輪レーサーマシン用中空エンジンバルブを戦後初試作。英国マン島のT.Tレースにおける本田の活躍に貢献、二輪エンジンバルブ受注の端緒となる。日本が国際連合に加盟し国際社会の一員として認められるようになる |
| 1957年 |
三菱造船株式会社長崎造船所より、国内最大の大型ディーゼル主機関のエンジンバルブを受注 |
| 1960年 |
1960年 : 秦野市清水町に新鋭機械工場を建設(第一次合理化計画) |
| 1960年 |
秦野市清水町に新鋭機械工場を建設(第一次合理化計画) |
| 1961年 |
社名を「日鍛バルブ株式会社」に変更 |
| 1961年 |
1961年 : 社名を日鍛バルブ株式会社に変更(資本金7千万円) |
| 1961年 |
社名を日鍛バルブ株式会社に変更(資本金7千万円) |
| 1962年 |
1962年 : 東京証券取引所市場第二部へ上場 |
| 1962年 |
東京証券取引所市場第二部へ上場 |
| 1962年 |
秦野市曽屋に新たに土地を取得し工場を建設、自動車用バルブの本格的量産体制に入る(第二次合理化計画) |
| 1963年 |
BLW社と精密鍛造歯車の製造に関して技術提携 |
| 1963年 |
1963年 : 西ドイツBLW 社と精密鍛造歯車の製造に関し技術提携 |
| 1963年 |
BLW社と精密鍛造歯車の製造に関して技術提携。初の日米間の衛星中継実験に成功(ケネディ大統領暗殺事件を伝える) |
| 1963年 |
西ドイツBLW 社と精密鍛造歯車の製造に関し技術提携 |
| 1965年 |
1965年 : 秦野製作所に歯車工場を建設し、操業を開始(資本金1億8千万円) |
| 1965年 |
秦野製作所に歯車工場を建設し、操業を開始(資本金1億8千万円) |
| 1966年 |
1966年 : 本社を中央区八重洲に移転 |
| 1966年 |
本社を中央区八重洲に移転 |
| 1968年 |
1968年 : 台湾に合弁会社台湾日鍛工業股份有限公司(現連結子会社)を設立、エンジンバルブの製造技術を供与(資本金3億3千万円) |
| 1968年 |
台湾にエンジンバルブ製造の合弁会社「台湾日鍛工業股份有限公司」を設立。ロバート・ケネディ暗殺事件 |
| 1968年 |
台湾に合弁会社台湾日鍛工業股份有限公司(現連結子会社)を設立、エンジンバルブの製造技術を供与(資本金3億3千万円) |
| 1971年 |
1971年 : 資本金を5億5千万円に増資 |
| 1971年 |
資本金を5億5千万円に増資 |
| 1973年 |
第四次中東戦争でオイルショック。モノ不足や大手商社の買い占めが行われる |
| 1978年 |
1978年 : 米国イートン社と技術、資本、販売に関し提携 |
| 1978年 |
米国イートン社と技術、資本、販売に関して提携。新東京国際空港(現成田国際空港)開港 |
| 1978年 |
米国イートン社と技術、資本、販売に関し提携 |
| 1980年 |
米国イートン社と油圧バルブリフターに関する共同開発契約締結。日本の自動車生産台数が世界第1位に。名実ともに「自動車大国」となる |
| 1982年 |
1982年 : 資本金を7億5千万円に増資 |
| 1982年 |
世界初の軽量高速用超小型油圧式バルブリフターの開発、量産開始。東北新幹線 大宮-盛岡間(465.2km)が開業 |
| 1982年 |
資本金を7億5千万円に増資 |
| 1983年 |
1983年 : 山陽工場の建屋完成、小型エンジンバルブの生産を開始(資本金8億3千万円) |
| 1983年 |
山陽工場の建屋完成、小型エンジンバルブの生産を開始(資本金8億3千万円) |
| 1984年 |
1984年 : 資本金を8億7千万円に増資 |
| 1984年 |
山陽工場竣工、エンジンバルブの量産開始。スペースシャトルディスカバリー、初の打ち上げに成功 |
| 1984年 |
資本金を8億7千万円に増資 |
| 1986年 |
1986年 : 台湾日鍛工業股份有限公司(現連結子会社)に鍛造設備を導入、一貫生産体制を確立 |
| 1986年 |
世界最小軽量ロッカーアーム組込式油圧式バルブリフターの開発、量産開始。山陽工場で油圧式バルブリフターの生産開始。ソビエト連邦(現・ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所で大規模な爆発事故が発生 |
| 1986年 |
台湾日鍛工業股份有限公司(現連結子会社)に鍛造設備を導入、一貫生産体制を確立 |
| 1988年 |
1988年 : 米国オハイオ州に投資会社U.S. エンジンバルブコーポレーションを設立(現連結子会社) : 米国イートン社とU.S エンジンバルブコーポレーションの出資により、米国サウスカロライナ州にエンジンバルブ製造の合弁会社、U.S. エンジンバルブ(パートナーシップ)を設立(現連結子会社) |
| 1988年 |
米国サウスカロライナ州にエンジンバルブ製造の合弁会社「U.S.エンジンバルブ(パートナーシップ)」を設立 |
| 1988年 |
米国オハイオ州に投資会社U.S.エンジンバルブコーポレーションを設立(現連結子会社) : 米国イートン社とU.Sエンジンバルブコーポレーションの出資により、米国サウスカロライナ州にエンジンバルブ製造の合弁会社、U.S.エンジンバルブ(パートナーシップ)を設立(現連結子会社) |
| 1989年 |
1989年 : 公募増資により、資本金21億4千万円となる |
| 1989年 |
昭和天皇が崩御し、元号が平成となる |
| 1989年 |
公募増資により、資本金21億4千万円となる |
| 1990年 |
1990年 : 転換社債の転換により、資本金37億9千万円となる |
| 1990年 |
株が大暴落しバブル経済が崩壊。急速な景気後退に見舞われる |
| 1990年 |
転換社債の転換により、資本金37億9千万円となる |
| 1991年 |
NPMキックオフ大会。イラクがクウェートに侵攻し湾岸戦争が勃発。ソビエト連邦が崩壊 |
| 1995年 |
1995年 : 韓国に油圧バルブリフター製造の合弁会社 新和精密株式会社を設立 |
| 1995年 |
韓国にバルブリフター製造の合併会社「新和精密株式会社」を設立。インドネシアにエンジンバルブ製造の合弁会社「PT. フェデラル ニッタンインダストリーズ」を設立。阪神淡路大震災が発生し兵庫県を中心に大きな被害を受ける。また3月には、地下鉄サリン事件が発生 |
| 1995年 |
韓国に油圧バルブリフター製造の合弁会社 新和精密株式会社を設立 |
| 1995年 |
インドネシアにエンジンバルブ製造の合弁会社、PT. フェデラル ニッタン インダストリーズ(現連結子会社)を設立 |
| 1997年 |
1997年 : タイにエンジンバルブ製造の合弁会社、ニッタンタイランド Co., Ltd. : (現連結子会社)を設立 |
| 1997年 |
タイにエンジンバルブ製造の合弁会社「ニッタンタイランドCo., Ltd.」を設立。タイ政府によるタイバーツの変動相場制導入により、アジア通貨危機が始まる |
| 1997年 |
タイにエンジンバルブ製造の合弁会社、ニッタンタイランド Co., Ltd. : (現連結子会社)を設立 |
| 1999年 |
ボルボ・カー・コーポレーションより 1999年度ボルボ自動車優良賞 受賞。フォード社より「フォード世界優良賞(金賞)」受賞。茨城県東海村の核燃料施設JCOで日本初の臨界事故が発生 |
| 2000年 |
2000年 : 本社を中央区八重洲から秦野市に移転 |
| 2000年 |
本社を中央区八重洲から秦野市に移転 |
| 2001年 |
9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が起き、世界中の人々に大きなショックを与えた |
| 2002年 |
フォード社より「フォード世界優良賞(金賞)」受賞。アジアでは初めてのサッカーワールドカップを日韓共同で開催 |
| 2003年 |
2003年 : 台湾日鍛工業股份有限公司(現連結子会社)の出資により、中国に広州日鍛汽門有限公司(現・広州日鍛汽車部件有限公司)(現連結子会社)を設立 |
| 2003年 |
台湾日鍛工業股份有限公司の出資により、中国にエンジンバルブ製造の子会社「広州日鍛汽門有限公司」を設立。ボルボ・カー・コーポレーションより 2003年度ボルボ自動車優良賞 受賞。フォード社より「フォード世界優良賞(銀賞)」受賞。中国で新型肺炎SARSが大流行 |
| 2003年 |
台湾日鍛工業股份有限公司(現連結子会社)の出資により、中国に広州日鍛汽門有限公司(現・広州日鍛汽車部件有限公司)(現連結子会社)を設立 |
| 2004年 |
2004年 : 新和精密株式会社の出資により、北京柳成新和汽車部件有限公司を設立 |
| 2004年 |
新和精密株式会社の出資により、中国にバルブリフター製造の子会社「北京柳成新和汽車部件有限公司」を設立。スマトラ島沖地震が発生。津波などにより14カ国以上の国で被害を受ける |
| 2004年 |
新和精密株式会社の出資により、北京柳成新和汽車部件有限公司を設立 |
| 2005年 |
世界初となるエンジンバルブ製造合理化ライン導入(Next Generation Valve Line=NGVライン)。日本国際博覧会(愛知万博)「愛・地球博」が開幕 |
| 2006年 |
2006年 : 秦野地区再整備の一環として、舶用部品工場を秦野市清水町から同市堀山下に移転 |
| 2006年 |
秦野地区再整備の一環として、舶用部品工場を秦野市清水町から同市堀山下に移転 |
| 2007年 |
2007年 : 秦野地区再整備の一環として、秦野本社工場に事務厚生棟を建設。間接部門を集約 |
| 2007年 |
バルチラ社より舶用部品工場が多数企業の中から8社のみが選出され、「ベストサプライヤー8」を受賞。新潟県中越沖地震が発生 |
| 2007年 |
秦野地区再整備の一環として、秦野本社工場に事務厚生棟を建設。間接部門を集約 |
| 2008年 |
2008年 : グローバル市場における事業戦略としてグループ再編を実施 : 再編の一環として、新和精密株式会社の株式の一部を譲渡(連結子会社から持分法適用関連会社へ異動)、U.S. エンジンバルブ(パートナーシップ)の持分を増加(連結子会社化) |
| 2008年 |
グループ再編を実施。米国イートン社との出資により「ニッタン・グローバル・テック株式会社」を設立。ポーランドにエンジンバルブ製造の合弁会社「ニッタン・ユーロ・テック sp. z o.o.」を設立。アメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破綻し、世界的な金融危機を招く |
| 2008年 |
グローバル市場における事業戦略としてグループ再編を実施 : 再編の一環として、新和精密株式会社の株式の一部を譲渡(連結子会社から持分法適用関連会社へ異動)、U.S.エンジンバルブ(パートナーシップ)の持分を増加(連結子会社化) |
| 2008年 |
米国イートン社との出資によりグローバル展開のマネジメントを目的とした、ニッタン・グローバル・テック株式会社(現連結子会社)を設立 |
| 2008年 |
米国イートン社との出資によりポーランドにエンジンバルブ製造の合弁会社ニッタン・ユーロ・テック sp. z o.o(現連結子会社)を設立 |
| 2008年 |
第三者割当増資を行い45億3千54万3千円となる |
| 2009年 |
韓国に陸上および船舶用エンジンバルブ製造の合弁会社 「ケイエヌテック株式会社」を設立 |
| 2009年 |
2009年 : 韓国に陸上および船舶用エンジンバルブ製造の合弁会社、KN-Tech Co., Ltd. を設立 |
| 2009年 |
韓国に陸上および船舶用エンジンバルブ製造の合弁会社「ケイエヌテック株式会社」を設立。第45回衆議院選挙で民主党が大勝し、政権交代へ |
| 2009年 |
韓国に陸上および船舶用エンジンバルブ製造の合弁会社、KN-Tech Co., Ltd. を設立 |
| 2010年 |
エンジンバルブ製造合理化ライン (Next Generation Valve Line)を、ニッタン・ユーロ・テック sp. z o.o.およびU.S.エンジンバルブ(パートナーシップ)に導入 |
| 2010年 |
エンジンバルブ製造合理化ライン(Next Generation Valve Line)をニッタン・ユーロ・テック sp. z o.o.およびU.S.エンジンバルブに導入 |
| 2011-03-11 |
東日本大震災が発生。東北沿岸部を中心に津波による大被害を受ける |
| 2012年 |
ベトナムにエンジンバルブ製造の合弁会社 「ニッタンベトナムCo., Ltd.」を設立 |
| 2012年 |
新和精密株式会社および株式会社タカハシテクノとの合弁により、韓国にバルブリフター原材料の製造販売を目的とした 「新和タカハシプレス株式会社」を設立 |
| 2012年 |
2012年 : ベトナムにエンジンバルブ製造の合弁会社、ニッタンベトナム Co., Ltd.(現連結子会社)を設立 |
| 2012年 |
ベトナムにエンジンバルブ製造の合弁会社「ニッタンベトナムCo., Ltd.」を設立。新和精密株式会社および株式会社タカハシテクノとの合弁により、韓国に「新和タカハシプレス株式会社」を設立。高さ634メートルの東京スカイツリーが開業 |
| 2012年 |
ベトナムにエンジンバルブ製造の合弁会社、ニッタンベトナム Co., Ltd.(現連結子会社)を設立 |
| 2012年 |
新和精密株式会社および株式会社タカハシテクノとの合弁により韓国にバルブリフター原材料の製造販売を目的とした、新和タカハシプレス株式会社(現・STP株式会社)を設立 |
| 2013年 |
韓国に当社の営業および製品メンテナンス業務を目的とした 「韓国日鍛株式会社」を設立 |
| 2013年 |
インドにエンジンバルブ製造の子会社 「ニッタンインディアテック Pvt. Ltd.」を設立、初の海外単独進出 |
| 2013年 |
2013年 : 韓国に当社の営業および製品メンテナンス業務を目的とした韓国日鍛株式会社を設立 |
| 2013年 |
韓国に「韓国日鍛株式会社」を設立。インドにエンジンバルブ製造の子会社「ニッタンインディアテック Pvt. Ltd.」を設立、初の海外単独進出。富士山が世界文化遺産に登録される。2020年夏季オリンピック開催都市が東京に決定 |
| 2013年 |
韓国に当社の営業および製品メンテナンス業務を目的とした韓国日鍛株式会社を設立 |
| 2014年 |
新和精密株式会社の出資により、中国にバルブリフターの製造販売を目的とした「日照柳成新和汽車部件有限公司」を設立 |
| 2014年 |
舶用部品工場にて2,000tonプレス導入 |
| 2014年 |
山陽工場に傘中空エンジンバルブラインを新設 |
| 2014年 |
新エンジンバルブ製造合理化ライン(New-Next Generation Valve Line)をニッタンタイランドCo., Ltd.に導入 |
| 2014年 |
2014年 : 新和精密株式会社の出資により、中国にバルブリフターの製造販売を目的とした、日照柳成新和汽車部件有限公司を設立 |
| 2014年 |
新和精密株式会社の出資により、中国にバルブリフターの製造販売を目的とした「日照柳成新和汽車部件有限公司」を設立。舶用部品工場にて2,000tonプレス導入。山陽工場に傘中空エンジンバルブラインを新設。新エンジンバルブ製造合理化ライン(New-Next Generation Valve Line)をニッタンタイランドCo., Ltd.に導入 |
| 2014年 |
新和精密株式会社の出資により、中国にバルブリフターの製造販売を目的とした、日照柳成新和汽車部件有限公司を設立 |
| 2015年 |
人工光技術における無農薬野菜の生産と販売を目的とした 「株式会社Shune365」 を設立 |
| 2015年 |
2015年 : 秦野市平沢に農作物の生産、加工、販売等を行う株式会社Shune365 : (現連結子会社)を設立 |
| 2015年 |
人工光技術における無農薬野菜の生産と販売を目的とした「株式会社Shune365」を設立 |
| 2015年 |
秦野市平沢に農作物の生産、加工、販売等を行う株式会社Shune365 : (現連結子会社)を設立 |
| 2016年 |
現代自動車様より ベストサプライヤー賞受賞 |
| 2016年 |
本田技研工業株式会社様より 優良感謝賞を受賞 |
| 2016年 |
現代自動車様よりベストサプライヤー賞受賞。本田技研工業株式会社様より優良感謝賞を受賞 |
| 2017年 |
本社工場で乗用車向けパーキングブレーキ用部品(PBW)の生産開始 |
| 2018年 |
中国(山東省)にエンジンバルブ製造の合弁会社「日照日鍛汽門有限公司」を設立、傘中空エンジンバルブの量産開始 |
| 2018年 |
創立70周年記念式典開催 |
| 2018年 |
2018年 : 中国にエンジンバルブの製造販売を目的とした日照日鍛汽門有限公司(現・日照日鍛汽車部件有限公司)(現連結子会社)を設立 |
| 2018年 |
中国(山東省)にエンジンバルブ製造の合弁会社「日照日鍛汽門有限公司」を設立、傘中空エンジンバルブの量産開始。創立70周年記念式典開催 |
| 2018年 |
中国にエンジンバルブの製造販売を目的とした日照日鍛汽門有限公司(現・日照日鍛汽車部件有限公司)(現連結子会社)を設立 |
| 2019年 |
東京事務所を東京本社に改称し、二本社制に移行 |
| 2019年 |
2019年 : 東京事務所を東京本社に改称し、二本社制に移行 |
| 2019年 |
東京事務所を東京本社に改称し、二本社制に移行。新元号「令和」に改元 |
| 2020年 |
新型コロナウイルスが世界各地に広がる |
| 2021年 |
中国(山東省)にバルブリフター製造の合弁会社「日照艾斯琵汽車部件有限公司」を設立 |
| 2021年 |
秦野本社工場にテニスコート完成 |
| 2021年 |
2021年 : 柳成企業株式会社および库柏(中国)投资有限公司との合弁により中国にバルブリフターの製造販売を目的とした日照艾斯琵汽車部件有限公司を設立 |
| 2021年 |
中国(山東省)にバルブリフター製造の合弁会社「日照艾斯琵汽車部件有限公司」を設立。秦野本社工場にテニスコート完成。東京オリンピックが1年延期で開催 |
| 2021年 |
柳成企業株式会社および库柏(中国)投资有限公司との合弁により中国にバルブリフターの製造販売を目的とした日照艾斯琵汽車部件有限公司を設立 |
| 2022年 |
東京証券取引所スタンダード市場へ移行 |
| 2022年 |
東京証券取引所 新市場区分、始まる |
| 2022年 |
2022年 : 社名を株式会社NITTANに変更 |
| 2022年 |
社名を株式会社NITTANに変更 |
| 2022-04-01 |
2022年4月1日 商号・商標が変更「株式会社NITTAN」 |
| 2022-04-01 |
商号・商標が「株式会社NITTAN」に変更。東京証券取引所スタンダード市場へ移行 |
| 2023年 |
2023年 : 有限会社秦和商事から株式会社秦和へ商号変更 |
| 2023年 |
有限会社秦和商事から株式会社秦和へ商号変更 |
| 2023年 |
株式会社秦和が株式会社Shune365を吸収合併し連結子会社化 |
| 2024年 |
2024年 : 株式会社恵那金属製作所(現・株式会社NITTAN恵那金属)を連結子会社化 |
| 2024年 |
株式会社恵那金属製作所(現・株式会社NITTAN恵那金属)を連結子会社化 |
| 2024年 |
国内事業の構造改革の実施に伴い、PBW事業を廃止(その他事業に統合) |
| 2024年 |
岐阜県中津川市にて機械加工業、表面処理業等を行う株式会社恵那金属製作所(現・株式会社NITTAN恵那金属)及び中国にて機械加工業を行う同社子会社の恵那金属(昆山)有限公司を連結子会社化 |
| 2024年 |
国内事業の構造改革の実施に伴い、株式会社秦和が農作物の生産、加工、販売から撤退 |
| 2025年 |
2025年 : 株主優待制度を新設 |
| 2025年 |
株主優待制度を新設 |