株式会社イワタ
基本情報
- 所在地
- 〒101-0032 東京都千代田区岩本町3-2-9 滝清ビル7F
- 社長
- 水野昭
- 資本金
- 40,000,000 円
- 従業員数(単独)
- 従業員数(連結)
- 26 人
- 開始日
- 1920-01-01
- 終了日
サイト
事業内容
関連会社
関連図
沿革
1920年の創業以来、私たちは金属活字、写植、デジタルフォントという三つの時代を経て、常に書体の可能性を追求しています。新聞書体や教科書体、日本初のユニバーサルデザイン(UD)書体といった現在の生活の中で見かける書体の礎を築き、文字を通じて人と情報をつなぐ役割を担い続けてきました。![]()
昭和13年(1938年)、物資統制の影響で質の悪い紙とインキ、さらに記事を詰め込むために小さくなった文字によって印刷が不鮮明になり、文字と視力の問題が取り沙汰されるようになりました。その時に新たに考案したのが縦0.087インチ、横0.100インチの新活字、すなわち新聞用扁平活字でした。![]()
これが朝日新聞で採用され、太平洋戦争に突入した昭和16年(1941年)12月8日の紙面に初めて登場しました。この活字は字面はほとんど7ポイントと同様で、読みやすくしかも上品で、記事の収容量が変わらないと評判になり、朝日の紙面を見た全国各紙から新活字の母型の注文が殺到しました。そしてこの新活字は新聞活字の大勢をリードするに至りました。![]()
昭和25年(1950年)、当時のイワタ(岩田母型製造所)は日本の母型業者として初めてベントン彫刻機を導入しました。しかし当時の機械は日本語固有の問題、例えば字画の多さや明朝の横線幅や払いの先端が細い等に対応しているとは言い難く、精度と性能を上げるため、彫刻用カッターの研磨技術と彫刻に適した原字デザインの両面から独自に研究・開発しました。その結果、母型の大幅な高精度化と大量生産を実現し、日本最大の母型製造工場に成長しました。同じころベントン彫刻機を使用して開発した「岩田明朝体」が広く受け入れられ、全国シェアの65%を占めるに至りました。岩石明朝体は現在もなお「イワタ明朝体オールド」として多くのユーザに使用されています。![]()
1959年(昭和34年)に楷書漢字を改良し「教楷書」と改称。現在のイワタ教科書体のベースができました。その後、さらに書体としての完成度を高めるべく、ベントン彫刻機で製作し、さらに文部省出身の専門家と字形を精査・修正した結果、現在のイワタ教科書体が完成しました。この教科書体はモリサワや写研などの写植メーカー、日本電気・富士通・キヤノンなどのシステムメーカー、その他のフォントベンダーなどへOEM提供され、教科書体としての地位を不動のものとしました。![]()
ニュース
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